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2015年6月28日日曜日

他人事ではない欠陥住宅訴訟

 昨年に私は「大津の欠陥マンション訴訟について」という記事で「大津京ステーションプレイス」というマンションで起きている施工不良問題を紹介しました。なんでこんな記事を書いたのかという単純にニュースとして面白いと思ったためでしたが、アップ当初から一方の当事者である不動産会社の大覚さんにも閲覧されていたとのことで書いた本人が一番びっくりする羽目となりました。
 ただこの事件、はっきり言って誰の目からみても施工会社である南海辰村建設による瑕疵が明らかであるものの、問題発覚後から数年経過しているにも拘らず現在も補償を巡って裁判が続くなど長期化しています。何もこの件に限らずとも欠陥住宅に関する裁判は長期化する傾向があり、安保も大事だけど案外こっち方面の法整備も必要なんじゃないかと、我ならがら突然すぎる気もしますが、一昨日ふと思いつきました。

<欠陥住宅の裁判>
 欠陥住宅で裁判となると、発注、または購入した側は施工の際に瑕疵があったことを証明しなければなりません。この瑕疵不良の証明というのが非常に困難な作業で、簡単に述べると設計図と実際の図面がどう違うのか、それらが本当に不良状態のままで施工されたのかなどを裁判長に説明しなくてはならず、素人ではどうにもならないほど専門的な作業です。
 たとえば私も取り上げた「大津京ステーションプレイス」の問題では原告は不動産会社、被告は施工会社で、まだお互い同じマンション業界の法人同士での対立構図となっております。しかしこの対立構図が住人VS販売・施工会社だった場合、住人側は欠陥があるとわかっている住宅に住み続けながら専門家を雇って裁判を続けなければなりません。欠陥があるとわかった段階で施工会社などが素直に修繕に動いてくれればいいのですが、反論されて裁判となってしまったらもう大変で、恐らく泣き寝入りする住人も少なくない気がします。

<松居一代の闘争劇>
 個人が実際に欠陥住宅問題で裁判を闘った一例として、芸能人の松居一代氏の例があります。お掃除おばさんで有名なこの人ですが、購入した億ションで天井から水漏れがあるという欠陥が発覚したものの施工した清水建設(シミケン)はすぐには対応してくれなかったそうで、実に600日もの闘争を経て和解へ至った経緯を「欠陥マンション、わが闘争日記―ゼネコンに勝った!壮絶600日の全記録」という本にまとめています。
 実際に裁判を戦った松居氏の行動力もさることながら、和解に至るまで600日もかかったという事実は見逃せません。しかもこれは当時ワイドショーなどにも取り上げられるなど主に清水建設に対する周囲への影響、そして裁判を闘えるだけの資産を松居氏が持っていたからこそ和解へ至ったのであって、どちらか一つでも欠けていたら果たしてどうなっていたのか、はっきり言えば清水建設は黙殺してたのではないかという気がしてなりません。

<大手だろうと欠陥はあり>
 なお「大手だから安心!」という言葉を日本人はよく使いますが、こと建設業界に関しては全く当てはまらないと言っていいでしょう。ちょっと前にも三菱地所と鹿島建設のタッグが南青山で欠陥億ション作っていたのが2ちゃんねるへのタレコミでばれたし、住友不動産も2003年に作ったマンションで販売直後から施工不良が住人などから指摘されていたにもかかわらず黙殺し、11年後の去年になって言い訳できなくなってようやく認めるに至っています。多分これらは氷山の一角で、まだ公になっていない事例はたくさんあるだろうし、「大手だから」黙殺されている例もたくさんあるでしょう。

<瑕疵検査などにかかる費用>
日本検査研究所

 上記サイトはこうした欠陥住宅の検査を専門とする設計事務所のサイトで、ここに瑕疵検査から裁判での鑑定資料を作成する費用をオープンにして公開しています。こうした価格をオープンされるという点で高く評価できるサイトですが、やはり値段を見るとそこそこ値が張るというか、裁判となった場合に個人が負担するとなるときついなぁと思う金額が出ています。
 無論この事務所がぼったくってるわけではなく技術的にも手間的にもそれぐらいかかってしまうから問題なのですが、やはり個人がこの手の訴訟で戦うとなるとお財布的には厳しいでしょう。

