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2019年3月2日土曜日

言語を介さない思考

 「外国語のできないやつは母国語もできていない」というのはゲーテの言葉ですが、これはあながち偏見の入ったセリフではありません。人間、たとえ人生にどんな出来事があったとしても幼児期に最初に習得した言語が思考する際に使われる言語として使われ、生涯それが変わることはないと各実験などからも証明されています。逆を言えば、母国語が充実していなければ思考言語も未熟なままとなり、思考能力もある一定の段階で限界を迎えそれ以上は発達しないというか、ハイレベルでの思考処理を行うことはまず不可能となります。

 もっとも、それはあくまで「言語を介して思考」する場合に限ります。「言語を介さずに思考」する場合はその限りではありません。

 そもそも言語を介する思考とはなにかといいますが、普通に言葉を喋ったり文字に起こしたりせずに黙って頭の中で考える作業がこれに当たります。例えば無言で「今日のご飯は何にしようか」とか、「ヒナまつりの15巻は絵がものすごく荒れてて心配だったが16巻はやや持ち直したものの、かつて程の勢いはもうない」などと、文字スクリプトを起こすような感じで頭の中で考えることがこれです。
 恐らく思考の99%くらいはこうした「言語を介する思考」に当たると思いますが、残り1%の範囲に「言語を介さない思考」が存在すると私は考えています。

 では「言語を介さない思考」とはなにか。そもそも言語にならない思考作業を言ってるんだから表現のしようもありませんが、いくつか実例でいうと、やはりめちゃくちゃ賢い人ほどこうした思考をやってのけていると私は思います。
 これまで私が見てきた中でも何人かいますが、ものすごい早口で喋りながら説明している最中、突然ピタッと言葉が止まるようなタイプがまさにこういった言語を介さない思考をやっている用に見えます。いわゆる、「頭の回転が早すぎて、考える内容に口が追いつかない」ような説明をする人がこれで、こうした人は大概にして、聞いてる側からすれば説明内容が意味不明なのに本人はやたら納得したように説明していて、説明を終えるとドヤ顔かましたりします。

 思うにこうした人達は、思考言語以上に頭の中の情報の連結や分解速度が早く、そのため言葉足らずとなったり、発声が遅れたりするのだと思います。この場合、彼らの頭の中では情報処理は実際に行われているものの、その情報処理において各情報は頭の中で言語化というプロセスを経ておらず、本来なら「カレー+ごはん=カレーライス」となるところを「情報A+情報B=情報Z」という風に処理して、それからしばらくしてから「情報Z=カレーライス」みたいに判別しているのでしょう。
 まぁ中には思考言語能力自体が低くて、こうした情報のラベリングがただ単に拙く、「あれがそれでこうなってな」みたいに元阪神・オリックス監督の岡田氏みたいな話し方になってる人も少なくはないでしょうが。

 と、ここまで説明しておきながらなんですが、上記のように「思考言語能力が追いつかないから言語を介さず思考する」パターン以外にも、言語を介さない思考は存在すると考えています。端的に言えばそれは、ひらめきです。

 自分においては、多分思考言語能力が人よりは高いこともあって、言語を介さず思考する際は圧倒的にこっちのパターンが多いです。ではどういう風に思考処理しているのかというと、はっきり言えば「問題Aに遭遇した→対処法を検索→対処法BとCを発見→BとCを比較→対処法Bを選択して実行」となるべき処理を、「問題Aに遭遇→対処法Bを実行」みたいに、主に「比較」に当たる箇所をすっ飛ばして対処法Bを選んで実行し、その後で、「そういえばCもあったけど比較するに値しないな」と思い起こすというようになります。
 もっともこうした思考処理は「反応」とも取れるので純粋にひらめきと言えるかは微妙です。自分の中で真にひらめきだと思うのは、問題と対応がセットで思い浮かんで、最後に過程が出てくるようなものがそれです。

