2013年3月24日日曜日

韓国の近現代史~その五、李承晩

 このところテンションの上がらない状態が続いておりますが連載再開です。自分でもメンタル弱いのかなとか思ったりしますが、別の見方をすれば今の状態でもブログ更新続けてるのだからもしかしたらタフな方かもしれません。それにしても、ああしんど……。

李承晩(Wikipedia) 

 今日取り上げるのは韓国の初代大統領の李承晩(イ・スンマン)です。彼の来歴を王と共に健康書記の韓国の動きを解説します。

 李承晩は朝鮮半島が日本の植民地だった頃からアメリカに渡って独立運動をしており、1919年に上海市で大韓民国臨時政府が結成されるとこの機関の大統領に就任しております。
 もう少しこの臨時政府について説明すると、要するに日本統治下の韓国の政府機能を認めず、こっちが本流だとばかりに作られた仮の政府です。二次大戦中の仏亡命政府と比べるとあまり国際的な承認を得られませんでしたが、この時の臨時政府跡は今でも上海市、それも観光地である新天地という場所の近くにあって行くつもりはないのしょっちゅう目の前を通っておりました。

 このように独立運動を続けていた李承晩たちでしたが、最終的には日本が二次大戦で敗戦し朝鮮半島の南半分を占領した米国によって与えられる形で独立を回復します。それまで海外で活動していた李承晩達も帰国して政府の設立準備を始めますが、その他多くの国同様に指導者間で徐々に主導権争いが活発化していきました。
 この主導権争いで李承晩は、左派と右派を統合した幅広い政権作りを考えていた呂運亨に対し、米国が望む左派の徹底的弾圧を掲げたことによって米国の支援を受けるようになり、徐々に主流派となっていきました。こうした中で1948年に行われた第一回総選挙では様々な選挙干渉を行った上で李承晩率いる韓民党は勝利し、李承晩も初代大統領に選出されることとなりました。

 ここまで見れば混乱期に紛れうまいこと大統領になれたというサクセスストーリーですが、先に私の評価を言ってしまうと、李承晩は韓国の内政にはあまり興味がなくどちらかといえば自身の権勢を大きくすることばかりに腐心した節があり、それがため現在の彼への評価もそれほど高くありません。
 そうした姿勢は大統領就任当初からもう見え始めており、李承晩は大統領に強い権限を持たせる大統領制を強く主張したのに対し与党の韓民党は議院内閣制を主張し、議会と激しく対立するようになります。こうして国内の政治闘争に明け暮れていた1950年には北朝鮮が南進して朝鮮戦争が開戦するのですが、この間も米国の方針に逆らって勝手に捕虜の処置を決めたり、休戦条約への署名を拒否したりと、一言で言えば国家元首として如何なものかと思う駄々っ子ぶりを発揮しております。面倒くさいのでここではやりませんが、現在の竹島問題に連なる「李承晩ライン」を引いたのも朝鮮戦争中です。

 そんなかんだで1953年に朝鮮戦争が休戦し、翌1954年は李承晩の大統領任期を迎えます。当時の憲法では大統領は二期までとなっており李承晩は強制的に退任させられるはずだったのですが、「初代大統領に限って三選禁止規定を撤廃する」という自分にだけ都合のいい改憲案を突然出してきました。この改憲案は改憲に必要な3分の2に当たる135票まで1票足らずで否決されるのですが、「四捨五入を用いれば135票であり、改憲に必要な3分の2を超えている」として、ジャイアンもびっくりな思考転換を図って無理矢理可決させてしまい、そのまま大統領の座に居座り続けました。
 もうこの頃には韓国国民も李承晩に対してほとんど支持してなかったようですが、選挙の度に露骨な妨害工作を行い、政敵だった曺奉岩に対してはあらぬ罪を着せて処刑までかますというなりふり構わない手段をとるようになってきました。現在に至っても李承晩の枕詞に「独裁者」とつくのはこうした所以でしょう。

 ただそんな李承晩にも終わりの時が迫ります。1960年の大統領選挙でも再選を目指していつものように選挙工作を行っていたところ、慶尚南道馬山で反李承晩デモが起こりました。この際に行方不明となった高校生が遺体で発見されたことによってデモは瞬く間に全国へ拡大。ソウルでは186人の死者が出るほどの大混乱となったそうです。
 こうした状況を見て事実上、李承晩の後ろ盾だった米国も態度を一変。経済支援の打ち切りまで示唆されたことから、「行政からは手を引くが、元首は続ける」と譲歩する姿勢をみせましたがさすがに韓国の人ももうこの人を信用してなかったのか、完全退陣を求めデモはますます拡大していきました。

 事ここに至り、ようやくというかやっと李承晩も大統領職の辞任を発表します。辞任発表から約一ヶ月後、韓国にはとどまらず夫人と共にハワイへ亡命し、そのまま韓国には戻らず5年後に90歳で死去しました。

 先にも書いておりますが、彼の統治を見る限りどうも国を豊かにしようとかそういう情熱はあまり感じません。実際、1950年代の韓国は朝鮮戦争の影響もありますが世界の最貧国の一つで1960年代の朴正煕政権時に大幅な経済成長を果たしたことと比べるとあまりにも政治が悪すぎるとしか言いようがありません。
 にもかかわらず李承晩が政権の座に就き続けられたのは米国の後ろ盾があったからでしょうが、米国ももうちょっとマシな人物を選べよと心底思います。わかる人だけわかってくれればいいですが、李承晩はゴ・ディン・ジエムと違ってCIAに暗殺されなかっただけマシだなと皮肉っぽく感じます。

2 件のコメント:

  1. キミは韓国に相当興味を持っているが、韓国語を話せますか?

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    1.  韓国語は無理。中国だけで勘弁して。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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