2008年11月18日火曜日

現代の若者は打たれ弱いか?

 なんか最近この手の若者論の話ばかり書いてて、連載とかにしたほうが良かったかなとすら思ってきます。記事を集めたタグもそろそろ作り直さなきゃいけないし、ちょうどいい機会なのでまた今度これまでの連載記事を含めてパッケージしてタグを作り直そうと思います。

 それで早速ですが、よく世の中では「最近の若者は打たれ弱い」、「ちょっとの言葉ですぐ傷つく」という若者論を聞きますが、ひねくれものの私からするとやっぱり腑に落ちない論評だと思います。
 確かに私から見ても今の若者は以前と比べるとキツイ言葉を少しかけた途端に挙動不審なくらいに慌てますし、私も一応若者に属しますが自分でも星一徹みたいな人間を相手にすると考えたらすごく気が落ち込みますし(誰でもそうだろうけど)、その私からしても二、三年下の後輩と話していても、こちらが意識する以上に非常に私の言葉を重く受け止め、ちょっとの注意で落ち込んでしまう子が増えている気がします。

 しかしその一方、先ほどと同じ言葉を重ねますが最近の若者を相手にしていて思うことは、やっぱりこっちの言葉や態度を非常に重く受け止める傾向があり、先ほどの例とは逆にこちらが大して意識していないものに対して非常に感謝したり、ある日突然心を開いてきたりするようなところもあるように思えます。ネットの掲示板で見ていても、会社員の方の言葉で最近の新卒は最初は非常によそよそしいくせに、ちょっと教えたり仕事を手伝ったりすると急に心を開いてくるといった話があり、この話に私自身もなんとなく得心します。

 ここまで言えばわかると思いますが、現代の若者は打たれ弱いと言うよりも、他人の言動や行動を大きく受け止める傾向があるのではないかと思います。ドラクエに例えるのなら、ホイミをかけると通常30ポイント回復するところが60ポイントも回復する一方、ギラを喰らうとこちらも30ポイント位のダメージを受けるという具合に、影響を受けるプラスマイナスの増減がこれまでの二倍になっているような感じだと私は言いたいのです。

 では何故現代の若者がこうなってしまったのかと言うのが一番大事な点ですが、これについては、

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            , ;,勹
           ノノ   `'ミ
          / y ,,,,,  ,,, ミ
         / 彡 `゚   ゚' l
         〃 彡  "二二つ
         |  彡   ~~~~ミ      ……………
     ,-‐― |ll  川| ll || ll|ミ―-、
   /     |ll        |   ヽ
  /       z W`丶ノW     ヽ
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/    天      \`i / /  狗   |

 という具合だったら非常に話が早くて私も助かるのですが、さすがにこんな結論で終えることは出来ません。
 仮にこうした議論をすると原因として、まず最初に上がってくるのは教育でしょう。最近の教育がうんたらかんたらという話で、これも結論に持ってきたら非常に話が早い分あまり分析的に面白くないです。そんな結論なら誰でも出せるので、一体何故重く受け取ってしまう若者を生む教育になったのか、そういった背景まで求めてみたいものです。

 なんか先ほどから非常に回りくどいから私の結論をもう言うと、まず一つの原因として社会での責任が大きく問われるようになったからだと思います。それこそ今では被害者が出ていなくとも食品の賞味期限の改ざんくらいで社会全体揃ってパッシングが行われるような時代で、かつての雪印や日ハムが起こした食中毒問題と比べると問題性は瑣末な割に、企業などが被る打撃というのは私見ながら大きくなっているように思えます。
 無論、企業にとどまらずほかのすべての方面でも社会的責任だけが大きくなり、その中で青春期を育ってきた今の若者などはこの影響を受け、社会的制裁を避けるために相手の発言や行動に対して注意深く対応するようになったという具合で、言ってしまえばいじめ問題などでも槍玉に上がる集団心理的な拘束が強まった結果ではないかと私は考えます。

