「おぬしも悪よのう、越後屋( ゚∀゚) v」
悪代官と来ると、時代劇でもはや必須とも言っていいこのお馴染みのセリフが誰もが頭に浮かぶかと思います。それにしても、越後屋の「越後」こと新潟県の人はこのセリフを見てもなんとも思わないのでしょうか。長岡市は当時の越後には含まれていないけど。
さてこの悪代官、具体的にどのような役職かというと意外によく知らないという人もいるので、ここで簡単に私がその役職を説明します。
江戸時代、日本を治めていた徳川幕府はお膝元の江戸を中心とする関東地方だけでなく全国各地に自ら支配する直轄地こと天領を設けておりました。主なものだと京都や大坂といった現在にも続く大都市、小さなものだと収入源となる金山銀山の周辺地域、そして国防に関わってくる北海道や貿易港であった長崎も徳川家の支配地で、他の地域と違ってこれらの都市には大名はおりませんでした。しかしこれら天領は幕府直参の旗本らの領地であった江戸周辺の関東ならともかく、江戸から遠く離れた地域ではいちいち監視も行き届かず、支配や運営も江戸からの指示でやるにはあまりにも遠すぎました。それゆえこれらの地域には大名のかわりに幕府から役人を派遣し、その人物に管理や運営を任せるという、今で言うなら支社長を任命して運営させるやり方を取ったわけで、その派遣される役人の事を「代官」と呼びました。
言ってしまえばこの代官、幕府の旗本でありながら派遣された地域で大幅な支配権が認めらており、さらには中央からの監視が緩いという、傍目にも具合の良さそうなポジションです。それゆえ講談などでは権力を笠に着た強欲者や幕府転覆を図る野心家などと格好の悪人に仕立てやすく、今に至るまでショッカーと並ぶ日本の悪の代名詞として君臨しているというわけです。
しかし実際の代官の姿はというと所詮は派遣管理職で、変に地元と結託しないように幕府も定期的に交代させており、在任中に少しでもへまを起こそうものならすぐに左遷させられるというのが実情だったようです。
では悪代官というのは講談の中だけの存在なのかというとそうでもなく、少なくとも私は「これぞ悪代官!」と言いたくなるような歴史上の人物とその代官が起こした騒動を一つ知っております。その代官というのは大原紹正という人物と、代官職を継いだその息子の大原正純で、この親子が飛騨高山で引き起こした江戸時代でも比較的大規模の一揆騒動というのが今日のお題の「大原騒動」です。
江戸時代、開幕当初の飛騨高山地方は金森長近に始まる金森藩でしたが、金森氏は元禄期にこの地方の木材などといった資源に目を付けられた徳川幕府によって転封を申し付けられ、それ以降明治に至るまで天領としてあり続けました。そんな飛騨高山に江戸中期、西暦にして1700年代中期、田沼意次が政権の中枢にいた時代に代官としてやってきたのが大原紹正でした。
この地方は山地の多い地形ゆえに農地はそれほど広くなく、当時の農民は野良作業と共に材木の切り出しを行う事で毎年の生計を立てておりました。それを大原紹正は就任早々、長らく木を伐採し続けて山が枯れ初めているとし、休山のため伐採禁止を布告してきました。これには林業で生活していた農民らも驚きすぐさま反対を訴えるものの大原紹正は聞き入れず、それどころかその年に幕府から木材代として農民に支払われる予定だった三千石の米を突如幕府に返納するとも言いだしてきたのです。
返納するにしても急に大量の米を動かしたら米価が高騰するとして農民が反対した事で一時は中止となりましたが、農民側との約束をよそ目に大原紹正は地元の商人と結託し、他の地方から安い米を三千石購入してそれを幕府に返納し、元々返納する予定だった米は高騰した時に販売することで商人と利益を分け合おうと画策していたのです。
これに気づいた農民側は結託した商人や町人の家を打ち壊しした上、代官である大原紹正に木材伐採の再開と、これまた大原紹正が就任直後に年貢の算定方法を見直して増加させた分の減免などを求めたのですが、大原紹正がそんな言い分を聞くわけもなく農民側の首謀者を徹底的に捜査して捕まえると牢屋に繋いで監禁してしまいました。
この一連の騒動の事を「明和騒動」と呼ばれていますが、この二年後にはさらに大きな一揆が起こり、この時牢に繋がれた農民側首謀者らも二年後の騒動時に連座する形で死罪や流刑にされる事になります。話が長くなってきたので、続きは次回で。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年6月3日木曜日
2010年6月2日水曜日
鳩山首相の辞任について
昨日にあんな記事を書いておきながら誠に恥ずかしいのですが、本日鳩山首相が辞任する事を発表しました。私は当初、もし鳩山首相が辞任するとしたら沖縄普天間基地移設に関して談話を発表した際だろうと考えており、その談話時に続投を表明したのだし、昨日の記事で書いたような背景もある事だから参議院選挙までは続けるだろうと予想しました。しかしその談話から一週間も経たない今日のうちに辞任をするとは、報道を見る限りだと野党の議員らも含めて各方面にとっても意外だと受け取られているそうです。
それで今回の鳩山首相の辞任についての評価ですが、選挙戦を戦う上では辞任しないよりは遥かにいい決断なのは間違いないでしょう。どちらにしたって次回の参議院選挙は神風でも吹かない限りは民主党が敗北することが目に見えていますが、その敗北のダメージを少なくする上では遅れたとはいえまずまずの判断です。また今回辞任するに当たって同じく兼ねてより批判を受けていた小沢氏も幹事長職から一緒に辞任させ、早くも「次回の総選挙には出馬しない」と、今任期限りの政界引退を発表したのも悪くありません。
特に、鳩山首相自体を私は評価していませんが、今回の辞任を理由にすでに七月十一日に投票が予定されている参議院選挙を引き伸ばさなかったのは麻生政権と比較すれ好感がもてます。恐らく先の政界引退発表といい、本人も麻生政権との対比を狙っているかと思いますが。
