もはや何も語るまい、と言いたいところですがそうも言ってられないのが今日の消費税増税を含む税と社会保障の一体改革法案可決です。まず結論から述べるとついに通ったかとホッとするとともに、よく決断したと野田首相に対して強い賛辞を送りたいと思います。結果はどうなるかまだ分かりませんが、良くも悪くも日本政治の大きなターニングポイントになると考えて間違いないでしょう。
今回の採決について中国メディアも大きく報じており、今朝の朝刊でも「野田首相が政治生命を賭す」というような見出しで採決があることを報じておりました。そして採決後の今はどんな風かと思って新華社の記事をめくってみたら「湯手山芋」という四字熟語が見出しにつけられておりました。恐らく「火中の栗を拾う」という意味でしょうが、重要部分を翻訳すると下記の通り書かれております。
1997年に橋本内閣が消費税を3%から5%に引き上げた後に橋本元首相は退陣に追い込まれたことから、日本にとって消費税増税は政治におけるタブーだった。
と私から言うことなしの評論書いた上で、「日本の債務残高は世界一で、年間GDPの2倍以上もあってIMFなどからも消費税を15%以上に引き上げるよう勧告を受けていた」と書いてあります。その後は小沢の説得に努めたが結局物分かれて造反に至り、これでまた小沢が新党を作ったら四度目だと書かれてあります。外国人が書いたことを考えるとよくまとまっています。
この中国の記事が書いている通り、今回の法案採決は野田首相にとって文字通り命がけの決断と言えるでしょう。私としては増税があと十年早ければと悔やんでならないし、これで子ども手当も放棄してくれていればパーフェクトと言いたいのですが、子ども手当に関しては民主党内への最低限の妥協なのかもしれない可能性があるので多少は仕方なく感じます。
よく日本は国が保有する資産残高を財政に計上していない、実際は無借金国だという主張も見られますが、それにしたって今の支出が収入を大きく上回る状況は異常というよりほかがないでしょう。さらに言えば、今の自分を含む日本人が不安を持っているのは明日ではなく十年後や二十年後のような気がします。明日ではなく十年後や二十年後がどうなるかわからないがために貯蓄傾向が高まるのだし、なによりも今の自分より下の世代に負債や問題を引き継がせたくない、少なくとも借金を作った世代は自分が作った分くらいは返してから死んでいくべきだと思うので、私はかねてから増税によるプライマリーバランス回復を主張してきました。
今後の政治の行く末ですが造反者が多数出たことによって、場合によっては解散につながる可能性もあるでしょう。また自民党も造反者を処分しろとここぞとばかりに強気な要求を出していますが、一歩間違えれば増税を推進したとして次の選挙で野田首相を中心とする民主党同様に大敗する可能性があります。どちらにしろ、次の選挙で野田首相グループが選挙で勝ち残るのは世間体もあって厳しいでしょう。
それだけによくこんな決断をしたものだと、重ねて野田首相には尊敬の念を覚えます。ほかの人が見向きしなくとも、私一人は彼を高く評価していようと思います。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年6月26日火曜日
2012年6月25日月曜日
JALのこれまでの再建、東電のこれからの再建
先日にダイヤモンドが出したJAL再建の記事が面白かったので、ちょっとここでも紹介します。
・【企業特集】日本航空(上)破綻2年で営業利益2000億円 JAL式アメーバ経営の真髄(ダイヤモンド)
こういってはなんですが、わずか2年でここまでJALの業績が回復するとは私も想像だにしませんでした。今回このダイヤモンドの記事を検索するに当たって「JAL 再建」で検索したら破綻当時の日経ビジネスの記事、「JAL再建計画に信憑性なし」が引っかかってきて、なんていうか隔世の感があります。ただ結果的には日経ビジネスの予想は外れてしまったわけですが、なにも日経ビジネスに限らなくてもJALの再生がうまくいくなんて誰も思いもしなかったでしょう。
ここだけの話、私も日経ビジネス同様にJALの会長に就いた京セラ出身の稲盛会長をあまり評価しておらず、財界人脈の少ない民主党のなけなしの人事だと見ておりました。京都ブラック企業四天王の筆頭、FF4で言うなら火のルビカンテに当たる京セラ出身ということから、恐らく社員のクビを切るだけ切って見かけの数字だけでよくするのではと本気で信じていましたが、破綻前と比べてJALはニュースになるような整備不良やヒヤリハットの件数は減っており、またサービスなどに対する評判もあまり悪いものを聞きません。むしろ苦しいのはわかるんだけど、ANAの方がこのところなんか妙な報道が目立ちます。
JALはまた再上場するとの報道も出ておりますが、ここに至っては稲盛会長の力量を認めざるを得ません。こんなことを友人と話している最中にふと、「この際だから東電も稲盛に任せた方がいいんじゃないか」という発言が出てきました。既に時期東電会長職には下川辺氏が内定しておりますが、どうしようもない組織なだけにもっとドラスティックな人事が必要だったのではないかと思えてなりません。それこそ口を開く傍から嘘八百を並び立てる役員が多いだけに、稲盛会長のようなクビ切れる人間、ほかにも挙げるなら必殺技がコストカッターな日産のゴーン会長とかのが適任な気がします。
