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2009年11月30日月曜日

現代の若者のモラル

 以前に参加した環境問題否定論者で有名な武田邦彦氏が、日本の子供達について以下のように語っておりました。

「私が勤務する大学での授業でテストを行う際、私はいつもテスト用紙のここからここまでを何でもいいから書けば合格点を出すと学生達にあらかじめ伝えています。それこそ授業で教えた内容とは全く関係のないことでもいいし、ちょっと頭をひねるなら縦書きで行を埋めても単位を与えると言っているのです。
 ところがテスト中に学生の答案を見ていると全然答案が埋まっていない学生もおり、自分の事でも何でもいいから書きなさいと私は言うのですが、その学生はというと採点をする私がこう言っているにもかかわらず、授業と関係のないことを書くわけには行かないと拒否するのです」

 こう踏まえた上で武田氏は、世の中間違った事が通ったりよこしまな人間が多いとみんな嘆くものの、現実にいる子供達はそうではなくむしろ大人たちの方が心は荒んでいるのではと話していました。
 ちょっと前の記事で私も日本人のモラル低下について記事をまとめましたが、その記事で受けたコメントの中で時代とともにモラルは低下してきたとは言うが、現代の若者はむしろ礼儀正しいのが多く、年配の方の傍若無人な振る舞いの方が目立つという意見がありましたが、私も実はそのように感じる事が度々あります。武田氏の教育現場での話を聞くと、やっぱりそうなのかもなぁという気になってきます。

2009年11月29日日曜日

TBSの連続不祥事について

 あまりこういった時流に乗ったニュースはこのブログでは取り上げないのですが……。

遼クン取材のTBSカート暴走、観客4人はねる(読売新聞)

 上記ニュースの内容は今日のゴルフツアーの取材にてTBSの取材カートが観客数人を撥ね、撥ねられた一人に至っては十数メートルも引きずって顔面の骨を折るほどの大怪我を負ったそうです。このニュースに対して私の第一印象はというと、一体TBSは反省がないのかと個人的に激しく怒りを覚えました。

 かねてよりTBSはその取材方法に問題があると近年言われており、今回の事件の舞台と同じく石川遼選手が参加した以前のゴルフツアーでは、石川選手と同組の選手にマイクを持たせて発言内容を盗聴しようともしていました。

【市橋容疑者逮捕】送検の際の混乱でTBSの男を公務執行妨害で逮捕(産経新聞)

 そして上記リンクのニュースは今月、逃走していた市橋容疑者が送検される際にも警官の制止を振り切って過剰に車両に近づいて写真を撮ろうとTBS社員が逮捕されております。ほんの少し前にこんな大きな不祥事を起こしておきながらも、何故また不祥事を繰り返すのか、反省がないのか呆れて物が言えません。そもそも放送業界はこのような連続した不祥事に対してどんな防止策をとっているのか、このまま野放しにしていいものかとも感じます。

 一応放送業界にはBPO、放送倫理協会が問題性のある番組対して是正勧告を行う事はありますが、それらはあくまで勧告であって直接的なペナルティを与える事はありません。それがゆえに現在のTBSのように何度も不祥事を起こすのであれば、もっとはっきりと目に見える罰則を設けたほうが放送業界にとっても良いのではないかと思います。仮に今回のTBSの不祥事に対して行うのであれば、一週間くらい番組放送を禁止するとかそれくらいはっきりとした態度を示すべきでしょう。

2009年11月28日土曜日

連立を巡る政党間の駆け引き

鳩山一族 その金脈と血脈 (文春新書) (新書)

 前にも予告しましたが、今日本屋に言ったら「ノノノノ」の八巻と一緒に売っていたのでこの本もまとめて買っちゃいました。前半部は「文芸春秋」に載った記事が加筆されて載っているようですが、後半はすべて書き下ろしだというので非常に楽しみです。
 またこれは余談ですが、私が佐野眞一氏を初めて知ったのは2003年の頃で、ちょうどその時に東電OL殺人事件の最終判決が下りたことから私の受けた授業の講師が佐野氏のルポを取り上げ、それ以降に興味を持って過去の著作を手に取るようになりました。まさかここまではまるとは思わなかった。

 そんな私の休日の行動は置いといて、久々にオリジナルな政治の話題が今日の本題です。
 まずこの数週間の政治の動きで一番大きかったものを挙げるとしたら、それは間違いなく民主党による事業仕分けでしょう。この仕分けについては賛否両論があり、特にスーパーコンピューターの製作に関わる予算について仕分けにて一度減額が判定されたものの、その後あまりにも学会からの批判が多かった事から政府内にてひっくり返して元の予算額となった一件は様々な議論を呼びました。

 この仕分けに対する私の意見はというと、前にも書きましたがこれまで密室で、しかも恐らく何の検証もなく決められていた予算が公開の上で議論されるようになっただけでも価値があると考えております。そしてスーパーコンピューターの一件についても一度決まった減額がひっくり返ったことは政策のブレだと批判する方もいますが、私は逆にこの民主党の政策転換を高く評価しました。
 一度は採算の見込みがないということで減額が決めたが学会や世論の強い反対を受けて政策を転換できたのも、この仕分け議論が公開されていたからに尽きます。逆を言えばこれが密室の議論であれば減額されていようと国民の大半は気づくことができず、また民主党の側もそうした外野の声を聞いて減額を取り消したというのは二次チェックがきちんと働いている証拠ともとれますし、予算を切る役とそれに歯止めをかける役が相互に役目を果たしているのだとなかなか感心しました。

 こんな風な見方を持ったかどうかは分かりませんが、発足以後微減し続けた内閣支持率もここに来て逆に上昇に転じるようになりました。しかし支持率が低下していた原因となった問題は未だ片付いているというわけでなく、特に沖縄の米軍基地を巡る普天間基地問題はニュースに取り上げられる時間こそ減ったものの、現時点で連立すら脅かす大問題にまで発展しつつあるのではないかと私は見ています。

 先日のニュースにて社民党が普天間基地の即時移転、返還を独自に掲げましたが、これの意味する所は民主党が下手な妥協をするというのならばすぐさま連立から撤退するという意思表示と見て間違いないでしょう。このような社民党の動きに国民新党も同調する動きを見せており、アメリカとの板ばさみで苦しむ民主党としては頭の痛いところでしょう。
 しかしこの状況、ある一部の政治家達には非常に有利な状況となっているのではないかと実は私は考えております。もったいぶらずに言うとその政治家というのは「みんなの党」の渡辺喜美党首や江田憲司氏ら、そして自民党内の河野太郎氏の一派です。

 何故この状況が彼らにとって有利なのかというと、社民と国民新党が連立から離脱するやかわりに彼らが民主党と合流、もしくは共闘することで、文字通り少ない兵力でも大きな戦果ことポストを得る事が出来るからです。特に自民の河野太郎氏なんてこの前落選した総裁選の一件ですっかり冷や飯を食う立場となっており、今回の仕分けについても昨日のインタビューにて、「こういうことが出来て、うらやましい」などと民主党と政策案が近いということをはっきりと述べています。なお同じく自民の大島幹事長は仕分けについて、「こんなものはパフォーマンスだ」などと言って批判してましたが、パフォーマンス一色だった小泉内閣よりはマシだと多分私以外にも感じた人は多かったように思えます。ちなみに私は現代においては政治自体が一種のパフォーマンスで、それを否定するというのはルールがわかっていないのではないかと政治家としての資質を疑います。

 このように連立を巡る動き、もしかして年末から年始にかけて大きく動くかもしれません。無論鳩山首相の故人献金疑惑もいつどう転ぶか分からない状況で、三百以上議席を持ちながらも安定した政権基盤が保っていられる状況にはまだ至っていないでしょう。しかし仮に鳩山首相が総理の座から降りるとなると後には菅直人氏と岡田克也氏のどちらかになるのですが、この二人よりは私はまだ鳩山首相の方がマシだと思っているので検察には政治的判断からもうすこし待って欲しいというのが本音です。

2009年11月27日金曜日

猛将列伝~サラディン

サラディン(ウィキペディア)

 ウィキペディアに書かれているこの人物の名称は「サラーフッディーン」ですが、日本で出回っている世界史の教科書は他の書籍では「サラディン」と書かれていることが多いので、この記事もそちらの表記に従います。

 今日はいつも日本史や中国史の人物を紹介するのと違って、気分一新とばかりにイスラム世界の人物を紹介します。イスラム史については私はそれほど勉強したわけでなくはっきり言って世界史の中でもインド史と並んで苦手としていた範囲なのですが、中学生の頃に十字軍についてやけに詳しく勉強した事があったおかげでこのサラディンについてはかねてより良く知っていました。
 今ここでも書いたように、サラディンが活躍した時代というのはヨーロッパにおいて十字軍が組織された中世12世紀で、日本においては平安から鎌倉時代へ移るころの時代です。

 具体的にこのサラディンがどんな人物かというと、当時の中東イスラム国家の貴族階級の出身で、少年時代は人質として暮らすものの成人後は軍事、行政の面で活躍して幸運も重なりましたがエジプト地域の支配者にまで三十代で上り詰めます。当時のイスラム世界は各地の軍閥がそれぞれの地域を勝手に統治していた時代で、サラディンがエジプトを支配した頃も彼は形式上はまだサラディンはシリアのダマスクスにいた軍閥の臣下という立場でした。しかしエジプト占領後にその主君に当たる軍閥においてお家騒動が起こったのを好機として紛争に介入し、エジプトからシリアに跨る広大な領地を統一して支配するアイユーブ朝を開きました。

 シリアを征服したサラディンはその後、かつての第一回十字軍にて建国されたエルサレム王国に侵攻して今も紛争の耐えない地である聖地エルサレムを約百年ぶりに奪還することに成功しました。しかしエルサレムの占領はかつて十字軍を組んでまで取り返した西ヨーロッパ諸国を大きく刺激することになり、獅子心王(ライオンハート)とあだ名されるイギリス王のリチャード一世を筆頭とする第三回十字軍が組織される原因となりました。

 十字軍は合計で七回組織されましたがこの時組織された第三回十字軍は最も戦火が激しかったとまで言われるほどの激戦で、先程のリチャードのほかにもフランス王のフィリップ二世なども参加した非常に大規模な戦争でありました。サラディンはこの戦いで一度手に入れた地中海沿岸地域の都市を奪い返されるものの本命のエルサレムの防衛には成功し、リチャード一世との和議によってこの地域の支配権を確立する事が出来ましたが、まるでそれを待っていたかのごとく終戦の翌年に病気にて死去しております。

 現在彼への評価はイスラム世界はもとより、世界史上でも英邁な君主として高く賞賛されております。エルサレムを奪還した戦術的功績ももちろん大したものなのですが、彼が評価される最大の理由というのは彼がエルサレムを奪還した後に行ったキリスト教徒の保護にあります。
 第一回十字軍がエルサレムをイスラム世界から奪還した際、西ヨーロッパの騎士たちは街中のイスラム教徒を片っ端から虐殺して、その後もイスラム教徒の巡礼を一切許す事はありませんでした。そんな第一か十字軍とは打って変わって約百年ぶりにエルサレムを奪還したサラディンはというと、街にいるキリスト教徒と捕縛した捕虜達を保護し、身代金と引き換えの上で西側諸国へ開放しました。また第三回十字軍の後に行われた和議でも、キリスト教徒のエルサレムへの巡礼を許可するなど寛大な態度を最後まで崩す事はありませんでした。

 こうした現代において人道的、当時にとってすればそれ以上とも取られていたであろう寛大な態度こそが彼を現代においても高く名指しめている要因となっており、私もまたその人間的魅力に強く惹かれました。多少青臭いと自身でも感じますが、このような人物が高く評価されるのを見るにつけて人間にはまだ良心というものが曖昧ではあるものの確実に存在するのだと感じます。

 ちなみにサラディンが開いたアイユーブ朝は比較的短命に終わり、その後は女性の、しかも元奴隷のシャジャルが開いたマムルーク朝が中東を長らく支配しますが、この二つの王朝の間は中東は比較的安定した時代を送ったそうです。今度この辺をまた勉強しなおそうかな。

2009年11月26日木曜日

北京留学記~その二三、ドゥーフェイ③

 ようやくこのドゥーフェイに関する記事も今日が最後です。下手すりゃ彼との交流だけで一本小説が書ける分量だなぁ。
 さて先の二回では私の留学中のルームメイトであったドゥーフェイから聞いた東欧、ルーマニアの情報を紹介しましたが、本日は彼と私の交流について書いていこうと思います。本来ならこっちから書くべきなのですが、あまりにも分量が多いことから今まで投げていました。

 まずドゥーフェイを語る上で外せないのが、彼の趣味のサッカー観戦についてです。他のヨーロッパ人留学生同様にドゥーフェイもサッカーの愛好家で、Wカップ期間中に至っては文字通り授業をサボって朝から晩まで観戦を続けていました。子供の頃はマラドーナのようになりたかったというだけあって割りと個人プレーがうまい選手が好きでしたが、何故だか当時にウクライナの至宝とまで呼ばれたシェフチェンコは嫌ってました。

 中国では割と普通のチャンネルでもイギリスのプレミアリーグの試合などが放映される事もあるので私も彼と一緒によく観ていたのですが、実はサッカー以上に彼とは相撲中継を観る回数の方が多かったりしました。というのも私があまりにも暇なもんだからNHKでずっと相撲を見ていたら彼も見始めるようになり、しまいには私がいない間に自分でチャンネル合わせて見るほどまでのめりこんでいました。そんな彼のお気に入りの力士は欧州出身だから琴欧州かと思いきや、私と一緒に土俵際の粘りが言いということで安馬こと現日馬富士でした。ちなみに朝青龍に対しては日本でのスキャンダルなぞ知らないくせに嫌っており、恐らく強すぎるというのが原因でしょうが万国共通で朝青龍は嫌われるんだなと思いました。

 話は変わって外国から日本がどのように見られているのか、そういったものが少し伺われるエピソードをいくつか紹介します。

 ある日ドゥーフェイに広島出身の留学生仲間が私達の部屋に来て彼にも紹介をしたのですが、その留学生仲間が帰った後に広島出身だと教えたところ、「俺達、放射能にやられないのか?」とドゥーフェイは聞いてきました。さすがに原爆の落ちた地だから広島という地名くらいは知っているのではと思って教えたのですが、知っているどころかドゥーフェイはまだ広島は放射能の汚染が続いていて、草木も生えぬ荒地のような場所だと考えていたそうです。
 彼がこんな風に広島を見ていた理由として、かつての旧ソ連時代にウクライナで起こったチェルノブイリ原発事故が大きく影響していることは想像に難くありません。ルーマニアでも一部で被害が起きたそうで、放射能に対してやはり極度に恐怖感を持っており、やや過剰に広島と長崎を見ていたようです。