<欠陥住宅に対する法整備>
 ここからが私の提案になりますが、個人では泣き寝入りするしかないような状況を鑑みて、こうした欠陥住宅問題を解決へと至らせる法整備、制度の作成が必要なのではないかと思います。具体的に述べると施工不良と判断する条件例(水漏れや設計違い、構造不良)を作り、その条件を満たした場合は即、販売、または施工会社の責任を認めて修繕義務を課すといった制度です。またその際、修繕が完了するまで住人には代替の住宅を用意させることも義務付けるなど、販売・施工側の社会的責任を重くさせることによって欠陥住宅の建築を未然に防ぐことが目的となります。
 このような制度を導入することで訴訟を起こさずとも即修繕を行わせられるようになり、また責任の重大化によって販売・施工側もおちおち手抜きがしづらくなります。正直、今の状態だと手抜き出来るところを手抜きした方が施工側にとってメリットが大きすぎるし。

 このほかにも欠陥住宅問題を専門とする仲裁機関を政府が作り、またこの方面専門の弁護士や建築士を育成するコースなども作って訴訟を迅速化するというのも一つの手でしょう。ただこれに関しては友人が、「お金になるとわかったら過払い金訴訟同様に、弁護士たちは勝手に勉強するだろう」という市場原理を唱えており、こうした訴訟を一般化させるだけで十分との認識を示しました。

 私個人は住宅を買う予定なんて今現在全くなく、それどころかほぼ一年に一回のペースで引越しを繰り返すなど織田信長みたいに腰の定まらない生活が続いていますが、やはりこの欠陥住宅問題は他人事にはみれないというか、非常に高額な支払いが発生するだけに何らかの社会的な対応が必要ではないかと見ていて感じます。
 なお先程紹介した日本検査研究所のサイトでは積水ハウス、大和ハウス、へーベルハウス、トヨタホーム、パナホームの大手ハウスメーカー5社、三菱地所、住友不動産、三井不動産の財閥系3社を名指しで批判しており、見ていて「言うねぇ」という言葉が漏れ出てきます。逆を言えば上から下までもれなく欠陥が含まれているのが現状だと言え、案外この点で日本は中国を笑えんなと個人的に思う次第です。

2015年6月27日土曜日

千葉のマッドシティ~21世紀の森と広場

 JR武蔵野線の新松戸駅~新八柱間を乗っていると途中で谷みたいなところに入り、眼前にやけに広い公園が広がる箇所があります。公園と言っても広さが結構半端じゃないくらい広く、街中を走ってたのが急にそんな風景へと切り替わるので見方によってはなかなか稀有な場所のように思えるわけですが、そここそが今日紹介するマッドシティこと松戸市の「21世紀の森と広場」です。

21世紀の森と広場(松戸市HP)

 21世紀の森と広場は元々堀があった場所を整備した、1993年に開園された公園です。20世紀にできたのに何で21世紀という名称を用いるんだと突っ込みたくなる気持ちを抑えて紹介を続けると、場所は先ほども言った通りに新松戸と新八柱の間、といっても私の感覚からすると新松戸と馬橋の中間くらいの位置にあって、小高い丘の上にあります。面積は50.5haあり公園としてはそこそこ広く、何よりも丘と丘の間にある窪まった所にあるので公園の中からの視界には外界が映らない点でいい意味での隔絶感があります。
 またこの公園の近くには同時に整備されたホール、博物館、図書館もあり、休日の行楽地としては及第点が得られる場所と言ってもいいでしょう。

「コスプレ聖地化計画」着々と進行中? 千葉県松戸市、愛好家集う「21世紀の森と広場」(THE PAGE)