鳩山首相の後継については現時点で菅直人氏が立候補を表明していますが、仮に対抗馬が出るとしても順当に行けばやはり菅氏がなると私は思います。新鮮さ、クリーンさという意味では枝野氏、仙石氏が上ですが、どちらもやや地味な印象は薄く党としての看板であれば知名度がある菅氏の方が有利かと思われます。また菅氏に負けないほどの知名度と来れば前原氏がおりますが、彼には未だに「永田偽メール事件」の禊がまだ続いているように思えるため今回は無理かと思います。
今回の突然の辞任劇について現在各報道機関は辞任に至った経緯についてあれこれ想像を巡らせて報道しており、小沢氏が引導を渡したとか、かつての細川元首相同様に本人が唐突に言い出したなどとされていますが、昨日に大外れしておきがらまたも私の予想を書かせてもらうとやはり県外移設を断念した時ではないかと考えております。
もう出し惜しみしても仕方ないのでまとめて放出しますが、鳩山首相は我々が考えるよりずっと長期的視野を持っていたと仮定すると、鳩山首相は初めから沖縄の米軍基地の県外移設はほぼ不可能と認識していながらも敢えて「五月末決着」を打ち出したのではないか、という仮説をこの前立てました。一体何故不可能と睨んでいる外交交渉を敢えて期限を切った上に啖呵を切ったのかというと、単純に社民党を連立に組み込み続けるためだったからではないかと思います。
理屈はこうです。民主党としては去年の総選挙で勝利した頃より米軍基地の県外移設はほぼ不可能と見ながらも、敢えて県外移設を掲げる事で社民党を連立に囲い込み、彼らがいる間に自分達が通したいと考えているマニフェストに掲げた子供手当てや高校無償化といった政策を議会で通過させようとしたのではないかというわけです。五月末という参議院選挙も間近に迫るこの時期にまでアメリカとの交渉を先延ばしにしたのも、今国会で社民党を今国会就盤まで出て行かせないために打ち出したのではないかと、やや飛躍した考えである事は承知ですがこのように考えました。
実際に今国会はかつての自民党もびっくりなくらいに強行採決が続き、民主党が目玉として掲げていた政策は高速道路無料化はともかくある程度は通過し、実施されるようになりました。ただ国民新党が力を入れていた、私が反対している郵政改革法案については昨日の徹夜国会の頑張りもむなしくこの分だと流れてしまいそうです。民主党としてももう国民新党に気を使う必要がなくなったのでしょうかね。
さらにさっきの仮説に立って鳩山首相はこの時期の国会運営をどのように想定していたのかというと、またも飛躍した予想をすると社民党が連立から離脱するのは仕方ないとしても、これまでに通過させ、実施してきた子供手当てなどの法案がもっと世間から支持されて、たとえ県外移設を断念しても選挙で戦えるという甘い考えを持っていたのかもしれません。しかしこの沖縄の問題が想定以上に支持率低下や批判を集める事になり、選挙も完敗する可能性が見えてきた事から今回辞任したという、本当にこれだったら無責任もいい所だけど。
最後にいい訳をすると、今日ここで書いた内容は根拠もないのにかなり大胆な予想も含まれていて、私自身も本気で信じているわけじゃありません。ただこうした大胆な予想というものは当たらずとも何かしら世間の動き、各プレイヤーの思惑を考える上で取っ掛かりとなる事が多く、読者の方の一助になればという考えからこの際書く事にしました。どうか多めに見てください。
それで今回の鳩山首相の辞任についての評価ですが、選挙戦を戦う上では辞任しないよりは遥かにいい決断なのは間違いないでしょう。どちらにしたって次回の参議院選挙は神風でも吹かない限りは民主党が敗北することが目に見えていますが、その敗北のダメージを少なくする上では遅れたとはいえまずまずの判断です。また今回辞任するに当たって同じく兼ねてより批判を受けていた小沢氏も幹事長職から一緒に辞任させ、早くも「次回の総選挙には出馬しない」と、今任期限りの政界引退を発表したのも悪くありません。
特に、鳩山首相自体を私は評価していませんが、今回の辞任を理由にすでに七月十一日に投票が予定されている参議院選挙を引き伸ばさなかったのは麻生政権と比較すれ好感がもてます。恐らく先の政界引退発表といい、本人も麻生政権との対比を狙っているかと思いますが。
鳩山首相の後継については現時点で菅直人氏が立候補を表明していますが、仮に対抗馬が出るとしても順当に行けばやはり菅氏がなると私は思います。新鮮さ、クリーンさという意味では枝野氏、仙石氏が上ですが、どちらもやや地味な印象は薄く党としての看板であれば知名度がある菅氏の方が有利かと思われます。また菅氏に負けないほどの知名度と来れば前原氏がおりますが、彼には未だに「永田偽メール事件」の禊がまだ続いているように思えるため今回は無理かと思います。
今回の突然の辞任劇について現在各報道機関は辞任に至った経緯についてあれこれ想像を巡らせて報道しており、小沢氏が引導を渡したとか、かつての細川元首相同様に本人が唐突に言い出したなどとされていますが、昨日に大外れしておきがらまたも私の予想を書かせてもらうとやはり県外移設を断念した時ではないかと考えております。
もう出し惜しみしても仕方ないのでまとめて放出しますが、鳩山首相は我々が考えるよりずっと長期的視野を持っていたと仮定すると、鳩山首相は初めから沖縄の米軍基地の県外移設はほぼ不可能と認識していながらも敢えて「五月末決着」を打ち出したのではないか、という仮説をこの前立てました。一体何故不可能と睨んでいる外交交渉を敢えて期限を切った上に啖呵を切ったのかというと、単純に社民党を連立に組み込み続けるためだったからではないかと思います。
理屈はこうです。民主党としては去年の総選挙で勝利した頃より米軍基地の県外移設はほぼ不可能と見ながらも、敢えて県外移設を掲げる事で社民党を連立に囲い込み、彼らがいる間に自分達が通したいと考えているマニフェストに掲げた子供手当てや高校無償化といった政策を議会で通過させようとしたのではないかというわけです。五月末という参議院選挙も間近に迫るこの時期にまでアメリカとの交渉を先延ばしにしたのも、今国会で社民党を今国会就盤まで出て行かせないために打ち出したのではないかと、やや飛躍した考えである事は承知ですがこのように考えました。