 この広島と長崎については過剰な誤解を持っていたドゥーフェイですが、それとはある意味逆できちんと認識していた日本の事情として、変な話ですが森喜朗元総理の「神の国発言」がありました。このときの騒動は日本以上に海外にて大きく取り上げられていたとは以前から聞いていましたが、それほど政治に対して強い興味を持っていないドゥーフェイですらあの発言の内容を把握していたことを考えると、どれだけアホな発言をしたのかますますもって知られます。ある学者も、このときの発言にめちゃくちゃ激怒していたし。

 このようにいろいろと会話していて面白かったドゥーフェイなのですが、性格は前にも書きましたが非常に温厚で親切でもあり、ルームメイトとしては非常に恵まれた相手でした。しかし唯一の欠点というか、私が彼に対してただ一つ困っていたこととして、彼の強烈な体臭がありました。
 中国では水が少ないこともあって都会の北京でも一週間に一回くらいしかシャワーを浴びないという人も皿なのですが、彼の場合はそんなのを通り越して三週間に一回、下手すりゃ一ヶ月に一回くらいしかシャワーを浴びないのでとにもかくにも臭いがきつかったです。

 私も入寮当初はそのあまりの臭さに同じ室内にいて何度か気絶しそうになったり、夜に眠ることが出来なかったくらいなのですが、大体一ヶ月もする頃にはすっかり慣れて気にしなくなりました。しかしそうやって慣れるのも一緒に暮らしている自分だけの話で、日本人留学生仲間を部屋に呼ぼうものなら誰もがその臭いに耐え切れずすぐに出て行くほどでした。
 そんなもんだからドゥーフェイが外出している時などは換気をするため窓とドアをよく開け放していましたが、寮で同じ階に住んでいた留学生仲間によると換気をしていると私達の部屋の臭いがその階の廊下中に蔓延していたらしく、エレベーターから出るなり私が換気をしているかどうかすぐに分かったほどだったそうです。

 それほど強烈な臭いに適応できた私でも、彼が自分の服を洗濯した日に限っては耐えることが出来ませんでした。普通の留学生は寮にあるランドリーなどで洗濯をするところ私はそれほど選択する回数も少ないので自分で洗剤を買ってきて室内の洗面所で洗っていたのですが、ドゥーフェイも私と同じく自分で洗っていました。しかしその洗い方はというと、はっきり言ってちゃんと洗っているのかと怒鳴りたくなるような荒い方でした。

 ただでさえ臭いが強烈なドゥーフェイなのに、それこそ一週間以上ずっとはき続けている下着や衣服を中途半端に水を張った洗面所につけておくだけつけて室内に部屋干しするもんだから、彼が洗濯した日はとんでもない臭いに室内が包まれていました。もうこの日に限っては私も本当に頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらいの悪臭で、夜に寝ようにもあまりの臭い刺激に悶えつつ眠ることが出来ずにいました。この際だから自分に洗わせろと言いたいくらいで、衣類を洗面所につけている間に内緒で洗剤を入れておいたことすらありました。

 多分こういうエピソードとかをふんだんに言っておけば、面接とかも余裕で受かっていただろうなぁ。

2009年11月25日水曜日

鳩山首相の献金疑惑について

「今でもないと信じたい」=実母からの資金提供-鳩山首相(YAHOOニュース)

 この鳩山首相への故人献金疑惑が伝えられた頃からある程度目算がついていましたが、案の定というかこの献金疑惑はどうやら鳩山家内で円滑に遺産相続を行うために実行されていた可能性が高くなってきました。今日は久々にちょっとやる気が低いので簡単にまとめますが、日本の政治団体というのは法人と同様に代表の変更、引き継ぎがあってもその保有資産には一切税金がかかりません。そのため親の政治団体を子供が引き継いだとしても、事実上一切の相続税がかけられないまま資産の移動が行えてしまいます。

 この件が初めて大きく取り上げられたのは去年の週刊誌にて、小渕優子現衆議院議員が父親の小渕敬三氏の死後に政治団体を引き継いで代表に就任した際に、とんでもない額の政治団体が保有していた資産も一緒に引き継いだ事を政治家の世襲だと問題視する記事を載せたことからでした。今回の鳩山首相の一連の故人献金の出所の大半はリンクに貼ったニュースによると彼の母親の個人資産とのことで、恐らくこのまま普通に鳩山首相の母親が亡くなると相続に当たって大幅な相続税の負担を受けることが予想されることから、前もって生存中に相続税がかからない政治団体へ財産移動を行っていたというのがこの事件の構図だと私は見ています。

 この一連の鳩山家の財産移動はまごうことなき税金逃れで、政治団体への個人献金額が年間上限が150万と決められていることを考えると明らかな不正です。さすがに逮捕されるまでの重罪ではありませんが、鳩山首相も自分の母親がやっていることなのだからまずもって意図的である事を考えると、その責任は決して軽くはないでしょう。

 ついでに紹介しておきますが、今年夏の文芸春秋の特集にて佐野眞一氏が書いたルポによると鳩山氏の母親はブリジストン創業者の娘という事でブリジストン株を大量に保有しており、またその孫に当たる鳩山由紀夫、邦夫の兄弟も相当数のブリジストン株を持っているらしく、恐らくその配当金は年間で5000万円を超えているそうでそれが鳩山家の政治活動資金になっていると指摘していました。さすがに5000万円が何もせずとも入ってくると聞いて、これだけの額だと政経癒着じゃないかと思わず私も目を疑ってしまいました。なんか今度この記事をまとめた文庫本が出るそうだから、買いなおそうかな。

 ただこの鳩山家の財産移動を追う特捜の方も今はあまり調子がいいとは言えず、先程会見がありましたが郵便の障害者割引の認定過程で不正を行っていたという厚生省元局長の女性が改めて無罪を主張していました。この事件は言ってはなんですけど自民党が選挙前に民主党を貶めるために選挙前に行った国策捜査のきらいがあり、すでに政権交代が起こった現在においてこの点を政府から追求されると検察の方もたまったもんではなく、もしかしたらこのあたりで手打ちが行われたりしないだろうかとちょっと心配です。

 最後にまだ疑いの残る点として、この鳩山家の財産移動は果たして由紀夫氏だけのものなのか非常に気になります。あくまで私の予想ですが、同じような事を鳩山邦夫氏もやっているのではないかという気がします。そこら辺が気になっているのですが、なんかどのメディアも邦夫氏へのインタビューがないんだよなぁ。

2009年11月24日火曜日

個人主義とモラルは対立するか

 前回の記事にて私は近年の日本人のモラルの低下について自分の考えを披露しましたが、かいつまんで言うとお互いに仲間だと意識しあえる共同体の数や範囲、枠の強さが揃って低下したために、日本人のモラルが大きく低下する事になったのではないかと主張しました。

 しかしこうした考えに対するいい反例なのが、ほかならぬ私自身であります。こう言ってはなんですがかれこれ20数年も生きていながら未だにどの集団の中でも孤立しつつ、一匹狼的な生き方を生まれてこの方ずっと貫いてきております。当然所属する共同体も非常に少なく、一般人が強く持つであろう家族関係ですら非常に希薄で地域との結びつきに至っては皆無に等しい、っていうか地元の人間からは厄介者のように見られている程です。
 その分、個人個人の付き合いで言うなら非常にしっかりとした信頼関係を持つ友人は割と多い気はします。特にこのブログで普段展開しているようなわけの分からない濃密な話をお互いに理解しあって話しが出来る友人らに対しては、こうした人間にめぐり合えて自分は本当に幸せだとすら感じるほどです。

 話はモラルの話に戻して、このように所属する共同体、またその共同体への意識があり得ない位に希薄な私ですが、世間一般のルールやモラルに対しては他人より厳しいと周囲からよく言われます。待ち合わせに遅れない事はもとより、学生時代にしろ留学中にしろ授業というものを基本的にサボる事はなく誰も誉めてくれないのにいつも皆勤賞で、またこれは自分でもやりすぎたなと思うエピソードですが、買い物をした際にレジの人が間違って自分に多くのつり銭を渡していたことを一日後に気がつき、レシートも捨ててしまっていた事から仕方なく多く受け取った400円を募金箱に放り込んだことがあります。

 私が前回の記事で展開した仮説ですと所属する共同体が少ない人間はそれに比例してモラルが低いはずなのですが、私自身は危険人物だと後ろ指を差されながらもモラルが悪い人間だと言われた事はなく、また私の友人にも共同体への帰属意識が低い割には下手な人間よりずっとモラルが良く、振る舞いもきれいな人間も少なくありません。果たしてこれは如何なものかと友人に振ってみた所、私の場合は恐らく、他人と比較して「個人」への意識や条件を特段に強く持っているからだと言われました。

 言われてみると全く思い当たる節がないわけでもなく、やはり他人と比べて個人の概念というものが私の場合は非常に特別な形をしているように思えます。この点について私を語る上で外せないものに、多分本邦初公開ですが、洗礼こそ受けないまでも以前に私は熱心にキリスト教を信奉しておりました。宗教自体が最初の議論における重要な「共同体」の一つに当てはまるのですが、私の場合は個人的な信仰ながらもその後の生き方を占う上でキリスト教は最も大きな影響を与えたものの一つです。
 そのようなキリスト教にのめり込んでいた時期に私が強く考え、また実行していたものというのも、恐らく大多数の日本人がその生き方を、「どうすれば周りに評価される人間になれるか」と考えるのに対して、「どうすれば自分自身は善い人間になれるのか」と考えていました。ここまで突き抜けてると、我ながら面白いなぁ。

 偏見かも知れませんが、私は一般の日本人の生き方というか思考は先ほどにも書いたとおり、如何に周りに評価されるかというのが中心にあり過ぎる気がします。それは逆に言えば集団の中で評価される人物ほど善い人間だと考えてしまうという事で、その集団(共同体)が社会全体に貢献しようという集団であればまだしも、自己利益の確保しか考えない集団であればそこに属す人間が高いモラルを持ちうるとは考え辛いです。

 近年の日本の場合ですと何度も書いてある通りに共同体の拘束力が弱まっている事もあり、「何が善い行動なのか」の価値判断基準を集団に置いている日本人からすると一体何がその社会で正しい行動なのかが分かり辛くなっているのではないかという気がします。要するにしかるべきモラルの指針が分からないために、みんな好き勝手に自分、もしくは自分を含む小集団に都合のいいモラルを設定し合って、低次元の個人主義化が発達した結果モラルが低下したのではないかと私は思います。

 とはいっても、私みたいな個人主義的価値観が必ずしも正しいと言い切るつもりは全くありません。確かに日々の行動やモラルへの社会意識については人並み以上に強いと自負しますが、そのかわりに自分自身で間違っていると思う事に対する並外れた攻撃性や、正しいと思う事への徹底した意固地さも身についているために見方によっては非常にテロリスト的です。そもそもテロリストやマフィアが宗教的価値観を強く持つというのも、こういう考え方をするとごく自然なのかもしれません。

 回りくどい言い方になりましたが、私の結論は個人主義の発達が必ずしもモラルの低下に結びつくわけではないという事です。現状の日本でモラルが低下している原因というのは集団に価値判断基準を丸投げする日本人が共同体の力の低下によってその基準を失った事による、言うなれば中途半端な個人主義化が起きた事が原因で、真に個人としてどのような生き方をするべきかと模索している個人主義者が悪いわけじゃないのではと思います。
 実際に私の友人らもはっきり言って個人主義の塊のような人間もいますが、そんな友人でも「個人として集団における最低限のルールは守るべきだ」と称して、下手な集団主義者よりずっとモラルの高い行動を取っております。

 仮にこの考えが正しいのであれば、日本人全体のモラルを高めるには単純に二者択一になります。一つは集団主義をこのまま持たせながら共同体の力を再び盛り返させる。もう一つはこの際集団的価値観をひっくり返して、真の意味での個人主義を日本人に根付かせるという方法です。
 私はどちらがいいのかと聞かれるのであれば、私自身はあまり好ましくないもののまだやりやすい前者の方法がマシなのかと思います。そうなったらなったで、私自身は日本社会で生き辛くなるのですが。

2009年11月23日月曜日

モラルの低下と共同体の喪失

 大分以前に車で親父と旅行をしながら、阪神大震災新潟県中越地震を比較したことがあります。具体的に何を比較したのかというと、両地震発生時のモラルについてです。

 実は阪神大震災の発生時に外国メディアがこぞって取り上げたものの一つに、災害時における日本人のモラルの高さがありました。都市機能が完全に麻痺するほどの大災害であったにもかかわらず、他国では必ずといっていいほど頻発するいわゆる火事場泥棒などといった治安の乱れが日本の阪神大震災の現場では驚くほど発生しませんでした。そんな状況を見て海外メディアは、日本は大きな災害を被ったがそのモラルの高さを改めて世界に知らしめたなどと報じてくれました。

 しかし、結論から言えばもうこの時のような気高い日本人のモラルはもはやなくなってしまったと言わざるを得ません。というのも95年の阪神大震災から9年後の04年に起きた新潟県中越地震時には、かつてはほとんど報告されなかった火事場泥棒の事例がいくつも報告されたからです。しかもそのやり口というのも非常に陰湿で、緊急避難的に食糧だけを盗むというものではなく、倒壊の恐れがあるとして避難勧告が出ていた家から金品を盗むといった汚いものばかりでした。またこれは先ほどリンクに貼ったウィキペディアの記事を見て私も初めて知ったのですが、当時は義捐金を募る団体と称して金品を横領したり、家の補修工事を手伝うなどと言っては後からとんでもない額の工事代金を請求するというような詐欺事件も頻発したそうです。

 このように両地震時の状況を比較すると、本当に十年も経たない内に日本のモラルはここまで堕ちてしまったのかと思わせられてしまいます。また地震時ほど特別な状況に限らずとも、老い先短い年寄りを騙すという振り込め詐欺を始め、大手金融機関も平然とやっているサラ金の貸し出し、明らかに同業者がやっているとしか思えない農作物の盗難など、それこそやった者勝ちのような価値観のはびこり具合に私も歳を取ったのか、この頃は日本のモラルの低下を深く嘆く日々が続いております。

 そこでこの連休中、これはと思う友人らにあれこれとこのモラルの低下について話を振っていました。一体何故ここまで日本のモラルは低下したのか、またどうすればまた立て直せるのかという風に話を振っていたのですが、まずみんなで共通していた意見として、失ったモラルを立て直すのは並大抵の事じゃないということでした。それこそ十年で壊れたモラルであれば三十年は建て直しにかかるなど、日本人が失ってしまったものは計り知れないということはみんなで一致しました。

 ではどうして日本人のモラルは低下したのか、その原因に対してある友人は模範となるようなみんなから尊敬される対象がいなくなったからではないかという意見をあげました。この意見は私も以前から持っており、尊敬の対象というよりは権威の失墜と言い換えた方がいいかもしれませんが、かつては社会の模範とされた教師や政治家、土光俊夫といった経済人は「失われた十年」の間に起こった不祥事や犯罪事件によってことごとくその権威を失墜し、尊敬の対象としては見られなくなってしまいました。