 何気に今回記事を書くに当たって下調べをしている最中に初めて知ったのですが、なんとこの21世紀の森と広場はコスプレイヤーの撮影場所として密かな人気を得ているとのことです。松戸市のホームページ上でも「コスプレのご利用について」という利用届け出の案内ページまで設けられており、地味に整備されてるのがなんかやらしいです。
 このコスプレ撮影に使われていたという事実は本当に今の今まで私は知らず、試しにリアルマッドシティ市民である冷凍たこ焼き好きの友人にも振ってみたところ、その友人も全くこの事実を知りませんでした。京都市民が地元の寺社仏閣に実は行ったことがないというのと同じというべきか。

 そもそも松戸市をマッドシティと呼ぶようになったのもアニメでそういわれたのがきっかけで、また松戸市内を歩いていると変なアニメ絵で防犯を訴えるポスターが多数貼られていることから、地味にこの町はオタク関連と親和性が高いのかもしれません。とはいいながら露骨にオタク路線を前面に出すわけでもなくあくまで控えめにこうした活動を行っているという姿勢はなかなかに評価できるもので、出来ることなら今の路線のままマッドシティはやっていってもらいたいです。

 最後にこの21世紀の森と広場について個人的な思い出を書くと、ここは先にも述べた通りに小高い丘の上にあって、その丘に至るまでの道はまっすぐな一本道の坂道だったりします。これがサイクリングで走る上では悪くないコースで暇さえあれば6段変速のシティサイクル(ブリジストン製)に乗ってこの公園の入り口近くまで行っていました。
 確かあれは2010年の頃だったと思いますが、公園に至る坂を上り切りやれやれと一息つきながら自転車をこいでいたところ、後ろからヒュッと一台の自転車に追い抜かれました。私を追い抜いたのは小学校六年生くらいの女の子で、本当に意識の外から入ってこられるような感じで後ろに迫る気配が全く感じられないまま一瞬で追い抜かれてしまいました。

 この時何故か頭文字D的な妙なスイッチが入ってしまい、「ここでは俺がエンペラーだ(#゚Д゚)」と心の中で呟き、ペダルを踏む力を上げて女の子を一気に抜き返し、「体幹は悪くない。だがまだ踏み込みが足りんな( ゚∀゚)」とやけに上から目線な寸評を思い浮かべながらそのまま走り去って、丘の上から馬橋駅側へ降りる坂道を通って100満ボルト(当時はまだあった)に向かいました。今思うと、なんであんな大人気なく抜き返したのかわからないのと、あの女の子はその後も自転車を乗り続けているとすればいい乗り手になっただろうという気がします。

プラハ窓外投擲事件のAA

 世界史マニアでも多分あまり知られてないでしょうが現在のチェコで昔、「プラハ窓外投擲事件」という変わった事件が起きてます。それも三度も。
 具体的にどういう事件だったのかというとリンク先をウィキペディアのページで解説されていますが、わかりやすくしたAAが作られているので下記にて紹介します。

第一次プラハ窓外投擲事件
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
                        |
       ____.____    |   いらない
     |        |        |   |   ドイツ人市長を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |   ∧_∧
                       (´Д` )
                       ⊂ ⊂ )
                     ⊂ ⊂ ,ノo

第二次プラハ窓外投擲事件
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
                        |
       ____.____    |   いらない
     |        |        |   |   国王顧問官を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |   ∧_∧
                       (´Д` )
                       ⊂ ⊂ )
                     ⊂ ⊂ ,ノo

第三次プラハ窓外投擲事件
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
                        |
       ____.____    |   邪魔な
     |        |        |   |   外務大臣を
     |        | ∧_∧ |   |   窓から
     |        |( ´∀`)つ ミ |   投げ捨てろ
     |        |/ ⊃  ノ |   |
        ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄    |   ∧_∧
                       (´Д` )
                       ⊂ ⊂ )
                     ⊂ ⊂ ,ノo

 こう言ってはなんですが、本当にAAの通りの事件なだけに色々笑えてきます。っていうかなんでチェコ人はしょっちゅう窓から人を投げるんだろう?

