ページ

2013年3月27日水曜日

韓国の近現代史~その六、朴正煕のクーデター

 この連載も個人的に書いてて楽しいところまでようやくたどり着いた気がします。そんな今回はある意味で今ホットというか恐らく韓国史を扱う上で最重要人物の一人である朴正煕の政治界デビューこと、5・16軍事クーデターを取り上げます。

5・16軍事クーデター(Wikipedia)

 最初に前回までのおさらいをします。前回では韓国の初代大統領、李承晩が朝鮮戦争を経た後も自身の地位保全のため選挙妨害などを行うなどしたことからデモが起こり、1960年に退陣して亡命するところまで書きました。
 李承晩の退陣後、韓国では尹潽善(ユン・ボソン)という初代ソウル市長でもある民主党最高委員が二代目韓国大統領として就任しました。ただ李承晩の後に改正された韓国の憲法では大統領にはあまり実権がなく、政権はむしろ首相であった張勉という人物が運営するような形でした。この時期の韓国政界の特徴としては、ほかの時代や国でも同じですが、共通の敵(=李承晩)を打倒した後というものは主導権争いこと内紛が起こるもので、韓国でも与党である民主党内部で激しい内紛が起こり政局は安定しませんでした。また本来協力し合わなければならない大統領の尹潽善、首相の張勉の二人の関係もしっくりと行かず、こうした状態に懸念を持つ勢力が出てきたということです。

 その懸念を持った勢力こそ、ほかの何物でもない軍部で、1961年には後に大統領となる朴正煕ら韓国陸軍士官学校8期生を中心に軍事クーデターが実行されます。
 彼ら軍部がどうしてクーデターを引き起こしたは色々な要因がありますが、Wikipediaに書かれている内容を抜粋すると以下の通りとなります。

1、自由党政権を引き継いだ民主党政権の政治的無策と党内抗争
2、民主的改革に対する民主党の曖昧な態度、経済状況悪化[2]に対する国民の不安の高まり
3、学生や革新政党を中心とする民主化運動と「行こう!北へ!来たれ!南へ!会おう板門店で!」をスローガンとした統一運動の高まりに対して軍部が危機感を抱いた。
4、分断の固定化と朝鮮戦争によって肥大化した韓国軍では軍人事が停滞し、それによって進級が進まなかった下級将校に不満が蓄積されていた。
5、不正腐敗を働いた高級軍人を追放するため下級将校によって進められた「整軍運動」が失敗し、運動の首謀者が追放されそうになっていた。

 1~3までが社会的背景で、4~5が直接的要因と書かれてあります。私個人の意見としてはやはり4番の理由こと、出世要因が最も大きいとみます。軍人というのは基本、戦争がなければ飛び抜けた実力、才能があってもなかなか出世しづらい職業です。それ故に平時は官僚同様に年紀で昇進するわけなのですが、上記にも書かれている通りに何かの拍子で軍人が余っちゃうと途端に出世が遅れ、8期生とか11期生とか、士官学校の卒業年代別で階級に大きな隔たりが生まれます。それ故に軍隊というのは世代間対立が激しい所で、戦前の日本で起こった皇道派、統制派の対立も突き詰めると世代間対立が原因で、最終的に二二六事件にまで発展したことを考えるとこのクーデターもそう言った対立の延長かなと思ってしまいます。

 話はクーデターに戻り、当時少将だった朴正煕を中心とした8期生の将校らはデモ鎮圧を口実に出動し、そのまま国会やテレビ局といった国家の主要施設の占拠に成功します。驚くべきはこの時のクーデター実行部隊兵数で、わずか5000人にも満たない兵力だったそうです。
 何故それだけの兵力で国盗りが見事に成功できたのかというと、一つにソウルの主要施設をすぐに占領できたことと、軍部の長老の懐柔にうまく成功できたという二点が挙がります。後者の軍長老の懐柔ですが、要するに身の安全や今後の保証を約束した上でクーデターの正当性を認めさせたということなのですが、実際にはこの約束は反故にされてクーデターの成功後、軍の長老らはみんな放逐されております。

 また成功要因としてもう一つ、権力保持側である政権がほとんど抵抗する姿勢をみせなかったということもあります。クーデター開始後、時の首相の張勉は女子修道院に隠れ姿を見せず、大統領の尹潽善もクーデター実行部隊側の要求を聞き入れて非常戒厳令を追認しております。こうした二者の行動に対して批判する声もありますが、当事者としては命にかかわる事態だっただけに私としては批判する気はありません。

 こうして権力を握った朴正煕は国家再建最高会議を組織し、自らが議長に就任。反対デモなどを武力で抑えて軍政を展開します。こうした事態に対して米国こと在韓米軍は、クーデター直後は尹潽善にクーデター軍鎮圧のため軍隊を出すべきだと進言しますが内乱を過熱化させるとして尹潽善は拒否します。そうこうしているうちに米本国は、当時はケネディ政権でしたが朴正煕政権を追認し、朴正煕もこれに応じる形で訪米を果たしております。
 この時の米国の追認ですが、背景にあったのはベトナム戦争だと私は考えています。既に米国はベトナムへの干渉を行ったものの事態は泥沼化を辿っており、下手に手を突っ込んでグダグダになるくらいなら、政権移行がスムースに行くようであれば追認してしまおうと考えたのではないかと思います。どうでもいいですが、日本ではケネディはベトナムからの撤退を準備していたという神話が流れておりますが、ベトナムを泥沼化に追い込んだのはほかならぬケネディでしょう。

 そういうわけで次回は、軍事政権を経て大統領に就任した朴正煕の施政を解説していきます。

2 件のコメント:

上海忍者 さんのコメント...

No comment...

花園祐 さんのコメント...

 コメントないなら書かないで。「最新のコメント欄」は5件しか表示されないんだから。