またどうでもいい話ですが、今日のYahooニュースに「何でも妖怪のせいとする子供たち」という記事が出ており、その記事の見出しの下には「松坂退団濃厚、先発にこだわり」という記事が出ていたため咄嗟に、「松坂がメッツを退団するのは妖怪のせい、先発にこだわるのも妖怪のせいかも」なんて妙な言葉が頭をよぎりました。なお私は不都合な事実はいつもフリーメーソンのせいにしており、「今日天気が悪くて布団が干せないのはフリーメーソンのせい」、「頼んだ料理がはずれだったのはフリーメーソンのせい」、「中村紀洋が退団しそうなのは本人のせい」なんて口ずさんだりします。
なお「妖怪のせい」という言葉で検索してみたら、「何でも妖怪のせいにしてしまう我々が一番の妖怪かもしれませんね」といった子供の記事がヒットしてきました。意外と日本も捨てたもんじゃないかもしれませんね、ってかこの子供いくつだよ……。
そんなどうでもいい妄想は置いといて本題ですが、予備校だといじめってあんま起こらないのではとふと思いました。ここまでいきなり結論ぶち上げるのはそこそこのキャリアを持っていながらも初めてですが、通常の学校における空間に比べて同じく学習の場である予備校ではいじめはどうして起こらないのだろうか、なんかその点が先週カレー食べながらふと気になりました。
一応、ネットで「予備校 いじめ」というワードで検索をかけると予備校でもいじめを受けているというような話があるので必ずしも私が想像する通りにいじめが全くないわけではないようですが、あくまで個人的な観点で述べると、普通の学校に比べたら生徒間でギスギスするようなことも少なく、陰鬱な空気もそれほど感じられなかったような気がします。
私個人の体験で述べると小中高とそれぞれで通った予備校ではいじめらしいものは全く見られず、それどころか割と深刻な悩みを打ち明けられるほど信頼が持てる友人が出来たりと、ぶっちゃけ学校よりも人間関係ではずっと楽でした。浪人して予備校の寮に入った大学時代の友人も予備校でかけがえのない友人がたくさんできたと事ある毎に自分に聞かせてくれていました。
というような仮説というか妄想を立てたので早速地元の友人にこの件を振ってみたとこと、その友人も確かに予備校ではいじめらしいものはそんなに見なかったと話し、続けて「なんでだと思う?」と私が聞いてみると、「(予備校に来る)目的がはっきりしてるからでは」と、私が想定していた考えと全く同じ回答が来てちょっとビビりました。
予備校に来る目的とは何かというと、言うまでもなく成績を上げるための勉強です。自分と友人の考えはというと、予備校というのはその機能と通う目的がはっきりした勉強をするための場であるため、公道なり考えが変に横にぶれないというかいじめを行う、企図する方向に全く向かないからではないかということです。逆を言えば学校というのは「勉強だけの場じゃない」とPTAを始めとして色んな方々が主張し、なおかつ人間関係を作ることを無言の圧力で矯正するようなところもあり、そういう複雑な機能がいじめを発生させる要因になっているのかもと私は言いたいのです。
無論これは仮説で、予備校の方が滞在時間が少なかったり、一教室の人数が少なかったり、学校行事といったイベントが無かったりすることも要因として挙がってきますが、先程にも述べた通りに私は地味に予備校内の人間関係が非常に健全で居心地がよかったことを考えると、予備校という空間の人間関係をもっと深く検証することがいじめ対策の大きなヒントになるのではないかと思います。もっとも自分は教育学者でもないしもう学校に通う身分でもないのでこれ以上は検証しませんが、一応仮説の提案として書いておくことにします。
それにしてもこういう内容を何にもないところで突然思いつく当たり、自分は何かの病気ではないかとつくづく疑います。
おまけ
小学校時代に通った予備校では大橋君という生徒が二人おり、片っ方が非常にひょうきんだったのに対してもう片方は非常に大人しい子でした。そのためひょうきんな方は講師を含めみんなから普通に「大橋」と呼ばれ、大人しい方は何故だか「パート2」というあだ名がついてました。けどその「パート2」は国語の授業中に当てられた問題の回答でまごついたところ、四択の回答の中から明らかに間違いな「D.クリスマスキャロル」という答えを後ろの生徒に唆されるまま答えてしまい、それからあだ名が「キャロル」に変わりました。確か受験終るまでずっとそのまま「キャロル」だったような。
4 件のコメント:
>>「(予備校に来る)目的がはっきりしてるからでは」
私も即座にこの考えが出ましたね。
ただじゃあ学校は目的がはっきりしていないのか…というとむしろ学校というもの自体が目的と同義ではないかと考えます。