マツダ・ロードスターに対する記事の優劣

 なんか自民党の方で出てきた報道規制に関する話題が盛り上がっているようでそっちを今日は記事に書こうかなと思いましたが、多分結論的にはそんなに面白い結論にはならないと思うのですっ飛ばして、当初の予定通りにマツダが先月発売した新型ロードスターについて書かれた記事の優劣について書きます。

新型「マツダ ロードスター」の販売が好調(マツダのプレスリリース)

 上記のリンク先はマツダが今月25日に発表したプレスリリースです。このプレスリリースでマツダはロードスターの初月販売台数が5042台となって好調な売れ行きを続けていると主張しています。このプレスリリースを受けマスコミ各社も記事を書いており、以下が主なラインナップとなっています。

マツダの新型ロードスター 1カ月で目標の10倍受注(産経新聞)
ロードスター、5042台受注…目標の10倍超(読売新聞)
新型マツダ・ロードスターが発売一か月で5000台以上を受注(clicccar)
マツダ新型ロードスター、受注5,000台! 購入者の反応は? - 40代中心に支持(マイナビニュース)

 どこもマツダの発表通りにロードスターの販売が好調であるという切り口で記事を書いており、内容もプレスリリースに書かれている内容を抜粋したように書いています。逆に言えば、プレスリリースに書かれている内容をただたれ流しているだけともいえ、特に特徴的なのは「顧客層は40代を中心に、20代から60代以上まで、世代を超えて幅広く支持を得ている」という文言です。
 この文言はプレスリリース中に書かれていてcliccarとマイナビニュースはほぼそのまんま使用しているのですが、産経と読売はちゃんとわかっていたのかそのまま書いてはいません。というのも、車の購入層が20代から60代までってそれって当たり前過ぎる事実だからです。むしろ購入層がこの世代に当てはまらない車の方が珍しいだけにわざわざアピールするところじゃないでしょう。

 この辺は私も経験あるので強く言えますが、マツダのプレスリリースはどうでもいい事実をさも重要であるかのように、無駄にアピールすることが多いです。中国事業についてはディーラー店数がこれだけ増えましたーって書いてること多かったし、あと「CX-5」という車種の枕詞には「クロスオーバーSUV」と毎回つけていましたが、これに関して私は当時の社内に対し、「クロスオーバーじゃないSUVの方が珍しい(実質、ジムニーとジープ位しかない)」と説明し、普通のSUVなんだからマツダの意味の分からない表現に惑わされるべきじゃないと主張して、「SUVのCX-5は~」という表現に改めさせました。

 いつもこんな具合なのでこのロードスターのプレスリリースも全体的に白々しさを覚えるし、また多少は仕方ないと記者に同情しつつも、そのまま垂れ流すメディアもどうかなとちょっと思います。そんな風に思っていたところ、ほかのメディアとは一線を画してこのロードスターについてケチをつけた記事がありました。

期待以上の「いいね!」、なのに「う~ん」…悩める新型ロードスター(オートックワン)

 このオートックワンの記事ではまず最初に5042台という販売台数の内訳についていきなり、

「発売直後のリリースは3323台という受注台数だったため、1ヶ月間で1719台ということになります」

 と書き、5042大の大半は発売前予約受注であって実質的な一ヶ月の販売台数は1719台だったと指摘してます。しかもその後で、この5042台の販売台数にはディーラーなどが試乗車として登録した台数も含まれるとして、実際に個人のユーザーが購入した台数は4500台程度だろうと分析しています。
 その上でロードスターの納車待ち期間は一ヶ月程度(2015年7~8月)であるのに対し、同時期にホンダが発売した「S660」は「現在最も早くて2016年4月」であることと比較して、本当にロートスターは人気なのか疑問符を投げかけています。しかもエンジンサイズに比べやや高い価格がユーザーを迷わせているのではという分析も書かれてあり、さすがその道専門の記者が書いた記事だと唸らされました。

