・東海道新幹線火災 安全神話に激震…「死ぬかと思った」車内パニック(産経新聞)
なんか日本では今日起きた新幹線内の火災というか焼身自殺事件が大きく話題となっているそうですが、上記の産経新聞の記事見出しは一見して強い違和感を覚えました。なんで焼身自殺された事件なのに「安全神話に激震」と書くのか、新幹線の安全とこれは無関係だろと呆れて物が言えません。これじゃ新幹線内で心臓発作起こしても「安全神話が……」と言うのかよと思うにつけ、この記事書いた記者とそれを通した編集部は単なるアホでしょう。
もっとも友人に言わせれば、「日本の神話は八百万に通じているんだよ」とのことで、日本ならではの価値観でこんな見出しつけたのかもしれませんが。
そんなわけで本題に移りますが、かつて日本の歴史業界で最も主要かつ大きな論争となった話題とくれば他の何を差し置いても「邪馬台国論争」でしたが、こちらは最近の発掘で近畿説が有力となってきてからは幾分熱が冷めてきた感があります。これ以前となると「日本民族騎馬民族説」なども一時期はブームになりましたが、最近ではどんな歴史ネタで論争になっているのか、いくつか自分の知っている範囲内で今日は紹介しようと思います。
1、源頼朝の死因
鎌倉幕府開祖で武家政権発足において最重要人物と言ってもよい源頼朝ですが、実はその死因についてははっきりせず、鎌倉幕府が編纂した歴史書の「吾妻鏡」においてすらも「いついつに死去した」としか書かれておらず、その死因を巡ってはいくつかの説が出てそれほど大きいとは言えませんが論争になっています。
主な死因の仮説として、「京都から鎌倉へ戻る途中に落馬した」、「ある家へ夜這いに忍び入った所、警備の物に手打ちにされた」、「何者かの仇討ちを受けた」など出ていますが、どれも確たる証拠もなく状況に合わせて作られたオリジナルストーリーばかりと言っても過言じゃありません。ただ唯一間違いない点として、頼朝の死は急死であって幕府関係者を相当慌てさせたことは想像できます。
なおどうでもいいですが先日見たツイッターにあったお話で、ある女子高生が胸元を強調して色目振りまく気に入らない同級生のことを「胸元の寄り友」とあだ名していたという話を、これかきながら思い出しました。
2、乃木大将は名将か愚将か
これは古くからある論争で規模もそこそこでかいものですが、日露戦争の203高地を巡る戦いで陸軍を指揮した乃木大将は大量の犠牲を生みながらも最終的にこの拠点を落としたことについて、彼の指揮は正しかったのかどうかという論争です。正直に言って私は愚将説の立場を取るのですが、この愚将説を唱えた著名な人物として作家の司馬遼太郎がおり、むしろ彼の小説によってこの論争は拡大した節もあります。
ただ愚将ではないかと思う一方、今村均は生前に司馬遼太郎に対して乃木大将は無能ではないと反論しており、あの今村均が言うのだったら……という思いもあり、最近ちょっとこの問題について私の中で意見が揺れています。
3、西郷隆盛は征韓論に賛成だったのか、反対だったのか
西郷隆盛自体が歴史学で扱うとしたら案外難しい人物であるのですが、彼が明治政府を下野することとなったいわゆる征韓論について、本気で武力を使ってでも朝鮮を開国させようとしたのか、それとも自分が特使として派遣されることで政府内の強硬派を抑えようとしたのか、この点でもって意見が分かれています。
私としては後者ではないかと考えており、というのもいくら当時日本と距離を置いていた朝鮮とはいえ特使をいきなり捕縛して処刑する(西郷は自分が処刑されたことを口実にして軍隊を派遣すればいいと言って特使役に立候補した)なんてことは考えづらく、この問題を一手に引き受けることで政府内を落ち着かせるという意味合いが大きかったのではと見ています。
なお同じ西郷に関して言えば、彼は徴兵制に関しては賛成派であったと見て間違いないと思います。士族を切ることに関しては世間で言われてるほどためらいはなかったでしょう。
4、レイテ沖海戦における栗田艦隊の撤退行動
知ってる人には有名ですが知らない人には全く分からないこの論争ですが、太平洋戦争中に行われた日米最後の艦隊決戦であるレイテ沖海戦は、日本に唯一残っていた空母の瑞鶴を囮にして敵を引き寄せている間、敵艦隊が集まっているレイテ湾に栗田艦隊が突入して攻撃を行うという奇策が実行されました。囮作戦の方は見事に成功し、「ブル」というあだ名が後につけられる米海軍のハルゼー提督はまんまとおびき寄せられたことによって栗田艦隊はレイテ湾近くにまで接近出来たのですが、何故か特に障害らしい生涯などなかったにもかかわらず一切攻撃を加えないまま反転し、撤退してしまいました。
何故作戦方針を無視してまで撤退したのか、この理由については作戦本部から撤退命令が出た、通信で齟齬が起こった、栗田提督個人が撤退を決断したなど様々な意見が出ており、未だに確定的な説に固まってはおりません。
私はこの件に関してはあまり詳しくないため論争には加わらない立場であり、このレイテ沖海戦で私が最も好きな軍艦の瑞鶴が沈んだという事実だけで胸がいっぱいです。もしこの時代に生まれていたら、瑞鶴と一緒なら海に沈んでも後悔ないでしょう。
5、明智光秀の謀反の動機
今一番ホットな歴史論争と言ったら間違いなくこれで、何故明智光秀は織田信長に謀反して本能寺の変を起こしたのか、でしょう。この光秀の謀反の動機はかつてから謎とされ論争も盛り上がっていましたが、近年は資料的にもいくらか頷ける説もあれば全くの空想ストーリーが量産傾向にあり、目にする機会が増えてきたことから盛り上がっているのではと思います。
主な論点は二つあり、一つ目は光秀の単独犯なのかほかに黒幕がいるのかで、この場合の黒幕は天皇だったり千利休だったり足利義明だったりして、中には秀吉説を挙げる人もいますが秀吉に関しては議論するまでもないほどでたらめもいい所でしょう。多分「へうげもの」の影響受けて本気で信じちゃった人がいたんだろうな。
もう一つの論点としては光秀に天下取りの野心があったのかどうかで、単純に信長に取って代わり天下に号令しようとしたのか、それとも信長の過剰なまでの改革に対して既存の秩序を維持しようという保守的な考えから謀反をしたのか、これは考えてくに連れて議論がかなり深くなってきます。
なお自分の意見を述べると、「光秀単独犯説+保守的価値観」の立場を取ります。理由は機械があればまた語りましょう。
このほかにも「南朝北朝正統論争」とか「坂本竜馬の暗殺犯」などがメジャーな論争としてありますが、私は歴史というのは突き詰めれば娯楽に行き当たるという価値観を持っており、そのような価値観に立脚するならこうした論争というのは盛り上がれば盛り上がるほど娯楽的価値が高まると考えます。なので歴史家や学者らにはなるべくこうした論争を盛り上げるよう努力してほしい一方、先ほどの「本能寺の変、秀吉黒幕説」みたいな荒唐無稽すぎるくだらない説は出てもらいたくないという風にいつも考えてます。
まぁトンデモ説は、漫画や小説の中ならいいんだけどねぇ。
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