学校生活を充実させたい…これは多くの生徒にとって共通する目的ではないかと(個々人によってベクトルは異なりますが)。
基本的に生徒にとっては学校ってのは社会人にとっての会社みたいなものだと思います。人生の表舞台とでも言いますか。そして会社にいれば往々にして出世競争や派閥争いがあるわけで、否応にも人間関係にウエットさが出てくる所はあると思うのです。それが真心からのウエットさかどうかは別ですがね。
じゃあその社会人が資格取得のために合間を縫って、様々な人が通える学校に行くとします。するとそこでは出世競争や派閥争いなんてないワケです。するメリットがないですし。だから人間関係がドライでも構わない場所…といえます。転じて「仲良くしたい人間とだけ仲良くしてて大丈夫」な場所となります。上辺だけではない友人ができやすい環境ではないかと思います。
この場合「会社で出世すること」が「目的」であって、「資格取得の勉強」は「手段」であります。
同様に予備校への通学も結局のところ「手段」でしかなく、「目的」ではありません。
敷衍すれば浪人中等の事情で予備校が生活の中心になったとしても、あくまでそれが「手段」に過ぎないことを皆自覚しているのではないかと思います。
つまり予備校はあくまで腰掛にしかならない、人生の表舞台ではない、だからそこで争ったり派閥組む意味はない…そんなワケで予備校では人間関係に煩うケースが少なくなってくるのでは。
わざわざそんな場所でいじめをしてるんだったら恐らく当人が相当に性格が悪いか、予備校への通学が目的化してしまっているのでしょう。予備校講師でもないのにそうなるのも大したもんですけど。
ですから正味なところ、私は「予備校という空間の人間関係をもっと深く検証することがいじめ対策の大きなヒントになるか」といえばならないと思います。
「学校」はやはり学校生活が社会とのつながりの大部分である生徒にとっては「目的」になって当然ですし、その手段化はありえないと考えるからです。
「学校」を手段として捉えるとしても、その生徒にとって「目的」は別のところになってくるワケですので、その場合単に「いじめを行う価値がある場所」が別のところに移っただけにすぎません。
結局当人たちにとっての人生の表舞台では人間関係が必ずしも良好ではない、というのは当たり前…それならば変に学校を手段化して別のところで各々学んでもらうよりは義務教育の場で等しくそれを感じさせる方がまだマシではないのかなと。
複雑な機能がいじめを発生させる要因なのは確かにその通りだと感じますが、大抵の人は単純な機能しか有しない場所に居続けることはできないのですから、学校は複雑な機能を有して学ばせるべきですし、いじめの発生を学校の責任とする方々の論調には疑問を感じます。人生の表舞台になる場所にはあっていじめがあって当然と私は考えますので。
大事なのはいじめを根絶させようとすることではなくて、いじめられた場合にどう対処して切り抜けるかを学ばせることではないでしょうか。
風邪を根絶させることはできませんが予防・療養をすることは可能だというのと、同様な気がします。
大体の内容は自分も同意できますし、自分の主張や問題提起も理解してくれているようで非常にありがたいです。おっしゃる通りに学校二は複数の機能が複雑に絡んでいるため一言で言えば生徒間で同床異夢なところがあり、そうした差異がいじめを生んでいるのでは、とはいっても学校は社会(これも複雑)とつながっている所でもあるので、いじめが起こってしまうのはしょうがないのではと解釈しました。実際、会社内や企業間でも同僚イビリや下請けいじめなどいじめは絶えませんしね。
しかし私の予備校をもっと検証してみてはという考えはやっぱり捨てきれません。記事中には書きませんでしたが結論から言ってしまうと、学校に来る目的が近年曖昧になっているのでは、学校は勉強をする場、もっと勉強を中心目的に据えてみてはどうかというのが隠れた提案でした。なにも勉強中心にするため部活動はやめるべきだ、学校行事も減らせとまでは言いませんが、今よりはもっと「勉強、学問の場」としての意識や機能を持たせ、生徒の来校意識を予備校の様に揃えることでいじめ軽減につながるかもしれないのではと思え、その為に予備校の空間をもうちょい検証してはと言いたいわけです。
実際、やってみてどうなるかはわからず全く無意味に終わるかもしれません。まぁでも久々にこういうコメント欄で議論ができて楽しかったので、今後も何かあればどんどん書いてってください。
今度、自衛隊中の人間関係を分析して頂きたく。
自衛隊の中入ったことないからわかんないって。
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