 細かい理屈をいちいち言わなくとも、人間誰しも尊敬する人間、模範とする人間像があれば自然と行動もそのような模範とする像に近づこうとします。しかし現代においてはそのような模範像はほとんど存在しなくなり、またかつてのように門限を破ったという堀内に鉄拳制裁を与えたほどルールに厳しかった王貞治氏のような一人の人物を日本人の大多数が尊敬するというような、みんなの尊敬を一身に集めるという人物はもうほとんどいなくなり、みんながみんなでバラバラに尊敬する人物を個人的に持ち合うことも増えた気がします。あくまで私の所感ですが。
 まぁ言ってはなんですが、私自身も経済人なら安藤百福とか鮎川義介小倉昌男のようなあまり大衆受けするわけでない人ばかり尊敬してます。

 そんな尊敬を集める対象の喪失という意見に対し、別の友人は共同体の喪失が大きいのではという意見を言ってきました。
 多少話が社会学的になってきますが、人間が社会で生活するうえでは様々な共同体ことコミュニティに属すことが絶対条件となっております。この所属する共同体というのは必ずしも一つに限るわけじゃなく、一般人ならマトリョーシカのようにいくつもの入子構造のようにして様々な共同体に入っております。

 簡単に例を挙げると、まず現代の一般成人男性であれば最小の単位として「家族」があります。そしてその家族の上に「友人」があり、「会社」がありといった具合で、通常なら共同体の範囲が大きくなるにしたがってその共同体の枠というものは薄くなっていきます。
 具体的に何が言いたいのかというと、私の仮説として人間は所属する共同体が多ければ多いほど、その枠が強ければ強いほど自らの行動を抑制する事が多くなり、ひいてはモラルの向上につながります。それを逆に言うなれば共同体が喪失すればするほどモラルは低下する事になり、現代の日本で起きているモラルの低下はこの共同体の喪失にあるのではないかということです。

 あれこれややこしく言うのもなんですので、以前の日本人と現代の日本人の所属する共同体を一つ比較してみましょう。

・以前の日本人
家族、親戚、友人、地域、青年会、組合(自営業者)、会社(被雇用者)、国家

・現代の日本人
家族、友人、会社、国際社会


 見てもらえば分かるとおりに、まず大きな違いとして「親戚」、「地域」という共同体が現代では明らかに喪失しており、またあえて自営業者と被雇用者で分けたりもしましたが「会社」や「組合」といった共同体も現代でも確かに存在はしているものの、以前と比べると明らかにその枠は薄く弱まっております。
 このように個人を取り囲む共同体という集団の数と枠の強さが低下した事が、すべての原因だとまでは言いませんが日本人のモラル低下の大きな要因の一つではないかと私と友人は考えました。言うなれば共同体というのは「顔の見える範囲」と言い換えることが出来、以前では知り合いがやっていた本屋であったものが今ではチェーン店化したことにより顔が見えなくなり、万引きをするにしてもためらいがなくなったというふうに解釈する事も出来ます。もちろん、見えようが見えまいが万引きは犯罪ですが。

 となると日本人のモラル復活の鍵は共同体の復活にあると言うことになるのですが、具体的にどうすればいいかまでは思案が出てきません。ただ共同体によって得られるモラルに対し、生まれた頃から反抗期で未だ集団に逆らってばかりのほかならぬ私自身はどのようにしてモラルを作っているのかという点については、「個人」という枠が他人と比較して明らかに強過ぎるからだと友人が指摘してくれました。この辺についてはある程度解説できるので、次回にて行います。

2009年11月22日日曜日

ゲームレビュー「PS3 ガンダム戦記」

 さすがに書くのはやめようかなぁと思っていたのですが、このゲームのアマゾンのカスタマーレビューを見て考えが変わりました。やっぱりみんな同じ風に思うんだなぁ……。

 実は昨日、「グランツーリスモ5」の発売日も決まったことだし、そろそろ買っとこうかとプレイステーション3の本体を購入しました。バイオハザード5もやりたかったのですが一緒に購入したソフトは今日のレビュー対象の「機動戦士ガンダム戦記」というアクションゲームで、何でこれを最初に購入したのかというと、こちらはPS2ですが私も以前に「ガンタンクでの戦い」で取り上げた事のある前作が非常に面白く、その続編という事で以前から気になっていた作品だったからです。

 しかし結論から言うと、私の期待はことごとく裏切られました。
 私は前作の続編に対して、新しく望む事は何もありませんでした。ただ同じシステム、ゲームバランスで使用機体数とミッション数を増やして欲しい。それ以外は全く同じシステムであっても、新品で買っても惜しくないほど前作は高く評価しておりました。

 しかしそんな思いをしながら七年間も待って出てきたこの続編はというと、久々に癇に障るひどいゲーム内容でした。
 まずゲームバランスが最悪です。前作は機体ごとの性能差がはっきりあったものの、それでも戦い方によってはザクでもガンダムを倒すという一発逆転が可能な作品でしたが、今回ははっきり言ってそんなの絶対不可能です。というのも弱い機体ですと攻撃力の高い機体の射撃攻撃一発で死んでしまうし、その上前作と違ってガードや回避がしづらくなっており、いきなり遠距離から狙撃一発でわけも分からず殺される事すら序盤の面でもざらです。

 そして通常の操作においても、もはや改悪としか言いようのないシステムとなっております。特に私が一番目に付いたのがロックオンで、前回は距離さえ満たせばいつでもどこでもロックオンできてまたすぐに外すことも出来たのですが、今作ですと敵機との間にちょっとでも岩とかの障害物があるとどれだけ間近な距離にいてもロックオンが外れてしまいます。
 さらに前回は距離範囲内の敵なら360度どこでもロックオンをする事が出来たのに対し、今作は何が何でも敵機を画面上に映さなければロックオンする事が出来ません。ですので例えどれだけ近い距離にいても、機体に横を向かせて敵機と向かい合わせても、プレイヤー視点の画面内に敵機が入らなければこれまたロックオンできません。しかも前作はプレイヤー視点が自然と機体正面に合うようになっていたのに今回はいちいちボタンを押しなおさないといかず、一体何のためのレーダーだと思わず怒鳴ってしまいました。

 そして極め付けが、なかなか自由に決められない機体選定です。前作はミッションをクリアするごとに使用できる機体数がどんどんと増えて自由に選べるシステムだったのですが、今作はミッションクリアごとに増えていくのは一緒でも、ミッション後に得られるポイントを消費して購入しなければ機体を使用する事が出来ません。しかもその購入システムですが私はまだ序盤ですが、それでも一つの機体を購入するのに必要なポイント数の多さに唖然としているのですが、アマゾンのレビューを見ると高性能な機体はさらにとんでもなくポイントがかかるそうで作業ゲームだとまで揶揄されております。

 はっきり言って久々に、「金返せ!#゚Д゚)オラー」、と思わせられたゲームでした。たまたま行ったゲーム屋が中古しかなかったのもあるけど、こんなのを新品で買わずに済んだと心底ほっとしました。前からバンダイナムコのゲームはとかくこういう良かったものを悪く焼きなおす傾向がありますが、今作は本当に出す前に、これじゃマズイだろと誰か思わなかったのか不思議でしょうがありません。前作があまりにも良かった分、今作は高くとも新品で買ってあげようと思っていましたがそんな価値は一切ありませんでした。

 あとついでに書いておくと、一応シナリオモードもあるのですがそのシナリオもびっくりするくらいくだらない内容です。ガンダムのゲームなのに一年戦争後の残党狩りという設定のために原作の主要キャラは一切出てこず、いけ好かない変に若いイケメンキャラの主役が隊長というどうでもいいような話です。このゲームに限るわけじゃないけど、なんでもかんでも主人子は若くてイケメンにすりゃいいってもんじゃないでしょう。それだったらむしろ、08小隊のノリス・パッカードが主人公でグフカスタムを縦横無尽に操るゲームの方が絶対いいように思えます。ただもうノリスの声優だった方は亡くなられているんだよなぁ(´Д⊂

 そんなこんなで、私もアマゾンのレビュアー同様にこのゲームは絶対的におすすめできません。買うとしても、もっと値下がりを待ってから中古で購入される事をおすすめします。
 最後にこの前、ふとしたことから思いついたガンダムネタを紹介して締めさせてもらいます。

夏候淳「まだだ。たかがメインカメラの一つ、やられたくらいで!」

2009年11月21日土曜日

北京留学記~その二二、ドゥーフェイ②

 前回に引き続き、また私の留学中のルームメイトのドゥーフェイの話です。
 さて前回では主に彼の母国であるルーマニアを含む東欧を取り巻く状況について書きましたが、今日はルーマニアという国自体について彼が話していた事を書こうと思います。

 まずルーマニアと来ると日本人は何を想像するかですが、もう世代にも寄ってしまいますが、恐らく比較的年齢が高い世代だとまず第一にチャウシェスクが出てくると思います。このチャウシェスクについて分からない方のために説明しておくと要は旧ソ連時代にルーマニアを支配していた独裁者で、旧ソ連が崩壊する間際、ゴルバチョフのペレストロイカ政策によって次々と東欧諸国が民主化していく中で起こったルーマニア革命時に捕縛後、独裁時代に国民の生活を省みなかったとして婦人とともに公開処刑されております。

 しかし処刑後、当時にルーマニアの政治を取り仕切っていたのは高級官僚たちでチャウシェスク自身は国内がどんな状況にあるか全く知らない裸の王様だったのではないかと言われております。またそうした声を受けてか革命後の国内調査でも、市場経済化によって失業者が増え、最低限のパンは配給されていた共産主義時代が懐かしいと国民の六割が答えたそうです。
 何気にタイムリーな事に、この前ベルリンの壁崩壊から二十周年記念がベルリンで行われていましたが、その際のインタビューにて元東ドイツ住民が似た様な事を言っていました。

 このチャウシェスクの次に有名なルーマニア人と来ると、こちらも大分古い人物ですがナディア・コマネチが来て、その次辺りには女子マラソンでいつも二位だったリディア・シモンがいます。

 そんなルーマニアの現在の状況ですが、ドゥーフェイによるとやはり貧しい国だそうです。首都のブカレストはまだしも、農村に行くと未だに農業機械が全くないために牛や馬が中心の農業が営まれており、身内への贈答品にはなるべく大きな動物ほど喜ばれるそうです。

 そして先ほどのチャウシェスク関連になりますが、共産主義時代と今とを比べてどうかと尋ねたところ、彼の場合は率直に今の時代の方が良いと即答しました。恐らく彼がこう答えた背景には彼がルーマニアの国民の中でも比較的裕福な出身による影響が大きいと私は見ていますが、彼が今の時代の方が良いという理由について語った中に、以前はお金があっても何も手に入れることが出来なかったが今ではお金があれば何でも買うことが出来るというのがありました。そのような今なら手に入れられるものの代表格として彼が挙げたものの一つに、意外なことに蜜柑が真っ先に挙げられました。

 なんでも共産主義時代は西側との貿易が許されず、蜜柑などといった柑橘系の果物が一切入ってこなかったそうです。これまた元東ドイツの話になりますが、ちょっと前の東ドイツの若者は電車の中だろうと街中だろうとみんなバナナを手に持って食べ歩いていたそうなのですが、彼らが子供だった旧東ドイツ時代はバナナを一切触ることすら出来ず、その反動で元東ドイツで子供時代をすごした現代のドイツの若者は今貪り食うようになったと言います。話を聞く限りだとルーマニアでもほぼ同じ状況だったそうで、ドゥーフェイ自身も暇さえあれば蜜柑を買って食べていました。

 私自身、行った事もなければ勉強したこともありませんが、東欧諸国というのはこのように貧しく、また厳しい生活環境にある国が多いそうで、自殺率のランキングも上位をこの東欧諸国がほとんど占めます。もし機会があればそれこそこのルーマニアやウクライナなんかに私も出向いてみたいのですが、何時になることやら。
 さて次回はドゥーフェイの個人的な話を紹介します。今日はまだ短くまとめられた。

2009年11月20日金曜日

これからの不動産購入について

 このところ不況の影響からか、住宅ローン破産を取り上げるニュースが増えてきました。このような特集で取り上げられる例は年二回のボーナス払いを行う住宅ローンを組んだものの、不況によって会社が倒産した、または倒産こそしていないもののボーナスが削減、見送りされたために年末のボーナス払いが行えなくなりやむなく住宅を売り払うといったケースです。

 私の友人によると、そもそもローンを組めばその分だけ原価に加えて金融機関に金利を払わねばならず、なおかつ住宅を保有してしまうと火災や地震の倒壊リスクを抱え込むことになるので、ローンまで組んで焦って住宅を買う奴が馬鹿なんだと常々申しておりました。私もこの友人ほど極端ではないものの、毎年増えていく金利に加えて火災、地震保険のランニングコストを考えるとまとまった金額が貯まるまでどうして賃貸で我慢しないのかと思ってしまいます。

 もっともこんな風に考えるのも私とその友人が根っからの貧乏性で、お互いに学生時代は家賃三万円以下の安アパートで起居していた経験があるからかもしれません。しかしそれを推しても、私は今後の日本の不動産市場はローンを組むだけ損をするという風に考えております。例外なのは今年と来年の一年間くらいで、それ以降に購入する場合はなるべく待てば待つほど購入する側が有利になって行くと思います。

 まず今年の不動産購入についてですが、今年は例のリーマンショックの影響を受けて不動産業界にとって最悪の年となりました。そのため中には会社を維持するために赤字覚悟でマンションなどを安値で売り出している所も多く、今現在で言えば不動産を購入するのにいい条件が揃っているかと思われます。
 しかしこの状況がさすがに来年以降も続くかといったらそれはまた微妙で、まだ来年一年くらいは不動産価値に対してそこそこ良い値で購入できるかもしれませんが、それでももう一つの要素である日本の人口減による影響を考えるとちょっと考え物です。

 今ここで出しましたが、私は今後の日本の不動産市場を考える上で最も重要な要素となるのが日本の人口が減っていくという点だと考えております。
 バブル期の日本の不動産は土地から建物にいたるまでどれもとんでもない額で取引されておりました。一体何故そんなとんでもない額が飛び回っていたかといえば当時の日本が成長の絶頂期にあったということもありましたが、それ以上に全国各地で住居が不足していたという理由が大きくありました。

 私なんかがまだ生まれてもいない高度経済成長期の本などを読んでいると、よく狭い住居に家族で住むのは大変だ、政治がもっとしっかりしなければ、などといったセリフ回しをよく見ます。実際に当時の社会問題を見ると核家族化の広まりによって全国的に住居が不足していて、住宅建築ブームというものがはっきりと起きていたそうです。
 このように日本はバブル期まで一貫として住居、ひいては土地といった不動産の需要が非常に高かったのですが、それらの需要を引き上げていたのは他の何よりも母数の増加こと人口の増加という要因でした。

