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2015年5月5日火曜日

昭和天皇崩御時の社会の反応

 今でこそ「激動の昭和」というフレーズは世の中に定着しておりますが、この言葉が出来上がったのは昭和が終わり平成となった直後で、昭和天皇の崩御に合わせて放映された昭和を振り返る番組の中で何とも連呼されて定着したと聞きます。
 昭和天皇とくれば日本人なら誰もが知っており、また誰もが歴代天皇の中でも特別な存在だと認識している天皇だと思います。その崩御当時はメディアなどが発達していたこともありますが全国で大きく取り扱わられたと言われているものの、私自身は当時まだ幼児だったため全く記憶がないというのが本音のところです。
 つい最近、この昭和天皇崩御時の社会の様子についてある証言者から詳しく話を聞く機会があり、なかなかに興味深かったので今日はこの話を紹介することとします。

 昭和天皇の崩御時についてこれまでに私が伝聞で聞いた内容としては、追悼番組が延々と流れ続けたためレンタルビデオ店が繁盛したとか、崩御翌日の新聞朝刊どれも一面で崩御を伝える中で東スポだけが「ブッチャー流血」を一面見出しにしていたなど、どちらかといえばマクロな話ばかりで当時の人たちはどのような反応をしていたのかミクロな視点での話しはほとんど聞いたことがありませんでした。特に気になっていたのは当時の一般社会はどうだったのか、企業などはどのような反応をしていたのか、こういった点について実は前から話を聞いてみたいと考えていたわけです。

 その証言者は崩御当時、というより前日から仕事が忙しく、会社に泊まり込んで仕事を続けていたそうです。夜が明けた早朝に仕事がひと段落したので社内で仮眠を取ろうとしていたところ、会社ビルの警備員から昭和天皇が崩御したとここで第一報を受け取ったそうです。
 崩御の第一報を受け取った証言者が何をしたのかというと、まずは同じ会社の人間へ崩御の事実を電話で伝え回ったそうです。証言者は昔も今も広告業界で働いており、あらかじめ崩御した際には各スポンサーのテレビCMを自粛する方針で決まっており、関係する人間同士でテレビ局やスポンサーに対して連絡する手筈となっていたとのことです。なお崩御の日については内々に「Xデー」と呼んでおり、CM放送自粛も既に段取りが決まっていたため感覚的には、「用意されたボタンを押すようなもので大きな混乱というものはほとんどなかった」と話しています。

 では証言者の周り以外ではどんな反応だったかと聞いたところ、よそも大体似たようなもので、そもそも崩御した1月7日の一ヶ月前に当たる年末からXデーは近いと目されており、どこも準備を万端にして整えていたため企業業務では大きな混乱はどこもなかったという見解を示しました。ただXデーがあらかじめ予想されていたためか、この年の正月は例年と違って非常に淡白な正月で、テレビ番組なども殊更におめでたいとは言わずバカ騒ぎするような番組もなかったそうです。

 そのほかに何かエピソードはないのかと続けて尋ねたところ、証言者が当時担当していたスポンサー企業からお悔やみ文をもらったことがあったという話が飛び出してきました。そのお悔やみ文は非常に体裁の整った古文のようなお悔やみ文だったそうで、来るXデーの際にはプレスリリースのような形で発表するよう指示を受けていたそうですが、その際にXデーの前にはお悔やみ文の存在を絶対に外に洩らさないよう要求されていたそうです。というのも、まだ崩御していない段階でこのような文章を作っていたとなると体裁が悪く、批判を受けかねないと考えたためだったそうですが、結局このお悔やみ文は日程の都合から使われることはなかったそうです。

 その次に、崩御後の日本経済はどうだったのかと尋ねました。東日本大震災では震災後に自粛ムードが広がり国内はおろか上海の日本食店すらも売り上げが落ちるほどだったので、それほどの自粛ムードなら陰りが見えたのではと想像したのですが、これに関して証言者は「影響はほとんどなかった」と否定しました。当時は末期とはいえまだバブルの最中で、また各企業で電子システムを導入するなどIT化の波が広がるなど投資も盛んで、テレビ番組では自粛が広がったものの実体経済自体は好調のまま推移していたとのことです。

 大体ここまでくればわかると思いますがこの証言者というのはうちの親父です。案外こういう小さな個人の視点での現代史記録は残されていないもので、1995年以降であれば私も多少は世の中わかるようになって自分の記憶で書けますが、それ以前となると年齢が上の人間に頼らざるを得ず、思わぬところで親父の話が聞いてて参考になりました。
 私は昭和59年(鼠年)の生まれですが、昭和という時代には全くと言って記憶がありません。たまに自分らの世代のことを「昭和ラストエイジ」と呼んだりすることもありますが、実質的には私は平成の時代の人間です。だからこそってわけじゃないですが、なるべく昭和から平成にかけてのこう言った証言は自分の生きてる間に後世へ残せるような証言を残しておきたいとも思えます。

4 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

崩御直前の事になりますが、ニュースでは毎日昭和天皇の様態を報道していました。 それも体調が悪い
といった大まかなことだけではなく 血圧や心拍数、呼吸数まで報道していました。
当時は子供だったので、毎日の呼吸の数まで調べられるのは大変だな と思っていましたよ

花園祐 さんのコメント...

 また貴重な当時の情報を教えていただきありがとうございます。
 うちのおとんも言ってましたが、体中の血液を何度も入れ替えるなど実際にはかなり無理な延命措置を行って崩御日を混乱の少ない日になるよう調整していた節があったそうです。その過程で細かくバイタル数値を公表されていたというのですから、つくづく天皇の仕事は最後まで大変だという気がします。

上海忍者 さんのコメント...

天皇と皇帝の違いは何でしょうか?

花園祐 さんのコメント...

 一番大きいのは軍の指揮権を持つか持たないか。日本の天皇は明治から昭和を除けば軍事力を一貫して持たなかったから、これだけ長く続いたんだよ。