実際に今国会はかつての自民党もびっくりなくらいに強行採決が続き、民主党が目玉として掲げていた政策は高速道路無料化はともかくある程度は通過し、実施されるようになりました。ただ国民新党が力を入れていた、私が反対している郵政改革法案については昨日の徹夜国会の頑張りもむなしくこの分だと流れてしまいそうです。民主党としてももう国民新党に気を使う必要がなくなったのでしょうかね。
さらにさっきの仮説に立って鳩山首相はこの時期の国会運営をどのように想定していたのかというと、またも飛躍した予想をすると社民党が連立から離脱するのは仕方ないとしても、これまでに通過させ、実施してきた子供手当てなどの法案がもっと世間から支持されて、たとえ県外移設を断念しても選挙で戦えるという甘い考えを持っていたのかもしれません。しかしこの沖縄の問題が想定以上に支持率低下や批判を集める事になり、選挙も完敗する可能性が見えてきた事から今回辞任したという、本当にこれだったら無責任もいい所だけど。
最後にいい訳をすると、今日ここで書いた内容は根拠もないのにかなり大胆な予想も含まれていて、私自身も本気で信じているわけじゃありません。ただこうした大胆な予想というものは当たらずとも何かしら世間の動き、各プレイヤーの思惑を考える上で取っ掛かりとなる事が多く、読者の方の一助になればという考えからこの際書く事にしました。どうか多めに見てください。
2010年6月1日火曜日
鳩山首相、進退議論について
なんかかまびすしいので、一応取り上げておこうと思います。
先週の普天間基地移設に関する発表、社民党の連立離脱といった一連の事態を受け、今週に入ってから連日鳩山首相退陣論がニュースを騒がせております。もっとも今朝に限っては木村カエラ氏と瑛太氏の結婚ニュースのが大きく取り上げられて気がするけど。
結論から言うと、私は少なくとも参議院選挙まで鳩山首相は退陣する事はないと見ております。その判断理由を幾つか挙げると、以下の通りとなります。
1、すでに七月初旬に選挙を行う日程が組まれている
2、鳩山首相と小沢幹事長が同じ資金問題を抱えている
3、鳩山首相の後継がいない
一つ一つを説明すると、まず一番目については言わずもがななので省略しますが、二つ目についてはすこし世論と見方が違うので詳しくやっておきます。
昨夜から鳩山首相は小沢幹事長と度々会ってなにやら話をしており、これを各ニュースでは小沢氏が鳩山氏に対して退陣要求を突きつけている、見放したなどと書かれていますが、現在鳩山氏と小沢氏は共に自らの政治団体における政治資金終始報告書の偽装記載の嫌疑が掛かっており、仮に片方がお縄に掛かるとしたら自動的にもう片方の首にも掛かりかねないような状況です。もし鳩山首相が降りて次の民主党総裁が鳩山氏、小沢氏に近い人物であればさほど問題にはなりませんが、逆に彼らと距離を置く議員が総裁になるのであればそれこそ選挙前の人気取りとばかりに彼ら二人をかつての三木武夫のように切り捨てる事も考えられます。そうした事を考えると、私は小沢氏が鳩山首相に退陣を求めるとは考え辛く、むしろ励ましたり煽ったりしているのが実情かと思います。
三番目の理由もあまり詳しくやるまでもないのですが、仮にここで鳩山首相が辞めるにしても今の民主党には選挙の顔となれるような政治家はいなく、むしろ首相を挿げ替えてどうにかなると思っているのかとかつての自民党時代同様に国民に足元を見られる可能性が高いです。その上、今ここで変わっても新しく首相となる方は就任早々に参議院選の敗戦処理をしなければならず、下手すりゃ敗戦の責任を取らされて就任と共に辞めてしまうという笑えない事態すら起こり得ます。そんな火中の栗を拾うような状況で誰が立候補するかと言ったら私は疑問です。まぁ、菅直人氏ならやりかねないけど。
先週の普天間基地移設に関する発表、社民党の連立離脱といった一連の事態を受け、今週に入ってから連日鳩山首相退陣論がニュースを騒がせております。もっとも今朝に限っては木村カエラ氏と瑛太氏の結婚ニュースのが大きく取り上げられて気がするけど。
結論から言うと、私は少なくとも参議院選挙まで鳩山首相は退陣する事はないと見ております。その判断理由を幾つか挙げると、以下の通りとなります。
1、すでに七月初旬に選挙を行う日程が組まれている
2、鳩山首相と小沢幹事長が同じ資金問題を抱えている
3、鳩山首相の後継がいない
一つ一つを説明すると、まず一番目については言わずもがななので省略しますが、二つ目についてはすこし世論と見方が違うので詳しくやっておきます。
昨夜から鳩山首相は小沢幹事長と度々会ってなにやら話をしており、これを各ニュースでは小沢氏が鳩山氏に対して退陣要求を突きつけている、見放したなどと書かれていますが、現在鳩山氏と小沢氏は共に自らの政治団体における政治資金終始報告書の偽装記載の嫌疑が掛かっており、仮に片方がお縄に掛かるとしたら自動的にもう片方の首にも掛かりかねないような状況です。もし鳩山首相が降りて次の民主党総裁が鳩山氏、小沢氏に近い人物であればさほど問題にはなりませんが、逆に彼らと距離を置く議員が総裁になるのであればそれこそ選挙前の人気取りとばかりに彼ら二人をかつての三木武夫のように切り捨てる事も考えられます。そうした事を考えると、私は小沢氏が鳩山首相に退陣を求めるとは考え辛く、むしろ励ましたり煽ったりしているのが実情かと思います。
三番目の理由もあまり詳しくやるまでもないのですが、仮にここで鳩山首相が辞めるにしても今の民主党には選挙の顔となれるような政治家はいなく、むしろ首相を挿げ替えてどうにかなると思っているのかとかつての自民党時代同様に国民に足元を見られる可能性が高いです。その上、今ここで変わっても新しく首相となる方は就任早々に参議院選の敗戦処理をしなければならず、下手すりゃ敗戦の責任を取らされて就任と共に辞めてしまうという笑えない事態すら起こり得ます。そんな火中の栗を拾うような状況で誰が立候補するかと言ったら私は疑問です。まぁ、菅直人氏ならやりかねないけど。
生徒への髪型強制の是非