といっても、JALをやった後で今度は東電というのもなんだか大変ですし、日産のゴーン会長に至っては現業を離れることはないでしょう。となるとほかに経済界に人材はいるかという話になってきますが、パッと思いつくあたりなら幸之助精神の破壊者こと中村邦夫パナソニック会長とかもいますが、大穴で言うならオリンパスのマイケル・ウッドフォード元社長もありかもしれません。
ここだけの話、東電の幹部人事はこの際だからほかの条件はともかく外国人を招いた方が好都合かもしれません。これまで独占産業で海外市場の感覚を全く持ち合わせておらず、明らかに世間一般とずれた感覚を有している組織なだけにトップだけでも社内常識に染まらない、っていうか国内の様々な反動勢力の影響を受けない人間が必要でしょう。トップを変えれば何とかなるというのは代々の阪神タイガースの思想ですが、東電に関してはトップにすべて壊してもらわないと何も始まらないでしょう。
・【企業特集】日本航空(上)破綻2年で営業利益2000億円 JAL式アメーバ経営の真髄(ダイヤモンド)
こういってはなんですが、わずか2年でここまでJALの業績が回復するとは私も想像だにしませんでした。今回このダイヤモンドの記事を検索するに当たって「JAL 再建」で検索したら破綻当時の日経ビジネスの記事、「JAL再建計画に信憑性なし」が引っかかってきて、なんていうか隔世の感があります。ただ結果的には日経ビジネスの予想は外れてしまったわけですが、なにも日経ビジネスに限らなくてもJALの再生がうまくいくなんて誰も思いもしなかったでしょう。
ここだけの話、私も日経ビジネス同様にJALの会長に就いた京セラ出身の稲盛会長をあまり評価しておらず、財界人脈の少ない民主党のなけなしの人事だと見ておりました。京都ブラック企業四天王の筆頭、FF4で言うなら火のルビカンテに当たる京セラ出身ということから、恐らく社員のクビを切るだけ切って見かけの数字だけでよくするのではと本気で信じていましたが、破綻前と比べてJALはニュースになるような整備不良やヒヤリハットの件数は減っており、またサービスなどに対する評判もあまり悪いものを聞きません。むしろ苦しいのはわかるんだけど、ANAの方がこのところなんか妙な報道が目立ちます。
JALはまた再上場するとの報道も出ておりますが、ここに至っては稲盛会長の力量を認めざるを得ません。こんなことを友人と話している最中にふと、「この際だから東電も稲盛に任せた方がいいんじゃないか」という発言が出てきました。既に時期東電会長職には下川辺氏が内定しておりますが、どうしようもない組織なだけにもっとドラスティックな人事が必要だったのではないかと思えてなりません。それこそ口を開く傍から嘘八百を並び立てる役員が多いだけに、稲盛会長のようなクビ切れる人間、ほかにも挙げるなら必殺技がコストカッターな日産のゴーン会長とかのが適任な気がします。
といっても、JALをやった後で今度は東電というのもなんだか大変ですし、日産のゴーン会長に至っては現業を離れることはないでしょう。となるとほかに経済界に人材はいるかという話になってきますが、パッと思いつくあたりなら幸之助精神の破壊者こと中村邦夫パナソニック会長とかもいますが、大穴で言うならオリンパスのマイケル・ウッドフォード元社長もありかもしれません。
ここだけの話、東電の幹部人事はこの際だからほかの条件はともかく外国人を招いた方が好都合かもしれません。これまで独占産業で海外市場の感覚を全く持ち合わせておらず、明らかに世間一般とずれた感覚を有している組織なだけにトップだけでも社内常識に染まらない、っていうか国内の様々な反動勢力の影響を受けない人間が必要でしょう。トップを変えれば何とかなるというのは代々の阪神タイガースの思想ですが、東電に関してはトップにすべて壊してもらわないと何も始まらないでしょう。
2012年6月24日日曜日
政府の自殺対策について
前にも書きましたが日本人は自分たちで自殺率が高い民族だと考える傾向がありますが、世界ランキングで言えば第8位で、韓国をはじめとしてまだまだ上には上がいます。さらに「先進国中で最も自殺が多い」と負けじと言ってくる人もいますが、先ほどの世界ランキングと比較するならそれでは韓国やロシアは先進国ではなくなってしまうので、私としてはちょっと無理な言い方な気がします。
それはさておき未だに自殺者数の増加は歯止めのかからない状態が続いておりますが、政府のここ数年の自殺対策は一体なんだったのかというくらいに効果がありません。政府自身も「無駄な仕事でした」とはっきり認めていますが、そうやって素直に間違っていたといいつつ自殺対策のPRキャラクターにAKB48を使う当たり、多分何も反省してないんじゃないかという気がします。
いきなり結論を言いますが、私の見立てだと政府は初めから自殺対策なんてする気が全くないんだと思います。さらに言えば今のうちに人口減らしとけと言わんばかりに、自殺者が増えることを歓迎しているのではないかと思う節があります。一体なんで私がこんなことを言い出すのかというとさっきに上げたようにPRキャラクターにAKB48を使ったという点で、日本の自殺は他国と比べて50代以上が大半という特殊な国(他国は若者が多い)であることを考慮すると、若者向けのキャラクターよりも50代以上の年寄りにも通じやすいキャラクターじゃないと意味がない気がするからです。それこそ北島三郎とか加山雄三など、往年のスターを使った方が認知度から言って効果が高いという気がします。
