2012年3月2日金曜日

上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る

 金土休みなので今日は朝はゆっくり眠ろうと思ったら、なんかやけに早く目が覚めて9時から始動してました。ちなみにこのところ毎週どちらかの休みに取材が入っていたので、明日からまた上海で日本系物産展が開かれるという情報がありましたが敢えて黙殺し、取材拒否しました。先週も同じの、というより日中国交正常化40周年記念の物産展に出て行ったし、内容被るのもあれなんで。
 ちなみにその40周年記念の物産展ですが、やっぱり南京市で開く予定だった催しは例の河村市長の発言が原因で中止になったようです。ちょこっとだけ書くと、仮に日本側が何らかのアクションを足らずに正常通りに開催していたら南京市政府が地元住民にシャレ抜きで襲われてしまうので私は中止も仕方ないと思います。まぁこれも煽る材料になるのでしょうが。

上越新幹線脱線事故(Wikipedia)

 話は今日の本題に移りますが、思うところがあるので2004年に起きた上越新幹線脱線事故を取り上げます。この事故は営業中の新幹線としては初の脱線事故となり、ウィキペディアの記事中にも書かれていますが「安全神話崩壊」、「地震に新幹線は弱い」などと当時のメディアには散々に騒がれましたが、私はこの事故はアポロ13に次ぐ程の偉大なる事故だと考えております。

 まず事故当時の状況について簡単に説明しますが、「とき325号」が上越新幹線の浦佐駅~長岡駅間を走行中だった最中に最大深度7の新潟県中越地震が襲い、6・7号車を除き計8両が脱線しました。ただ脱線した車両は軌道を大きく外れず、また街頭路線がカーブのない直線で対向車もすぐに運転を停止したことから衝突は起こらず、奇跡的にも死傷者は一人も出ることはありませんでした。
 さらっと事故状況について書いてみましたが、改めて読み直すと実に凄まじい快挙としか言いようがありません。というのも155人の乗客を乗せた列車が時速200キロで走行中に最大震度7の地震を直撃しておきながら、車両が大破しなかったことはおろかけが人を一人も出さないなんて、SF小説でもこんな大げさな内容を書いてもいいのかと思うくらいです。さらに言えば軌道を支える高架橋もこの地震で崩壊しなかったというのも見逃せない事実です。

 実はこの事故について、失敗学の権威である畑村洋太郎氏の寄稿文を事故後に発行された雑誌で読んだことがあります。これも読んだのは8年前のことか、よく覚えてるな……。
 畑村氏もこの脱線事故について「まさに安全工学の勝利」としか言いようのない快挙だと褒め称えており、早期地震検知警報システム「ユレダス」によって非常ブレーキがすぐ作動したことや、脱線を防ぐレール構造、ほかの車両がすぐに運行を止めたシステムなど快挙の要因を素人の自分にもわかるほど丁寧に説明しておりました。ただその一方で、「単純に運が良かった点も見逃せない」として、事故車両の特徴について指摘がありました。畑村氏によると事故の起きた車両はやや古い車両で、最新の新幹線車両と比べて重心が低い構造だったらしいです。仮に車重が少ない最新型の車両であればこうもうまくいったかとなると議論の余地があるとして、今後はこの点にも注意して車両設計などを進める必要があると、勝って兜の緒を締めるようなすごくかっこいいセリフと共に文をまとめておりました。

 私が今回何故この事故を取り上げようかと思ったのかですが、自宅で暇な時間にネットサーフィンしている最中にこの事故に関連する記事を読んだとの共に、普段からの安全対応においてJRと東電に大きな乖離を感じたからです。JRは地震に対してこれほどまでに対策を備えてバッチリな対応をしたのに対し、東電は確実に予想された津波に対して、下手すればまだはっきりしていないものの地震を受けた時点で駄目になっていた可能性すらあります。
 あとこれは人づてに聞いた話ですがベント解放の一件についても、管元首相と東電の実態について明確な認識の違いがあったと聞きます。ベント解放は放射能を十分に含んだ蒸気を開放する最後の手段であるため他のパイプとは独立したパイプで用意した上、作業員が被爆しないように遠隔操作で出来るようになっているのが世界の原発の標準だそうです。東工大出身の管元首相はそういう認識でベント解放を指示したそうですが、福島原発のベント用パイプは独立しておらず、かつ手動で開放しなければならない代物でそれで東電が躊躇したのではという話を聞きました。仮に事実であればこの一件でも、如何に東電の事故対応が甘かったのかと思い知らされます。

 またさらに言うと、これは今回記事を書くに当たって調べ直している最中に感じたことですが、仮に東日本大震災時の首相が小泉元首相だったらどうだったのか、少し気になりました。というのも新潟県中越地震の際は確かに規模は東日本大震災ほど大きくなかったものの、私の記憶では目立った混乱はなく政府の対応なども極端に的外れなものはありませんでした。私が東日本大震災の政治対応で何より許せなかったのは自民もそろって不信任下決議をしたり、民主党内で内紛をやったりとあんな時期に権力争いをしてたことで、なんていうか8年前と比較してがくっと元気なくなります。

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