 しかし少子化が叫ばれて久しいこの世の中、もはやバブル期以前ほど住居を新たに必要とする人間自体が大きく減少しました。当たり前といえば当たり前ですが、このまま少子化の傾向が続くのであれば不動産全体の需要も減っていくこととなり、恐らく東京の中心部を除いて今後は下がる事はあっても不動産価値が上がる事はまずよっぽどのことがない限りありえないと私は見ております。それはつまり、今後の日本の不動産は時とともに下落していく一方という事になります。

 それでも失われた十年の間は東京に人口が集まってきた関係もあってOLが都内のマンションを購入し、それを賃貸に回して利ざやを稼ぐという方法も通じましたが、どうもあちこちから話を聞いているとすでに東京都内の賃貸マンションの価格すらも下落し始めてきているそうです。これは東京への人口集中するのが止まったというよりは、人口集中以上に少子化の影響が強く出始めてきたのではないかとうちの親父は話しています。

 そのため私は今後日本で住宅などの不動産を購入する場合には、粘れば粘った者勝ちという傾向にあるのではないかと考えております。つまり購入するのを我慢して下落を待てば待つほど、先に購入した人間が支払う原価、金利分を上回る安値で購入出来るのではないかという事です。
 これを消費者全体で見るなら、それほど悪くない変化だと私は考えております。というのも日本の住宅価格は世界的にも以上な価格なために今起きているような不測の事態にローン破産をするものが出たり、その後の将来設計を大きく制限させられているからです。
 
 しかしこれが不動産市場で見ると、まぁ今まで明らかに需要以上に市場が大きくなりすぎていたきらいもありますが、今後の不動産市場は縮小していく一方という事になります。今まで異常だったのが元の鞘に戻るだけでごく健全なことなのですが、こういうことを知らずに不動産業界に学生が入っていくのを見るといろいろと不憫な気持ちになります。

  おまけ
 以前に知り合いの中国人が私に、「ライオンズマンションって会社はどう?」と聞いてきました。なんでも彼の友人がそこに就職する事になったそうなのですが、私はこの記事で書いてある話をして恐らくきついだけで将来はあまり明るくないと教えたところ、案の定そうだったらしく、就職した彼の友人は半年で辞めてしまったそうです。入社式をハワイでやったそうですが、こういう無駄なものに金をかけている時点で怪しいと思わなくちゃ。

2009年11月19日木曜日

北京留学記~その二一、ドゥーフェイ①

 本来なら時間があるであろうこの前の土曜日に今日の内容を書こうと思っていましたが、すでに何度も書いているようにインフルエンザによってそんな体力もなく、周り回って本日に執筆する事になりました。それほどまでに気合が必要な今日の内容というのも、私の留学中のルームメイトであるドゥーフェイです。

 このドゥーフェイという名前は彼の本国での本名からつけられた中国語の読みで、名前を漢字で書くと「吐飛」になります。この名前は彼の母国での正式な名前である「ドミトリー」から、彼が中国に留学してすぐ学校の関係者によってその場でつけられた名前だそうです。割合中国人らしい名前ですが、欧米人はこのように中国語を学ぶ際に自分の名前の漢字を決めなければならないので、こうした名前のことをよくチャイニーズネームと称して分けています。日本人や韓国人は元から漢字名ですけど。

 そんなドゥーフェイですが彼の出身国はルーマニアで、ウクライナ人の父親とルーマニア人の母のハーフです。両親のうちどちらか(恐らく父親)の仕事が外交官だったらしく、経済情勢の厳しい東欧出身ながらも弟もオーストラリアに留学中だそうで、本国では裕福な家庭なのだと想像できます。
 私と会った時の彼の年齢は大体25歳でしたが、なんでも本国の大学で物理学を学んだ後に一時期教師をやった経験があり、しばらく職に務めた後から中国語を学ぼうと留学に来たそうです。どうして中国語を学ぼうと思ったのかまでは聞きませんでしたが、全く中国語が喋れない状態でいきなり中学に来て、当初はいろいろと苦労が絶えなかったそうです。

 性格は至って温厚で、非常に静かで親切でな人間でした。やってきた当初はノートパソコンを持ち合わせていなかった私に対し、彼は自分のパソコンに別ユーザー登録をした上で自由に使わせてくれました。
 このドゥーフェイは私が中国に着いたその日から帰国の日まで毎日一緒に過ごした相手なだけに、書く事も膨大な文だけあります。そこで今日は彼から聞いた彼の母国ルーマニア事情と東欧についてを中心に紹介していきます。

 まず一口に東欧と言っても、その事情や日本との関係は様々です。大まかな定義としては旧ソ連時代はソ連側についていたヨーロッパ諸国で、冷戦崩壊後は資本主義陣営の国とは技術や経済の面で大きく立ち遅れており一般的には貧しい国が多いです。目下の所で日本と関係が深いと言えるのは今も大相撲で活躍する琴欧州関の出身国であるブルガリアで、他の東欧諸国のほとんどが日本へは一時滞在にも渡航ビザの取得が必要なのに対して、ブルガリアだけは何故かビザなしで入国できます。

 ではドゥーフェイの国のルーマニアは一体どういう国なのかですが、中国語にすると「羅馬尼亜」と書き、発音も「ルゥオマァニィーヤァー」と発音します。日本語でルーマニアと読むとちょっと分かり辛いですが、この国名の意味というのは「ローマを受け次ぐ」という意味で、「ローマニア→ルーマニア」という風に日本語では表記が変わって行ったそうです。この国名の由来の通りに昔のルーマニアは古代ローマ帝国の民族系統をそのまま継承していると自称していたそうですが、実際の所はルーマニア人達もそれはないだろうと認識しており、また詳しい研究でもやっぱり少し違うそうです。しかしスラブ系、ゲルマン系が多い東欧の中で唯一と言ってもいいくらいラテン系の民族で国民が占められているという事実は珍しく、主要言語であるルーマニア語ももちろんラテン語圏に入ります。
 日本人からすると想像し辛いですがラテン語圏の言語は細かい違いなどあれども共通単語が多いため、文法を細かく問わないならばルーマニア人はフランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語も聞いてて理解できるそうです。実際にドゥーフェイもNHKにて中継されていたジーコのWカップでの言い訳を内容を違えず見事に聞き取っていました。

 そんなルーマニアの外交関係について聞いてみた所、まずドゥーフェイの口から出てきたのはヨーロッパ唯一のアジア系民族国ハンガリーとの仲の悪さでした。ルーマニアの隣国であるためにかつては何度も戦争をしあった国同士であり、互いの国民で激しく憎み合っているそうです。
 ではかつての親玉、といってもチャウシェスク時代からも仲は悪かったロシアとの関係はどうかと聞いてみたところ、これについても「決してよくない」と言われました。ただ私が、ルーマニアが認識するヨーロッパの最強国はどこかという問いに対しても「ロシアだ」と答えられました。

 日本はよくその国力をなんでもかんでも経済力で測ってしまう所があり、ヨーロッパの最強国となるとやはり経済力があり、EUの中心国家であるドイツがしばしば挙がってきますが、ドゥーフェイに言わせると軍事力と東欧における影響力を考えればロシアだと見ているそうです。
 もっとも、最強国と認識しつつもルーマニア人はやはりロシアが嫌いだそうです。理由はもちろんソ連時代の政策やら、やってきた共産主義者によってルーマニア自体も苦労を味わったという歴史からだそうです。ちなみに彼に言わせると、チャウシェスク死後の体制とは、「古い共産主義者の去った後に、新しい共産主義者が来ただけだ」だそうです。

 では日本人が恐らくヨーロッパの最強国と見ているドイツについてはどうかと聞いてみると、やはり経済のドイツは伊達じゃないらしく、ルーマニアの若者はみんな本国に仕事がないのでドイツに出稼ぎに行くそうです。ルーマニアの一般人は高校を卒業するや皆でドイツに行き、二年か三年かけてお金を貯めるてから本国の大学に進学するそうです。今の日本人学生にも聞かせてやりたい。

 案の定収拾がつかないほど長いので、続きはまた次回に。

2009年11月18日水曜日

私の新型インフルエンザの発症症状

 今もなお新型インフルエンザを発症したことによって自宅に謹慎中です。正直な所、ずっと引きこもってていい加減嫌になってきました。しかもこの謹慎が今週いっぱいまで続く見通しとなり、さすがにはっちゃけて外に遊びに行くわけにも行かず、いろいろと気分が滅入ってきております。
 そんなわけでブログを書く気力も大分薄れてきているのですが、一つここはアクセス数獲得も兼ねて私に起きたインフルエンザの症状について詳しく書いておくことにします。

 まず今回の新型インフルエンザの発症前に、いくつか前症状が私には起きていました。発熱をしたのは先週の土曜日からでしたが、その二日前の木曜日に何故だか喉仏が突き出しているような、喉の皮が引っ張られているような妙な違和感を感じていました。明けた金曜日にはそのような感覚はなくなったものの、今度は朝から咳がよく出て、熱は伴ってはないのだからただ気管を悪くしただけだろうと当初は思っていましたが、今考えるとあれは完全な前症状だったでしょう。

 そして一日咳を何度もしながら過ごして次の土曜日、この日は朝から37度台の発熱を起こして一日中家で寝ていました。折角の土日なのになんでこうも体調を崩さないといけないんだろうと思いつつ寝ていましたが、まだこの頃はゲームをする程度の体力は残されていました。
 体力的に一番きつかったのはその次の日曜日で、この日はもう朝起きてからずっと全身に寒気があり(暖房が一切ないクソ寒い部屋でいつも寝ているのも原因だけど)、起き上がることもままなりませんでした。それなので早速また体温計で測ってみるとやはり熱が38度後半にまで来ており、昨日に引き続き今日も寝たきりかと、今度は暖房のある部屋に移動してまた寝ていました。

 ただこの日曜日の症状は本当に一日中、いや前日を含めれば二日間も寝続けているにもかかわらず、一向に体調はよくならないどころか悪くなる一方でした。それこそ立ち上がることもなかなか出来なければ、トイレに向かってまっすぐ歩く事も出来ませんでした。
 症状的には発熱による全身のだるさと関節の痛みが激しく、分厚い布団に入っていても寒気と疲れからつくづくついていないと何度も思いました。ただ不幸中の幸いというか、自分にとって一番致命的となる頭痛は今回発症しませんでした。普段は風邪を引くと頭痛も併発してのたうちまわる事が多いのですが、今回はそういったことはなく苦しいとはいえまだマシな状況にあったと思います。

 また風邪につきものの鼻水についてですが、咳はずっと出続けていたもののあまり鼻水・鼻づまりはほとんど起こりませんでした。むしろ最大の峠であった日曜日が過ぎて復調してきた月曜日に、体温は37度台にまで引いたもののくしゃみと鼻水の量がこの日から増えてきました。そんなわけでこの日も寝続けて、明けて火曜日には体温も36度台で推移して薄まっていた全身のだるさもほぼ完全に取れました。

 この新型インフルエンザは潜伏期間が一週間という事なのですが、個人的にはどこで感染したのか思い当たる節はありません。一応帰宅後は手洗いうがいはしていたのですが、あるとすればで最も可能性が高いのは朝の通勤電車くらいなもので、厳密な所は全く分かりません。ただ本格的に発症する前にキャリアになったのだから、これはこれでもうすこし前向きに見てもいいかもしれません。
 最後に、医師から処方されたタミフルを今飲んでいますが、今のところは異常な行動は取っておりません。布団に入る際に何故か布団干し用ストッパーを持って入った事以外は……。

2009年11月17日火曜日

何故フリーターやニート問題は顕在化したのか

 以前にある社会学者から、こんな話を聞きました。
 日本で失業率が最も高い都道府県は以前からずっと沖縄県なのですが、沖縄の住民は故郷に雇用がないと分かっていながらも、進学や一時出稼ぎなどで本州に一度出たあとに出戻ってくる人間が非常に多いそうです。言うまでもなく職がなければ生活を維持する事などできず、それにもかかわらず沖縄人はどうして沖縄に戻ってくるのかということをその社会学者は疑問に思い、ある年に詳しく調査してみたそうです。

 その結果、確かに表面上のデータでは沖縄は高い失業率の地域ではあるものの、沖縄の無職者の大半は親族や友人が経営する店舗の仕事や、農地を持つ者の農作業を手伝うなどして収入を得ていることが多く、このような地域での結びつきが失業による生活の徹底的な破綻を防いでおり、沖縄人の出戻り現象の一因となっているのではと分析していました。

 この話を聞いた当初はそれほど意識はしなかったのですが、最近不況になって周りの人間の話を聞くたびにこうした地域や親族の扶助がある者とない者とで、失業後の生活に大きく差がついてくるのではないかと
この話を思い出す回数が増えてきました。

 私の周囲でも中学や高校を不登校になっていったという人の話を噂で聞いたりするのですが、そういった者の内、家族の誰かが自営業者の者などはその家族の会社や店舗で正社員となって働くことで社会復帰しているケースが多いのに対し、そのような家庭ではない、家族全員が被雇用者である家庭の者はそのまま引きこもりになってしまっているケースが圧倒的に多いように感じます。もちろんそれぞれの個人的資質も大きく影響しているとも考えられますが、普通に考えるなら同じ社会復帰をするにしろ、なんの縁も伝手もない会社や店舗からスタートするよりもまだ親族や知人がいるところの方が定着しやすいそうに思えます。

 ここで今日の結論を述べますが、今日もなお大きな問題として残るフリーターやニート問題ですが、何故これらの若年失業者が現代において大量に発生したのかというと、現在の日本の就業形態がかつてないほど被雇用者で占められるようになった、言い換えるなら自営業主、家族従業者数が過去と比べて大きく減少したからではないかと私は考えております。

 よく最近の若者は就職しても定着せず、すぐに会社を辞めてしまうという話を聞きます。こうした若者の行動に対して上の世代からは最近の若者はわがままだとよく言われてしまうのですが、確かにそう言われても仕方がないという若者もいる一方で、想像だにできないようなブラック企業の話を聞いたりすると若者がわがままになっただけという理由では収まりがつかないのではないかと、同じ若者に属すゆえに私は考えていました。また同時に、現在の中高年世代が若者だった頃、彼らは今とは違ってみんな会社に定着していたのかという疑問がかねてよりありました。

 そう思うのも、当時の話を聞いてたりするとフォークソングやパンクロックなど、なんていうか上に反抗してなんぼの文化ばかりが目に付き、こんな文化を愛好していた人たちがそうも従順に従っていたのか疑わしかったからです。もちろん今と違って年功序列も終身雇用も確保されていたのだから明らかに会社の居心地は今よりよかったはずですが、それでも多少はいたであろう会社を辞めたりした人間、入らなかった人間がどうして今みたいなフリーターやニートにならなかったのか、この点には何か理由があるだろうと前から考えていました。

