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2016年8月15日月曜日

問題を探す力、発見する力

 私は学生時代、下宿していた部屋にとにかく多くの人間を集めていつでも活発に議論できる場所にしようと画策していました。結論から言うとこれは失敗に終わり、そこそこいいメンツは集められたものの活発な議論が行われる場所かというとそこまでには至りませんでした。一体何故失敗したのか、前もって言っておくと集めた面子こと私の友人らの資質が悪かったわけではなく、むしろ優秀過ぎるという人間をかなり集められたとは自負できます。しかし見ようによっては優秀過ぎたゆえというべきか、致命的な面である能力に欠けていたから活発な議論を行え切れなかったのではと恐怖と思いました。その能力こそ見出しに掲げた、問題を探す能力の事です。

 当時を思い出すと、友人が集まって私が何かしら問題提起を行ってから議論へと発展していくのが常でしたが、その議論の中で友人らはみんながみんなして鋭い分析力でもって今後の方向性や解決策を見出すものの議論の発端となる問題提起は全くといいほど友人らからは出されませんでした。これが一人や二人ならともかく全員が全員そうで、議論になればそこそこ白熱するし意見もどんどん出してくるものの議論を作る問題提起は誰一人として出してくることはなく、結局私の下宿で自ら議論を吹っかけてくるような友人が出てくることはありませんでした。

 当時を振り返りつつ現在と比べるとやはり自分の周囲と同年代は全体として問題提起、いやそれ以前に何が問題なのかを見つける力が極端に低い傾向があるように思えます。先程述べた友人たちの様に問題を与えてやるとそれを分析し解決策を導き出す能力には優れているものの、まずどこに欠陥がありそれがどのような悪影響を及ぼすのか、どこに根源的な問題があるのかを探し、見つけるということが全体として苦手である気がします。

 もう一つ例を出しておくと、学生時代はそこそこ周囲から何にでも詳しいし聞いたら面白い答えが返ってくると見られたためかよく国際情勢について尋ねられはしたものの、なんていうかその質問のポイントがファジーというかマクロなものが非常に多かったです。「いま世界で何が問題なのか?」とか、「日本人に何が足りないのか?」とか、「必要な経済学とは?」といった、どこに問題点があるのかを尋ねる質問が今思うと圧倒的だったように思え、具体的な問題の解決策(例:年金問題の対応策など)とか既に存在する問題の背景(例:郵政関連改革の発端など)といったことについてはこっちから切り出さないとまず出てくることはなかったでしょう。

 この傾向は最近のニュースを見ている限りでもあまり変わっていないように思え、たとえば憲法議論についても枝葉末節のどうでもいい所ばかり話題に上げて根本的な問題点や今すぐにでも改善しなくてはならない箇所については誰も触れようとしません。また国政全体においても、一部でツッコまれていますが借金漬けの国家財政の立て直しや年金問題について触れた政党は先の参院選ではついぞ皆無でした。

 社会全体はともかくとして少なくとも私の同年代でどうして問題を発見する力が全体的に乏しいのか背景を探るとなると、やはりこの時代の教育にあるのかなという気がしてきます。具体的には与えられた課題を理解し、解答するという訓練が重視されているため課題を与えてやればコロッと説いて見せますが、課題自体を作って見つけて掘り起こすとなるとほぼ誰一人訓練を受けていないのかもしれません。それこそ哲学などの教養があればある程度はこの点もカバーできますが、私の世代は小学生くらいにオウム真理教事件が起きたことによって宗教、思想に関する議論や解説はやはり制限されていた気がします。クラスでキリスト教に被れたのも私くらいなものでしたし。

 逆を言えばなんで私は学生時代、ひいては現時点においても問題の検出能力が周りより高いのかですが、一つは先程書いたように宗教的な素養がいくらか高くキリスト教を含め仏教などにも興味を持って知識を求めたこと、二つ目は出身環境的に自己の存在を常に疑わざるを得ず必然的に内省を深めていったこと、三つ目は何にでも噛みつく性格だったからではないかと考えています。ただ真面目な話、反社会的な人間の方が既存社会に対し疑いを持つから問題を探す力は受験エリートに比べて高いようには思います。解決する能力はそうでもないでしょうが。

 しかし日本の企業からしたらいくら問題発見力に長けているとはいえこういった反社会的な人間はまず採用しないでしょう。だから東芝にしろ三菱自動車にしろシャープにしろ誰がどう見たってはっきりとわかる欠陥を誰も認識せず、「社内問題の解決にはPDCAサイクルで」とか抜かして何も改善してなかったんだからちゃんちゃらおかしくて笑えます。
 なお「PDCAサイクル」という言葉は昔から大嫌いで、昔いたイタリアンマフィアじゃないですけど、「ぶっ殺してやるってセリフは、終わってから言うもんだぜ。俺たちギャングの世界ではな」の方がとかく行動や決断の遅い日本人に対する標語として適当であると信じています。

2 件のコメント:

酷道マニア さんのコメント...

問題点を見つけだす能力がいくら高くても、解決策の提案まで出来なければ意味がありませんね。
例えば所謂サヨクと呼ばれる人たちなんかは噛みつくことしかできない。
だから支持されない。
会社でもそうでしょ?不満ばっかり言ってたら怒られますしね。


花園祐 さんのコメント...

 さすがというべきか密かに自分が一番言いたかったことを見事に指摘してきたね。隠れたテーマとしてまさにこの左翼は問題を見つけやすく解決策が出せない、右翼(保守)は問題を見つけづらく解決策が出せるという傾向があるということを言いたかった。
 この傾向はほぼ世界共通で、既存勢力と抵抗勢力と分ければより鮮明に見えます。それぞれの得手不得手を把握してうまく使い分けることが政治上、重要で、それを使い分けるのは誰かとなるとマキャベリ的な君主か国民かで、国家の強さというものが変わってくるでしょう。
 なお問題発見も解決策提案も両方できる、自分の言葉で言えば攻めも守りも出来るような人はどんな人かというと、これについてはまだ傾向を掴めていません。企業で言えば営業or開発と会計マネジメントが両方できるようなタイプですかね。