今日帰りの電車に乗る際、坊主頭をした中学生らしき集団に遭遇しました。肩にはこれからどっかに旅行でも行くのかって言うくらいでかいバッグを抱えていたので恐らく運動部に所属しているのでしょうが、どうやら現在でも運動部の生徒は坊主頭強制という概念は生きているようです。
昔から、「野球部は坊主頭」というのは誰が決めたかわからないけど日本の部活動教育の不文律となっております。野球部に比べればまだサッカー部はまだ緩そうな雰囲気はありますがそれでも学校によっては坊主頭が強制であり、それ以外の部活動でも強豪校ともなると運動部員は坊主頭で当然となってきます。
さてこの坊主頭、私の意見を率直に言わせてもらうと部活動教育に対してあまり意味があるとは思えず、中には嫌がる生徒もいるんだろうから強制なんてやめた方がいいと思います。何故意味がないと判断するのかといえば、野球に限れば勝利をとことんまで追及するプロ野球選手で率先して坊主頭にしている人はほぼ皆無で、また常識的に考えるなら技術や能力の向上に何かしら影響するとは思えないからです。よく精神性やら団結性を強く主張する人がいますが、坊主頭にならなくては保てない精神というのも考え物ではないでしょうか。
その一方、こっちは運動部に限らず全校生徒にも関わってきますが、髪の毛の染髪については学校側が禁止するのは理があるように思え、存分に黒髪を強制すべきだと考えています。一体何故私がこんな主張をするのかというと、あまり表では知られていないものの染髪というのは髪に与えるダメージが人知れず大きいからです。
私が中学、高校生の頃はちょうど染髪ブームが起こっていた時代で、通っていた学校は割とお堅い雰囲気であったものの男女別なく中途半端に髪の毛を茶髪に染めてくる生徒が後を絶ちませんでした。こんなことを書くくらいだからわかるでしょうが私はこの時のブームには一切乗らず、今に至るまで一度も髪を染めた事がありません。
一体何故染めなかったのかというと、「サイヤ人は黒髪だ」というベジータのセリフがあったからではなく、これから話すようにかねてから染髪が当人の髪の毛に大きなダメージを与えて後々に深い影響を及ぼすと聞いていたからです。
染髪が髪にダメージを与えるという話はうちのお袋から、「ジャニーズ事務所に所属している男性タレントらは流行に合わせてしょっちゅう髪の毛を染め直すため、髪質がすっかりおかしくなって引っ張るとまるでゴムのように伸びるらしい」、と聞いた事が始まりでした。別に染髪に憧れていたわけでもないし流行を追う性格でもなかったのですがこの話を聞いて少し驚き、自分でも染髪がどのような影響を与えるのかといろいろ調べた所、どうもお袋の言っている事は正しく、元々髪が強い女性ならともかく男性は若い頃はよくとも染髪を繰り返していると後々髪がハゲやすくなるということがわかりました。
現実に、というより大分ホットな話題となってきましたが、人気アイドルグループのSMAPに所属する中居氏などはまさにそのタイムリミットが来たというのか、まだ30代にもかかわらずすっかり髪の毛が薄くなってテレビ番組でも帽子を被った姿がすっかり定番となってしまっております。
くれぐれも言っておきますが私は別にハゲが悪いことだと考えてはおりませんが、現実にハゲになりたがらない人が数多くいることを考えると、自分で物事を判断すべきである18歳以上であれば自己責任ですがまさか染髪が後々ハゲにつながってくるとは想像もできないような中高校生らには学校側が強制してでも染髪を禁止し、将来の選択の幅を広げてあげるべきだと私は考えるのです。
実際に私の小学校時代の同級生も、卒業後は全く会ってはいませんがうちのお袋によるとかつてのプレイボーイぶりはどこ吹く風か、20代ですっかりハゲ上がってしまって育毛に数十万円をすでに投資しているそうです。
さらに最近はかつての染髪ブーム期の中高生らが親となり、自分のまだ小学校にも上がっていない子供に大人用の染髪剤を使うという話も聞きますが、専門家によると子供は大人と比べて段違いに頭皮が弱いためにこれは非常に危険な行為だそうです。
おしゃれをするのは自分の勝手だし今ある現実を楽しもうとする事を私は否定しませんが、将来深く後悔するようなことはあまりするべきではないと考えているので敢えてこうして記事にしてみました。
それにしても、政治系のブログでこんなの書くのって自分だけだろうな(;´∀`)
昔から、「野球部は坊主頭」というのは誰が決めたかわからないけど日本の部活動教育の不文律となっております。野球部に比べればまだサッカー部はまだ緩そうな雰囲気はありますがそれでも学校によっては坊主頭が強制であり、それ以外の部活動でも強豪校ともなると運動部員は坊主頭で当然となってきます。
さてこの坊主頭、私の意見を率直に言わせてもらうと部活動教育に対してあまり意味があるとは思えず、中には嫌がる生徒もいるんだろうから強制なんてやめた方がいいと思います。何故意味がないと判断するのかといえば、野球に限れば勝利をとことんまで追及するプロ野球選手で率先して坊主頭にしている人はほぼ皆無で、また常識的に考えるなら技術や能力の向上に何かしら影響するとは思えないからです。よく精神性やら団結性を強く主張する人がいますが、坊主頭にならなくては保てない精神というのも考え物ではないでしょうか。
その一方、こっちは運動部に限らず全校生徒にも関わってきますが、髪の毛の染髪については学校側が禁止するのは理があるように思え、存分に黒髪を強制すべきだと考えています。一体何故私がこんな主張をするのかというと、あまり表では知られていないものの染髪というのは髪に与えるダメージが人知れず大きいからです。
私が中学、高校生の頃はちょうど染髪ブームが起こっていた時代で、通っていた学校は割とお堅い雰囲気であったものの男女別なく中途半端に髪の毛を茶髪に染めてくる生徒が後を絶ちませんでした。こんなことを書くくらいだからわかるでしょうが私はこの時のブームには一切乗らず、今に至るまで一度も髪を染めた事がありません。
一体何故染めなかったのかというと、「サイヤ人は黒髪だ」というベジータのセリフがあったからではなく、これから話すようにかねてから染髪が当人の髪の毛に大きなダメージを与えて後々に深い影響を及ぼすと聞いていたからです。