 そこで最初の沖縄の話です。これは詳しいデータの検証がなくあくまで私の仮説ではありますが、現代で問題となっているフリーターやニート問題が何故過去にここまで顕在化しかったのかというと、当時の失業した若者は比較的加入しやすく定着しやすい家族や友人の企業や店舗に吸収(雇用)され、社会復帰を果たしていたからではないかとこの前思いつきました。実際に過去のデータを調べてみると1955年には2312万人だった自営業主、家族従業者数は年々減少してゆき、2002年になると975万人にまでなって今もこの傾向は続いております(厚生労働省データより)。

 家族が経営する企業であればたとえその人間の素行や経歴に軽い問題があっても面接なしで雇用してくれますが、一般企業ではそれこそ学校の中退履歴などそれ一つの経歴が致命的となって雇用を阻んでしまうことすらあります。昔であれば一般企業に就職できない者でも実家が自営業であればそこが雇用のセーフティネットとなっていたわけでありますが、就業者の大半が被雇用者となってしまった今では、一般企業に入れなければそのままどこにも働けないという状況がずっと続いてしまい、それが現代のフリーターやニート問題を顕在化させることとなった原因ではないかというのが、私の意見です。

 もし仮にこの仮説が正しいのであれば、恐らく自営や小資本の中小企業を減らして大企業を増やせば増やすほど、その社会では職にあぶれた失業者が増えていくのではないかという風にもつながっていきます。もう少し煮詰めて調査をしてみたいものですが、その前にまず風邪治さないとなぁ。

  参考サイト
厚生労働省平成15年度調査

2009年11月16日月曜日

ガジェット通信にての記事掲載について

ガジェット通信 日本の法人税は本当に高いのか

 上記リンクはインターネット新聞サイトの「ガジェット通信」のページですが、この度私が昔に書いた記事をご紹介いただけました。この元の記事は一年前、しかも記事中に引用している新聞の記事は二年も前の内容の記事ですが、どこかのサイトで紹介してもらったのか何故だか先月に急激にアクセスが集中し、今回このようにガジェット通信さんにも取り上げてもらえました。

 正直な所、記事の内容は引用している「しんぶん赤旗」のものをそのまま使っているだけの記事なので個人的には紹介する価値はあれども、自分が加工した記事ではないのだからあまり誉められた記事ではないと考えていました。それが何故だか今年になってこれほどアクセスが集中して肯定否定に関わらず読んでもらえたというのは、こういった分野の記事への世の中の関心は決してないわけではなく、自分がブログで取り扱う内容は全く需要がないわけではないのだと勝手ながら心強く思いました。

 今日は新型インフルエンザだと診断されたり、昔に書いた記事が取り上げてもらったりと、浮き沈みの激しい一日でした。

新型インフルエンザについて

 今年のユーキャンが主催する流行語対象の候補が先日発表されましたが、私の目からするとそのどれもが流行したと言えるのか、ちょっと微妙なものばかりだったような気がしました。この前に見た音楽CDの売上げが十年前の何十分の一になっているというニュースを紹介していた掲示板にて、塾講師をしている人が最近の小学生の間で流行歌がないと言っていましたが、なにか一つのものに全体が食いつくというものがこの流行語においても年々なくなっているような気がします。

 それはともかくその流行語の候補の中に、「パンデミック」という一語も混ざっておりました。この言葉の意味する所は言うまでもなく新型インフルエンザの大量感染のことで、毎年のインフルエンザ感染者数のピークは12月から1月にかけてに現れるところ、今年は10月の時点で例年のピーク時の感染者数を超えているそうです。あまり周りで観戦したという話は聞かないけど、それだけ流行っているのかなと私は思っていたら……

感染してました( ;´Д`)

 一昨日から発熱して昨日はそれこそブログもかけないくらいに衰弱し、熱が大分下がった今日に病院に行ってみたら案の定A型だと医師に診断されました。今日なんか咳が出るくらいでまだ元気ですけど、昨日は38度後半まで熱が出た上に文字通り布団から起き上がることもままなりませんでした。
 人生、他人事だと思っていたら自分の身に降りかかってくるとはこういうことだと思い知らされました。なお周りからは自宅謹慎を言い渡されましたが、多分家にいる分には元気なのでブログは明日からも書き綴っていくと思います。

2009年11月14日土曜日

エキサイトステージ95について

 現代のサッカーゲームとくれば「ウイニングイレブンシリーズ」が来るでしょうが、私の中では未だに今回のお題となっている「エキサイトステージ95」が挙がってきます。

 このエキサイトステージシリーズはスーパーファミコン発売されていたサッカーゲームなのですが、具体的に何がよかったのかといえばあまりにも大味なゲームシステムにあったと私は思います。どのくらい大味かって言えば、まず真っ先に上がってくるのがボールカットです。

 通常のサッカーゲームではショルダータックルに対してスライディングタックルを用いるとファウルを取られる可能性が高いのですが、それがこのエキサイトステージでは何故か逆で、よっぽど真後ろからやらない限りはファウルを取られないスライディングタックルに対してショルダータックルだとどこからでも容赦なく取られます。
 しかもそのショルダータックル、見た目はまるで格闘ゲームにてよく使われる「鉄山靠」そっくりで、使われた相手選手の方も鈍い殴打音と共に文字通り吹っ飛びます。吹っ飛んだ選手は倒れてしばらく動かなくなるので、威力もばっちりです。

 またスライディングタックルの方も癖があるといえば癖があり、基本的にこのゲームはボールを持っていない選手だろうが味方だろうかいくらでもタックルをかけることが出来、よく二人協力プレイの時はボールを持っていない片方が相手チームの選手にスライディングタックルをかけることで足止めを図っていました。なおその協力プレイ時に一番悲惨なのは、間違えてボタンを押す事によって味方にショルダータックルをかけることです。味方だといくらやってもファウルは取られませんが、後々その友人との争いの種になることは間違いありません。

 そんな大味なシステムゆえに初心者でも入りやすかったゆえか、私はこのゲームをよく友人と一緒にいつも遊んでいました。一応このゲームもサッカーゲームらしくフォーメーションなどもいじくれるのですが、無駄にゴール前に一人だけスイーパーを置いて、残り九人を真ん中一箇所に集めて正方形を作るというフォーメーションを取った所、ボールを持った相手選手へこの九人がぞろぞろと駆け寄ってくるので無駄に恐かったです。

 基本的にその友人とプレイするときに操作するチームは決まってヴェルディ川崎で、相手チームには何故か柏レイソルを選んでいました。当時のレイソルには「カレカ」という選手がおり、毎回の如く彼にゴールを決められて負けていたので未だにレイソルには素直な気持ちになれません。逆にヴェルディはいっつも選んでいたのもあり、例え弱くなった今でもその愛着は変わりません。
 ただこのヴェルディでプレイしてるとき、ビスマルクが放ったシュートがゴールキーパーを抜けてゴールに入るかと思いきや、何故かゴール前に中澤が立っていてボールにちょんと触れることで自分のゴールとした珍プレイが起こりました。しかも一試合で二度も。

 それ以来我々のプレイ時には中澤の事を「デビル中澤」と呼び、彼がファウルをするたびに「さすがデビル、一味違うなぁ」などと言っては盛り上がっておりました。

  おまけ
 以前に同じアパートの友人が、上の階の後輩達が夜中中ウイニングイレブンを遊んでいたために注意しに言ったと話したので、後日その後輩らを読んで軽く注意したときがありましたが、何でも前日から朝六時まで延々と盛り上がっていたらしく、しかもそのまま一限の授業に行った奴までいたと聞いて、つくづくウィニングイレブンは危険なほどハマるという噂は本当だったと確認したことがありました。

犯人逮捕におけるテレビの貢献度

 以前に北野武氏の番組内にて、こんな発言がありました。

「昔は誰もがみんな銭湯に通っていて、そこで貼られている指名手配写真を毎日見ていた。それだからこそ犯人を見つけるのに効果があったが、今の時代では銭湯にそんな写真貼ってもしょうがない。それだったら時間を決めてテレビで一日一回でも、指名手配の人間を映したらどうだ?」

 確か犯罪に関する議論でこういう話が出てきたのだったと思いますが、図らずも今回のイギリス人女性死体遺棄容疑の市橋達也容疑者の逮捕の経過を見るとまさにその通りだと思わせられる発言です。今回の市橋容疑者の逮捕の決め手はなんだったかというと、市橋容疑者が顔を整形した整形病院から提出された整形後の写真がテレビにて報道されたことで、この報道にて公開された写真を見てかつて市橋容疑者が働いていた土木事務所の同僚らが通報した事に尽きます。何も今に始まった話ではありませんが、今回も改めてテレビが持つ力のすごさを思い知らされました。

 それこそ今後、毎日十一時半くらいに現在指名手配されている容疑者の写真とその事件を紹介する時間を五分程度設けて詳細をネット上で解説すれば、指名手配容疑者の検挙率は上がっていくのではないでしょうか。確かアメリカだったと思いますが実際にそういう番組があるらしく、そこでは容疑者に掛けられた懸賞金と共に紹介されているそうです。

 最後に、今回市橋容疑者にかけられた懸賞金額は上限が300万円の所を特例として1000万円に設定されていました。これについてはリンク相手のアングラ王子さんの記事に詳しいですが、事件がイギリス人女性の殺人事件であったがゆえの特例だと私も思います。東電OL殺人事件といい、日本もあながち人種差別を笑ってられない国だとつくづく感じます。

2009年11月13日金曜日

凋落する野党自民党

 今日時事通信が発表した調査結果によると、現鳩山内閣の支持率がこれまでの高い水準が落ちて未だ過半数は得ているものの54.4%であったそうです。この急落の原因として挙げられたのは普天間基地移転問題といったかねてより懸案とされていた防衛、外交の分野において腰の据わらない態度を見せたほか、マニフェストにて即刻廃止するとしていた案件に対してすぐに廃止が出来ず曖昧な対応を見せていることが指摘されていましたが、私もこの指摘の通りに国民が厳しい目を持ってきたがゆえの結果だと見ています。政権発足から二ヶ月後には下手すれば過半数を下回るかもしれないとも考えていたので、少なくともそこまで事態を悪化させなかった点は民主党の努力の結果と見てもいいかもしれません。

 政権発足当時、これは各評論家らが口並み揃えて言っていた事でしたが、民主党は選挙期間中にあれだけ大盤振る舞いのマニフェストを掲げたのだから全部を実現するのは不可能だとしても、何かしら目玉の政策を確実に実現させなければ政権を維持できないと言われていました。そんな選挙から二ヶ月以上経った現在の所、最も選挙期間中に目玉政策として挙げられていた子育て支援や学費無料化、派遣法の改正から高速無料化は実現どころが全く見通しが立っておりません。

 しかしこれら目玉政策の実現の目処を立たせることこそ出来なかったまでも、前原国交相が思っていた以上に活躍してくれたと言うべきか、八ツ場ダム事業の停止や空港行政の転換などはっきりと政権が変わったと、国民が実感させるような発言や主張を行ったことが支持率の過半数割れを防いだのではないかと見ています。逆に前評判が最も高かった長妻厚労相はインフルエンザ対策などによって本業の年金問題に手をつけられなかったのが響いたのか、むしろ批判の対象となってしまいました。

 このような民主党に対し、野党となった自民党の方はより深刻な状況になってきていると言わざるを得ません。先月に臨時国会が開かれて国会での応酬も行われるようになったにもかかわらず、メディアにて自民党が取り上げられる回数はほとんどなく、その存在感の低下はいくら野党転落といっても目に余るほどです。
 それこそ同じ野党であっても、野党時代の民主党はまだ議員らがテレビ番組などで意見を主張したりすれば政策に対する党首のコメントなどがまだ報道されていましたが、目下の所自民党党首の谷垣氏のコメントがメディアに取り上げられ場面を目にするなんて皆無に等しいです。

 では民主党に突っ込みどころがないのかというと、そういうわけでもなく今回支持率低下の原因となった政策のブレなど、現在開会中の国会で追及する材料には事欠きません。特に私が問題視しているのは選挙前に約束しておきながら全然実現できないどころか、むしろ逆の立場を取り始めた「官房機密費の使途公開」と「記者クラブ制度の廃止」です。どちらも詳しく内容を説明しませんが、意見をひっくり返すとは何事だなどと何故自民党は批判しないのかと思いますが、これの答えというのは簡単で、そういった問題のある政治的行為をこれまで行ってきたのがほかならぬ自民党だったからです。

 先月の予算に対する自民党の谷垣氏の鳩山首相への質問でもそうでしたが、こんな借金まみれの予算を作ってどうするのだと問う谷垣氏に対して鳩山首相は、これまで自民党が借金を積み重ねてきたせいでこんな予算を作らざるを得なくなったのだと言い返しましたが、この応酬では私は鳩山氏に分があると見ました。
 このように自民党はこれまで政権を握って政策を行っていたがゆえと言うべきか、与党となった民主党の政策や方針転換を批判しようものならすぐさまその批判が自分に帰って来てしまう状況にあると言っていいでしょう。現在の普天間問題もこれまで沖縄にある米軍基地移転を先延ばしにし続けてきた自民党に原因があると私は考えており、むしろ民主党になってアメリカ側が譲歩する姿勢を見せるようになった点は評価していいと思います。

 結論をまとめると、今の自民党は与党を批判するにも批判する事が出来ず、メディアに取り上げられないばかりか世間の注目も日に日に薄れているという非常に危険な状態にあるというのが私の意見です。それこそ民主党が自分で大ポカをしない限りはどんどんと先細っていく一方で、何かしら独自の立場や論争を起こさなければますます党員離れを起こすかと思われます。中川秀直氏も不穏な動きを見せているし。

 最後に与党民主党について、この前から始まった無駄な予算かどうかを見極める「事業仕分け」という公開討論はメディアを見る限りなかなか好感を持って受け入れられているように私は見えます。私から見てもどうしてその予算が必要で、逆に必要でないのかを意見を出し合うというのは見ているが分からして分かりやすく、審議時間が一時間で少なすぎるという身内からの批判もありますがこれまで長く話し合っても結論がまとまらなかったことを考えるとかえってこの一時間という区切りはよいのかと思え、目下の所高く評価しております。

 またこれは今日出たニュースですが、自動車税と自動車重量税を一つの税にしてまとめるという案が審議に入ったようです。前者は地方で後者は国と税金の納付先が異なりますが、わざわざ二つに分けるのも手続きが面倒になるだけなのでこの一本化も私は支持します。
 それにしても、車といったら未だにダイハツのコペンを買おうかどうか悩んでいます。むしろ私より広島に左遷された親父の方が欲しがっており、しきりに「祐、買わへんのか?」と聞いてくるのでひとしおです。

2009年11月12日木曜日

○○が嫌いな○○ランキング

 毎年週刊文春では「女が嫌いな女ランキング」という特集記事を組んでおり、今年はお騒がせ女優として名を馳せた沢尻エリカがぶっちぎりで一位の栄冠に輝いたそうです。かつてのこのランキングでは佐藤玉緒がいつも一位で、2005年くらいの二位には私も大好きな井上和香も入っていたのですが、嫌われていながらもまだ話題に上げられるだけよかったのだなと今になって影が薄くなった子の二人を見るにつけ思います。ちなみに井上和香の嫌いな理由として、「あの唇がマクドナルドのキャラクターにそっくり」というのには私も深く納得させられました。