 同じ事実一つとっても見方、書き方によって記事の質は大きく変わります。最後のオートックワンの記事は別格過ぎますが、ただ販売台数一つを取って売れ行き好調と垂れ流して書くのは果たしていかがなものかと私は前から感じています。第一、取引先や社員に無理やり買わせることも多いので、月間目標の何倍で売れたかを初月の販売台数でみるのはナンセンスもいい所でしょう。むしろ発売半年後で月間目標を上回っているか、その辺をきちんと調べてほしいな。
 結論をまとめると、マツダのプレスリリースは鵜呑みにできないというこの一言に尽きます。いやまぁ今回のロードスターはデザインは気に入ってるし、車重も1トン切ったのは凄いと思うんだけど、マツダはそれよりもむしろ自社のパートタイム4WD技術の高さをわかりやすくPRすべきだと思う。

2015年6月25日木曜日

石郷岡病院事件について

 最近何故か以前にこのブログで書いた「宇都宮病院事件について」という記事のアクセスがっ上昇していて訝しんでいたところ、どうも下記の事件が影響しているのではないかという結論へ昨日の昼過ぎに至りました。

「頭踏まれ、2年後死亡」患者遺族、病院を提訴(読売新聞)

 上記リンク先のニュース記事の内容を簡単に説明すると、千葉県千葉市にある精神病院の石郷岡病院に入院していた30代の男性患者が、看護師に下着を取り替えられる際に身体を押さえつけられた上に頭を踏まれたり蹴られたりする行為がなされ、男性はこの時の行為がきっかけで首の骨が折れてしまい二年後に死亡しました。遺族はこの時の看護師の行為は医療行為を逸脱した暴行であるとして病院を提訴し、裁判となったことを報じているのですが、この事件の何が面白いかというと男性へ暴行がなされた際の映像が一部始終公開されているからです。

「男性の頭を2回踏み付ける」精神科看護師暴行映像(15/06/18)(ANNnewsCH、Youtube)

 上のリンク先はテレビニュースで報じられた際の編集版ですが、暴行の開始から終了までを映した映像も遺族らによってアップロードされております。一応自分も見ましたが、確かに看護師によって頭を蹴るように踏みつけられているのが映像で見てとれますが、そこまで激しく凄惨な暴行映像ではないので激しく心臓に悪いほどではありません。
 病院側は提訴されたことについて、結果的に患者が重傷を負ったことについては反省すべき点だとしながらも通常の医療行為の一環であったとして、故意の暴行ではなく問題性はないという見解を示しております。まぁ病院側としてはそういうしかないだろうけど。

 恐らく同じ精神病院での暴行事件であったことから、最初に挙げた宇都宮病院事件が見直される形で私のブログへのアクセスが上がってきたのでしょう。宇都宮病院事件は今回の石郷岡病院と比べるともっとはっきりしているというか露骨で、鉄パイプで患者が殴り殺されたり重傷を負わせられたり、東大の医師が関わってたりと犯罪性が非常に明確な事件でした。
 それにしてもなんで病院に鉄パイプが常備されてたんだろうかと思うと同時に、もうちょい突っこまれ辛い凶器を選ぶ方法はなかったのかと今更ながら思います。

 ただどちらの事件でも、精神病院という閉鎖された空間というべきか一般人からすると非常に見え辛い世界で起こった事件ということで共通しています。実際にこの事件を恐らく最初に取り上げた読売の記事でも、このような明確に暴行されたという映像証拠があるというのに警察は全く動かず、精神病患者には人権がないのかとライターが訴えておりましたが、今のところ警察が暴行致死容疑などで石郷岡病院へ捜査に入ったという情報は出ておりません。
 この辺は警察も相手が精神病院ということで対応が難しいのではないかと推察します。伝聞ですが精神病院の職員はやはり激務らしく、体力勝負で体格のいい看護師ほど重宝されると聞きます。今回の事件では映像を見る限りだと暴行を受けた男性はそれほど激しく抵抗しているようにも見えないので以ての外ですが、実際に暴れたりする患者も少なくなくて職員らもいくらか命がけな所もあるように思えます。

