泡で出るハンドソープをそろそろ買わないとと思っているものの、メイソウで売られているハンドソープが百合の匂い版しかなく、なんとなく百合っぽくて買いづらいなと思う日々が続いています。
・屈辱の涙に濡れた戦国時代のお兄ちゃんたち(JBpress)
ブログで取り上げるのを忘れてましたが、昨日にまたJBpressで歴史記事を出しました。これはいざって時用に出していたため記事で、提出自体は確か12月くらいだった気がします。内容は以前子のブログでも取り上げた戦国時代に家督を継げなかった長兄たちの話ですが、結城秀康と伊達秀宗はこのブログでも取り上げてはいるものの、細川忠隆はこの記事のために追加しました。
内容は歴史事実なので特に触れる必要はないですが、そこそこ記事文章は気に入っており読み物としては悪くなかったと思います。あいにく日間アクセスランキングでは5位にとどまりましたが、ヤフコメでは「おもしろかった」とコメントしてくれる人がいて素直に嬉しかったです。
そのヤフコメですが、「上杉謙信の兄は?」という意見がいくつか寄せられてて、これは私自身も多分来るだろうと予想していました。その謙信の兄とは長尾晴景のことですが、彼をこの記事で出さなかったのは複数理由があり、並べると以下の通りです。
1、対象とする時代を安土桃山~江戸時代初期に限定したから
2、長尾晴景は一旦は家督を継いでいるから
3、時代背景がやや異なる
3について補足すると、いわゆる安定した時代へと移り変わってきた江戸時代初期と比べると、晴景の時代は一にも二にも腕力が物を言う下剋上の時代で、家督を継ぐという意味合いで今回取り上げた三人とは大きく異なった状況でした。有名所ではあるものの、やはりそうした背景を考えるとこの三人組がいいと考えたことから、晴景は今回除外したわけです。
ちなみに取り上げた三人の順番にはちょっと仕組みがあり、
1、結城秀康:庶子で最初から後継者扱いされていない
2、伊達秀宗:庶子だが最初は後継者扱いされてた
3、細川秀隆:嫡男で最初から後継者扱いされてた
という風に、その当初の後継者としての立場が段々強くなっていく順番となっています。仮にこの順番が逆だったら、読んでる方も読んでて違和感を感じたでしょう。細かい工夫に見えるかもしれませんが、こうした文章構成の流れはやっぱり重要だと日頃考えています。
2 件のコメント:
伊達秀宗の治めた宇和島藩ですが幕末には名君 伊達宗城公が活躍しました。それに対し、
仙台藩は明治新政府軍と戦ったものの敗北し、領地を大きく減らされました。この戦いの
せいで、明治になってからの仙台藩当主の爵位は、宇和島藩当主の爵位より低かったそう
です。忠宗より上座の席につきたいという秀宗の願望は200年以上も後に、子孫によって
かなえられることになりましたね。
相変わらずお目が高い。宇和島藩の伊達宗城はその活躍の割りには知名度低くていつも可哀想にみてましたが、明治以降の爵位で仙台藩を逆転していたとは知りませんでした。
なお余談ですが、私の家系は幕末において宇和島藩士だったそうで、名字は伊達政宗麾下のある武将と同じだったりします。可能性レベルですが、秀宗のお国入りに随行した与力の一人が先祖だったのかもしれません。
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