 さて今日はそんなこのランキングについて思いにふけっていると、案外身内のランキングというのはいろいろ面白いのかもという気がしてきました。以前にロンドンブーツの番組でも、出演するお笑い芸人たちに共演者の中から好きな芸人と嫌いな芸人をアンケートで書き、本人らの了解を取らずにいきなり実名で公表する企画があってなかなか笑わせてもらったのですが、やはり芸人達だと自分ら視聴者と見方が違うのだと話を聞くたびにいろいろと思わせられました。
 確かそのときに「好きな芸人」として複数票が入ったサンドウィッチマンのツッコミの投票理由というのも、「芸に対する態度が常に真剣」、「いつも向上心を持って芸を磨いていながら、周りへの気配りがすごい」などと、内輪ネタではありますがなかなか見直させられました。

 ではもしこういうランキングをやるとしたら他にどんなものがあるのか、そう考えたときに私の中で真っ先に出てきたのが何故か「力士が嫌いな力士のランキング」でした。仮にやるとしたら嫌いな理由に、

「土俵際の粘りがしつこい」
「張り手ばかりで痛い」
「立会いの変化が多すぎる」

 などと言った理由がいろいろと出てくるのではないかと思って独りでに悦に入ってしまいました。でももしこれを実際にやるとしても、きっとトップは間違いなく朝青龍なんだろうなぁ。嫌いな理由には沢尻エリカ同様に、

「実力はあるけど態度がふてぶてしい」
「しょっちゅう問題を起こす」
「取り組みでよく怪我をさせられる」

 なんて書かれるんじゃないかと思います。

2009年11月11日水曜日

新聞業界における拡張について

 随分と久しぶりにこの「新聞メディアを考える」のカテゴリーを用いますが、今日は私が新聞業界において最も問題性があると感じられる「拡張」について、私の知っている内容を紹介しようと思います。

 拡張と書くと新聞社が一体何を拡張するのかと感じられるかもしれませんが、これは言うなれば新聞購読の勧誘のことで、よく一人暮らしとかしていると夜中にやってくるあれです。こうした新聞の新規購読を促す営業の事を新聞業界では「拡張」と呼ばれ、この営業を行う人員たちも「拡張員」と周囲から呼ばれております。
 こうした拡張が何故行われるのかといえばそれはやはり新規契約を得る事によって購読者数、ひいては新聞の販売収入を増やす事が目的とされているのですが、現在に至ってはそのような目的はほぼ有名無実と化しており、新聞業界のチキンゲームのような様相を為しているのが実態です。 

 具体的にこの拡張で何が問題なのかといえば、新規購読契約者に対する見返りです。こうした新聞の勧誘を受けた方なら分かると思いますが、大抵どこの新聞社も契約を条件に洗剤やら野球のチケットを新規契約者に見返り品としてくれます。こうした見返り品は通常「拡張材」と呼ばれて拡張員が申請することで新聞社本社やその支部が購入して拡張員へと配布されて使用されるのですが、一体それらの見返り品がどれだけ購入されてどれだけ部数の増加につながっているかという具体的なデータは新聞各社からは公開されておりません。

 というのも基本的に拡張員は各新聞販売店の従業員が兼ねる事が多いのですが、そうした拡張員が見返り品を本来の目的である販売拡張には使わずに、そのまま金券ショップなどに持っていって自分の懐に入れてしまうといった問題のあるケースが非常に多いからです。これはこの前に友人に貸してもらった「メディアの支配者」(中川一徳著)にて紹介されている事件ですが、以前にそうした見返り品の申請を拡張員から受けて発注を行っていた支部の責任者が、自らの権限を使用する事で新聞社(産経)に金券を大量に購入させる傍から換金し、なんと数千万円にも及ぶ金額を横領していたという事件もあったそうです。無論それらの経費は新聞社が最終的に引き受けることとなったのですが、そうした経費は経営維持のために周りまわって購読者への新聞販売価格に影響することになります。

 このようなとんでもない額とまでいかなくとも、関係者などから話を聞くとみんな多かれ少なかれこのような横領をやっているそうです。またこうした横領に留まらず、見返り品が配られる対象にも大きな問題が潜んでおります。
 新聞は基本的にどこも三ヶ月契約から行えるのですが、契約の度に見返り品がもらえるという事もあって中には見返り品をもらう為だけに意図的に契約を三ヶ月ごとに更新する方も少なくありません。それに対して以前からずっと同じ新聞を購読している人間はというと毎月購読料を払っているにもかかわらずそうした見返り品をもらえることは一切なく、この構図は言い換えるとずっと購読している人間の払う購読料によって得た収入で、新聞社はころころと契約を変える人間に対して見返り品を購入してあげているという構図になります。

 業種こそ違えど、携帯電話会社の契約争奪合戦が激しかった数年前には「0円携帯」という、新規契約者に対して新型携帯電話機の購入費用を携帯電話会社が実質的に負担することで契約を得るという販売方法をどこも行っていました。しかしこの販売方法だと同じ契約料でも既存の契約者層に対して、携帯電話機目当てに契約を度々変える人間がもらえる電話機代の分だけ得していることになるとして、公正取引委員会からの指摘を受けることによって現在ではすでに廃止されておりますが、現在も続いている新聞の拡張の構図はこれ全く同じと言っていいでしょう。

 またこうした費用面の問題に留まらず、確か数年前に拡張員が強引な勧誘を行って暴行を加えたというヤクザまがいの事件も起こっており、夜中に突然押しかけしつこく勧誘するなどといった拡張員のモラルについてもよく取りざたされます。彼ら拡張員からすると取って来た新規購読契約の数だけ報酬が得られるので、報酬目当てにひどいものになると購読料は三ヶ月は無料だなどとありもしないでまかせを言って契約させるという例まであります。またそういった拡張員に対して、三ヶ月ごとにころころ契約を変える購読者は上客になってしまう事実もあります。

 このように費用がかかるだけかかってそのくせ購読者が定着しないのに、一体何故新聞社がこのような拡張にお金をかけるのかといえば、一言で言えば目先の部数が目当てだからといわれております。この拡張に負けず劣らず問題性のある「押し紙」についてもそうですが、新聞社は発行している部数が多くあると言えば言うほど広告費を得られる構図となっており、それこそ水増ししてでも部数を多く見せようとします。そのため定着しないとは言え少しでも部数を上積みしてくれるのであれば湯水のようにお金をかけて得ようとするそうです。そうした少ない部数を奪い合う形で、新聞各社はチキンゲームのようにお金をかけて拡張合戦を繰り返しているというのが現在の状況です。

 私に言わせると、そもそも紙面を充実させて購読者を得ようとするのではなくこのような拡張に大金をかけること自体が新聞社として間違っているように思え、また営業もするならするで契約を次々と変える人間ばかり相手して既存の購読者を大事にしないというのも非常に卑怯だと感じます。そして広告費の算定についても、何故未だに発行部数ではなく購読契約者数(どこも公表していない)を用いないのか、もっとスポンサーは怒ったっていいでしょう。

 なお新聞の集金を行っているうちのお袋のよると、ずっと同じ新聞を購読している人はみんな人当たりがよくて集金に行っても金払いよく払ってくれるのに対して、契約を何度も変える人は金払いも悪いだけでなくあれこれ難癖をつけてくる人が多いそうです。さもありなんな話です。

2009年11月10日火曜日

読書感想文は必要なのか

 以前に見たテレビ番組にて、小中学生への夏休みの宿題である読書感想文をなくせと主張している人を見る事がありました。その人によると読書感想文は大人が本来子供が読みたがらないような本を課題図書にして無理やり読ませるためかえって本嫌いの子供を増やしており、また最近はインターネットの発達によって作品ごとに読書感想文のテンプレートがネット上にあり、横着な子供はそのようなサイトを丸写しするために最早なんの教育にもなっていないという主張でした。
 この人の主張を全面的に肯定するわけではありませんが、私も現行の読書感想文というものはやはり問題が多いように思え、やるかやらないかといえば私もやらない方がかえって良いのではないかと考えております。

 元々私は読書感想文は本を読まない子供でも一応は活字を読む一つのきっかけになるとこれまでは肯定的に見てきていたのですが、この手の議論を見ている中で注目した意見の一つに、読書感想文は大人の意に沿う形で書かないといけないから問題だ、という意見を見てからは見事に立場がひっくり返りました。
 それこそまず課題図書自体が大人の目から選ばれているために子供の本を選ぶ自由を奪っていますし、またそうして決められた課題図書の内容も私の子供時代を思い起こすと、もっと他に選ぶ本はなかったのかと思うくらいにどれもつまらない本にばかりだった気がします。

 そしてそうやって大人によって選ばれた本に対して書く感想文についても、これまた大人の意に沿う形で基本的には本の内容に肯定する形で書かなければならず、たとえ読んでつまらなかったと思ったとしてもどこが面白かったのか、どういったところが印象に残ったのかを無理やりにでも見つけ出して書かなければなりません。まかり間違ってその本を批判しようものなら、たとえどれだけその批判が的を突いた批判だとしても賞を取る事はおろか、場合によっては真面目に書けなどと怒られて書き直させられるかもしれません。

 では実際に読書感想文で本の内容を批判的に書くとしたらどんなものになるのか、ちょっと自分で適当に考えて見ました。

「実にくだらない内容の本である。内容は陳腐でお粗末極まりないもので、こんなくだらない本を課題図書に選んだ選者たちは自らは裸の王様であることをすべからく自覚すべきである」

 やっぱり書いてみると分かりますが、こんな内容の感想文なんて今までに見た事ないです。

 私自身も文章を書くのは割と昔から好きでしたが、この読書感想文はやっぱり書かされているという感じが強くてどうしても好きになれませんでした。言ってしまえば書きたくない感想を無理やり書かされているようなもので、こんなことをしたら子供はますます文章を書きたがらなくなるのではないかと私も思います。
 それならばいっそ、子供がまだ書きたくなる本を漫画やジュニア小説でもいいから自由に選ばせて書かせたほうがずっといい気がします。感想文と来たら文豪の小説でないと駄目などといろいろくくりがありますが、それら文豪の小説も二葉亭四迷の時代では、「そんなものばかり読むな!」と大人たちに怒られていたそうで、そう考えると今の漫画も大差ない気もします。

 一番大事なのは子供たちの意見を無視して強制的に文章を書かせず、本人らがある程度の自発性を持って書ける文章を書かせることにあると思います。枚数もこの際自由にして、つまらないというのならその理由をきちんと長々と書いたら評価するようにした方がいろいろと幅も広がって面白くなってくる気がします。

 最後に、自由に本を選べといってもこれを選んだらいろいろと変な目で見られそうな本をいくつかリストアップしておきます。

・「我が闘争」 ヒトラー著
・「資本論」 マルクス著
・「毛沢東語録」 毛沢東著
・「三島由紀夫全集」 三島由紀夫著

 ついでに書いておくと、現在も評価の高い三島由紀夫の作品は例の事件のせいで国語の教科書に載せると検定に落ちてしまうので、学校教育の場で扱われることは今も全くないそうです。

2009年11月9日月曜日

西洋列強と東洋を分けたもの

 以前に書いた記事で私は資本主義は必ずしも西洋にて16世紀に起こったものではないと主張しました。では19世紀の帝国主義が吹き荒れたあの時代、世界各地に植民地を作った西洋列強諸国に対してことごとく敗退して国土を奪われていった日本を除くアジア諸国、特に眠れる獅子として当初は恐れられた中国はどうしてこれほどまでに遅れを取ったのでしょうか。

 結論から先に言えば、私は間違いなく産業革命の差にあると思います。機関銃や大砲に代表される銃火器を始め、風がなくとも進む蒸気船に代表される造船技術など、当時の西洋と東洋では実用的な技術において格段に西洋が東洋を上回っていました。そうした技術はスチーブンソンが発明した蒸気機関を始めとして産業革命期に次々と生まれて実用化されていき、いわばそうした産業革命を先に起こして技術革新を遂げていたがゆえにあの時代に東洋諸国は西洋列強に辛酸をなめる事になったと私は見ております。

 しかしさらにさらに話を掘り進めて行くと、どうしてそれら産業革命が東洋ではなく西洋で先に起こったのかという話になってきます。これについてもさっさと結論を言うと、それ以前の16世紀から17世紀にかけての科学に対するそれぞれの文化の姿勢が大きく影響していたのではないかと考えており、今日はそういった科学に対する文化のバックグラウンドについて解説します。

 まず最初に断っておくと、昔の中国は決して遅れた国ではありませんでした。日本では戦国時代に普及した鉄砲もそれ以前から大砲のような形ですでに使われており、15世紀までは間違いなく世界で最も先端的な技術を持つ国でした。しかしそんな中国も大体17世紀に入る辺りから徐々に西洋諸国に技術面で追いつかれていきます。どうして当時の西洋諸国がそれだけ技術の発達が起こったのかといえばレオナルド・ダヴィンチやガリレオ、ニュートンを始めとした天才が続々と出現したのもさることながら、科学の研究に対するタブーの度合いが西洋と東洋の文化では圧倒的に違ったのが大きな原因ではないかと思います。

 具体的にどういうことかというと、17世紀以後の中国や日本では国家がその政権を維持するために研究してよい学問分野を規制し、官学というものを作っていきました。日本ではこれが儒学ですが、儒学以外の学問を研究しようとしても本草学や医学以外は大抵弾圧され、また学者として生計を立てることもままなりませんでした。

 それに対して西洋では16世紀に起こった宗教革命、そしてイタリアにて起こったルネサンス運動によってそれまで様々な面で人々の行動を規制していた宗教のタブー性が薄まっていきました。特にルネサンスは強烈で、それまで神々や悪魔の仕業とされていた病気などについても実証的な研究が始められるきっかけともなり、また何かを探求する上で大学などが整備されていった事もあって大幅に学問の自由が認められるようになっております。

 ちなみにその16世紀に活躍した先ほども挙げたガリレオですが、彼は地動説を唱えたものの教会によって弾圧されたとよく言われておりますが、その一方で当時からすでに西洋では地動説が有力となっており、この裁判の存在(ガリレオへの弾圧)自体がなかったのではないかという説があります。私としてもその後のニュートンやケプラーの時にすんなりと地動説が通った事を考えると、やっぱりこの弾圧話はやや誇張があるのではないかという気がします。

 このように科学研究のタブーについて東洋と西洋ではっきりと分かる例は他にもあります。
 そうした最も好例ともいえるのは実は杉田玄白が翻訳した「解体新書」で、当時の日本では人体の解剖は倫理的、道徳的なタブーから厳しく禁止されていたのですが、西洋では16世紀にレオナルド・ダヴィンチが行っているのを始め、「解体新書」の原本の「ターヘルアナトミア」みたいに本になって出版までされております。