染髪が髪にダメージを与えるという話はうちのお袋から、「ジャニーズ事務所に所属している男性タレントらは流行に合わせてしょっちゅう髪の毛を染め直すため、髪質がすっかりおかしくなって引っ張るとまるでゴムのように伸びるらしい」、と聞いた事が始まりでした。別に染髪に憧れていたわけでもないし流行を追う性格でもなかったのですがこの話を聞いて少し驚き、自分でも染髪がどのような影響を与えるのかといろいろ調べた所、どうもお袋の言っている事は正しく、元々髪が強い女性ならともかく男性は若い頃はよくとも染髪を繰り返していると後々髪がハゲやすくなるということがわかりました。
現実に、というより大分ホットな話題となってきましたが、人気アイドルグループのSMAPに所属する中居氏などはまさにそのタイムリミットが来たというのか、まだ30代にもかかわらずすっかり髪の毛が薄くなってテレビ番組でも帽子を被った姿がすっかり定番となってしまっております。
くれぐれも言っておきますが私は別にハゲが悪いことだと考えてはおりませんが、現実にハゲになりたがらない人が数多くいることを考えると、自分で物事を判断すべきである18歳以上であれば自己責任ですがまさか染髪が後々ハゲにつながってくるとは想像もできないような中高校生らには学校側が強制してでも染髪を禁止し、将来の選択の幅を広げてあげるべきだと私は考えるのです。
実際に私の小学校時代の同級生も、卒業後は全く会ってはいませんがうちのお袋によるとかつてのプレイボーイぶりはどこ吹く風か、20代ですっかりハゲ上がってしまって育毛に数十万円をすでに投資しているそうです。
さらに最近はかつての染髪ブーム期の中高生らが親となり、自分のまだ小学校にも上がっていない子供に大人用の染髪剤を使うという話も聞きますが、専門家によると子供は大人と比べて段違いに頭皮が弱いためにこれは非常に危険な行為だそうです。
おしゃれをするのは自分の勝手だし今ある現実を楽しもうとする事を私は否定しませんが、将来深く後悔するようなことはあまりするべきではないと考えているので敢えてこうして記事にしてみました。
それにしても、政治系のブログでこんなの書くのって自分だけだろうな(;´∀`)
2010年5月31日月曜日
総理大臣の評価の変化
もしかしたら私だけかもしれないですが、近年、戦後の総理大臣に対しての評価に変化が起きているように思えます。それまで高く評価されていた首相が批判されるように、逆に批判しかされなかった首相が評価される面が出てきたりと、ちょっとそうやって評価の変化が見受けられる首相を幾つか挙げると以下のようになります。
評価が下がっている首相
・吉田茂
・佐藤栄作
評価が上がっている首相
・岸信介
・竹下登
・橋本龍太郎
これは私の見方ですが、少なくとも吉田茂については以前より確実に評価が落ちていると断言できます。私が小学生だった頃は戦後最高の総理大臣の名を欲しいままにしていましたが、近年は事実上騙し打ちにした鳩山一郎への態度や不完全な形での安保条約締結などが槍玉に挙げられる事が増えてきて入るように思えます。
同じく評価が下がっている佐藤栄作については、この人は在任中もそれほど人気はありませんでしたが、やっぱり西山事件が明らかになったのはマイナス以外の何者でもないでしょう。
評価が上がっている首相については詳しく解説もしていいのですが、特筆すべきは竹下登ではないかと思います。彼については孫のDAIGOの活躍もあるかもしれませんが、国際乱発によって財政が逼迫していくにつれて当時に消費税を導入した慧眼さと決断力について評価する声をこのところよく耳にします。実際に竹下内閣は消費税と心中したような内閣ですし、よく決断したなと私も評価しております。
なお先ほど出てきた孫のDAIGO氏ですが、なんでも以前にテレビ番組で政界入りするつもりはなかったのかと聞かれた際、
「おじいちゃんは子供だった自分にも熱心の政治のことを話していて、中途半端な気持ちでこの世界へ入っちゃダメなんだと思った。だから自分は自分が熱中出来るロックの世界へ入る事にした」
テレビで見るとややとぼけた印象のあるDAIGO氏ですが、ちゃんと物事を考えて将来を決めているんだとこの話を聞いて感心しました。折角だから鳩山兄弟を初めとして、二世政治家達にも聞かせてやりたい言葉です。
評価が下がっている首相
・吉田茂
・佐藤栄作
評価が上がっている首相
・岸信介
・竹下登
・橋本龍太郎
これは私の見方ですが、少なくとも吉田茂については以前より確実に評価が落ちていると断言できます。私が小学生だった頃は戦後最高の総理大臣の名を欲しいままにしていましたが、近年は事実上騙し打ちにした鳩山一郎への態度や不完全な形での安保条約締結などが槍玉に挙げられる事が増えてきて入るように思えます。
同じく評価が下がっている佐藤栄作については、この人は在任中もそれほど人気はありませんでしたが、やっぱり西山事件が明らかになったのはマイナス以外の何者でもないでしょう。
評価が上がっている首相については詳しく解説もしていいのですが、特筆すべきは竹下登ではないかと思います。彼については孫のDAIGOの活躍もあるかもしれませんが、国際乱発によって財政が逼迫していくにつれて当時に消費税を導入した慧眼さと決断力について評価する声をこのところよく耳にします。実際に竹下内閣は消費税と心中したような内閣ですし、よく決断したなと私も評価しております。
なお先ほど出てきた孫のDAIGO氏ですが、なんでも以前にテレビ番組で政界入りするつもりはなかったのかと聞かれた際、
「おじいちゃんは子供だった自分にも熱心の政治のことを話していて、中途半端な気持ちでこの世界へ入っちゃダメなんだと思った。だから自分は自分が熱中出来るロックの世界へ入る事にした」
テレビで見るとややとぼけた印象のあるDAIGO氏ですが、ちゃんと物事を考えて将来を決めているんだとこの話を聞いて感心しました。折角だから鳩山兄弟を初めとして、二世政治家達にも聞かせてやりたい言葉です。
2010年5月30日日曜日
E・フロム「自由からの逃走」
また学問的な話です。
