この記事はちょっと機微な問題が関わっているので、見る人によっては激しい怒りを覚えられるかもしれません。しかも私はベトナム戦争史について特に専門的に勉強したわけでもなく、そんな人間がこんな記事を書くなんておこがましい事この上もありませんが敢えて批判を覚悟で書かせていただきます。
よく日本人は中国のことを「歴史を歪曲して教えている国だ」と批判します。これについて私は文化大革命や第二次天安門事件などといった歴史的大事件を自国の若者に敢えて隠そうとする態度などから、はっきりと「その通りだと」言い切る自信があります。ついでに書くと、これは日本でもあまり研究者がいませんが戦時中の南京政府こと汪兆銘政権についても全く教えていないそうなのですが、やっている人からするとなかなか面白い範囲だそうです。
しかしそうやって中国の態度をよくないといいつつも、ひょっとしたら日本も歪曲とまでは行かずとも、敢えて教えることを避けているような歴史があるのではないかと私は前々から感じていました。その歴史的事実というのも、今回のお題となっているベトナム戦争についてです。
・ベトナム戦争(ウィキペディア)
私は1980年代前半の生まれですがこれまで公教育の範囲内で習ったベトナム戦争というのは、映画の「仁義なき戦い」ではありませんが朝鮮戦争のようなアメリカとソ連の代理戦争であって、大義もへったくれもないひどい戦争だったという具合に教えられました。また小学生の頃は環境問題の高まりとともにダイオキシンがよく槍玉に挙げられ、ダイオキシンがベトナム戦争でゲリラ掃討のためにアメリカ軍が巻いた枯葉剤に含まれていたということも合わせて教えられていました。
もちろんこれだけでもベトナム戦争がひどい戦争であったということは十分に理解できたのですが、今思うとそれはずいぶんと甘い認識だったように思えます。そんな甘い認識を一気にひっくり返したのは、大学の講師のこの一言からでした。
「僕は君らくらいの頃、日本人であるのがすごい嫌だった。なぜなら毎日沖縄からベトナムへ向かう爆撃機が飛んでいたからだ」
この講師の言葉を聞くまで、私はベトナム戦争というのはアメリカとソ連、そしてベトナム本国のみが当事者の戦争だと考えていました。しかし平和憲法下で戦後は大きく他国の戦争に関わってこなかったと信じていた日本も、間接的とは言えない位にこの戦争に関わっていたと知って慌ててこの戦争を調べることにしたのです。
このベトナム戦争は非常に複雑で一言では説明しきれない内容であるために、あまり詳しくないという方は出来れば先にリンクを貼ったウィキペディアの記事を初めから最後まで読んでもらいたいのですが、このベトナム戦争は時代的にはすでに40年近く前の戦争ではあるものの至る所で現代に強い傷跡を残した戦争であります。その中でも特に影響が強いものをいくつか項目を選んで説明すると、下記の項目が挙がってきます。
1、韓国軍の参戦
このベトナム戦争ではアメリカ側の南ベトナムを支援するために韓国から韓国軍が派遣され、戦闘行為も現地で行われました。もちろん韓国としてはアメリカの強い要求があった上での派遣だったのでしょうが、この時の派遣時に韓国軍兵士が現地の女性との間に子供をたくさん作っており、日本の中国残留孤児のようにその時の子供らの今後の処遇について未だに韓国国内では問題となっているそうです。
なおこれは仮の話ですが、憲法九条がなければ日本も軍隊を派遣していたと私は思います。
2、無差別爆撃
二次大戦下の日本での例と同じように、ベトナムにおいても米軍は無差別爆撃を実行しております。しかもそれらの爆撃機の一部は日本の沖縄から飛び立ったものであり、この点について日本人は自分らを強く卑下する必要まではないとは思いますが、知らないよりは知っているべきであると私は思います。
3、退役軍人の問題
太平洋戦争では全体の約一割程度しか実際に銃の引き金を引かなかったところ、米軍は心理学的見地から引き金を確実に引かせる訓練をベトナム戦争前より行い、この戦争では約四割が引き金を引くようになっていたそうです。しかしその反動というべきか、ベトナム戦争後の退役軍人の中には精神に異常をきたす者も多く、また枯葉剤の毒を受けて発ガンした兵士もたくさんいたそうです。
4、戦後の中国軍の侵略
ベトナム戦争後、何故か中華人民共和国が「制裁」と称してベトナムに対し侵略を行ってきました。しかし世界最強のアメリカ軍を追い返しただけあってベトナム軍は圧倒的に強く、散々に中国軍を叩いた上に撃退して見せました。この敗戦から中国は軍事計画を大きく見直すとともに、ウイグル、チベットといった地域を次々と自国に併呑していった領土拡張政策も見直しております。
