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2009年8月19日水曜日

私選、三国志名場面トップ3

 折角中国旅行から帰ってくるのだから中国っぽいものを書こうと、実は旅行中に三国志の名場面を自分なりに選んでみようとあれこれ考えておりました。そういうわけで細かい御託はいらないのでとっとと始めましょう。まずは第三位からです。

  第三位 漢中攻防戦
 劉備率いる軍団が念願の蜀を手に入れた頃、仇敵の曹操はその蜀の喉元ともいえる戦略的価値の高い漢中を攻略しました。これに対し新生蜀軍も脅威を覚え、双方ともに非常にはっきりとした戦略的目的を持って始まったのがこの漢中攻防戦です。

 この漢中攻防戦の何がいいのかといえば、諸葛亮の目論見どおりに魏呉蜀の三国が見事鼎立して主たる武将がすべて出揃い、そして劉備と曹操という主役二人ががっぷり四つに組んで戦う点にあると思います。蜀軍には関羽を除く五虎大将がすべて出揃い、片や魏軍は夏侯淳と夏侯淵の加え徐晃や張郃など大物が集まり、謀将も法正や程昱とまさに三国志オールスターとも言うべき人物らが参戦しているのも見逃せません。
 最終的に魏軍はこの合戦に敗北しますが、恐らく三国志が最も盛り上がるのは赤壁の戦いを除くとこの場面だと考え、今回三位に選びました。


  第二位 呂布の死
 三国志の前半の主人公が曹操だというのなら、敵役は誰かというとそれはやはりこの呂布でしょう。
 数多の猛将が登場する三国志においてもその単騎での武力は物語中最強と謳われる一方、従属する傍からその図抜けた腕力で次々と主を裏切り、最後には部下の裏切りによって捕縛されるこの呂布の結末というのは三国志において屈指の波乱ぶりと言えます。
 その呂布が処刑間際に曹操に対し命乞いをした際、曹操に意見を求められた劉備が答えたのが次のセリフです。

「呂布は養父丁原に仕えた後、董卓に仕えました」

 この二人の呂布の元主君はどちらも呂布によって殺害されており、暗に処刑すべしという劉備からの痛烈な一言です。劉備自身も一時は匿った呂布に裏切られており、そうした背景を考慮に入れるとなかなかに含蓄の深い一言です。


  第一位 長坂破、趙雲の単騎駆け
 以前にKOEIが編集していた雑誌でのアンケートでもこの場面が一位でしたが、私もやはり三国志屈指の名場面と言ったらこの長坂破における趙雲の単騎駆けを挙げます。
 それまでは腕っ節はいいかもしれないけど関羽、張飛にはさすがに及ばないだろうという具合に描かれていた趙雲が、演義では亡き婦人より託された赤ん坊の阿斗を抱いて十万騎ともいう大軍団を縦断してのけて見事突破するこの場面によって彼の名を胸に強く刻んだ読者も多くおられるでしょう。事実その後の趙雲の活躍は三国志中において随一とも言える働き振りで、冷静沈着且つ的確なその判断と他を寄せ付けぬ圧倒的な武力は読み返すにつけ深く引き寄せられます。

 その趙雲ですが、第三位に挙げた漢中攻防戦において出城を寡兵にて守備している最中に魏の大軍が押し寄せた際も少しも慌てず、部下を隠して単騎にて城門前に立ちつくし、浮き足立った魏軍に奇襲をかけて見事に撃退しております。この時の活躍に劉備も、「(趙雲)子龍はこれ一身、胆なり」と最大級に褒め称えております。
 またこの漢中攻防戦において、実は劉備だけでなくもう一人ある人物が趙雲を見初めてこの様なセリフを述べております。

「おお、長坂破の英雄がまだ生きておったか!」

 何を隠そうこのセリフを述べたのはあの曹操です。実は曹操は長坂破の単騎駆けの際に趙雲を見つけるやいつもの悪い癖で部下にしたいと思い、兵士に矢を使わずに趙雲生け捕りにするように指示しておりました。そうした曹操の指示もあったおかげで趙雲は無事脱出できたわけですが、それから長い月日を経て趙雲を見つけた曹操の気持ちがこのセリフに強く現れているでしょう。

2 件のコメント:

サカタ さんのコメント...

 趙雲は僕も好きな武将の一人です。徐晃も好きな武将です。知将では、賈詡、荀彧、郭嘉が好きですね。 三国志の正史に触れる前は、孔明が一番だったのですが、曹操側の知将の活躍を知ってから考えが変わりました。 それにしても、曹操の陣営には人材がかなりいたことに驚かされます。

花園祐 さんのコメント...

 一見すると曹操は冷徹な人物に見られがちですが、意外と優秀な人材が彼の所に集まって最後まで忠節を尽くしている人物が多いです。もっとも荀彧のように後漢王朝を盛り立てるために曹操に協力したものの、曹操に王朝乗っ取りの野心に気づくや仲が悪くなってしまった人物もおりますが。