ただ最近の自殺だと若者の自殺率も有意に増えており、若者の対策も全く必要でないわけではありません。根本的に自殺をなくすことは不可能に近いですが、もうちょっと傾向と対策をそれこそ社会学者に練らせて予算を無駄に使わない対策をやってもらいたいと陰ながら思います。
それはさておき未だに自殺者数の増加は歯止めのかからない状態が続いておりますが、政府のここ数年の自殺対策は一体なんだったのかというくらいに効果がありません。政府自身も「無駄な仕事でした」とはっきり認めていますが、そうやって素直に間違っていたといいつつ自殺対策のPRキャラクターにAKB48を使う当たり、多分何も反省してないんじゃないかという気がします。
いきなり結論を言いますが、私の見立てだと政府は初めから自殺対策なんてする気が全くないんだと思います。さらに言えば今のうちに人口減らしとけと言わんばかりに、自殺者が増えることを歓迎しているのではないかと思う節があります。一体なんで私がこんなことを言い出すのかというとさっきに上げたようにPRキャラクターにAKB48を使ったという点で、日本の自殺は他国と比べて50代以上が大半という特殊な国(他国は若者が多い)であることを考慮すると、若者向けのキャラクターよりも50代以上の年寄りにも通じやすいキャラクターじゃないと意味がない気がするからです。それこそ北島三郎とか加山雄三など、往年のスターを使った方が認知度から言って効果が高いという気がします。
ただ最近の自殺だと若者の自殺率も有意に増えており、若者の対策も全く必要でないわけではありません。根本的に自殺をなくすことは不可能に近いですが、もうちょっと傾向と対策をそれこそ社会学者に練らせて予算を無駄に使わない対策をやってもらいたいと陰ながら思います。
2012年6月22日金曜日
第一印象を悪く見せる理由
自分が自分を最も偏屈足らしめている性質の一つに、敢えて第一印象を悪く見せるというものがあります。これなんか私と親しい人間などはよく知っているでしょうが、普段は赤い人みたいに常人の3倍くらいしゃべる癖に、初対面の相手に対しては割と不機嫌そうな顔してぶすっと黙り続けることが多いです。後から聞いてみると、「なんか怖そうな感じがして取っつき辛そうだった」という声が聞かれますが、これらの印象は意図的に与えていると自負します。
一体なんでこんな面倒くさいことをするのか。一見すればただ人見知りしやすいということで片づけられますが普段の私を見ている人からは「人見知りはあんなにしゃべらない」とのことで、私も違うと思います。結論を書いてしまうと初対面の際は自分を売りに出すより相手の性格や話し方、教養、反応速度を測る方に集中して、自らの情報は極力出さないようにしています。その上で最大の目的を言うと、第一印象で相手を決めつけるような人間とはなるべく関わりたくないとの思いがあり、逆に第一印象にとらわれずに二回、三回と会っていく中で相手を見極めようとしてくれる人と付き合っていきたいとも考えており、そうした人間をスクリーニングするという意味合いでこんなことをしております。
よく友人からはこんなことするのは間違っていると言われており、人を試す、試さない以前に自分が損するから辞めるべきだとよく諭されます。言わんとしていることはよくわかるのですが、自分の経験上、第一印象を一度定めてしまうとそこから全く相手の人格を動かさない人間はよくおり、しかもこういった人間に限って平気で嘘をつけば相手の痛みを気にせず行動する人間が多いです。私自身もこれまでにこういった輩に何度も痛い目に遭わされており、それだったら初めからビジネスライクに、必要以上に接触しないことが自分にとっても相手にとってもいいように思うようになりました。
またほかの人はともかくとして自分の場合は周囲の話を聞くと、短時間じゃ測りきれないところが多いそうです。考えてみると日本史や世界史、政治や社会事情などといった知識に強みがあるということや、フォースと共に生きていることは数時間話しただけではわからず、後からいろんな意味で変わってる人間だと気付いたという評価をよく受けます。言ってしまえば、私の場合は第一印象ではやや伝わりづらい人間性が多いために、単純に長い目で見てくれる人ほど評価してもらいやすい性質があるということです。
私自身もこれまでいろんな人間と会ったり、実際に指導したりしましたが、やはり第一印象というのはあまり当てにならない気がします。ちょこっとひねってみると思わぬ一面が見えたり、逆になんでも卒なくこなせそうに見えるけど少しやらせてみると極端に苦手な分野を持ってたりすることがわかったり、基本的には長い目で相手と話したり一緒に行動しないと評価はしきれないものです。
翻ってこの頃の日本社会ですが、これはこんなことをしている私だからはっきり言わせてもらうと、なんでもかんでも第一印象で決めつけようという空気が社会中にはびこっている気がします。新入社員面接然り、商品のマーケティング然り、政治家の活動然りで、中身にはあまり目を向けず外っ面ばかり見て何もかも決めている人があまりにも多すぎます。もちろん見た目がいいということに越したことはありませんが、それは中身が伴って初めて言えることで、中身も何もないのに見た目ばかり気にされるというのは本末転倒で、それであれば見た目が悪くともまだ中身がしっかりある方がいいに決まってます。
前にも新書で第一印象で評価はすべて決まるとかいうタイトルからして気に入らない本が売れてましたが、これも厳しく指摘させてもらうと中身を審議するのが面倒だからなるべく上っ面で判断したいという欲求が今の日本人にあるからだという気がします。日本には折角「質実剛健」という言葉があるのに、この言葉を多用しているのが自分だけというのも寂しいを通り越して複雑な気持ちになってきます。
私が友人からかなり激しくやめるようにと言われながらもわざと第一印象を悪く見せ続けるのも、こうした今の風潮に無駄かもしれないが反抗したいという思いがあってのことです。第一印象で何もかも決まってしまう世の中だからこそ、第一印象だけで決めない人間が必要なんだと、声を大にして言いたいわけです。
一体なんでこんな面倒くさいことをするのか。一見すればただ人見知りしやすいということで片づけられますが普段の私を見ている人からは「人見知りはあんなにしゃべらない」とのことで、私も違うと思います。結論を書いてしまうと初対面の際は自分を売りに出すより相手の性格や話し方、教養、反応速度を測る方に集中して、自らの情報は極力出さないようにしています。その上で最大の目的を言うと、第一印象で相手を決めつけるような人間とはなるべく関わりたくないとの思いがあり、逆に第一印象にとらわれずに二回、三回と会っていく中で相手を見極めようとしてくれる人と付き合っていきたいとも考えており、そうした人間をスクリーニングするという意味合いでこんなことをしております。
よく友人からはこんなことするのは間違っていると言われており、人を試す、試さない以前に自分が損するから辞めるべきだとよく諭されます。言わんとしていることはよくわかるのですが、自分の経験上、第一印象を一度定めてしまうとそこから全く相手の人格を動かさない人間はよくおり、しかもこういった人間に限って平気で嘘をつけば相手の痛みを気にせず行動する人間が多いです。私自身もこれまでにこういった輩に何度も痛い目に遭わされており、それだったら初めからビジネスライクに、必要以上に接触しないことが自分にとっても相手にとってもいいように思うようになりました。
またほかの人はともかくとして自分の場合は周囲の話を聞くと、短時間じゃ測りきれないところが多いそうです。考えてみると日本史や世界史、政治や社会事情などといった知識に強みがあるということや、フォースと共に生きていることは数時間話しただけではわからず、後からいろんな意味で変わってる人間だと気付いたという評価をよく受けます。言ってしまえば、私の場合は第一印象ではやや伝わりづらい人間性が多いために、単純に長い目で見てくれる人ほど評価してもらいやすい性質があるということです。
私自身もこれまでいろんな人間と会ったり、実際に指導したりしましたが、やはり第一印象というのはあまり当てにならない気がします。ちょこっとひねってみると思わぬ一面が見えたり、逆になんでも卒なくこなせそうに見えるけど少しやらせてみると極端に苦手な分野を持ってたりすることがわかったり、基本的には長い目で相手と話したり一緒に行動しないと評価はしきれないものです。
翻ってこの頃の日本社会ですが、これはこんなことをしている私だからはっきり言わせてもらうと、なんでもかんでも第一印象で決めつけようという空気が社会中にはびこっている気がします。新入社員面接然り、商品のマーケティング然り、政治家の活動然りで、中身にはあまり目を向けず外っ面ばかり見て何もかも決めている人があまりにも多すぎます。もちろん見た目がいいということに越したことはありませんが、それは中身が伴って初めて言えることで、中身も何もないのに見た目ばかり気にされるというのは本末転倒で、それであれば見た目が悪くともまだ中身がしっかりある方がいいに決まってます。
前にも新書で第一印象で評価はすべて決まるとかいうタイトルからして気に入らない本が売れてましたが、これも厳しく指摘させてもらうと中身を審議するのが面倒だからなるべく上っ面で判断したいという欲求が今の日本人にあるからだという気がします。日本には折角「質実剛健」という言葉があるのに、この言葉を多用しているのが自分だけというのも寂しいを通り越して複雑な気持ちになってきます。
私が友人からかなり激しくやめるようにと言われながらもわざと第一印象を悪く見せ続けるのも、こうした今の風潮に無駄かもしれないが反抗したいという思いがあってのことです。第一印象で何もかも決まってしまう世の中だからこそ、第一印象だけで決めない人間が必要なんだと、声を大にして言いたいわけです。
2012年6月21日木曜日
SNSを使ったマーケティングに効果はあるのか
私事ですがこの約一ヶ月、中国版ツイッターこと「微博(ウェイボー)」を使って中国市場マーケティングを展開するという日系のコンサルティングなり広告会社のリリースが非常に多く、私一人でも十本くらい記事書いている気がします。どれも同じような内容ばかりではっきり言わせてもらえばもううんざりで、昨日なんか同僚に向かって、「俺はもうこんなの書きたくないんだよ(#゚Д゚) プンスコ!」とまで漏らしてしまいました。
それはともかくこの微博ですが、中国は人口が馬鹿みたいに多いだけあって利用人口は確かに非常に多いです。日本のツイッター、ひいてはフェイスブック利用者数なんて比べ物にならないくらいなのですが、ちょっと前にこのウェイボーを取り上げて気になった記事が一つありました。