 それだけにこの事件に関しては石郷岡病院側を一方的に批判する気には私はなれません。理由を述べるなら、もし自分が職員だったら同じことを絶対にやらないかという自信がないからです。
 ただだからといって、刑事罰や社会的責任が一切免除されるべきだとは言うつもりはありません。少なくとも今回の事件では紛れもなく必要以上な暴行がくわえられ、それがきっかけでこの男性患者が死亡したことはほぼ疑いようがなく、この点について石郷岡病院は遺族らに対し真摯な対応を取ると共に、必要であれば刑事罰も受けるべきでしょう。

 最後に男性患者について私が最初にこの事件について報じた記事(確か先週に読んだ)内容を思い出しながら書くと、この方は20代の頃は大学にもきちんと通うなど全く問題ない生活をしていたのですが、何かのきっかけで精神医療科を受診した際に向精神薬を処方され、それを服薬してから徐々に精神に変調をきたすようになったそうです。専門的なところまではわかりかねますが、記事中では「一から十まで精神医療にこの男性は殺された」という論調で書かれてあり、まぁちょっと私も思うところが少しありました。

 ちなみに私は大学時代に一回、学内にある無料カウンセリングを週一で一ヶ月程度受受診したことがあります。その時のカウンセラーの方はわかりやすい話し方でいろいろ相談に乗ってくれ、今でも当時の話を思い出すくらいに私にとってはいい体験でした。
 またこの時、カウンセリング室の前にあるパンフレット類が並べられた棚の中に京都大丸での「大・水木しげる展」の無料参観チケットが何故か置かれてあったので、二枚ほど持って帰って友人と一緒に見に行ってから本格的に水木しげるに目覚めました。そういう意味でもあのカウンセリングは私にとって非常に重要なイベントだったと言えるでしょう。

2015年6月24日水曜日

時代劇の大悪役、鳥居耀蔵について

 最初にこのブログのリンク先として新たに追加した、下記のブログを紹介します。

ピンハネ屋と呼ばれて

 ブログタイトルこそ後ろ向きであるものの書かれてる内容は割とエネルギッシュというかやや躁気味な内容に満ちています。このブログはどういったブログかというと、㈱リツアンSTCという静岡県にある人材派遣会社の現役社長が書かれているブログです。
 なんでこんなブログを紹介しようっていうのかというと、今年一月に私が派遣マージン率について書いた記事を読まれたことから連絡があり、ちょいちょいやり取りするうちにこういうブログを始めたと聞いたので、それならば是非と紹介することとしました。正直、あのマージン率の記事は派遣労働者からはいくらかレスポンスが来るだろうと思っていたものの、まさか派遣会社を運営されている方からコンタクトが来るとは夢にも思いませんでした。あともう一つ気になる存在として、スタッフサービスさんはちゃんと私の記事を読んでいるのだろうか……。

 そんなわけで本題に移りますが、適当な間に合わせのネタとして時代劇マニアなら既におなじみですが普通に日本史勉強していたらまず目にすることのない面白い人物として今日は、江戸後期最大の悪役である鳥居耀蔵について紹介します。

鳥居耀蔵(Wikipedia)

 鳥居耀蔵とは江戸時代後期の人物で、幕府直参の旗本として勤務した武士です。彼が表舞台に出てくるようになったのはあの有名な「天保の改革」の頃で、改革の主導者であった水野忠邦に見いだされて当時の江戸において最高裁判官に当たる南町奉行に抜擢されます。

 一体何故この人物が時代劇で悪役にばかりされるのかというと、一言で言ってしまえば頑固で人の話を全く聞かず、自分の価値観で他人を陥れたり捕縛したりをびっくりするくらい繰り返したからです。南町奉行時代は犯罪者崩れの手下や密偵を使ってはおとり捜査を繰り返し、気に入らない人物を次々とブタ箱(当時からそう言ってたかは知らないが)にぶち込んでいたそうで、そうしてついたあだ名は「蝮の耀蔵」となるほど当時の民衆からも明らかに嫌われていました。
 なおこの時の北町奉行はあの有名な「遠山の金さん」こと遠山景元で、鳥居が大衆娯楽の寄席などを規制しようとしたのに対して遠山は放任しようとするなど寛大な政策を取ったため、「遠山=善玉、鳥井=悪玉」という構図は早くから確立されました。

