ページ

2008年11月1日土曜日

身体に対するアイデンティティ

 ちょっとここで書く内容は我ながら過激だと思える部分もあるので、その点を考慮してお読みください。

 まず最近私が感じている話ですが、どうも十数年前と比べると最近の日本の漫画で、「女性が髪を切られてショックを受ける」という話を見なくなった気がします。
 私自身がはっきりと覚えているのは「らんま1/2」にてヒロインの天道あかねが乱馬と良牙のケンカのとばっちりを食って長い髪が切れてしまい、当事者の二人を思う存分に殴り倒した後ショックを受けて家に逃げ帰るシーン(我ながら、よく憶えているもんだ)ですが、なにもこの話に限らず「髪は女の命」とばかりに長い髪の女性がその髪を切るということに、深い意味が当時は付与されていたように思えます。
 他に憶えている内容だと、よく失恋した後に思いを吹っ切るために女性が長い髪を切るとかいうのも結構ありましたね。

 しかし残念というかなんというか、最近ではこういった描写はほぼ皆無といっていいくらい見なくなり、女性が髪をばっさり切る場合でも特に理由付けなどは行われずに普通に「イメチェン」とかで片付けられてしまいます。またその一方で、男性の方ではこの十数年で逆に長髪が大分普及してきました。きっかけは間違いなくSMAPのキムタクによってロンゲがファッションとして流行ったことでしょうが、改めて考えてみるとこれ以前は長い髪の男性というと左翼かヒッピーくらいしかおらず、半ば女性の専売特許だったような気がします。

 私が何を言いたいのかというと、長い髪=女性という構図が成り立ちづらくなるなど、近年にこういった例がどんどんと増えて身体に対するアイデンティティが随分と薄まったのではないかということです。
 以前に私は「90年代におけるネットをテーマにした作品」の中で、「肉体と意識」をテーマにした作品をいくつか紹介しましたが、私はそろそろ本格的に「何がその人物を特定するのか」ということを真剣に議論する時期に来ていると思います。

 まずこれまでは至って単純に肉体と意識はその当事者に共通していました。しかし前回の記事でも紹介したように、「攻殻機動隊」の中では脳だけ取り出して身体は義体と呼ばれるサイボーグの身体に移すのが一般的になっている世界が広がっています。
 たとえばの話、もし自分の近い人物がこのように身体を義体に移した場合、あなたはその人物に対して同じ感情を抱くことが出来るでしょうか。口で言うのは簡単ですがよくニューハーフの方が親にカミングアウトをするのをためらうと聞きますし、実際に自分の親とか子供がある日突然性転換手術を行ったと聞いたら、多分私は大いにうろたえると思います。こういう風に思うのも、先ほど言ったように肉体と意識が人物を特定する上でセットになっているという前提があるからです。

 このように、その人物の意識や脳だけが別の身体、それこそ攻殻機動隊の義体のように移り変わってしまった場合、その新たな身体となったその人へそれまでと同じ感情を抱けるかは非常に疑問です。ですが世の中の潮流としては、なんとはなくですがそれを許容する方向へ移ってきてはいるのではないかと思います。そう思うのも、前回にも書いたように、近年はネットなどの発達によって肉体の世界に対して意識の世界がどんどんと幅を利かせるようになっており、それとなく意識や記憶がその人物を特定するのだという方へと価値観が変わってきている気がします。

 私自身ネット上で連絡を取り合うようになった人物の中には顔を見たこともない人もいますが、データ(意思)のやり取り、具体的に言うとお互いに名乗っているネット上のハンドルネームだけで相手を識別しており、これこそまさに身体を返さないコミュニケーションをしていると言えます。よくこういう顔の知らない人間同士のコミュニケーションが気味が悪いという人もインターネット黎明期にはいましたが、私自身でもやはり顔の知った人間との方がネット上でコミュニケーションをとる量が絶対的に多いという事実を否むことが出来ません。ですが潮流としては、そのような顔の知らない人とのコミュニケーションに対する抵抗感は絶対的に低くなっていると思います。

 その一方で起こっているのが最初にあげた、身体へのアイデンティティの低下です。多少国ごとに違いますが日本においてはニューハーフは以前に比べて大分許容されるようになり、また「男は短髪、女性は長髪」といった役割アイデンティティとも言うようなパターンも徐々に崩されてきている気がします。
 折も折で、そろそろ真面目に身体の機能喪失者に対して医療的に半機械化が行えるほどに技術が向上してきました。私が以前にテレビで見た番組では、視力能力の喪失者に対しその人の脳に直接カメラ機械と接続して、カメラを通して映像情報をを神経に送ることで視力能力を、あくまでほんの少し見える程度ですが見事復活させた例がありました。またこれに限らず、以前のコメントで義足の選手がトラック競走でのタイムで健常者を上回ったという事例を教えてもらい、今後は身体能力強化という目的で人間の半機械化が行われる可能性も大です。

 こういった時代を迎える上で、今後人間のアイデンティティを身体ではなく意識へと求めていこう……と言えたらどんだけ楽か。いや実際にこういうことだけを言うだけならこのままの潮流を守るだけで結構です。しかし私が問題にしているのは、その意識って一体なんなのか、っていうことです。長くなったので、続きはまた次回……というよりこのまま書きますけど。

0 件のコメント: