歴史上、死んではいるものの実は落ち延びて生きていたと噂される人物は古来より数多く存在します。かつてのその代表格は源義経で、何故だか大陸に渡ってチンギスハンになったというちょっとトンデモすぎる伝説が横行しましたが、概してその人気の高さから「実は生きていてほしい」と思われる人物ほどこういう生存説が叫ばれる傾向があります。
もうひとり、現在ではそれほどではないものの当時生存説が叫ばれた代表格としては西郷隆盛がおり、彼に至っては大津事件でロシア皇太子を切りつけた巡査が「西郷が亡命先のロシアから戻ってくるため、西南戦争で功績を挙げた自分が処分されると思って切りつけた」と証言したことから一気にその生存説が横行しました。もちろんこれは根も葉もない主張で、また切りつけた巡査自体がちょっと精神が不安定であったことから眉唾であったものの、当時としても西郷人気が非常に高かったことをうかがわせるエピソードです。
続いて最近になって俄然と生存説が叫ばれることの増えた人物を挙げるとしたら、私の中では明智光秀が上がります。彼は知っての通り本能寺の変の直後に起こった山崎の合戦で敗戦し、居城へと落ち延びている最中に落ち武者狩りに遭って死んでいますが、実はこの時に本当は落ち延びて、徳川家康のブレーンである南公望天海となって政界へ復帰していたという説が10年くらい前からよく見かけるようになってきました。
この説の根拠として南公望天海の年齢が光秀と近似していること、政治手法が似ていることなどが挙げられている他、花押(サイン)が似ていたというのも挙げられています。実際に両者の花押はよく似ていて以前に見たテレビ番組で筆跡鑑定も行われていましたが、鑑定人の判定としては同一人物であるとは断定できないというものでした。ただ、筆跡が似ていることは事実でもしかしたら親類である可能性は有るという説明も加えられていましたが。
そのほかに生存説が叫ばれた者としては近頃流行りの真田幸村で、彼も人知れず鹿児島に落ち延びていたという意見がありますがさすがにこれは願望が入りすぎていると私も感じます。一方、生存説とは違いますがなかなか「実は死んでいないのでは」とその死亡に疑義が呈されていた人物とくれば旧日本陸軍参謀の辻政信を置いてほかにいないでしょう。彼の場合は一度GHQの摘発から逃れるために戦後直後に行方をくらましており、ようやく戦犯指定から外されると再び表舞台に現れ国会議員にまでなってしまった後、東南アジアに向かうと出国して再び行方が分からなくなりました。
現在も辻の最後については議論がなされているものの、さすがに年数を経過して寿命を迎えていることが予想されることから「実は生きているのでは?」という生存説はもうでなくなりました。ただ彼の場合は「生きていてほしい」という生前の人気の高さからくる願望というよりも、「あの辻ならやりかねん」というような一種の怪しさが往時の議論を巻き起こしたものだと私は考えます。
4 件のコメント:
エルビスプレスリーが死んだと認めてしまえば「これ以上プレスリーの新曲を聞くことは
できない」という現実に向き合わなければなりません。 しかし、プレスリーが生きている
と信じればその現実から目をそむけることができます。 今でもプレスリーはアメリカのどこか
の片田舎でギターを弾いているのだ と思えば(非現実的であっても)プレスリーの新曲の
発表を楽しみにしながら待っているという希望が生まれます。
秋田県の大館市に真田幸村の墓があります。 もっともこれば単に遺族(幸村の娘が秋田の
殿様に嫁ぐ)が菩提を弔うためのものであって、記念碑程度の意味合いしかないでしょう。
「生存説が叫ばれてる」人で思い浮かぶのは(有名人かと言われると微妙ですが)阿部定ですね。今生きてたら115歳以上になるのでさすがに生きてないと思いますが。
プレスリーはまさに現代における生存説ヒーローナンバーワンでしょうね。いい具体例ありがとうございます。
自分は中国で記者やってる頃、エイプリルフールのネタに「林彪、実は生きてた!」みたいな嘘ニュース書こうと提案しましたが、マジで当局から発行禁止食らうと言われ実現できませんでした。生きてたら困る人間も世の中には多そうです。
阿部定も生存説が根強かったですね。はっきりと死亡が確認されたわけじゃなかったからでしょうが、事件の内容もあって生きていてほしいと思う人は確かに多かった気がします。
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