社会学の名著として有名なものの一つに、エーリッヒ・フロム(通称、E・フロム)の「自由からの逃走」という本があります。この本の内容を一言でまとめるのならば、一体何故ファシズムがドイツやイタリアで政権を獲得するまでに至ったのかという理由について解説されております。
私も原典を読んだわけじゃないので詳しい所までは理解していませんが、フロムはこの本の中で、「人間の精神は過度に自由な状態にされるとかえって不安を覚える」と主張しております。その例としてフロムは、一次大戦後のドイツで何故ファシズムが勃興したのかを題材に取っております。
第一次大戦後、当時のドイツは世界大戦を引き起こしたという反省と勝利国からの厳しい要求によって「ワイマール憲法」という、当時の世界で最も民主的とされる憲法を新たに作成して嗜好しました。それまでのドイツは明治時代の日本も参考にしたまでの立憲君主制に基づく比較的お堅い憲法だったのですが、戦後は一転して個人の人権や行動の自由が大幅に認められる体制となったわけです。
普通に考えるならば自由が広がることに越した事はないように思えますが、それまでどのように生きていくか、生活していくかなどが細々と指示されていたのが急に自由になったわけで、縄を外されたもののどうしていいか分からない状態にドイツ人は至ったそうです。
そんな最中、ドイツに現れたのがあのヒトラー率いるナチス党です。ナチス党は民主的な国の憲法とは対象的にドイツ国民はかくあるべし、国民は強い政府によって管理されるべきであるという主張をしては支持者をどんどんと拡大して行きました。
フロムはこのナチス党の拡大について、当時のドイツ人自身が国家による強い管理を求めたが故の結果だと分析しました。一次大戦後にドイツ人は大幅な思想、行動の自由を国から保証されましたが、大多数の国民はその与えられた自由な環境の日々に逆に不安を覚え、結果的には真逆ともいえる全体主義のナチス党へ支持を傾ける事になった、というのがフロムの主な主張です。
もうすこし簡単な例を私の方から紹介すると、ある仕事の現場でそれまでいちいち指図されていたのが突然、「今日から好きにしていいよ」と言われたとします。恐らく大体の人はこう言われると戸惑い、中には、
「好きにっていうことは、仕事しなくてもいいんですか?」
「その辺も、自由に決めていいよ」
「上の人は何もいわないんですか」
「それをどう考えるのも、君の自由だよ」
というやりとりなんてあった日には、それまでの指図されていたやりかたに不満を覚えていたとしてもそれまで通りの作業を大抵の方はやってしまうかと思います。
このように人間というのは何をやるにしてもいろいろ管理、指図される拘束された状態に不満を覚えていても、急に自由な状態に放り投げられたら言いようのない不安を覚えるというのがフロムの理論です。
私の解釈だと、人間は段階を経て徐々に自由であったり拘束された状態になっていくのであればそれほど不安を感じないでしょうが、ある日突然に行動の自由が認められたり、逆に束縛されたりすると人間は心的な負担(ストレスや不安)を覚える、というように考えております。
日本社会でこのフロムの理論が当てはまりそうな場所を私の中で挙げるとしたら、大学進学時と就職時が最も適当かと思われます。
日本の高等学校は他国と比較しても管理が厳しく、特に体育会系の部活動などでは土日の練習があって当たり前です。また授業出席も「出て当たり前」で、科目もあらかじめ決められているなど生徒に認められている選択の自由は少ないといわざるを得ません。
それが大学に進学するとなると、授業の出席から科目選択まで突然選択や行動の自由が広がります。自由が認められて素直に喜ぶ人もいますが、中には環境になれず五月病になる学生もかねてから存在します。
同じ五月病でも企業などで働くようになる就職時に罹るものは大学進学時とはちょうどベクトルが逆で、それまで授業を勝手にサボっても、昼間からふらふらしていても何も言われなかった学生時代から遅刻欠勤厳禁の社会人となり、自由な状態から急激に管理されるようになることで心的負担を感じることから起こるのではないかと、私は見ております。
ここで一体何が問題なのかというと、管理された状態から自由な状態へ、自由な状態から管理された状態へ急激に移行する事が一番問題なのです。
本来ならば小学生から中学生、中学生から高校生へと上がっていくにつれて生徒の行動の自由を広げて彼らの自主性を高めてあげねばならない所を、就職状況が厳しくなっていることから今の日本では、「大学に入ったら好きな事してもいいから」を旗印に、小学生から予備校通いなどと以前より管理が強まっているように思えます。企業の方も不況ゆえか、どうも人から話を聞いていると以前と比べて社員の勤怠管理やら書式など細々とした管理が強まっているように感じます。
大分以前に書きましたが、日本は自由という概念を自分達で努力した結果獲得したのではなく、戦後にアメリカから与えられる形で得ました。これを押しつけであったと言う人もいますが私としては民主主義世代ゆえに、あの時代にアメリカからもらっといて良かったと素直に感じます。
しかしそう思う一方、独立した思考で以って独自に行動できる人であれば自由な環境はありがたいものの、圧倒的大多数の人々にとってはかえって自由な状態であるよりもある程度次に何をするのかを指示される状態の方が居心地がいいのではないかとも考えています。そういう意味では自由というのは本質的には厄介な代物で、敢えて言うなら熟練したパイロットにしか操縦できない戦闘機みたいなものなのかもしれません。
やや中途半端な引きになりましたが、次回では自由は大衆にとっては迷惑な代物だということを前提に、大衆を束縛する価値、国家としての物語の必要性について書こうと思います。
社会学の名著として有名なものの一つに、エーリッヒ・フロム(通称、E・フロム)の「自由からの逃走」という本があります。この本の内容を一言でまとめるのならば、一体何故ファシズムがドイツやイタリアで政権を獲得するまでに至ったのかという理由について解説されております。