 このように科学研究に対して枠を設けなかった西洋と枠を設けた東洋の差が、19世紀の帝国主義時代に現れたのではないかというのが私の見方です。ただこれらの時代に西洋では戦争が何度も行われていたのに大して中国と日本においては比較的平和が保たれていたのを考えると、どちらが本当によかったのかといえば答えに窮します。このところほとんど続きを書いていませんが、連載中の時間の概念にもこの話はつながってきますが、技術が発達するまでの時間を早めた西洋に対して遅めた東洋、こうして比較するとなかなか面白いのではないかと個人的には思います。

2009年11月8日日曜日

安いからには理由がある

 このごろ私がよく思い出す過去の事件の一つに、ミートホープ社による食肉偽装事件があります。食肉偽装事件とくれば日ハム、雪印、ハンナンの行ったBSE対策保証金詐欺事件が有名ですが、こちらのミートホープ社の事件はそれらの政府に対する偽装事件とは違い、消費者(正確には小売店)に対して行われていた偽装不正事件です。

 具体的にどのような不正が為されていたかというと、100%牛肉のミンチ肉として出荷される商品の中に価格の安い豚肉や鶏肉のミンチを混ぜたり、消費期限が過ぎた肉をばれない程度の配合でミンチ肉に混ぜたり、中には見栄えを良くする為だけに牛や豚の血を混ぜて出荷したりなどといった、よくもまぁこれだけ考えられるものかというほどの偽装を幾重にも施し、不正を恒常的に行っていました。
 最終的にこのミートホープ社の偽装は幹部社員の朝日新聞への内部告発によって明るみに出ましたが、詳細はウィキペディアにも書かれてように、当初この内部告発者は農水省に直接不正の事実を伝えたものの農水省側はミートホープを指導するどころか調査すら全く行わず、結局すべてが明るみに出るには朝日新聞のスクープを待たなければなりませんでした。

 またそのスクープに対して開かれた記者会見にてミートホープの元社長は当初は現場が勝手に行った行為だとして故意の偽装を認めませんでしたが、元社長の息子がカメラが回っているその場にて、「社長、真実を話してください」と翻意を促すことでようやく会社ぐるみの偽装を認めました。この会見といい内部告発といい、事件の問題性はともかくまだ良識のある人間が社内にいたのだと当時に思った事は今でも強く印象に残っています。

 ただ私がこの事件で一番強く覚えているのはその後の元社長の発言です。何故このような偽装を行ったのかという記者の質問に対し元社長は、消費者が安い商品を求めるからだ、安いものを求める消費者が悪い、などといった責任を転嫁する発言をその後繰り返して行いました。まさしく盗人猛々しい発言この上もないのですが、当時の私のバイト先の喫茶店のマスターはこうした元社長の発言に対して問題がある発言だとした上で、一部では確かに真理を突いていると評していました。

 そのマスターが言うには、その商品が他の同列の商品と安い場合には必ず背後に理由があるとのことで、消費者の側も何も考えずにただ安いから購入するというのはそれはそれで問題があると指摘していました。もちろん消費者はその商品が何故安いのかという理由を容易に知る事はできませんが、安いからには必ず理由があるとしてある程度疑いの目を持つのが当然だとも述べていました。

 そのバイト先の喫茶店メニューは京都の店らしく、値段はどれもやや高めだったのですがその分食材に対するマスターのこだわりは強く、コーヒー豆も店でブレンドした上に料理においてもわざわざ指定の八百屋から調達するなどして品質の維持に厳しく努めていました。それまでの私ははっきり言って貧乏性もいいところで、安いものほど価値があるとしてコーヒーなんかドトールでしか外では飲まなかったのですが、このバイト先を経験してからは、「高いものにはそれだけの価値と品質という理由がある」として、最近ではむしろ400円以上のコーヒーを飲む事の方が多い、っていうか安いコーヒーは忌避するようになりました。

 こうした商品価格がどのように形成されていくかについてはマルクスの「資本論」が非常に詳細に分析されていて面白いのですが、やっぱりこういうものとかを読んでいたりすると価格というものは必ず現実にある事実を反映するように出来ているものだとつくづく思います。日本では作れないコーヒー豆を使うコーヒーが何故こんなに安価で日本で飲めるのかといえば、日本とは比較にならない低賃金での労働が南米やアフリカで行われているのであって、コーヒー自体の価値や需要が低いというわけではないなど、このミートホープ社の事件での偽装も価格に反映されてそれを消費者も許容していたのだろうと思います。

 何故このミートホープ社の事件を最近によく思い起こすかというと、今も日本はデフレ真っ只中ですが、そのデフレを牽引していると言ってはなんですがある衣料品販売会社の激安商品がこのところよく紙面にて取り上げられております。近頃は千円ジーンズなども出てきた事で既存のジーンズ会社のEDWINやBOBSONが悲鳴を挙げているとも聞きますが、私の友人が言うには、急成長する会社というのは意外と脇が甘いということもあり、何かをきっかけにガクっと駄目になるのではとその衣料品販売会社を評していました。
 私自身、このところの衣料品の値下がり振りはいくらデフレだからといっても異常にしか見えず、この衣料品販売会社の名前を見るたびに思い出すのが先ほどのミートホープの元社長の発言なのです。

 もちろんその会社の黒い噂なんていうものを私は一つも聞いたことはなく、正当な企業努力によってその低価格が作られているのに越した事はないとは思いますが、いくら中国での現地生産が効率的に行われているからといってここまで出来るものかと疑ってしまいます。
 仮にその会社が何かしらの不正によってその低価格を実現しているのであれば、その低価格は間違いなく衣料品市場を歪めているのみならず日本全体でデフレを加速させる要因の一つとなっており非常に問題があると言わざるを得ません。

 安いからには理由があると、その理由を追うのが経済ジャーナリストなんだけど本当の所はどうなんだろうなぁ。

2009年11月7日土曜日

血と涙のバレンタイン事件

 テレビアニメの「機動戦士ガンダムSEED」の作中にて、「血のバレンタイン事件」という架空の事件があります。この事件は文字通りバレンタインデーに起こった一般市民を含めた虐殺事件のことで、この事件がきっかけとなってこの作品のメインストーリーである戦争が引き起こされたとされているのですが、実は私もこの事件に負けず劣らずの恐ろしい事件を奇しくも同じバレンタインデーに引き起こしてしまった事があります。今日マンガ喫茶で読んだ「TO LOVEる」の最新刊にてラブコメではスルーする事の出来ないバレンタインデーを舞台にした回があり、それを目にしたことでその事件を今更になって思い出してしまいました。

 それは私がまだ中学生の頃でした。適当に気を抜きながら課題をやれる美術の時間にて友人と談笑していると、一週間後に迫ったバレンタインデーについて話題が及びました。今でもそうですが女性ととんと縁のない私からするとバレンタインデーはほとんど関係のイベントなのですが、ちょうどその時の私たちとクラスを別にする友人、仮に増田君とすると、彼はそれほどモテるわけではないのですが年相応に女性への興味をいつも周りにぼやいており、目前に迫ったバレンタインについても誰かチョコをくれないものかと私たちに洩らしていました。

 増田君は常に情熱的な友人で、そんな彼に対して何かしてあげられることはないものかとその美術の時間に相談している時、ここは一つ女子生徒の代わりに我々からチョコを送ってあげればいいのではないかという案が出てきました。なおこの時にはその増田君以外にもチョコをあげる候補を出てきたのですが、厳正な審査の結果、もといひっかかってくれそうなのは増田君しかいないということで、彼にターゲットを絞って我々は計画を練る事にしました。作戦名も「オペレーションメテオ」と名づけられ、彼にばれないように秘密裏に計画は進められていきました。
 具体的な作戦内容は私がチョコレートを自作し、送り人がわからぬように彼の下駄箱に放り込むという綿密な計画でした。なおこの時に私が自作したチョコレートですが、わざわざハート型にくりぬく力の入れようで、湯煎する際に台所中がチョコレート臭くなったのを未だに覚えています。

 そして来る悲劇の日、バレンタインデー。私と仲間たちは昼休みに彼の下駄箱へそっとチョコレートを忍ばせ、放課後が来るのを心して待ち受けていました。さすがに彼が下駄箱を開ける現場に製作者の私がいるといろいろと厄介な目に遭うのは目に見えていたので、増田君には別の友人に張り付いてもらってその時のリアクションを観察するようにお願いしていました。
 その友人によると、下駄箱を開けてチョコを見つけた増田君は本当に大喜びして、「やったよ、俺にもチョコ来てたよ!ヽ(゚▽゚*)ノ」と周囲にその喜びをかなり大げさに伝えていたようです。それからしばらくは終始ご機嫌で、見ている方が気の毒になるほどだったそうです。

 結局、校門を出た所でその友人がネタばらしをしてそのチョコの製作者は私であることを伝えたのですが、その時の落胆振りは是非この目で見てみたかったものです。明けて次の日には案の定増田君にはこっぴどく怒られてしまいましたが、たとえ一瞬でも彼に希望を与えられたことを私は今でも誇りに思っております。
 ただこの事件は後々にまで影響を及ぼし、その後毎年バレンタインデーが来る度に、「あの年の増田君は花園のチョコで大喜びをした」と言われるようになり、その度に情熱的な増田君は私に厳しい視線を送るようになってしまいました。

 今現在の私は増田君とは交流がありませんが、今でも彼のその情熱ぶり、っていうか引っかかりやすい性格振りを思い出しては懐かしく思います。私は中学、高校時代にはあまりいい思い出がなく、年相応のスクールライフというものをほとんど経験していませんが、増田君が関わってくる思い出についてのみは本当に宝物と言っていいような思い出ばかりです。
 ただ別の友人にこのときのバレンタイン事件を話すと、「それ、普通にイジメちゃうの?」と言われちゃいますが……。

2009年11月5日木曜日

自立的であることとはどういう意味?

 昨日に書いた記事にて私の専門は国際政治とは言いいましたが、実際にはこの分野で何かしら誰かに指示したこともなければ専門的な教育を受けたわけではなく、あくまで独学の範囲での専門であります。得意なのは間違いはないけど。
 じゃあ本当の専門はと言うのであれば、きちんと教育を受けてそこそこ専門的な範囲も取り扱ったのであればプロフィールにも書いてある通りに社会学です。なので周りには自分の専門は一応社会学とは言うのですが、決まって話した人からは、「社会学って何?」と、問い返されてしまう事が非常に多いです。社会学自体はなんか響きがいいのかこの所、各大学の学部受験希望者数が増えているとは聞きますが実態的にどんな学問か理解されているかといえば私はそれほど理解されてはいないかと思います。

 ではそんな社会学は一体どういう学問分野なのかといえば、これは私が出た授業の講師も言っていましたが、これが社会学といえばなんでも社会学になってしまうほど非常に分野範囲が曖昧な学問です。はっきり言って社会学も心理学も言った者勝ちな所のある学問なのでよくあるニセ科学に利用されている事の方が多く、イタリア人社会学者のパオロ・マッツァリーノ氏もその著書にて、

「よくテレビに出てくる悪の集団は○○博士のように理系ばかり使うからダメなんですよ。死神社会学者や地獄心理学者のような文系をリクルートすれば、統計操作と深層心理を使う事でどんな理論も思いのままです」

 と自らの専門分野を評していましたが、私は未だこれ以上に社会学を端的に言い表した発言は見た事がありません。
 しかし私も自分の出身学問分野なだけに全部が全部否定するわけでもなくまだ社会学を肯定的に見ている面もあるので、一つそれを説明するのにある有名な例を紹介します。
 
 学校にて先生が生徒たちに対し、「もっと自立的になりなさい」と、言うのに対して生徒たちは、「わかりました」という場面があるとします。この場合、先生の「自立的になれ」という指示に生徒たちがわかりましたと言うのは「従う」という行為に当たり、皮肉な事に先生の言う事を聞くことが自立的にという指示に逆らうことになります。
 だからといって先生の指示に対して、「嫌です」と拒否しても、こちらも自立的にという指示に逆ら一方で生徒らは自立的に行動している事になります。

 なんかこう書くと言葉の端々を捉まえて文句を言い合う水掛け論みたいな話に見えますが、社会学というのはこういうことを真剣に考える学問だと私は考えています。具体的にこの話でどこが重要なのかというと、先生の「自立的になれ」という指示にその言葉の意味だけでなく命令という行為も含まれており、いわば一つの行動に複数の意味があることになります。また生徒の側もその先生の指示への返答にはその言葉の中身と返答する行為の二つの意味があり、片方では相手の行為に対応した行為が取られているのに、もう片方では対応しなくなる羽目となるのです。

 政治学では権力者と従属者、経済学では雇用者と労働者のように、他の学問では行為者と被行為者というものが初めから割合にはっきりと区別されている事が多いですが、社会学では全般的にこの区別が非常に曖昧な学問です。例えばある企業が自分たちの方針を問うために一般市民にアンケートを取るという行為一つとっても、アンケートを受ける事で市民がその企業へのイメージを変わり、そうしてイメージを変える市民からのアンケートを受ける企業も方針を変えていくなどと、行為者と被行為者の間で常に相互に影響を与え続けて変化し合うことを前提にします。このように社会学というのは、どの行為を行うことでどんな結果が生まれるかを考えるのではなく、その行為が行為者を含め相互の間にどのような変化や効果をもたらすのかを主題にして考えます。いわば行為者と被行為者の中間に焦点を当てる学問といっていいでしょう。

 もちろん社会学すべてがこのように言えるわけじゃないのですが、少なくとも何年も社会学を勉強してきた私が社会学はどんな学問かと問われるのならば、国家程大きくなく中規模集団のシステムの中でどのような相互干渉を行う行動ががあるのかを調べる学問だと私は答えるようにしております。

 なお先ほどの先生の自立的になれという指示に対する、私の考える模範解答は以下の通りです。
「てめぇの指図は受けねぇ( ゚д゚)、ペッ」

2009年11月4日水曜日

現在の国際状況について

 久々に自分の専門の国際政治の話でも書こうと思います。本題を書く前にまず、私が2004年ごろに抱いていた国際状況を簡単に説明しましょう。

 2004年当時の国際情勢において何が一番重要な政治軸であったかといえば、それはやはりイラク戦争とその後のアメリカの孤立主義です。アフガニスタンについてはまだ苦しい言い訳が成り立ったもののイラク戦争においてアメリカはフランス、ドイツ、ロシアを初めとしたイギリスを除く各ヨーロッパ諸国より激しく批判されただけでなく、中東世界からも断絶に近い形で関係を一挙に冷やしてしまいました。
 そんなアメリカについた国はというとどれも経済面でもアメリカに追従して新自由主義を取り入れた国ばかりで、筆頭たるは同じくアングロサクソンのイギリス、そして地続きの南米北米諸国、最後にアジアからは日本や韓国といった以前からアメリカ依存の強かった国でした。