 話は戻すと、大衆に対しては厳しい態度を取りつづけた鳥居ではありましたが時の老中の水野忠邦に対しては完全なイエスマンで、水野の推し進めるぜいたく禁止令などの社会規制策は自ら率先的に実行していきました。特に顕著だったのは蘭学に対する施策で、天保の改革期に蘭学者を弾圧した「蛮社の獄」では中心人物となって関係者の一斉捕縛にも関わり、また開国はおろか西洋技術の導入に関しても終始反対し続けました。

 極めつけはこうした悪人にはなくてはならない讒言で、前任の南町奉行であった矢部定謙を讒言で追い出してちゃっかりと後任として就任したことを皮切りに次々とライバルを追い落とし、遠山景元に対しても水野と組んで北町奉行から大目付へ転任させることに成功しています。
 ただこうした鳥居の専横は水野という後ろ盾があったからこそというものがありました。しかしその水野による天保の改革がわずか二年で失敗に終わると、鳥居は保身のために水野を裏切り不正の証拠を一気に横流しするというスタイリッシュさを見せつけてくれました。これほど典型的な小悪党ってそうそういないだろって思うくらいの活躍ぶりです。

 いろんなことがあったけども、何はともあれ水野を裏切りこれにて一件落着……かと思いきや、一旦左遷された水野は開国などの外交問題を巡ってわずか半年で老中の座に返り咲くというカムバック賞ものの復帰を果たしました。この時にはさすがの水野も自分を裏切った鳥居の事は忘れておらず、今度は鳥居が同僚に裏切られる形で職務怠慢を理由に解任された上、財産没収となった挙句に丸亀藩(現在の香川県丸亀市)に預けられて蟄居させられます。

 丸亀藩に預けられた鳥居は監視されたまま屋敷に留め置かれ、当時の彼の日記には、「この一年間、誰とも会話しなかったなぁ(´・ω・`)」なんて記述も残されています。その軟禁期間は、江戸時代が終わって恩赦が出るまで実に20年にも及び、勝海舟によると鳥居が食べて投げ捨てたビワの種が出てくるころには立派な気に育っていたそうです。
 ただそんな軟禁生活も途中からは段々と行動の自由が許され、この間には丸亀藩士らとも交流を持ち彼らへ自分の知る知識を惜しみなく教えていたそうで、交流した藩士からは好々爺足るような好印象を持たれていました。

 しかし明治維新によって政権が変わったことにより、鳥井に対しても恩赦が出て晩年には完全な行動の自由を得ることが出来ました。なおこの恩赦が出された時も、「自分は幕府の命でここにいるのだから幕府の命令でなければ出て行かない」と言ってあくまで抵抗したそうです。また解放後も、開国された日本の各地を見て回っては悪態をついて回り、元部下が訪ねて来た際には、「自分の言うことを聞かずに開国したから幕府は滅んだのだ」と自説を曲げずに元部下を呆れさせたというエピソードまで残っています。

 最初にも書きましたが鳥居という人物は呆れるほど頑固でかつ敵対心の強い人物で、悪役として描くに当たってこれ以上の人物はいるか、いやいないと反語で言いたくなるほど典型的なキャラクターをしています。しかし20年間も軟禁されながら自説を一切曲げない頑固ぶりはある意味凄い所で、勝海舟も、「嫌な奴だったけどあの頑固っぷりは大したもんだった」と述べています。
 この鳥居は日本史の教科書にはまず出てくることはない人物ですが、私としてはこれほど面白い人物はそうそういないんだし、出来ることなら天保の改革と合わせてちゃんと教えてあげてほしいなという気がします。まぁ完全な変人の領域ですけど。

