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2010年5月23日日曜日

社会学とは?

 よく私が自分の専門科目が社会学だと話すと、「社会学って何?」とよく聞かれます。これは何も私に限らず社会学に携わるものなら皆経験している事だと思いますが、どうも社会学は他の学問と比べて世間一般へ認知が低いようです。実際に私も大学に入学するまで社会学がどういう学問なのか全くと言っていい程認知しておらず、取り扱う分野が他の学問より広そうだという考えだけで選択しました。ちなみに後で聞いたら知り合いの中国人もそうだったようです。

 そんな社会学の定義は曖昧な学問分野ということもあって答える人によって違うでしょうが、敢えて私なりの定義を言うと、「集団人格の心理や行動を主な対象として研究する学問」、といったところです。

 もう少しこの定義を掘り下げて説明すると、まず前提として「人間は集団となると別の人格を持つ」という考え方が社会学にはあります。
 簡単な例を挙げると、人間というのは一人だったらまずしないような行動を集団になるとどんどんとやってしまうことがあります。例えば野球場でのチームへの応援も自分一人だけなら太鼓叩いて応援するような人となると殆んどいないでしょうが、これが十人、百人単位のファンクラブであれば周りの目も気にせず意気揚々と行えてしまいます。同様に小中学校でのいたずらも、自分一人では行わないようなくだらない行為でも複数人で計画するのであれば実行する確率は一気に跳ね上がります。

 我々社会学一派はこのように、人間というのは集団となると個人とは別の人格を持つと前提しております。たとえばAさんという人がいて、この人はこの人なりの人格を持っていますが、Aさんが加入している団体においてはAさんを含めた構成員全員が持つ個々の人格とは異なる、その団体の人格というものがあるというような感じです。
 唯一例外があるとしたら、社長の気分次第でどうにでも決定が覆るワンマン企業くらいなもので、そのような集団の人格は限りなく社長個人の人格と同一なものとみなします。

 このような個人から独立した、集団の人格を主な対象としてあれこれ研究するのが社会学なのですが、見方によっては心理学の中の「集団心理学」なのではないかと思われる人もいるかと思います。実際に社会学と集団心理学の区別はつき辛く、社会学のテキストには社会学者として書かれている研究者が心理学のテキストでは心理学者という肩書きに変わって載っている事も多いですし、ぶっちゃけ勉強する人物は集団心理学とかなりダブります。レオン・フェスティンガーなんてその典型だし。
 さすがに社会学ではフロイトやユングといった心理学の大家は取り扱いませんし、心理学もエミール・デュルケイムは取り上げないでしょうが、近現代の研究者だとまるで綱引きをするが如くに奪い合っているような状態です。

 敢えて私独自の社会学と集団心理学の違いを説明させてもらうならば、やっぱりアプローチの仕方が両者で異なっているのではないかという気がします。
 これは私の体験ですが、以前に日本の自殺について調べている際、97年から98年にかけて自殺者数が約23,000人から約31,000人(統計によって多少前後するが)に増加していることに気がつきました。このデータを見た私は咄嗟に、「この一年で新たに現れた8,000人の自殺者というのはどういう人物群なのだろうか」と考えました。

 多分、というより普通こんなデータを見たら、「どうして8,000人も自殺者が増えたのだろうと」考えると思うのですが、私は初見でいきなり、「98年の自殺者31,000人のうち前年度と同じ数の23,000人は従来からの原因で自殺したとして、増加した8,000人はこの一年のなにかしらの変化によって新たに現れた自殺者なのだろう」と考えました。前者が自殺者が増えたと考えるのに対し、後者は自殺者が新たに現れたというようなアプローチですが、私は意図せずに後者のような考え方をするのがスタンダードとなっております。実際には98年から自殺者のカウント方法が変わった事が原因だと言われておりますが。

 勝手な当て推量で語って申し訳ないのですが、集団心理学は個々の人格が合わさって集団という一つの人格が出来上がるというアプローチを採るのに対して、社会学は一定数の人間が集まると個々の人格が全く無視されて新たに、独立した集団という一つの人格が出来上がるように考えている気がします。極端な例を挙げると、家庭では皆良き父親であったナチスの幹部らがユダヤ人虐殺を主導していたといったように。

 最近書こうと思う内容、並びに今日も起こった頭痛が頻発しているのでしばらく社会学関係を中心に書いてこうと思います。このところ本気で自分の健康に不安感じているので、いい突破口になればと願います(;´Д`)

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