・SNSでファン層を拡大~中国版Twitter“ウェイボー”活用法(オリジナルコンフィデンス)
中身は微博を大雑把に紹介している記事なのですが、「日本人では、元サッカー選手の中田英寿のフォロワー数が最も多いが~」と書かれているところがやけに気になりました。というのも日本人アカウントのフォロワー数で言ったら今や中国で最も有名な日本人と言っても差し支えない、AV女優の蒼井そら以外には私は考えられません。ちょこっと検索してみたら既にフォロワー数が1200万人を超えているそうですし、蒼井そらを無視して日本で微博を語るなんて語るに落ちたところでしょう。
いつもの如く話が脱線しておりますがそろそろ本題に戻ります。最初に書いたようにこのところいろんな日系企業が中国に進出している日系企業向けに微博を使ったマーケティングサービスを始めるとか、引用した上の記事のようにこれから中国市場を攻める上で微博を無視することなんて考えられないという話を本当にこのところ見ます。こんな風に書いているからもうわかるでしょうが、私はこういった微博礼賛、というより微博やツイッター、フェイスブックなどといったSNSを使って企業がマーケティングすることに対し、そもそも効果があるのか強い疑問を感じています。もう言い切ってしまうとどう見たって効果があるようには思えず、こんなのにムダ金使うくらいなら地道に展示会とか即売会する方がよっぽと価値がある気がします。
一体何故SNSのマーケティングに疑問を持っているのかというと、単純に成功例をほとんど聞いたことがないからです。それこそツイッターとかフェイスブックでの発信を契機にある商品が爆発的に売れたとか、海外市場で知名度が大きく向上した、ブランド価値を持つようになったという話は日本企業のみならず米国や中国の会社ですら聞いたことはなく、あるというのなら是非とも教えてほしいくらいです。もっともこう言いながらただ一件だけ、ツイッターの投稿文があまりにも悲し過ぎるということから注目を集め、来客数が急増して2号店設立にまで至ったネパールカレー屋「だいすき日本」の成功例(?)は存在しますが、比較的規模が大きな企業でフェイスブックを始めたことによってどれだけ売り上げが伸びたとか、実際の商品購入に結び付いたとかいう話は皆無に近いでしょう。
またこのSNSを使ったマーケティングの効果や必要性を声高に主張しているのが、私個人の主観ですがどうもコンサルティングと広告会社しかいないような気がして、さも効果があるように見せかけて商売してるんじゃないかと疑ってます。それこそミクシが流行った数年前も、「就職活動を行う学生にとって必須となりつつある」とかいう、今の微博やフェイスブックと同じような宣伝文句が盛んにあちこちで言われてた気がします。なんていうか、これこそが業界ぐるみのステルスマーケティングなんじゃないかというのが私の感想です。
念のため付け加えておきますが、私はSNSがくだらないものだとは思っていません。それこそ芸能人にとっては今や必須のツールとなっておりますし、私はあまり使いませんが一般個人でも友人間で連絡を取り合うにはうってつけだと思います。ただそう考えるにつけ、このSNSというのは個人が使うから価値が出るのであって、企業や団体が使うにはあまり向いていない代物なのではないかという気もします。それこそ本気でSNSを使って商品を売り込むというのなら、有名人とかに依頼してその商品の情報をたくさん発信してもらうという、まんまステルスマーケティングをする以外ほかないんじゃないかと思えます。
なんだか今日はやけに逆説で文章つなげることが多いですが、最初に微博関連の記事はもううんざりだとか言っておきながら、自分が記事書いた中で、「ここはなかなか面白い」と思った会社が一社だけありました。会社名はわざわざ挙げませんがそこも微博を使ったマーケティングサービスを請け負うという会社でしたが、主なターゲットとしている客層は日本の全国自治体で、各地の観光促進につなげたいと社長が言っていました。企業が商品を売り込むのには向いているとは思いませんが、こと観光産業であれば地道な情報発信が大事だと思えるし、SNSを使う価値があるのではと話を聞いてて感じました。その社長は、「自分で言うのもなんだが、日本人で微博のことなら自分が一番知り尽くしている」と自負してましたが、ほかの会社と違って着眼点というか発信する価値観では確かな違いを覚え、気持ち分だけ応援するような感じで記事を書きました。
それはともかくこの微博ですが、中国は人口が馬鹿みたいに多いだけあって利用人口は確かに非常に多いです。日本のツイッター、ひいてはフェイスブック利用者数なんて比べ物にならないくらいなのですが、ちょっと前にこのウェイボーを取り上げて気になった記事が一つありました。
・SNSでファン層を拡大~中国版Twitter“ウェイボー”活用法(オリジナルコンフィデンス)
中身は微博を大雑把に紹介している記事なのですが、「日本人では、元サッカー選手の中田英寿のフォロワー数が最も多いが~」と書かれているところがやけに気になりました。というのも日本人アカウントのフォロワー数で言ったら今や中国で最も有名な日本人と言っても差し支えない、AV女優の蒼井そら以外には私は考えられません。ちょこっと検索してみたら既にフォロワー数が1200万人を超えているそうですし、蒼井そらを無視して日本で微博を語るなんて語るに落ちたところでしょう。