2015年6月22日月曜日

中国製造業の現場の声

 先日、所属しているサークルの懇親会に参加してやってきたほかの参加者と歓談する機会を得ました。ちなみに出席者の中で30代は私一人で、40代もおらんかったなぁ……。
 主に話をしたのは中国法人の駐在員の方で、住んでいる場所がらか自動車関連企業の人が多かったのですが、最初に話題になったのは「次はどこに行くべきだろうか?」でした。

 結論から書くと、こちらの現地駐在員の間ではもはや中国で製造業は成り立たないという認識が強く持たれています。既に繊維業を始めとした軽工業系の日系企業はほぼすべて中国から撤退してベトナムやフィリピンといった東南アジア諸国に移転して、家電を始め斜陽気味の電子関連も現在移転を進めており、そして残った自動車関連も移転へのウォームアップを始めている状態です。

 移転に動く原因は何か。突き詰めれば中国で高騰する人件費が何よりも大きく、次に急激な円安です。円安に関しては特に歓迎する企業よりもこれによって苦しんでいる企業の方が実感としては多いように思え、具体例を挙げると鋼材の価格等は日本材の価格は既に中国材を下回る所まで来ており、だったら質も安定している日本材を使って日本で作った方が物も安くていいじゃないかという運びになるほどです。実際、中国から第三国への出荷を取りやめ、日本からへの出荷にどこも切り替えてます。

 もう一つ、中国からの撤退に動こうという大きな動機としては、中国国内で製造業の技術が過去20年間、何一つ向上しなかったという声もありました。たとえば日産は中国の合弁相手である東風自動車と共同で中国オリジナルの自主ブランドを作りましたが、結局この自主ブランド車に使われている部品はほぼすべて日系企業の手によるもので、ローカル企業の部品はほとんど採用できず実質的に普通の日産車と変わらない内容になってしまったようです。

 もし仮に中国のローカル企業で独自技術なり品質の高い生産が実現できていればまだ中国に残る理由も出てくるものの、そう言ったものはほとんど何もなく、昔と変わらない生産環境でただ人件費だけ上がってきたというのが現状とよく指摘されており、私自身もそう感じます。そのため不良率を換算した生産コストはこの頃だと日本が中国を大きく上回るようになっており、中国国内向けに供給するものを除くと海外に出荷できる価格ではないそうです。

 恐らく、中国政府としては軽工業から重工業への転換を狙っており、雇用の吸収力の高い自動車関連に関しては自国内に大きな市場を抱えるだけに主力産業として育得ていこうという意識を持っていました。しかし現状では他の産業同様に外資なしでは成り立たない産業と化しており、その外資の撤退によっては急速な衰退も有り得なくもありません。中国贔屓の私の目からしても、恐らく部品メーカーなどは第三国に撤退して彼らが抱えていた労働者の吸収先に困る事態が起こる気がします。

 ただ第三国に撤退すれば日系企業は安泰かというとそうとまでは言い切れません。移転した当初はまだよくても、移転先の国でも経済力が高まれば中国同様に人件費は高騰していき、それも人口大国の中国以上に急激なスピードで高まることが予想されます。そのため、移転から数年はよくても10年くらいたったらまた移転しなければと腰の落ち着かない経営になることも考えられます。

 逆を言えば中国は現在でこそ人件費が高騰しているものの、そのスピードは非常にゆっくりだったのではないかと私は考えています。それでいて世界中から製造業が集まって世界に商品を供給していた、言うなればここ10年ちょっとくらいは中国によって世界中がデフレ傾向にあったと思えます。ある意味でこれは消費者にとって黄金時代で、今後は逆に世界中で商品価格が上がるインフレ傾向が起こり、「昔はパソコンが10万円もあれば買えたのに」という時代に逆戻りするかもしれません。もっとも、私としては現在の供給過剰な状態を考えるとそうなった方が良いと思っていますが。

 最後に繰り返しとなりますが、製造業に関しては確かに中国はもう限界になりつつあるというのが私の見方です。こうなったのも状況の変化、また産業育成の失敗にあるというのが私の分析です。