 一例を上げると、これなんかまさに私の例ですが一銭も儲けはなく、いわば私的に書いてネット上でただ公表しているだけのブログでも、何か一部の人間の意図に反する内容の記事を書いただけで激しく批判され、ひどい例などはアドレスをさらされた挙句に散々な罵倒を受ける可能性があります。私としては確かに情報を売ってお金をもらっているマスメディアなどが誤報を流した場合は批判されても仕方がないと思うのですが(嘘という夢を売っている東スポは除きます)、こうしたブログに対して議論的価値のある批判ならともかく、感情をぶつけるだけの批判をするなんて批判者にとってもブログを書く側にとってもあまり意味がない気がします。そんなに嫌な情報なら見なきゃいいだけだし。
 しかしそんなブログでも、昨今では書いた側も思わぬところで持ち出され、批判の対象になってしまいます。もちろん最近流行のミクシでの犯行自供などはこの例に当てはまらず自業自得ですが、何かの発言の門で批判されるということについては、ネット上のほうが規模が大きい分、案外実社会より危険性は高いのかもしれません。

 この辺は「監視社会」の話と組み合わせるともっといろいろ話が広がるのですがそれはまた別にして、少し話がそれましたが、こうした社会的責任の増大が現代の若者のなんでも重く受け止める傾向を作ったのではないかと思います。折も折で教育現場でも、「相手の立場を思いやること」というのが私の時代でも非常に重視されていましたので、そういった影響もあるのではないかとも思います。

 ではこの現状にどうすればいいかですが、私としてはやはりあまりいい現状とは思えず、早急に改善策を図るべきだと思います。というのも、「燃え尽き症候群」といって、人生に一度や二度しかない重要な生き死にの場面に毎日何度も遭遇する看護士の方などが、ある日突然うつ病のような症状を出すということを聞いたことがあり、人間の行動意欲というものには個人個人に限りがあり、何かに気にかければかけるほど行動意欲は減って行き、一定のキャパシティを越えるとやる気などがガクンと削がれるのではないかと考えるからです。
 これまた今の若者は何事にも意欲がないとも言われており、この背景には対人関係や周囲の目に対して今の若者が非常に気を配りすぎていて、自分の限られた行動意欲を無駄に使い過ぎて自分独自の行動を起こせずにいるのではないかと思います。

 では改善策は何かですが、これまた先ほどの「燃え尽き症候群」の予防策ですが、やはり周囲に対して過度に親身になったりはせず、所詮は他人事と思ってある程度割り切ることが良いそうです。やはりタフな看護士というのはこれが出来るらしく、私の家の近くの看護士のおばさんなんか、「あの患者、まだくたばんないのよ」といつも放言していましたが、私的に勉強を続けて今ではある大学にて介護学の正教授を務めています。
 もっとよい好例を出すとしたら、去年前半にベストセラーとなった渡辺淳一氏が提唱した「鈍感力」です。渡辺氏によると気を配る必要のある対象には気を抜かず、逆にその必要のないものには過度に気を配るなということで、いわば自分の神経を集中する方向をきちんと定めろということが主張されており、その例として他人の意味のない批判や暴言に対しても気にしなければ気にしない方がいいという例も本の中で書かれています。

 しかし、このような改善策を提唱しながらもこれを実行するのは私はとても難しいと思います。というのも最初に述べたように今の日本社会は周囲に対して過度に気を配ることを強制しているからです。カスタマーサービスなどでもちょっとでも気を抜けば、「心がこもっていない!」等と批判され、注文の対応が少しでも遅ければすぐに怒鳴られたり、モンスターペアレントなどの問題が拡大するなどこの流れに歯止めはかかっていません。なのでもし本気でこうしたものを改善しようものなら、社会全体で寛容さを持つようにと訴えるとともに、先ほどの渡辺淳一氏のように鈍感力などと言葉を作って文化として広めるしかないと思います。

 ここまで書いといてなんですが、「この言葉はまさに君のためにある」と、この鈍感力を持つようにと言われるほど私は周りから気を配り過ぎだと見られているようです。

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