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2009年3月25日水曜日

私が影響を受けた偉人

 今週に入って気温が変動しているせいか、猛烈に体調を崩していて現在もあまりよくありません。昔はこうも身体が弱くなかったのですが、なんか定期的にひどく弱ることが増えてきました。先週は自転車で後輩を突き放したのになぁ。
 そういうわけで本音では満州帝国の連載を進めたいのですがそうもいかず、今日もさらりと流せる記事でごまかそうと思います。内容はずばり、私が影響を受けた偉人です。

 まず最初に言っておくと、私は一般のレベルからすると相当にケチな部類の人間に属します。お金があって欲しいものがあっても「粘ればもっと安くなる」と言っては我慢して、外食する際は一番安いメニューを頼んでいますがひどい場合には友人らと会っていても一人別れ、自宅で自炊することもザラです。極めつけは冷暖房ですが、夏場は扇風機だけで過ごし、冬場はホットカーペット、ひどい時なんかは毛布にくるまりながらゴールデンタイムのテレビを見たりしながら過ごして、結局一年を通してエアコンを一度も使わなかったこともありました。

 なんで私がそんな風にケチな子に育ったのかですが、自分で思うにどうも私が熱狂的に尊敬するようになった二人の偉人が影響しているのかと思っています。その二人の偉人はもったいぶらずに言うと、徳川吉宗と西郷隆盛です。二人とも歴史漫画から入って小学生の頃に初めて知りましたが、特に西郷隆盛は私が鹿児島生まれということもあって彼の生涯を知れば知るほど深くのめりこんでいったように思えます。徳川吉宗はまずそもそものキャラクターが面白い人ですし、それまでは織田信長とか徳川家康の活躍する戦国時代で主に戦記物のような歴史が私は好きだったのですが、戦争のない治世において如何に政治を切り盛りするのかということに対し、吉宗の話を聞いて初めて面白いと思いました。

 ここまで言えばわかると思いますが、吉宗も西郷も当時としても非常にケチ、というよりかは吝嗇な人間で有名でした。吉宗は当時の日本の最高権力者である将軍であったにもかかわらず、粗末な木綿の着物を着ては豪華な身なりの幕臣を見るとピーコのファッションチェックのようにじろじろ睨んでいただけでなく、食事も一汁一切でおかずが二品付けば喜んだというところまで食費を削っていたそうです。かといって何でもかんでも節約していただけでなく、収入を増やすために干拓事業を行い、その際に農業用水を確保するための見沼代用水の開削工事には大きな投資額をかけています。

 そして我らが西郷どんですが、この人も戊辰戦争後に筆頭参議として権力の中枢にいたのですが、ある日会議になかなか出てこないので木戸孝允が使いを送ると、
「洗濯した服がまだ乾いていない」
 と、なんと正装用の服を一着しか持っていなかったようで、慌てて木戸が自分の服を持たせて使いを向かわせたそうですが、結局会議に間に合わなかったそうです。仮に間に合ったとしても、木戸のサイズの服を西郷が着れたのか疑問ですが。

 このところちょくちょくまた西郷隆盛については調べていますが、どうもこの人は征韓論と最後の西南戦争のところばかりに注目されており、幕末期の活躍などについてはあまり日の目を浴びていないのではないかという気がしてきました。これは誰の言か忘れましたが、西郷がもしいなければ明治維新は遅れたどころか、倒幕すら難しかったのではないかという意見もあり、ちょっと再考してみる余地があるかもしれません。ちなみに、私は鹿児島生まれなのでやっぱり大久保利通は嫌いです、その功績は認めるけど。

 こんな具合に吉宗と西郷が好きだったので、私も「清貧こそが真の美徳だ」と信じ込んじゃったところがあるかもしれません。今でももし自分に許されるのならやってみたい贅沢というのも、毎日喫茶店に通ってコーヒーが飲める生活しか想像できないので、二十代でこんなんだから恐らく今後もこれ以上大きくならないと思います。ちなみに私が尊敬する水木茂氏は貧乏漫画家時代、一ヶ月に一回だけ喫茶店で飲むコーヒーが最高の贅沢だったと述べています。

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