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2008年7月7日月曜日

田原総一朗が評価する政治家

 昨日に引き続き、田原総一朗氏の話です。

 昨日は田原氏の講演の後、この地域の候補者であるさいとう健氏との対談時間も設けられていました。ちなみにさっきコメントにも書きましたが、国家公務員である官僚が選挙に打って出るというのは非常に覚悟のいることなのです。というのも、公務員は規定により、選挙に立候補した時点で当落にかかわらず職を辞さねばならないからです。それこそただ黙って安穏と過ごしていれば安定した生活が保障されるにもかかわらず、勝てるかどうかわからない選挙に官僚が出るというのその点だけでも評価に値すると思っています。ちなみにさいとう健氏も言っていましたが、公務員は「失業保険」には入っていないので、選挙で落選してから文字通り無収入になったらしいです。

 話は戻りますが、その対談の際にさいとう健氏から、田原氏が今までに評価した政治家というのはどんな人かという質問がありました。その質問に対してすぐに田原氏が挙げてきたのは、あの岸信介でした。
「あの安保改定の際、私も反対するデモに加わっていましたがね」
 と前置きした後、吉田茂が最初に結んだ日米安保条約というのはアメリカが日本を守る義務がなく、しかも日本側に何の相談もなく日本国内に基地を建設する権利がありました。それを岸信介は有事の際に日本を守る義務を明記させ、基地の建設においても日本と事前協議することを盛り込むなど、それまでの安保条約からすると画期的な改正を行い、今の日本の繁栄に貢献したと評価していました。
 その上で田原氏は、恐らく岸は安保改定を行った後、憲法改正も行う予定だったと言っていました。もっとも世論の強い反対の元に辞任を余儀なくされ、その孫の安倍晋三が祖父の仇とばかりに改正を図ったものの、こっちも討ち死にあったとまとめました。

 そして最期に、なぜ岸がもっとも偉大なのかで、戦前に東条内閣を倒閣させたのはほかでもなくこの岸であることを指摘しました。この事実は私も知っており、東条内閣に閣僚として岸は名を連ねていましたが、戦局の悪化と事態の打開を図るため、閣僚である自分が東条に対し、閣内不一致を脅迫材料として退陣を迫ったといいます。詳しい経過はウィキペディアでも確認できますが、東条内閣を倒した岸がその後にA級戦犯になったのはこれまた皮肉な結果でしょう。

 この岸の次に田原氏が挙げたのは、まぁ大体予想がついてましたが田中角栄氏でした。田原氏によると、田中氏は常々、「福田赳夫は30いくつもの団体に加盟している。それに対して私はたった二つの団体しかない。新潟県人会と、小学校の同窓会だけだ」と言っていたらしく、楽しそうに話していました。

 そして最期に挙げた三人目の政治家は中曽根康弘氏でした。
「今にして思うと、彼は国鉄、電電公社、日本専売公社(今のJT)という、非常に壁の厚い組織の民営化をよくやった」と言い、その手腕と現在のサービスのよくなったJRを誉めるとともに、中曽根氏の行った靖国神社参拝について言及しました。
 なんでも、中曽根氏は靖国参拝を行う前に、あらかじめ中国政府に打診したようなのです。その時の返事は、「我々は靖国参拝を肯定はしないが、否定もしない」という返事だったので、それを確認してから中曽根氏は参拝したものの、予想以上に中国国内で中国国民が反発したせいで中国政府としても非難声明を発表せざるを得なくなったらしいのです。それに対して中曽根氏は、この例を前例として今後は控えるべきだとぴたりと参拝をやめたらしいのですが、その判断の切り替えは早くて正しかったと田原氏は評価しました。逆に、中国に内緒でこそこそと参拝した小泉氏には辛口でしたけど。

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