 私は当時、このように各国が持つ国際社会への立場や経済体制の違いから今後は本格的に親アメリカVS反アメリカという構図で、両者の対立がどんどんと大きくなっていくだろうと考えていました。先進国で言えばアメリカとイギリスのタッグに対し、フランス、ドイツが引っ張るEUに当時猛接近していたロシアというヨーロッパ諸国が挑むというような具合です。

 ただもちろんこの二派ですべて完結するわけでなくこのいずれにも属さぬ第三勢力も出てくるだろうと見ており、そんな第三勢力の代表には言うまでもなく米欧両者に距離を置きながら自らこそが世界の覇者だとして本当に信じて疑わない中国が来るであろうとして、三国志で言うなら呉のように状況次第でどっちつかずな勢力となっていくだろうと考えていました。それに対して我らが日本はどうするかといえば文字通り選択肢は三つで、このままアメリカに追従するか、ヨーロッパと組むことで彼らのアジアの橋頭堡として頑張るか、中国に従って一発逆転を図るかという風にシミュレーションしていました。

 そんな風に気の早い予想をしてすでに五年経ち、現在の状況をみるといくつか想定と違ってきた部分が見えてきました。まずその後の日本ですが、今の沖縄の基地問題を初めとして民主党政権に変わった事によってアメリカに対して少しだけ反抗を行うようにはなりましたが、基本的にはアメリカ追従路線を未だ継続しているといっていいでしょう。この点はまぁ予想通りだったのですが、この五年間における国際状況の最大の変化とくればやはりその当事者たるアメリカの大変貌でしょう。

 政治面ではオバマ大統領に代わったことによりこれまでの中東への強圧政策はまだ続いているもののややブレーキがかかり、なおかつ全く歩み寄りを見せなかった国際環境問題でもEU諸国に妥協する姿勢も見せ、そしてなにより非核化を強く訴える事で形だけとはいえ平和路線を内外にアピールするようになりました。
 また経済面でも、去年のリーマンショックの影響によって、もう大分戻っちゃったけど新自由主義が一時大きく後退することになりました。言っちゃなんだけど一番かわいそうなのはイギリスで、これまでアメリカにべったりとくっついてきたのにアメリカ自体が大きく転換し始めるようになり、掛けたはしごを外されるかのように政治面でも経済面でも不安定なままです。

 またイギリスに限らずアメリカと対立してるように見えたEUを初めとしたヨーロッパ諸国も、あれだけ新自由主義を批判していたくせに自分たちも結局は同じ穴のムジナであったためにリーマンショックの影響を強く受け、本当に皮肉な話ですが現在はアメリカに批判するだけの力すら無くなったように見えます。

 ただそうした経済面以上に私が注目しているのは、イラク戦争直後にはあれだけ協調路線を取っていたロシアが、どうもこのところまたヨーロッパと距離を置き始めたように見える点です。そもそも当時のプーチン大統領はドイツ駐在が長かったためにかねてよりヨーロッパ贔屓だという話を聞いていただけに理解できたのですが、プーチンに変わったメドベージェフ現大統領は手の平を返すほどではありませんが、どうもプーチンよりはヨーロッパに対して冷淡な気がします。さらにこれは今年の夏にちょこっと聞いた話ですが、最初はそれこそ両刀、じゃなくて両頭体制といわれたプーチンとメドベージェフですが、なにやら少しずつ両者の間に隙間風が吹き始めているという話を耳にしました。だとするとメドベージェフ現大統領はヨーロッパを嫌っているのではないかという話になってきますが。

 そうした欧米対立の変化に対してアジアでは、日本が首相がころころ変わる政治的混乱によって国際社会で権威を落としている中、依然と中国が強い存在感を保っております。ただ中国は北京五輪を終えて一挙に先進国入りかと思いきや終わってみると案外静かなもので、経済は未だ好調を保っているものの五輪直前ほどの圧倒的な存在感は感じられないように思えます。実態的にはGDPで日本を抜き、また外貨準備高で世界一位になるなど成長を止めてはいないのですが、前ほどの勢いがさすがに無いという事でなんとなく見劣りしてしまう感じです。

 最後に私が今後の注目株として目している国はどこかというと、2016年にオリンピック開催を決めたブラジルです。元々BRICS諸国の一つでその高成長は注目されていたものの、リーマンショックで一旦ブレーキがかかってやはりダメだったかと思われたブラジルですが、かえってアメリカのプレゼンスが弱まり今後は南米の雄として存在感が強くなっていくのではないかと考えております。あくまで、私の予想ですが。

2009年11月3日火曜日

北京留学記~その二十、連美香

 他のクラスメートの名前はカタカナ下記でしたが、今日紹介する彼女については漢字名も詳しく覚えていたのでこの表記で通します。さてこのところこの体験記で続いているクラスメート紹介もとうとう最終回ですが、オオトリを締めるは祖父が中国人クウォーターであるタイ人の連美香です。彼女は三人姉妹の真ん中っ子で、留学には姉妹三人で来ており、時たま授業をサボる事はあっても比較的出席率の高い真面目な学生でした。

 留学中の授業は日本の大学同様に基本的に席順は決まってはいないものの授業開始から大体数週間もすればみんな同じ位置に座りだすのですが、私の席の隣に陣取るようになったのがこの連美香でした。それこそ最初はやけに服装が派手なスペイン人の姉さんが隣でしたが二週間目くらいから彼女が隣に来てその後卒業までずっと隣同士でした。とはいえ隣同士になったから妙なロマンスとかが始まるわけでもなく、他のクラスメートと比べて休み時間に雑談を交わすことが多かった程度でした。ただそうした時間が多かったおかげとも言うべきか、彼女からはタイの国の状況から風習まで結構詳しい話を聞く事が出来ました。

 ただそれほど私と会話する事の多かった連美香でしたが、実を言うと当初私は彼女に対してあらぬ疑いを持っていました。その疑いというのも、彼女の出身国がタイということもあって見かけは明らかに女性ですがもしやニューハーフではないかという疑いでした。普通ならそれとなく聞くべきなのでしょうが私はこういうところは妙にストレートに聞くことがあり、ある程度仲良くなった時点で直接、「タイにはニューハーフが多いけど、まさか君は違うよね?」と言い出す始末でした。もちろん、笑いなら彼女は否定してくれましたが。

 その時の会話の延長線でそのまま、日本人はタイにニューハーフが多いというイメージを持っていることについて詳しく聞いてみましたが、タイ人もそのようなイメージについては自分達でも認識しているようで、
「確かに、私達の国はニューハーフが多いけど、それはあまり私達が性別にこだわらないからだと思う」
 と、至極適切な返答をしてくれました。ただ性別にこだわらないというのはそのようなニューハーフかどうかというラインだけで、女性の社会的な地位については日本と同じく、いやそれ以上にジェンダーフリーは進んでおらず、何でも彼女が通った近所の進学高校では生徒のほとんどが男子で肩身の狭い思いをしたそうです。というのもタイの女子はほとんどが日本の昔の女子高のようなところに進学するようで、彼女の両親は教育環境を考えて近くで唯一共学で入れそうな進学校がそこに進学したそうです。

 その話を聞いた後、今度は逆にタイ人は日本人に対してどんなイメージをもっているかと聞いてみたら、なかなか外では聞けない面白い返答をしてくれました。やはりタイでも日本人と言うとビジネスマンを想像するらしく、技術があって商売のうまい民族といったイメージだそうです。だがあくまでそれは今の話であって、昔はどうもタイ語で「小さい人」と揶揄していたそうです。
 この言葉の意味は素直に侮蔑を込められており、二次大戦の最中にタイに進軍した日本人を心苦く考え、同じ侵略者でも欧米人より小さい奴、という意味合いで使っていたそうです。どことなく中国語における日本人への侮蔑語の、「小日本」に近いような気がします。

 またこの時とは別の時にちょうどタイの当時の首相であるタクシン元首相が、タイの国王に辞職を勧められた際には国の制度について聞いてみました。
 基本は日本と同じ議院内閣制で、最も権力があるのはやはり首相だそうです。そして前から気にかかっていた、タイにおける国民の国王への意識はどうかと聞いてみたところ、やはりと言うべきか絶大な信頼を語って見せました。

 タイでは国民すべてが国王を信頼しており、王制についても断然存続すべきだと皆考えていると答えていました。なおこの時に私は日本の天皇制について彼女に教えましたが、存続するべきだという意見は強いが、日本の天皇はタイの国王のように政治には一切介入する事を禁じられていると教えたら驚いて聞いていました。

 最後に、アジア人は欧米人と比べてどこでも実年齢より低く見られる事が多いといわれていますが、私もこの例に漏れず連美香が女性の中で体格も小さい方だったこともあってずっと年下かと思っていましたが、卒業する間際で自分より年上だとわかってびっくりさせられました。その驚いた事を正直に話したら、向こうは向こうで私の事を高校生くらいだと思っていたそうです。知らぬは自分ばかりとはいうものです。

2009年11月2日月曜日

想定外のスーパー、AZ

 先週に放映された「ヒミツのケンミンショー」の地域特集にて鹿児島県が特集されていましたが、その中で紹介されたある商店に番組が出てくるや私と私のお袋は揃って、「あ、やっぱこれか」と思わず一緒ににやけてしまいました。そのスーパーというのも、鹿児島県阿久根市にあるAZです。

A-Zスーパーセンター(ウィキペディア)

 正式な表記は「A-Z」ですが、めんどいのでこのままAZで通します。ちょっとこの記事では題をどうするかに悩み最初は、「阿久根を支えるAZ」にしようかと思いましたが、なんか本来の記事の趣旨と変わってくるので数年前の流行語の「想定外」とつけることにしました。
 では一体このAZは何が想定外なのかというと、あり大抵に言えばそれまでのスーパー経営の概念で正攻法といわれる手法をことごとくひっくり返して成功している点です。

 ではそんな常識を破るAZの経営方法というのはどんなものかというと、グダグダ長文で書くのもなんですので箇条書きにしてまとめて紹介しましょう。

1、店舗面積が広いめちゃくちゃ広い
2、取扱商品点数が非常に多い(30万点以上)
3、食料品や日用品だけでなく、自動車やガソリンの販売、車検も行う
4、電話で呼べば、片道100円でバス送迎に家まで往復する
5、これでいて24時間営業


 一つ一つもう少し詳しく説明すると、まず1番目ですがリンク先のウィキペディアにある写真を見れば分かるとおりにまるでアメリカのショッピングセンターかと思うくらいだだっ広い店舗です。しかしアメリカやその他の日本のショッピングセンター、モールと違う点として、このAZには二階がないというのが大きな特徴です。何故二階がないのかというと主要客である過疎化の進む阿久根の老人らにとって階を跨ぐ移動は大きな苦痛であるとして平屋建てを貫いているそうです。

 次に2番目ですが、これはそれこそ客の要望があれば何でもかんでも商品を揃えるとしており、醤油一つとってもありえないほどの種類分が用意されているそうです。なお鹿児島及び九州の醤油は他の地方と比べて非常に甘い味をしているので、多分私なんかも阿久根に住んだら重宝しそうです。
 そんなAZの豊富な品揃えを語る上で外せないのが3番目の特徴で、なんと自動車本体までもそれこそディーラー店のように店舗に並べ、しかも各種保険、取得手続きまで購入と同時に行えるようになっているので買ったその日にそのままその車に乗って家に帰れるそうです。

 ここまでだけでも相当異常な経営方法ですが私が最も評価してなおかつ最も独特だと思える特徴なのが、続く4番目の電話一本片道百円でドアツードアで客を運ぶ移動サービスです。これなんか九州や四国といった地方に住んだ経験のある方なら分かるかと思いますが、このような地方では本当に泣けるくらいに道がありません。また道があったとしてもひどい悪路で、しかも各都市ごとの距離も半端でないために車を持たない人間はおいそれと気軽に出かける事が出来ず、それが体力のない老人ともなると尚更です。
 AZの社長の牧尾氏はこのような鹿児島県阿久根市の環境からこのサービスを考案したらしいのですが周囲はそんなサービスが成り立つわけないと予想していたものの、そんな予想を見事に裏切り、このサービスによって遠出の買い物に満足にいくことのできない老人らを顧客層としてしっかりと引き入れることに成功したそうです。

 そして最後5番目の24時間営業ですが、これも大都市であるならばともかく、何度も言いますが鹿児島の過疎化の進む阿久根市ではランニングコストだけが無駄にかかるのではと言われていたのですがウィキペディアの記事を引用すると、「夜9時から翌朝7時までの売上げが、全売上げの3割を占めるという。」とのことで、なんでもコンビニのないこの地域で夜間に緊急に買い物が必要になった時に頼りにされているそうです。

 このようにことごとくスーパー経営の常道を突き破ってAZは成功し、当初は阿久根市の本店のみだった店舗もこの不況下ながら現在三店舗になり、今後もさらに増やす計画だそうです。こうしたことからこのAZはなにもケンミンショーにて特集される前から主に日経がバックにいるテレビ東京の番組でも何度か取り上げられており、もしかしたらそうした番組をすでに見ていてこのAZの事を知っている方もおられるかもしれません。

 ただそうした番組で取り上げられていないちょっとレアなAZの情報をここで出すと、社長の牧尾氏がAZを始めるにあたって参考にしたのは千葉県にある「ケーヨーホームセンター」というディスカウントショップらしいそうで、牧尾氏が若い頃に千葉県にいた際にここで働いた経験から豊富な品揃えと共に客層を考えた経営をするべきと考え、成功した今でも若手社員の教育研修のためにケーヨーホームセンターに派遣するそうです。
 何故こんなことを私が知っているかですが、実はAZの本店がある阿久根市というのはうちのお袋の実家で、私は阿久根市の隣の出水市の生まれですが子供の頃は私もこの阿久根の祖父や叔母のところへ何度も遊びに行っていました。それでこれなんか地方の人には分かってもらえると思いますが、田舎というのは本当に狭いもので、AZ社長の牧尾氏というのはうちのお袋の同級生の兄弟で、近年ここが成功してからというものお袋の親戚が集まろうものなら、

「マキオのところは羽振りがいいわよね」
「パン屋やっとった○○いるでしょ。今そいつも自分の店畳んでAZで働いてるわよ」

 などと、非常に緻密なレベルでの情報交換が行われています。それこそ石を投げれば関係者にあたるくらいの狭さで、同級生なり友達なり兄弟なりで人間関係が全部つながってくるというから驚きです。

 とはいえ人口が減少していく鹿児島の片田舎において、地元資本のスーパーがここまで急成長に成功したというのは刮目に値します。私も機会があればここに参与観察でもして見たいものですが、お袋に話し通して一ヶ月でも働いてみようかな。

  おまけ
 ウィキペディアの記事にも書かれていますが、AZの開店初日に大きな地震が鹿児島を襲い、店に来ていた客がみんなレジを通さずに商品持って逃げて行ったそうでいきなり約五百万円の損失を出したそうです。それでもその後持ち直したのだからなお凄い。