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2018年8月20日月曜日

江戸時代の終了時点はどこか

 私がまだ「バロック~歪んだ妄想」というゲームを遊んでいた頃(他にも遊んだ人っているのかな?)、鎌倉幕府の成立年代はまだ1192年でした。これは源頼朝が征夷大将軍に任命された年ですが、近年は平家を追討した段階で支配体制が固まったと判断されたことから壇ノ浦の戦いがあった1185年に改められたそうです。
 このように、具体的な事件とかならともかく支配体制というか時代の区分については各時代の判断によるというか、何をもってどう判断するかで一方的に決まるためやや曖昧さを持っています。江戸時代に関しても同様で、現在ではまだ徳川家康の征夷大将軍就任のあった1603年を開始年とする声が強いように見えますが、もうしばらくしたら関ヶ原の合戦のあった1600年に改められるかもしれません。どちらにしろ、江戸時代の開始年はこのどちらかであることには間違いないでしょう。

 一方、江戸時代の終了年はいつになるのかについては現在においてもやや曖昧なまま棚上げされています。候補をいくつか書き出すと、

・1867年 大政奉還
・1868年 江戸城無血開城、徳川家追放
・1869年 函館開城(戊辰戦争終結)
・1871年 廃藩置県

 最後の廃藩置県はちょっとおふざけで自分が入れたものですが、幕藩体制の完全なる崩壊と武家社会の終結という意味ではあながち暴論というわけではないと考えています。まぁ候補としては弱いですが。
 以上の候補のうち最も有力且つ一般的なのは2番目の1868年です。西郷、勝会談によって徳川宗家の政権からの追放と江戸城無血開城がなった年で、旧勢力の棟梁たる徳川家が降りたことから徳川時代の終了という意味では確かに最も適切と言えるでしょう。

 しかし、敢えて私がこの中で「江戸時代の終わった年」として推したいのは、既に元号も改められ明治二年となった1869年の函館戦争終了時点です。何故この年にしたいのかというと、この戦争に参加していた新選組副局長であった土方歳三が五稜郭陥落の直前にて戦死しており、彼の死をもって江戸時代が終わったことにしたいからです

 別に私自身は新選組フリークというわけではないのですが、この土方の死については時代を重ねていろいろ思うところがあります。平民の出で武士に憧れ、恐らく日本史上最強の人斬り集団を率い、念願かなって武士になったのは武士の時代が終わろうとする時だったというこの皮肉な時代のめぐりが、新選組というより土方歳三を大きく彩っているように考えています。また皮肉なことに彼自身も武士の時代が終わるということを自覚していたのか新選組内でも西洋式調練に積極的であったとされ、他のものに先駆けて洋装を始めたとも伝えられます。
 そうでありながら、戊辰戦争において彼が指揮した戦闘は武士そのものな斬りかかり戦法だったとされ、実際に斬り合いになると土方の部隊は非常に強かったと言われており、皮肉を通り越したようなそのアンバランスさ、まさに濁ったような時代の分かれ目を象徴しているかにも見えます。そして彼の死を待っていたかのように五稜郭は陥落しており、土方の生き方と死に方がまさに江戸時代が終わるということを体現している気がします。

 勝海舟だったかちょっと忘れましたがこの函館戦争で五稜郭川の主将であった榎本武明について、「もし函館で戦死、自刃していたら日本において古今無双の殉死者として扱われただろう」と評されていましたが、あながちこの評価は間違いではないでしょう。それだけになおさらこの戦争で死んだ土方については、、やはりもっと象徴的に扱うべきではないかと思うわけです。また家族に自分の写真を託したという死の直前のエピソードからも、土方の場合は初めから死ぬ覚悟が強かったこともうかがわれ、彼自身の江戸幕府への忠誠心がどこまであったかははっきりしないどころかやや怪しいですが、武士という概念を粉々にするまで体当たりでぶつかってきたのは私が知る限り彼以上の者はいません。

2 件のコメント:

上海熊 さんのコメント...

戊辰戦争の函館政権は短期間で潰れましたが、もし列強が十分に支援していたら「蝦夷共和国」となって内戦がさらに続いたのかな、と思いました。

花園祐 さんのコメント...

 真面目にロシアとかが介入していたら大事になっていたでしょうね。一方で、函館はこの戦争のおかげで観光地も得られ、その土地としてはメリットがあったのかもしれません。