いつもの如く話が脱線しておりますがそろそろ本題に戻ります。最初に書いたようにこのところいろんな日系企業が中国に進出している日系企業向けに微博を使ったマーケティングサービスを始めるとか、引用した上の記事のようにこれから中国市場を攻める上で微博を無視することなんて考えられないという話を本当にこのところ見ます。こんな風に書いているからもうわかるでしょうが、私はこういった微博礼賛、というより微博やツイッター、フェイスブックなどといったSNSを使って企業がマーケティングすることに対し、そもそも効果があるのか強い疑問を感じています。もう言い切ってしまうとどう見たって効果があるようには思えず、こんなのにムダ金使うくらいなら地道に展示会とか即売会する方がよっぽと価値がある気がします。
一体何故SNSのマーケティングに疑問を持っているのかというと、単純に成功例をほとんど聞いたことがないからです。それこそツイッターとかフェイスブックでの発信を契機にある商品が爆発的に売れたとか、海外市場で知名度が大きく向上した、ブランド価値を持つようになったという話は日本企業のみならず米国や中国の会社ですら聞いたことはなく、あるというのなら是非とも教えてほしいくらいです。もっともこう言いながらただ一件だけ、ツイッターの投稿文があまりにも悲し過ぎるということから注目を集め、来客数が急増して2号店設立にまで至ったネパールカレー屋「だいすき日本」の成功例(?)は存在しますが、比較的規模が大きな企業でフェイスブックを始めたことによってどれだけ売り上げが伸びたとか、実際の商品購入に結び付いたとかいう話は皆無に近いでしょう。
またこのSNSを使ったマーケティングの効果や必要性を声高に主張しているのが、私個人の主観ですがどうもコンサルティングと広告会社しかいないような気がして、さも効果があるように見せかけて商売してるんじゃないかと疑ってます。それこそミクシが流行った数年前も、「就職活動を行う学生にとって必須となりつつある」とかいう、今の微博やフェイスブックと同じような宣伝文句が盛んにあちこちで言われてた気がします。なんていうか、これこそが業界ぐるみのステルスマーケティングなんじゃないかというのが私の感想です。
念のため付け加えておきますが、私はSNSがくだらないものだとは思っていません。それこそ芸能人にとっては今や必須のツールとなっておりますし、私はあまり使いませんが一般個人でも友人間で連絡を取り合うにはうってつけだと思います。ただそう考えるにつけ、このSNSというのは個人が使うから価値が出るのであって、企業や団体が使うにはあまり向いていない代物なのではないかという気もします。それこそ本気でSNSを使って商品を売り込むというのなら、有名人とかに依頼してその商品の情報をたくさん発信してもらうという、まんまステルスマーケティングをする以外ほかないんじゃないかと思えます。
なんだか今日はやけに逆説で文章つなげることが多いですが、最初に微博関連の記事はもううんざりだとか言っておきながら、自分が記事書いた中で、「ここはなかなか面白い」と思った会社が一社だけありました。会社名はわざわざ挙げませんがそこも微博を使ったマーケティングサービスを請け負うという会社でしたが、主なターゲットとしている客層は日本の全国自治体で、各地の観光促進につなげたいと社長が言っていました。企業が商品を売り込むのには向いているとは思いませんが、こと観光産業であれば地道な情報発信が大事だと思えるし、SNSを使う価値があるのではと話を聞いてて感じました。その社長は、「自分で言うのもなんだが、日本人で微博のことなら自分が一番知り尽くしている」と自負してましたが、ほかの会社と違って着眼点というか発信する価値観では確かな違いを覚え、気持ち分だけ応援するような感じで記事を書きました。
2012年6月19日火曜日
小沢グループの実態と現状
国会も終盤に差し掛かり消費税増税議論も本格化してきました。そんな中で民主党内では小沢一郎を中心とするグループが民主党主導部の方針に異を唱えており、いざとなったら分裂も有り得るというような報道がこのところの政治記事の中心となっております。あまり長く書く記事でもないのでちゃっちゃと書いてしまいますが、私は世間、というより大メディアが主張するほど小沢グループに力はないと思います。
そう思う根拠としてまず増税議論においては私の見る限りですと国民の中でも意見が割れており、私みたいに増税をやむなしとする層が多数派でなくても一定数おり、国民総出で反対しているわけじゃないということが挙がってきます。仮に全員が全員反対だったら民意を縦にすることが出来ますが、今の状況だと増税反対は民意だと言っても(既に言っているが)どうも政局に利用されているような感じがして、正当な行動には見えないでしょう。もっとも、実際のところ政局に利用しているだけなのですが。
また小沢グループの構成員にも大きな問題があります。現在、小沢グループのほとんどは先の総選挙で当選したばかりの一年生議員ばかりで、すわ解散となったら今の支持率ではほとんど当選できないほど基盤の薄い議員ばかりです。そのため民主党主導部に反抗して推薦が得られないばかりか、法案が否決されてすぐさま解散に持っていかれたら明日をも知れぬ身となるので、かつての郵政選挙のように土壇場で寝返る可能性も高いとみています。