上記の項目は私がベトナム戦争について調べるまで全く知らなかった事実ばかりです。これらの事実を知った時にはショックを受けたとともに、何故今まで誰も教えてくれなかったのだろうという気持ちが沸き起こりました。これは邪推かもしれませんが、私はどうも公教育では敢えてここまで踏み込んで教えようとはしていなかったのではないかという気がします。内容的には現代にも連なる非常に重要な価値のある歴史でも、日本はやはり同盟国のアメリカに気兼ねしているのではないかと、考えすぎかもしれませんがこのところ折に触れてそう思います。
もちろんまだ時代が浅い上に、非常に複雑な範囲であるためにあまり取り扱われないというのも理解できます。しかしそれを推しても、私はこのベトナム戦争こそ日本の中高生には勉強してもらいたいし、私のようにこれまであまり学んでこなかった世代には是非とも父母から当時の話を聞いてもらいたいです。
2 件のコメント:
昨日は、8月6日でした。日本人のみならず人類が忘れてはならない原爆の日です。毎年、この時期になると各テレビ局が原爆の悲惨さについての特集番組を組んだりして、私も目にしたりします。NEWSZEROでの、広島市内各所には慰霊碑があるらしいんですが、ある女性は90歳にもなって毎日、自分の足で歩いて、各慰霊碑に水をかけるという行為を行っているそうです。その理由として、自らが被爆した際に、熱線に焼かれてもう助からない被爆者の方が、「水をくれー、水をくれー」と頼むのですが、水をあげようとしたら、男性が「水は新型爆弾によって全部汚染されているからいけん。水をやってその人が死んだら、あんたが殺したことになる」と言われ、水を飲ませてあげることができなかったそうです。その女性は、そのことがずっと心に引っかかっていて、罪悪感さえ感じていたようです。その償いのために、自費でペットボトルの水を買い、先に述べた行為を続けていらっしゃるそうです。 私は、心を打たれました。 子供の頃、【はだしのげん】を読みました。衝撃でした。被爆の際のあの地獄絵図は、忘れることができません。その後に続くげんの苦労、妹、そして母の死、何度も涙しました。原爆の恐ろしさは、その破壊力のみならず、放射能の人体に与える影響です。放射能は人間のDNA、染色体に異常をうながし、それによって癌に代表される様々な病気をひきおこします。しかも、それは、子孫にも受け継がれていくんですね。一瞬の苦しみだけではなく、被爆者の方は一生、その恐怖にもおびえなくてはならない。また、火傷のあとなどによる差別もあります。 本当に原爆さえなければ、原爆さえなければと悔しい思いだと思います。 昨日、ニュースを見ていましたら、アメリカ人に日本における原爆投下は正しかったか、否かというアンケートを取った結果、6割の人が正しいと答え2割が間違っていたと答えたそうです。そうか、これがアメリカの人の考えなのかと私には意外な結果でした。その結果の一因として、アメリカ人の愛国心があげられ、また、花園さんがこちらの記事で述べられたようにアメリカの人達も、教育の現場において、原爆について多くを学んでいないのではと推察しました。【はだしのげん】の全巻英訳が、戦後64年経った今、やっと完成したという事実もそれを裏付けるものかもしれません。 また、旧ソ連、現カザフスタンのセミバラチンスク核実験場での死の灰による被爆の実態も初めて知り、被爆者は広島、長崎だけではなく、戦後も増え続けていたんだと認識を新たにしました。 先に、アメリカ大統領のオバマ氏が核兵器廃絶を目指すことを表明しましたが、これを大きなきっかけとして、核兵器廃絶の機運が盛り上がることを切に願います。 長々と拙文を失礼しました。
HOPEさん、こんな駄文にこんなにいいコメントしていただき、ありがとうございます。
カザフスタンの核実験場の話はもしかして昨日に放映されたNHKの番組でお知りになられたのでしょうか? 実は私もその番組を見てこの事実を知り、核爆弾が直接的に使用されなくともたくさんの被爆者を生んでいたという事実に心を痛めました。
もっともそれを言えば、ビキニ水爆事件の第五福竜丸の例も考えるたびに涙が出てきます。
私も本格的に原爆の惨状を知るきっかけとなったのは「はだしのゲン」からでした。原爆というのは内容が内容ゆえに、教える側も教わる側もなにかしら一定の壁みたいなものを作ってやらなければいけない範囲で、「教育」で知る以上に被爆者たちの直接の声を聞くことが最大の手がかりになるような気がします。
日本国内ですらこんな有様なのですから、自国民に明確な被爆者のいないアメリカではその恐ろしさをきちんと理解しているとは言い難く、それゆえに六割のアメリカ人が肯定したのだと私も思います。だからといってアメリカ人を非難するのではなく、被爆国だからこそ日本が世界に強く核兵器廃絶を私も訴えて、理解を広めていくべきだと思います。
折角なので、この辺のくだりはまた別の記事に書かせていただきますね。
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