もう三日も続けて田原総一朗氏の講演内容をやっていますが、多分今日当たりが最期の話で、一日目に話した内容の復習です。
田原氏は、高度経済成長の頃は日本が得た利益を如何に分配するかが主な政治課題で、そのために「バラ撒き財政」の仕方に長けた人間ほど政治家の資質があった時代と評した上で、もうあの頃以上に成長が望めない、それどころか少子化のため逆に経済力が下がる可能性の方が高い現代では、誰がどれだけ社会の負担を抱えるか、「負担分配」を考えなければならない時代だと述べました。
その上で年々上がる社会保障や取り沙汰される消費税の増税議論についても、しっかりと国民を含めて考えねばならないとし、今の政治家にはその負担の分配理由をきちんと説明できる資質が問われると断言しました。
この田原氏の意見について、私も基本的に同意見です。それこそ消費税が二桁に増税するとしても、結果的に今の子供たちの世代の負担が軽くなるというのなら、甘んじて高い税金を受けるつもりです。しかし現状では上げた分の税金が効率的に使われる可能性が低いため、ただ財政難だから税金を上げるという理由だけでは賛成しかねる立場です。テレビなどでも多くのコメンテーターが述べてますが、税金を上げる前にすることがある、つまり予算の無駄使いをまず国からやめてもらわなければとても国民の側としては承服しかねます。田原氏も、まずは国が血を流さねばならないとして、自分の見積もりとして国家公務員はあと10万人はリストラできるとまで言いました。具体的な数字は別として、社保庁の問題からしていらない公務員の首切りは今すぐにでも必要な処置だと私も感じます。
こっから別ネタになるのですが、この田原氏の話を聞いた際に思い出したのが、数ヶ月前の文芸春秋の記事でした。その記事の内容というのも、豊臣政権から徳川政権への移り変わりの話で、豊臣政権では朝鮮半島に侵攻するなど、あくまで収入を大きくするための拡張路線を採ったのに対して徳川政権では、今ある収入、要は日本国内の全石高の中で、如何に皆で耐え忍んで食っていくかを考える、持久力をもつ路線を採ったと書かれていました。江戸時代は確かに何度かの新田開発を経て石高は上昇したものの、領地という点ではほんの少しも広がりませんでした。土地がすべての資本であったあの時代、これは成長が全く見込めないも同然です。そのために徳川政権は大名や武士の身分を固定し、外国との交流を閉じるといった政策を採り、結果的に二百年以上に及ぶ長い統治に成功したのだろうと、その記事にはまとめられていました。
ここまで話せばわかると思いますが、田原氏の言う「負担分配」の時代に必要な政策モデルに当たるのが、まさにこの徳川政権の政策だと私は思いました。成長はないが、持続できる社会。それは人口抑制かもしれませんし共産制かもしれません。ですが、こういった観点で議論を行えば、何かしら新たないいアイデアも生まれるのではないかと期待しております。
2 件のコメント:
そうか。確かに徳川政権時代は不況だったみたいですよね。徳川政権時代の状況と今の現代人の状況を照らし合わせるというのは、同じ状況の比較をする点で、いい比較対象を選んでいるなと思います。僕としては、「負担分配」の政策モデルは徳川政権だという考え方は、初めて聞いたので斬新に感じるとともに、納得させられました。
しかし、こう考えると家康って我慢ばっかりしてたんだなと思います。自分が生きている間も信長、秀吉に仕えて我慢して、死んでからもみんなに我慢させる政策を考えていたなんて。
話が変わりますが、僕達の世代は悪い状況ばっかりが目につきます。バブル崩壊後の不況から始まり、格差社会は現在進行形で広がっており、さらに未来は少子化のため経済状況が悪くなるなど、なんか息の詰まる状況ばかりです。運が悪い世代だなと思います。
自分も、一時期は非常に悪い時代に生まれてきたとひがんだ時期がありました。しかし、それこそ1950~70年代生まれの人は確かに自分らより全然環境がよかったですが、1920年代辺り、水木茂氏の世代からすると、戦争がないだけでどれだけ幸福なのかと思い、考え直すに至りました。
それと田原氏も最後に明るい話として、確かにこれからの20年間は高齢者が多くなるが、そこを乗り切ったらぐっと世代バランスはよくなると指摘し、経済環境も知らず知らずのうちに、現在で日本を中心にアジアが回り、これはなかなか揺るがないと言っていました。唯一の懸念は……また明日書きます。
コメントを投稿