その上で今の小沢グループには重鎮となる議員が極端に不足しています。以前であれば輿石民主党幹事長がおりましたが今の彼は完全に野田首相側について行動しており、むしろ小沢に対して妥協するよう求める立場で距離を置いている感じがありありとします。そして極め付けとなるのが今の小沢グループと歩調を同じくしているのはほかならぬ鳩山由紀夫元首相で、今後政局が深刻さを増すにつけていらんことを次々と口にして周囲をややこしくかき回すことが目に見えています。しかも下手したら散々面倒な事態に身内をひっぱた挙句に最後の最後で、「野田首相の言うことも一理ある」と致命的な場面で寝返ることすらなんかありそうで、この人をどこか遠いところに置かない限りは小沢グループの未来は暗いでしょう。
ここまで言えばもうわかるでしょうが、私は今回の増税案はこのまま通過するかと思います。この増税を財務省のただの焼け太りにさせないよう、監視するのはこれからの国民の使命でしょう。
そう思う根拠としてまず増税議論においては私の見る限りですと国民の中でも意見が割れており、私みたいに増税をやむなしとする層が多数派でなくても一定数おり、国民総出で反対しているわけじゃないということが挙がってきます。仮に全員が全員反対だったら民意を縦にすることが出来ますが、今の状況だと増税反対は民意だと言っても(既に言っているが)どうも政局に利用されているような感じがして、正当な行動には見えないでしょう。もっとも、実際のところ政局に利用しているだけなのですが。
また小沢グループの構成員にも大きな問題があります。現在、小沢グループのほとんどは先の総選挙で当選したばかりの一年生議員ばかりで、すわ解散となったら今の支持率ではほとんど当選できないほど基盤の薄い議員ばかりです。そのため民主党主導部に反抗して推薦が得られないばかりか、法案が否決されてすぐさま解散に持っていかれたら明日をも知れぬ身となるので、かつての郵政選挙のように土壇場で寝返る可能性も高いとみています。
その上で今の小沢グループには重鎮となる議員が極端に不足しています。以前であれば輿石民主党幹事長がおりましたが今の彼は完全に野田首相側について行動しており、むしろ小沢に対して妥協するよう求める立場で距離を置いている感じがありありとします。そして極め付けとなるのが今の小沢グループと歩調を同じくしているのはほかならぬ鳩山由紀夫元首相で、今後政局が深刻さを増すにつけていらんことを次々と口にして周囲をややこしくかき回すことが目に見えています。しかも下手したら散々面倒な事態に身内をひっぱた挙句に最後の最後で、「野田首相の言うことも一理ある」と致命的な場面で寝返ることすらなんかありそうで、この人をどこか遠いところに置かない限りは小沢グループの未来は暗いでしょう。
ここまで言えばもうわかるでしょうが、私は今回の増税案はこのまま通過するかと思います。この増税を財務省のただの焼け太りにさせないよう、監視するのはこれからの国民の使命でしょう。
2012年6月18日月曜日
犯罪者の生い立ちは刑に考慮すべきか
刑事事件の裁判などではよく、弁護士が被告の不幸な生い立ちを語ることが多いです。それこそ貧しい家庭に生まれたとか親の愛情を受けなかったとか、そうした背景が性格に影響を及ぼして犯罪に駆り立ててしまったという具合に、弁護士が語るのは何もドラマだけの話じゃないでしょう。
まず前提の話として、細かいデータなどは出しませんが貧困家庭出身の人間がそうでない出身の人間と比べて犯罪を引き起こす確率が高いのは各種統計からも伺えます。そのため犯罪をなくす、減らすためには生活を豊かにさせればいいのだとばかりに社会福祉の充実が図られた時期がありましたが、少し脱線すると高度経済成長期以降は裕福な家庭出身者でも犯罪に走る人間が出てきて軽いモラルパニックが起きています。
本題に戻りますが、果たしてこういった生い立ちは刑罰の軽重に影響を与えるべきでしょうか、不幸な生い立ちは刑を軽くする理由として認めるべきでしょうか。結論から話すと私の答えはノーで、それが犯罪を実行するに当たって直接的な動機とならない限りは全く考慮する必要はなく、審議に当たって無駄な時間となるのでこういう言い訳はしないように裁判で徹底するべきでしょう。
たとえば家庭が貧乏で満足に食事が取れず、餓えから食べ物を盗んだというケースのようにその不幸な生い立ちや状況が直接的な動機となる場合、餓えという問題が解決すれば次回以降は犯罪を抑止する可能性が高いと言えるので、この場合は通常の窃盗と比べて減刑するべきでしょう。また貧乏な家庭出身、極端な場合は被差別部落出身であることを罵倒され続たことからその罵倒した相手を殴打したり、怪我をさせた場合も、差別さえなければ犯罪を起こすことはないと言えるのでこの場合も普通の傷害と比べて減刑するべきだという立場を取ります。
しかしその犯罪が不幸な生い立ちと全く関係なく引き起こされた場合、これも例を出せば子供時代は非常に貧乏だったものの、成人後は働いて自活していたにもかかわらず窃盗や殺人を犯した場合、こういうケースはその生い立ちはなんの言い訳にもならないでしょうし、むしろお涙ちょうだいとばかりにそんな話をされるだけでも虫唾が走ります。よく少年期の体験が性格を捻じ曲げてしまったなどという弁論がされますが、では同じような体験をした人間はみんな性格がねじ曲がるのかという疑問が出てきます。さらに言えばでは恵まれた生い立ちの人間が同じような犯罪を引き起こせば、一般的な生い立ちの人間と比べて罪が重くなるのかと言えばそれもまた変な話でしょう。