 ではこうしたひらめきパターンの処理はどう行われているのかですが、私なりの仮説を述べるとやっぱり二次方程式のような代数計算パターンが一番適当な気がします。大体、変数が二つか三つくらいあって、それら変数が含まれる代数式が5、6個ある状況、具体例を挙げると日本の賃金問題を考える資料や材料を5、6例暗記、同時想起した段階で代数比較が自動実行され、それら5、6例に共通する変動要因(=変数)が一気に導き出される感じです。
 なので本人としては代数比較を行っている自覚はなく、ぽんと変数X、Y、Zに当てはまる数字が出され、むしろその数字を見てこれらの数字が何に影響を及ぼしているのかという風に帰納的に考えることが多いです。この段階にいたり、初めて先程の5、6例の材料の代数式が認識できているような気がします。

 なんでこんな訳のわからないことを突然書き出したのかというと、突き詰めると推理や推測、分析における思考は代数式のように頭の中で処理されていると日々強く感じるからです。真面目な話、人と議論する際に私は常に代数式のようにして論点を整理し、議論で結論に当たる部分を変数と仮定してその変数を解き明かすようにして話を進めています。で、この代数式ですが実際には計算するよりも、途中でぽんとひらめいた答えを軸というか仮定にして途中式を分解するパターンが多く、総じて帰納的に処理しており、どうしてなぜそれがファンクションするのかという、言語化した論の組み立ては後回しにしていることが多いです。はっきり言ってそんなの、喋りながらゆっくりやればいいだけですし、総じて説明というか理由は後付であるとも考えているからです。

 最後に何が言いたいのかというと、一定の段階、自分の中では変数が二つの二次方程式モデルまでは言語を介した思考でも間に合うものの、変数が三つとなる三次方程式モデル、つまり三つくらいの要素(=論点)を同時並行で分析思考する場合、思考内容をいちいち言語化処理しようと思っても間に合わず、それこそさっきのように「情報A、B、C」のように敢えて言語化しないまま、言語を介さずに思考していかなければ処理が間に合わないと思います。
 なので非常に複雑かつ大量な要因が絡みつく問題を議論、分析する際は、こうした言語を介さない思考がどれだけできるかにある程度かかってくると私は考えます。とはいっても、意識してトレーニングしている人はほぼいないので、主張するだけ無駄ですが。

 さらに言えば変数三つで議論について来れる人間はほとんど限られているので、敢えてこの三次方程式モデルを使うとしたら意図的に論点を三つに増やして、議論相手を大混乱に陥れようとするケースくらいです。これはこれで、非常に物足りなさをこの頃感じるわけですが。

2 件のコメント:

サカタ さんのコメント...

ひとつの議題や話題にたいして該当する複数の要因の共通項を求めることは僕もあります。全部が全部共通項を求められることは無いですが、共通項を求められたときは話の筋が通った感じがして(ニュータイプがピキーンてなるやつみたいな)非常に満足感が得られます。僕は歴史上の人物やじぶんの回りの人の共通項を求めることが多いですね。人望のあるA B Cがいて、なぜ人望があるのか考えたとき、その3人は自分よりも他人を尊重する言動や行動ががみられるからではないか、というような感じで。

花園さんとこの前話したときは、花園さんが早口で思考も早いものだから、そのスピードに慣れるのに時間がかかりましたよ笑。

花園祐 さんのコメント...

 何気に前回会った際、本当に何年ぶりかと思うくらい自分も頭の回転速度を上げる事ができて、非常に満足感が高かったです。その分負担をかけてしまったのではと薄々思ってましたが、逆を言えばサカタさんも明らかに他の人と比べてスピードの早い会話について来られるだけの能力があると自分が太鼓判を押します。
 おっしゃられている通り共通項を見つけ出すことが分析においては非常に重要です。何故共通項が存在するのか、他の要因は影響しないのかと考えるのが分析のいろはなのですが、意外とこういうのを意識してやってない人はアナリストにも多いです。