相互リンク相手のサカタさんのブログ「毘沙門道」にて、「パプテマス・シロッコ」の記事がアップされたので、応援の意味を込めてちょっと関連する内容というか私の考えを書いてみようかと思います。
まず先にこのパプテマスシロッコというキャラクターの事を簡単に説明すると、この人は「機動戦士Zガンダム」に出てくる登場人物で、物語全般の黒幕に当たるような人物です。一貫して野心の強い人物として描かれており、特に作中の彼のセリフで、「常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才だ!!」というセリフは彼の役柄を強く反映しております。
さてこのシロッコのセリフですが、何を隠そう実は常日頃から私も口にしているセリフです。
こう書くと本当に見も蓋もないですが、あのシロッコのセリフを中学生の頃に聞いてなるほどと得心した私はそのまんま引用する形であちこちで口にしては周囲から多大な顰蹙を買っております。無論こんな事言えば顰蹙買うのはわかっているのですが、それでも私は言わなければならないと考えており、保身を気にせずまともに話が出来る相手には結構急なタイミングとかで言い出したりします。
では何故そこまでして私がこのセリフを言うのかですが、一番大きい理由としてはまず私自身が世の中を正の方向へ大きく牽引、発展させるためにはどうしても天才の力が必要だと強く認識しているからです。はっきり言って凡人が何百人いたところで画期的なアイデアが議論の上に生まれてくるわけでなく、天才のひらめきと言うか、突飛で常識破りな価値観や考え方というものがいつの時代にもどの場所にも私は必要だと考えております。トーマス・エジソンなんかもこういう風に考えていたらしく、彼の名言としてよく挙げられる、「天才とは99%の努力と1%のひらめきが必要」というセリフは実際には、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄だ」という発言だったらしいそうです。
そうした取り方にとっては差別的ともとられかねない意見の次に、私は天才を世に出すということは非常に難しいと考えるがゆえに先程のセリフを敢えて発言する必要があると考えております。この、天才を世に出す難しさといっても、ピンと来る人はそれほどいないかと思われるので、ちょっとそのあたりについて詳しく解説します。
まず天才と一言で言っても、実に様々なタイプがあります。それこそ勉強もスポーツも出来る万能型や、ある野球のセンスはずば抜けているが言語センスもある意味でずば抜けている長嶋茂雄氏のような特化型、果てには欠損とも言えるほどに何かが出来ない一方で他の人が真似できないことをすることが出来る逆補償型などなど。それこそ一番最初の万能型であれば世の中に出てきてそこそこ用を成す、仕事を成すという事はそれほど難しくなさそうですが、後の二者となるとその特化している分野の世界に入ることが出来なければこれまたただの人で終わってしまいます。
またたとえその秀でた力を活用できる世界や現場にうまいこと入れたとしても、それ相応の地位や権限、またはチャンスがなければその力を十二分に活用することも適いません。
私が何故こんなことを言うのかというと、思うに世の中はそのような埋もれた天才と言うものが数多くいるからではないかと思うからです。元々そんな風に思うようになったのも中国史の史記を読んだことからで、歴史上数多の天才が現れるもののことごとく旧来の勢力、天才の立身出世を妬む者らによってその地位を引き摺り下ろされるものもいれば中には暗殺される者も多く、結果論からですがどうしてこんなまともな案を採用せずにあのような愚者の案を使ってしまうのかと何度となく考えさせられたからです。
この様な天才の活躍が阻まれるという逸話は中国史(明らかに中国は他国と比して多いけど)に限らず世界中どこの歴史でも見ることが出来、いくつか例を出すとカルタゴのハンニバルや菅原道真、真田幸村にメンデルなど、どれも悲劇の人物としてよく取り扱われます。また歴史の表舞台に名前の挙がってない無名の天才というのも、主に画家や作家といった芸術分野において数多くおります。しんがぎんなんかこの類かな。
こういった過去の歴史から私は、天才を生み出す難しさ以上に天才を世に出す難しさの方が上なのではと思うようになりました。特に私の得意とする政治、行政分野においては元々の門戸が狭いという事もあって、ほんとうにしょうもない人物の奸計によって立派な人物が退場を余儀なくされることなど日常茶飯事です。それゆえに志の高い人間、実力のある人間を本当の意味で応援する、言うなれば天才を下支えするという事がこの分野においては特に求められているかと思います。
そういった思いからか、こういうブログを運営するようになっていったのかもしれません。まぁウォッチャーの役割を果たす重要性もさることながら、プレイヤーになりたいという下心も全くないわけじゃありませんが。
5 件のコメント:
確かに天才の足かせになってはいけませんよね。その意見には私も同意します。やる気のある人間、才能のある人間にはやりたいようにやらせるべきだと常日頃から思っています。私の研究のペアなんかは研究に対して俄然やる気で、土曜・祝日までやりこんでしまうのですが、発表、卒論などはまったく興味が無いので、すべて私がしております。そういったバックアップをする人間は凡人のほうが向いていると思うので、せめてやる気が無いなら、やる気のある人間のバックアップにまわるべきであろうと思っています。そういう人間のバックアップはかなり大変になりますけどね・・・。
よく「天才は一日にして成らず」といわれますが、さしずめ「天才は一人にしてならず」といったところでしょうか。凡人だから無能と言うわけじゃなく、天才の一助となろうという気概も必要なのではないかと思い、例のシロッコのセリフを事あるごとに使うに至りました。
こんにちはお久しぶりです。
世の中に数多く天才が埋もれているのは同感です。
歴史に名を残す程の天才は当然才能・努力・運が必要ですからね。
天才に限らず、凡才でも国民の大多数が己の得手不得手を知り得手の方向で社会の一員として活動する事が出来れば国力は高まるでしょうね
先ずは研究機関などから小・中学校へ行き才能のある子を青田買いでもしたら良いのでは?などと思ってしまいます(笑)
namisenさん、こちらこそお久しぶりです。
それにしても奇遇と言うか、以前にコメントいただいた時間の概念についての連載を今日からまた再開します。本当は早くまた再開したかったのですが、留学体験記に手間取られていたのもあり、ようやく万難を排してこちらにも臨めます。
理化学の研究なんかは小学生や中学生の段階で明らかに特化した人間も少なくないので、確かに青田刈りになってしまいますが私も研究所が野球のドラフトみたいにしてスカウトするのがいいと思います。だとすると私みたいに古文が得意だった人間はどこが取ってくれるのかな。
遅レスですいません(汗)
ちょこちょこ拝見はしていますがコメント打つ時間がなかなかどうしてでして....。
で、レスです。
「天才は天才を知る」とか「類は類を呼ぶ」などと素敵な言葉がございますので大丈夫かと(笑)
しかし、学問に限らず”特化している”ことの最大の条件としてはセンスの有無ではないでしょうか?
その為にも現在、その分野で最先端に居る特化している方々が後輩の育成を視野に入れて行動を起こす事が出来れば良いのですけどね
その前に自身の名誉欲で人(後輩)の手柄を横取りや他の研究のお邪魔をしたりするような人を排除する必要があるでしょうね(苦言)
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