私がこのように考える一因となったものとして、戦後の死刑基準となった永山則夫連続射殺事件が大きく影響を与えております。現代は死刑基準が厳しくなって既に「永山基準」は過去のものとなりつつありますが、恐らく法学部出身者ならこの事件は目に耳にしているはずです。私個人としてこの事件で無関係の人間4人も問答無用で射殺した犯人の永山則夫に対してその不幸な生い立ちには強く同情します。しかし最高裁の判決で「同じように不幸な生い立ちだったほかの兄弟は犯罪を犯してはおらず、その生い立ちが犯罪を犯す理由とはなり得ない」と指摘した内容はまさにその通りだと感じ、同情されることはあっても犯罪に対する免罪符にしてはならないと私は考えております。
同じようにその不幸な生い立ちが大きくクローズアップされた事件として池袋通り魔殺人事件がありますが、この事件も生い立ちとは全く関係のない人間を襲っており、減刑するようなものではないでしょう。
私自身は比較的恵まれた家庭で育っており、また被差別階級の出身でもありません。敢えて言うのなれば「持たざる者」ではないが故に、このような意見を主張するのではないか、逆の立場であれば言うことも逆になるのではないかという危惧はあります。しかしそれでもなおこのような意見を主張しようと思ったのは、もうそろそろ不幸自慢みたいなことを日本人全体でやめるべきじゃないかと常々感じていることから、こうして記事に書こうと思った次第です。
まず前提の話として、細かいデータなどは出しませんが貧困家庭出身の人間がそうでない出身の人間と比べて犯罪を引き起こす確率が高いのは各種統計からも伺えます。そのため犯罪をなくす、減らすためには生活を豊かにさせればいいのだとばかりに社会福祉の充実が図られた時期がありましたが、少し脱線すると高度経済成長期以降は裕福な家庭出身者でも犯罪に走る人間が出てきて軽いモラルパニックが起きています。
本題に戻りますが、果たしてこういった生い立ちは刑罰の軽重に影響を与えるべきでしょうか、不幸な生い立ちは刑を軽くする理由として認めるべきでしょうか。結論から話すと私の答えはノーで、それが犯罪を実行するに当たって直接的な動機とならない限りは全く考慮する必要はなく、審議に当たって無駄な時間となるのでこういう言い訳はしないように裁判で徹底するべきでしょう。
たとえば家庭が貧乏で満足に食事が取れず、餓えから食べ物を盗んだというケースのようにその不幸な生い立ちや状況が直接的な動機となる場合、餓えという問題が解決すれば次回以降は犯罪を抑止する可能性が高いと言えるので、この場合は通常の窃盗と比べて減刑するべきでしょう。また貧乏な家庭出身、極端な場合は被差別部落出身であることを罵倒され続たことからその罵倒した相手を殴打したり、怪我をさせた場合も、差別さえなければ犯罪を起こすことはないと言えるのでこの場合も普通の傷害と比べて減刑するべきだという立場を取ります。
しかしその犯罪が不幸な生い立ちと全く関係なく引き起こされた場合、これも例を出せば子供時代は非常に貧乏だったものの、成人後は働いて自活していたにもかかわらず窃盗や殺人を犯した場合、こういうケースはその生い立ちはなんの言い訳にもならないでしょうし、むしろお涙ちょうだいとばかりにそんな話をされるだけでも虫唾が走ります。よく少年期の体験が性格を捻じ曲げてしまったなどという弁論がされますが、では同じような体験をした人間はみんな性格がねじ曲がるのかという疑問が出てきます。さらに言えばでは恵まれた生い立ちの人間が同じような犯罪を引き起こせば、一般的な生い立ちの人間と比べて罪が重くなるのかと言えばそれもまた変な話でしょう。
私がこのように考える一因となったものとして、戦後の死刑基準となった永山則夫連続射殺事件が大きく影響を与えております。現代は死刑基準が厳しくなって既に「永山基準」は過去のものとなりつつありますが、恐らく法学部出身者ならこの事件は目に耳にしているはずです。私個人としてこの事件で無関係の人間4人も問答無用で射殺した犯人の永山則夫に対してその不幸な生い立ちには強く同情します。しかし最高裁の判決で「同じように不幸な生い立ちだったほかの兄弟は犯罪を犯してはおらず、その生い立ちが犯罪を犯す理由とはなり得ない」と指摘した内容はまさにその通りだと感じ、同情されることはあっても犯罪に対する免罪符にしてはならないと私は考えております。
同じようにその不幸な生い立ちが大きくクローズアップされた事件として池袋通り魔殺人事件がありますが、この事件も生い立ちとは全く関係のない人間を襲っており、減刑するようなものではないでしょう。
私自身は比較的恵まれた家庭で育っており、また被差別階級の出身でもありません。敢えて言うのなれば「持たざる者」ではないが故に、このような意見を主張するのではないか、逆の立場であれば言うことも逆になるのではないかという危惧はあります。しかしそれでもなおこのような意見を主張しようと思ったのは、もうそろそろ不幸自慢みたいなことを日本人全体でやめるべきじゃないかと常々感じていることから、こうして記事に書こうと思った次第です。
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