私も原典を読んだわけじゃないので詳しい所までは理解していませんが、フロムはこの本の中で、「人間の精神は過度に自由な状態にされるとかえって不安を覚える」と主張しております。その例としてフロムは、一次大戦後のドイツで何故ファシズムが勃興したのかを題材に取っております。
第一次大戦後、当時のドイツは世界大戦を引き起こしたという反省と勝利国からの厳しい要求によって「ワイマール憲法」という、当時の世界で最も民主的とされる憲法を新たに作成して嗜好しました。それまでのドイツは明治時代の日本も参考にしたまでの立憲君主制に基づく比較的お堅い憲法だったのですが、戦後は一転して個人の人権や行動の自由が大幅に認められる体制となったわけです。
普通に考えるならば自由が広がることに越した事はないように思えますが、それまでどのように生きていくか、生活していくかなどが細々と指示されていたのが急に自由になったわけで、縄を外されたもののどうしていいか分からない状態にドイツ人は至ったそうです。
そんな最中、ドイツに現れたのがあのヒトラー率いるナチス党です。ナチス党は民主的な国の憲法とは対象的にドイツ国民はかくあるべし、国民は強い政府によって管理されるべきであるという主張をしては支持者をどんどんと拡大して行きました。
フロムはこのナチス党の拡大について、当時のドイツ人自身が国家による強い管理を求めたが故の結果だと分析しました。一次大戦後にドイツ人は大幅な思想、行動の自由を国から保証されましたが、大多数の国民はその与えられた自由な環境の日々に逆に不安を覚え、結果的には真逆ともいえる全体主義のナチス党へ支持を傾ける事になった、というのがフロムの主な主張です。
もうすこし簡単な例を私の方から紹介すると、ある仕事の現場でそれまでいちいち指図されていたのが突然、「今日から好きにしていいよ」と言われたとします。恐らく大体の人はこう言われると戸惑い、中には、
「好きにっていうことは、仕事しなくてもいいんですか?」
「その辺も、自由に決めていいよ」
「上の人は何もいわないんですか」
「それをどう考えるのも、君の自由だよ」
というやりとりなんてあった日には、それまでの指図されていたやりかたに不満を覚えていたとしてもそれまで通りの作業を大抵の方はやってしまうかと思います。
このように人間というのは何をやるにしてもいろいろ管理、指図される拘束された状態に不満を覚えていても、急に自由な状態に放り投げられたら言いようのない不安を覚えるというのがフロムの理論です。
私の解釈だと、人間は段階を経て徐々に自由であったり拘束された状態になっていくのであればそれほど不安を感じないでしょうが、ある日突然に行動の自由が認められたり、逆に束縛されたりすると人間は心的な負担(ストレスや不安)を覚える、というように考えております。
日本社会でこのフロムの理論が当てはまりそうな場所を私の中で挙げるとしたら、大学進学時と就職時が最も適当かと思われます。
日本の高等学校は他国と比較しても管理が厳しく、特に体育会系の部活動などでは土日の練習があって当たり前です。また授業出席も「出て当たり前」で、科目もあらかじめ決められているなど生徒に認められている選択の自由は少ないといわざるを得ません。
それが大学に進学するとなると、授業の出席から科目選択まで突然選択や行動の自由が広がります。自由が認められて素直に喜ぶ人もいますが、中には環境になれず五月病になる学生もかねてから存在します。
同じ五月病でも企業などで働くようになる就職時に罹るものは大学進学時とはちょうどベクトルが逆で、それまで授業を勝手にサボっても、昼間からふらふらしていても何も言われなかった学生時代から遅刻欠勤厳禁の社会人となり、自由な状態から急激に管理されるようになることで心的負担を感じることから起こるのではないかと、私は見ております。
ここで一体何が問題なのかというと、管理された状態から自由な状態へ、自由な状態から管理された状態へ急激に移行する事が一番問題なのです。
本来ならば小学生から中学生、中学生から高校生へと上がっていくにつれて生徒の行動の自由を広げて彼らの自主性を高めてあげねばならない所を、就職状況が厳しくなっていることから今の日本では、「大学に入ったら好きな事してもいいから」を旗印に、小学生から予備校通いなどと以前より管理が強まっているように思えます。企業の方も不況ゆえか、どうも人から話を聞いていると以前と比べて社員の勤怠管理やら書式など細々とした管理が強まっているように感じます。
大分以前に書きましたが、日本は自由という概念を自分達で努力した結果獲得したのではなく、戦後にアメリカから与えられる形で得ました。これを押しつけであったと言う人もいますが私としては民主主義世代ゆえに、あの時代にアメリカからもらっといて良かったと素直に感じます。
しかしそう思う一方、独立した思考で以って独自に行動できる人であれば自由な環境はありがたいものの、圧倒的大多数の人々にとってはかえって自由な状態であるよりもある程度次に何をするのかを指示される状態の方が居心地がいいのではないかとも考えています。そういう意味では自由というのは本質的には厄介な代物で、敢えて言うなら熟練したパイロットにしか操縦できない戦闘機みたいなものなのかもしれません。
やや中途半端な引きになりましたが、次回では自由は大衆にとっては迷惑な代物だということを前提に、大衆を束縛する価値、国家としての物語の必要性について書こうと思います。
2010年5月29日土曜日
児童虐待致死の厳罰化機運について
今ではすでに廃止されましたが、ちょっと前まで日本では「尊属殺人罪」という刑法がありました。これは自分の父親や母親といった親殺しをした場合、その殺人者には他人への殺人より一段重い刑罰(無期懲役か死刑。執行猶予は認められない)を課すという刑だったのですが、同じ殺人という行為に対して刑罰が不公平ではないか、また問題のある両親で親殺しをした子供に情状酌量の余地がある場合はどうなるのだといった議論が行われた事から数年前に完全に廃止されました。この尊属殺人は祖先を敬い、従うべきだといういわば儒教的、朱子学的概念から作られた刑罰で、このような概念が戦後以降一貫して弱まった事も廃止につながったと言われております。
