「二十世紀梨」というと日本を代表す梨科の品種であると共に鳥取県の名産品(アイデンティティ)でありますが、実はこの梨がマッドシティこと松戸市原産の梨であることはそれほど知られていないような気がします。
この梨は現在の松戸市に住んでいた1875年生まれの松戸覚之助という人物が13歳の頃、人んちのゴミ捨て場にあった梨の苗木を見つけたところ自分で育ててみて、23歳になって無事結実することで生まれました。結実した梨を売り出すに当たって名称を考えたところ、当初は「新太白」という名前だったののその後東大の教授が、「この梨は今世紀を代表するなしになる」などと言って「二十世紀梨」という名称を提案したところ採用され、現在の名称へと至ったわけです。
どうでもいいですが昨日紹介した「21世紀の森と広場」といい、なんで松戸の人はやたらと世紀の数字を名称に使いたがるんだろう。
そんな松戸市原産の梨が何故今では鳥取県の名産となっているのかですが、なんでも鳥取県では昔から梨栽培が盛んだったのですがある年に梨の樹木がかかる病気が蔓延してほぼ全滅みたいな状態になったそうです。その際に苗木を分けたのが松戸市の梨農家で、元を辿れば鳥取の梨は松戸にルーツがあり、松戸原産の二十世紀梨が鳥取へと伝わったことがきっかけでした。
このエピソードは鳥取県内では広く周知されているようで、私が運転免許の合宿で京都から鳥取の日本海自動車学校へ通った際、路上教習時に私のプロフィールをみた教官が、「君、千葉県出身なんだね。鳥取は昔、千葉県の松戸から梨を分けてもらってえらい助けてもらった」と言われ、感覚的にはエルトゥールル号のトルコ人みたいな印象を覚えました。
話は戻りますがこうした縁もあって松戸市は鳥取県の倉吉市と提携都市関係を結んでおります。また現在では鳥取県の方が生産量が多いとはいえ松戸でも梨農家はまだまだ現役で数多く、東松戸駅周辺なんかを車で走ってると梨農園が数多くみられます。
おまけ
上述の日本海自動車学校での教習はなかなか楽しく、指導内容もしっかりしていてとても満足できる教習所でした。しかしここでの教習の仕方が一般的だと感じてしまったのが運の尽きだったのか、後年に自動二輪免許を取ろうと流山自動車学校へ通ったものの、指導内容は聞いててわけわかんないし教官の態度も尊大に感じられたので、仮免を取る直前で、「お宅の指導はもう受けない」と啖呵切ってやめちゃいました。さすがにこういう人間はほかにいなかったのか、向こうも結構慌ててたな。
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