先日、購読している「かぐや様は告らせたい」という漫画の10巻が発売されてさっそく買って読んだところ、この巻から四条真紀というキャラクターが登場してきました。このキャラはそれまでも、セリフこそないものの背景にいるモブキャラとしてはずっと出てきており、いつか本編にも出てくるだろうと言われていたところ今回満を持して出てきたわけですが、やはり長らく温存されていただけあって非常に面白いキャラでした。このキャラが出てきたのを見て私は、「ああ、この作者はとうとうジョーカー(切り札)を切ったんだな」と思うと同時に、「俺もそろそろ切るか」と考えました。
・かつて真夏の上海で日本軍と中国軍が突入した市街戦(JBpress)
こうして出来上がったのが上の記事です。決して冗談ではなく「かぐや様」読んだから上の記事を出そうと決めました。
内容はこのブログでも以前に取り上げた、第二次上海事変の解説です。何故この記事が私にとって切り札だったのかというと、
・前にブログで書いたから初めから知識があり、執筆準備が不要
・上海市内にいる日本人だったら確実に興味を持つ内容
・日本国内で取り上げられることが少なく知っている人が少ない
上記の理由から、いつでも書けてそこそこ内容があるためネタ切れで苦しい時用に取っておきました。どうでもいいですがさっきから文字変換がおかしく、「こうして」と入れたら「孔子て」、「よんだ」といれたら「四だ」とか表示されてマジむかつきます。
それで今回かぐや様に触発されて出したわけですが、今日のJBpressアクセスランキング上ではあんまり上の方に来ていません。っていうか、今日配信された記事多くね?
そうした愚痴は置いといてこの記事について少し掘り下げると、そもそも何故この第二次上海事変が日本だとあまり取り上げられないのかという点について、敢えて記事内でははっきりとした言及を避けています。実際にJBpressの鶴岡編集長もこれまで知らなかったと話していたのですが、その返信として私はこう書きました。
「この第二次上海事変に続く南京攻略戦で南京大虐殺が発生しているため、意識的に第二次上海事変も話題に挙がるのを避けようとする傾向が強い」
あまり取り上げられない理由は間違いなくこれだと私は考えています。そもそもその南京攻略戦ですが、上海防衛のために派遣した軍隊をそのまま大した準備なしに南京へ強行軍で進軍させており、そのため日本軍は食料にすら事欠く有様だったそうです。この辺りの過程を見ても、「命令違反であっても、功績を挙げればお咎めなし」という当時の軍部の気風が見て取れますが、そうした補給の追い付かない状況で兵や士官らが苛立っていたことも大虐殺の要因とする声もあります。
とはいえ、私の友人のように地元上海人からすれば現地で市街戦を起こされたわけであり、片方の当事者である日本人が認知していないというのは確かに面白くないでしょう。極端な話、沖縄戦について米国人が「何も知らない」と言ってくるような感情じゃないかと思います。
話は変わって毎度おなじみのヤフコメについてですが、内容が内容だけに予想していた通りあれこれ反発して私の人格批判も毎度ながらガンガンやられています。とはいえあまり胸に来るようなのは少なく、もっと面白いこと言ってほしいなと思う感情のが強いのですが、そうした記事内容への批判として、「中国軍」なのか「国民党軍」なのか、この表記について言及するコメントが多く来ています。
実際に記事内には「中国軍」と「国民党軍」という二つの言葉が使われているのですが、これを見て、意図的か、意図的でないかをまず疑ったのかどうか、ここがポイントでしょう。無論言うまでもなく、これは意図的な記述で、次に何故この二つの言葉を混在させたのかという理由まで推察していたらパーフェクトだったでしょう。
日本と戦った軍隊をどう呼ぶか、これを書くとき実はすごい悩みました。主に戦ったのは蒋介石率いる国民党の軍ですが、国民党の軍がすべて蒋介石傘下となるかとなると微妙で、また国民党以外の部隊も参加している可能性も高く、実際にドイツ軍関係者も蒋介石側についています。
また歴史に詳しい人間ならともかく、そうでない読者からすると「国民党軍」が何を指すのかわからない恐れがあり、下手すれば中国の軍隊ですらないと考える可能性も懸念しました。そこで敢えて「国民党軍」という言葉を先に一回見せた上で、「中国軍」というレンジが広く連想しやすい言葉を使うことにしました。
中には「この時代に中国は存在しない」等という輩もいましたが、既に蒋介石の北伐が済んでいたのと、そもそも「中華民国」自体はこれ以前に成立していたのと、国民党は孫文らの系譜を確実に引いていること、あと蒋介石ら国民党がこの前後の段階で中国の国権を代表して欧米各国と交渉しており、その後も中国を代表して日本軍と戦ったことを踏まえると、「中国軍」という表記も可能だろうという風に判断しました。
またそうした時代背景以上に、現在の中国政府がこの第二次上海事変について「中国対日本の戦争の一つ」とはっきり捉えており、「国民党と日本の私闘」とみなしていない点も考慮しました。中国側はこの第二次上海事変を国と国との戦争と捉え、また日本側も当時において中国との戦争という風にはっきり認識しており、それが「中華民国」なのか「中華人民共和国」だろうがどちらも同じ「中国」、そして「China」と表記できることをもってしても、大きく事実関係から外れることはないという風に考え、敢えて二つの軍隊名を混在させたわけです。ここまで踏まえた上で自分を批判したのかどうか、要はそこだなと見ています。
それと最初の話に戻りますが、やはりヤフコメを見ていると第二次上海事変の「前」に言及する人間が多く、やれ「通州事件について何故触れない」とかいう人がやたら多いですが、「後」に言及する人はやっぱりほとんどいません。理由は最初に述べた通りで、南京大虐殺の話に絡んでくるからでしょう。
ただやっぱり目の肥えた読者もおり、やはりこの第二次上海事変で「終わりの見えない泥沼に入り込んだのは日本の失敗だった」という内容を述べる人が見受けられます。私自身も同感で、泥沼化の大きな一歩がこの第二次上海事変だと考えており、もしここで踏みとどまっていれば無用な戦争に巻き込まれずに済んだという見方をしているだけに、同じ意見が見られてほっとしました。
このほか親類がまさにこの時の上海に従軍していたというコメントもあって、こうしたコメントが見られただけでもこの記事は出した甲斐があったでしょう。とはいえやはり近代戦争物を書くと感情論の言い合いが始まるのはあまり喜ばしくなく、この辺を今後どう封殺するか、何かいい手を考える必要もあるかもしれません。
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