2009年8月19日水曜日

ごった煮の中国文化、死んだふりの日本文化

 昨日にもちょっと書きましたが、漫画「筋肉マン」に出てくるあのラーメンマンの髪型で有名なお下げを巻く昔の中国人の髪型というのは辮髪と呼ばれ、元々は現中国で絶対的大多数を誇る漢民族の風習ではなく漢民族を従えて清代に中国全土を支配した満州族の風習でした。元々の漢民族の髪型は孔子や三国志の画に描かれているようないかにも文人っぽい髪型なのですが、清代においては満州族に従属する証として辮髪が普及して近代にまで続いたため、うちの親父みたいにあの髪型は中国古来の伝統的髪型と勘違いしている人も少なくないでしょう。

 この辮髪の例に限らず、現在の中国という国の文化というのは漢民族が元々持っていた文化に他民族の文化がいろんな面で激しく混在した形跡を持っております。辮髪のほかにもいくつか例を出すなら一部の日本男性にはたまらないチャイナドレス(中国語では「旗袍」)も、名前こそ「チャイナ」と冠して今では中国人女性が世界へその魅力を発信させるのに欠かせない道具なのですがこれも元々は満州族の民族衣装で、多分清代以前にはほとんど着られていなかった衣装です。また中国料理の「火鍋」という辛い鍋物料理も現モンゴル共和国を構成する蒙古族の伝統的食事で、元代に入ってから中国で食べられるようになったと言われております。

 何故この様に中国文化は多数の文化が融合したかのようなごった煮な様相を持つようになったのかと言うと、勘のいい人なら分かると思いますがこれまでに中国が何度も少数の異民族によって征服された経験があるからでしょう。古くは三国時代後の五胡十六国時代、そして10世紀の宋代の後にモンゴル民族によって打ち立てられた元代、そして明代の後に今度は満州族による清代と、細かいのを除いて大まかなだけでもざっとこんなもんで、特に元と清の時代に中国に与えた影響は計り知れず、21世紀に入った現代においてすらも先ほどに挙げた例のように様々な場所でその時に植え込まれた文化を見ることが出来ます。

 この様な中国文化の様相について元中国人で現在は大の中国嫌いの石平氏に至っては、真に伝統的な漢民族の文化というのは宋代までで、その後に蒙古民族によって征服された元代によって完全に分断されてしまい、その後の中国文化は現代に至るまでそれまでのものとは一線を画していると主張しております。実際にこの石平氏の意見に私も同感するところが多く、現代においても中国文化の最高峰とされるのは宋代の文化で、詩文に限らず陶器や磁器、絵画といった骨董品もこの時代のものが高く珍重されております。
 その上で石平氏は、この時代に中国文化に強い影響を受けてそれを守り続けた日本こそが真の中国文化の継承者で、日本人の精神性などは現在の中国人よりもずっと宋代に通じるとまで言ってくれています。

 この石平氏の最後の意見が正しいかどうかはともかくとして、確かに日本は中国が唐代であった奈良時代に遣唐使などによってもたらされた中国文化の強い影響を受け、その次の平安時代においては貴族の間で白楽天などの漢詩が持て囃されたりしました。
 しかしこの辺が私が日本人らしい、というより日本文化らしいと思うところなのですが、奈良時代にはそれこそ言われるがままに唯々諾々と中国から教わる文化を聞いていたかと思えば、次の平安時代には中国文化にはない平仮名や片仮名を日本人は勝手に作り出してしまっています。

 私はどうもこの辺りに、現代の日本人の精神性にも通じる文化的特性があるのではないかと睨んでいます。その日本人の特性というのも、一見すると素直に従順に話を聞いているように見えるのに裏では何でもかんでも自分流にアレンジしてしまうといった特性です。
 先ほどの平仮名や片仮名は漢字をベースにより日本人が使いやすいようにと生み出され、またその後の戦国時代においてはポルトガル人によって伝来した鉄砲(最近異説が唱えられていますが)を戦術的効果の高い運用法を勝手に編み出し、関ヶ原の合戦時において全世界の四分の三の鉄砲を日本が保有していたほどまでに大量生産しております。また本場の「中国料理」に対して「中華料理」と表現を変えただけでなく、中国本土ではそれほど食べられていない焼き餃子を日本人はベーシックな献立として国内に普及させてしまっています。

 よく外人の目から日本人は、「いつも何を考えているのかよくわからない」と評されますが、案外この様に言うことを素直に聞いているかと思ったら見えないところであれこれ自分流にアレンジしてしまうところが原因なのではないかとこのごろよく思います。こうした日本人の文化について敢えて名づけるとしたら、中国の「ごった煮文化」に対して「死んだふり文化」というのが私は適当だと思うわけです。


  おまけ
 チャイナドレスと並んで清代の中国女性に普及した伝統的な風習として「纏足」があります。チャイナドレス自体が旧満州地域(現中国東北部)の女性特有のスラっとした脚線美を強く見せるためのスリットが入っており、先ほどの纏足と合わせて考えるとどうも満州人は足フェチであったことが伺えます。
 では現在の中国人はそうした満州文化の影響を受けたから足フェチなのかというと、そうとは言い切れない面もあります。というのも世界初の官能小説として有名な「金瓶梅」では足に関する艶かしい描写が非常に多く、元々の漢民族も足フェチであった可能性が非常に高いです。

 このように漢民族と満州族はどちらも足フェチ同士だったわけだから、蒙古民族による元代が100年弱しか続かなかったのに対し清代は260年強も長く続けられたのではないかと邪推ながら考えております。

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