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2012年3月8日木曜日

精神年齢は若返るのか

 先日、友人とこんな会話をしてました。

「ビキニ水着ってあるだろ。あれ、ビキニ環礁が語元らしいぜ」
「マジかよ」

 いい年してこんな中学生みたいなくだらない会話したことはほっといて、以前に私は「寿命の尽きない時代に向けて」という記事で肉体が不老となる時代について簡単な考察を書きました。現時点ではまだ実現こそしていないもののこの辺の技術はかなり発達していて下手すりゃあと百年くらいで実現するかもしれないのですが、この前ふとしたことで「じゃあ精神年齢は若返ることがあるのか」という問いを持ったので今日はちょっとこの辺について解説します。

 まず先ほどのビキニ水着について語った友人に、「仮に不老の肉体が手に入るとしたら受け取るか」と聞いてみたところ、やっぱり「いらない」と返されました。その理由というのも肉体はともかくとして精神を永遠に保たせることがきっとできないと思うからだそうで、よくあるSF小説のように本人が不老不死となっても周りが年老いて死んでいくのに耐えられず、最後は発狂するような悲劇的な結末をこの友人の回答から私は思い浮かべました。
 私自身も基本的に友人と同じ意見で、というかそんなに長く生きたくない、さらにぶっちゃければ20歳を超えてるんだしもう長生きしすぎなんじゃないかとすら思っててそろそろ遺書でも書こうかと思ってるくらいなのですが、話は急に飛びますがじゃあ精神年齢が若返りすることはあるのかという考えがふと頭をもたげました。

 例えば今の私の肉体年齢は二十代後半ですが、精神年齢についてはちょうど二十歳の頃にインドの占い師に、「もう30歳近くに達している」と言われたことがありもしかしたらもう40歳くらいに至っているかもしれないのですが、このように精神年齢とは必ずしも肉体年齢とは必ずしも一致しません。ほかにも同じ中学三年生のクラス内で比較しても、大人びた子もいれば小学生みたいな子もいるなど人によって明確な個人差があるでしょう。
 この精神年齢単体についてもいろいろ突っ込めば肉体年齢と近ければいいのか、それとも高ければ高いほどいいのか、もしくはある基準となる年齢に近いほどいいのかなど、これだけでもそこそこの記事が書けるのですがそれは今回置いといて、繰り返しになりますが一度引き上がった精神年齢を後で引き下げることは可能なのかというのが今日の疑問です。

 明日休みだけど再来週にまた武漢出張を言い渡されたせいか今日の文章の調子はやけに悪いのですが、ここで結論を述べると私は精神年齢を引き下げることはある程度は可能だと考えております。
 こう考える根拠として、ちょっと古いアニメ映画ですが「千年女優」という作品で年老いた主人公が、「好きな人を追いかけている時、私は少女だった頃の自分に戻ることが出来る」というセリフがあります。このセリフはそのまんまな意味で、どれだけ肉体年齢が年老いてても恋焦がれている時は気分的には十代の頃と同じ感情になるということを示しているのですが、別に恋に限らなくとも昔に住んでいた場所とか古い友人と会ったりすると「童心に帰る」というように、それぞれその場所に立ち会った年齢のような感情が惹起することは誰にでもあると思います。

 ただこうした精神年齢の若返りは基本的には一時的な現象にとどまる例が多いとも言えます。先程の例でも古い友人と久しぶりに会って話をしている間は若返っても、家に帰って普段見慣れている家族と話してたらまた一気に老け込んでしまうでしょう。もちろん状況次第、やり方次第では若返った状態を維持することも可能でしょうが、そもそもそこまでして精神年齢を若返らせたいという人はいないと思うのでやる人は少ないでしょう。
 そんなことを言っておきながらですが、今現在の私は三年くらい前の日本で働いていた頃より現時点の方が精神年齢は若い気がします。何故精神年齢が若返ったのかというとひとえに中国で働いているから以外にほかなく、経済も右肩上がりであることから社会の空気が前向きで、かつ街中を歩いている人間の平均年齢が少子高齢化の日本と比べると明らかに低く、以前と比べて自分の思考に攻めの姿勢が強くなってきております。

 最後にこれは蛇足かもしれませんが、もう一つ精神年齢が若返ったと思う要素として今現在の自分は失うものが少ないというのも当てはまるかもしれません。やはり日本にいた頃と比べると現職に対する執着(なんとしてでも残らなければ)というものが全くないですし、何が何でも今の状態を維持しようという意識が希薄となっております。変化を求めるのが若者というのであれば、ある意味これがど真ん中なのかもしれませんが。

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