最近、とうとう法学にもチャレンジとばかりに友人から薦められた入門本を読んでおり、その本の中でもこの尊属殺人について触れられていたのですが、その箇所を読んでいる最中にふと突然、「この尊属殺人の逆はあるのか?」という問いが頭をもたげました。尊属殺人の逆、つまり親殺しの逆の子殺しです。
私も何度かこのブログで児童虐待死事件を取り上げてきましたが、そのどれも目を覆いたくなるような事実ばかりで、こんな残酷な行為がどうして行われるのかと事件が起こる度に理解に苦しみます。ではそんな子供を虐待死させた親達はその後一体どんな判決を受けているのかですが、私がざらっと見た所、大体懲役五年前後の有罪判決を受けている事が多いようです。
この懲役五年という数字を見た私の印象はというと、やはりその行為に対する刑としては軽すぎるんじゃないかという印象でした。
通常、自分の子供を虐待して死なせた場合は「保護責任者遺棄致死罪」という刑罰が適用されて上記のような判決に落ち着くのですが、近年起こっている虐待致死事件の内容を見ていると子供を殺す親には子供に対して明確な殺意を持っており、本人らも裁判中にそれを認めております。そのため、私は言い方こそ虐待致死ではありますがこれら事件は事実上、親から子への殺人行為と言っても差し支えないかと考えています。
仮に誰かが殺意を持って他人の子供を殺した場合、恐らくその人物には殺人罪が適用されて懲役十年に近い重たい刑が課せられるでしょう。しかしそれが自分の子供だった場合、現状では普通の殺人などより一段低い刑が課せられるということになります。本来、保護すべき責任のある自分の子供を逆に死に追いやる。これほどの残酷な行いに対して普通の殺人より刑罰が少ないというのは、どうにも不公平に思えて納得し難いです。
また幼い子供というのは親以外に頼る者がなく、外で誰かに助けを求めるという術すら知りません。それこそバット持って暴れる中学生くらいの子供であれば話は違いますが、何も出来ないとわかっている幼子を手にかける親であるとすれば人格的にも疑いがあり、生半可な刑罰ではむしろ物足りない気すらします。
このように感じているのはどうやら私だけでなく、ネット上を探すと似たような意見も多く見つかり、厳罰化を求める声があちこちで上がってきているようです。折も折で少子化が問題となっている時代であり、国としても子供を大事にする、保護するという姿勢がこれからも求められて行く事を考えると恐らく五年以内になんらかの法改正がなされるのではないかと思います。
ただ付け加えておくと私は、このような児童虐待致死は何も最近になって増えたのではなく、恐らく以前からも数多くあったものが最近になって注目されるようになったというのが実情だと見ております。最初の尊属殺人もそうですが、刑法というのはその時代毎の社会的価値観に左右される事が非常に多く、この虐待致死の厳罰化を求めるという私の意思も時代に感化されたものなのかもしれません。
最近、とうとう法学にもチャレンジとばかりに友人から薦められた入門本を読んでおり、その本の中でもこの尊属殺人について触れられていたのですが、その箇所を読んでいる最中にふと突然、「この尊属殺人の逆はあるのか?」という問いが頭をもたげました。尊属殺人の逆、つまり親殺しの逆の子殺しです。
私も何度かこのブログで児童虐待死事件を取り上げてきましたが、そのどれも目を覆いたくなるような事実ばかりで、こんな残酷な行為がどうして行われるのかと事件が起こる度に理解に苦しみます。ではそんな子供を虐待死させた親達はその後一体どんな判決を受けているのかですが、私がざらっと見た所、大体懲役五年前後の有罪判決を受けている事が多いようです。
この懲役五年という数字を見た私の印象はというと、やはりその行為に対する刑としては軽すぎるんじゃないかという印象でした。
通常、自分の子供を虐待して死なせた場合は「保護責任者遺棄致死罪」という刑罰が適用されて上記のような判決に落ち着くのですが、近年起こっている虐待致死事件の内容を見ていると子供を殺す親には子供に対して明確な殺意を持っており、本人らも裁判中にそれを認めております。そのため、私は言い方こそ虐待致死ではありますがこれら事件は事実上、親から子への殺人行為と言っても差し支えないかと考えています。
仮に誰かが殺意を持って他人の子供を殺した場合、恐らくその人物には殺人罪が適用されて懲役十年に近い重たい刑が課せられるでしょう。しかしそれが自分の子供だった場合、現状では普通の殺人などより一段低い刑が課せられるということになります。本来、保護すべき責任のある自分の子供を逆に死に追いやる。これほどの残酷な行いに対して普通の殺人より刑罰が少ないというのは、どうにも不公平に思えて納得し難いです。
また幼い子供というのは親以外に頼る者がなく、外で誰かに助けを求めるという術すら知りません。それこそバット持って暴れる中学生くらいの子供であれば話は違いますが、何も出来ないとわかっている幼子を手にかける親であるとすれば人格的にも疑いがあり、生半可な刑罰ではむしろ物足りない気すらします。
このように感じているのはどうやら私だけでなく、ネット上を探すと似たような意見も多く見つかり、厳罰化を求める声があちこちで上がってきているようです。折も折で少子化が問題となっている時代であり、国としても子供を大事にする、保護するという姿勢がこれからも求められて行く事を考えると恐らく五年以内になんらかの法改正がなされるのではないかと思います。
ただ付け加えておくと私は、このような児童虐待致死は何も最近になって増えたのではなく、恐らく以前からも数多くあったものが最近になって注目されるようになったというのが実情だと見ております。最初の尊属殺人もそうですが、刑法というのはその時代毎の社会的価値観に左右される事が非常に多く、この虐待致死の厳罰化を求めるという私の意思も時代に感化されたものなのかもしれません。
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