そんなわけで本題ですが、結論から言うと日本語の代名詞は種類が多過ぎてめんどっちいです。ここで取り上げる代名詞とは会話の際に直接話しかける相手への代名詞で、専門用語を使うなら「二人称代名詞」というやつですが、私の方から例を出すとこんなにもいっぱいあります。
<日本語の主な二人称代名詞>
・君……同格の人物に対し使用する。
・あなた……同格、または目上の人物に対し使用する。
・お前……同格、または目下の人物に対し使用する。
・あんた……同格、または目下の人物に対し使用する。
・貴様……部下、または敵対する相手へ使用する。尊敬語から侮蔑後に変化した好例。
・てめぇ……侮蔑的意味を持ち、ヤンキーぶった人が主に使用する。
・自分……関西圏を中心に同格の人物などへ使用する。関東人が言われると確実に戸惑う。
・おのれ……関西圏を中心に同格、または目下の人物に対し使用される。
・おどれ……広島県を中心に同格、または目下の人物に対し使用される。
・おどりゃ……クソ森に対し使用される。
・お主……時代劇マニアなどが使用する。
・貴殿……麻呂っぽい人が使用する。
・そなた……麻呂っぽい人と中二病入った人が使用する。
・うぬ……主に拳王が使用する。
・ユー……主にルー大柴とジャニーさんが使用する。
以上を見てもらえばわかるでしょうが、改めて眺めるとどれも同じ意味でありながら相手や場面によって使い分けられていることを考えるとあまりにも種類が多すぎるように思えてなりません。ネイティブの日本人ならともかく、外国人が日本語を学ぶ際には使い分けにおいて面倒なことの方が多いでしょう。
はっきり言ってしまうと私はこの二人称代名詞の使い分けは言語的にも何も美しさを感じないし、場面によって使い分けなければならない煩雑さと、自分が他人から「おい、お前」と言われた時にカチンとストレスに感じる事を考えると、不必要な使い分けにしかなっていないのではないかと思えてなりません。
なんで私がこう思うのかというと、外国語ではこんなにも煩雑な使い分けがないからです。ほかの国の二人称代名詞は至ってシンプルそのもので、恐らくこれほど種類の多さだったら日本語が一番多いのではないかとすら思います。
外国語の二人称駄目意思の具体例として、下記に中国語と英語の例を記します。
<中国語の二人称代名詞>
你(ニイ)……目下、同格、目上に対して幅広く使用される。
您(ニン)……目上に対して使用される。つっても取引先に対しても你で結構通ってしまうが。
<英語での二人称代名詞>
You……目下、同格、目上に対して幅広く使用される。
Oh my load……主にホビット庄のサムワイズ・ギャムジーが使用する。
以上を見てもらえばわかるでしょうが、日本語は無数と言っていいほどあるのに対して中国語も英語も主なものだと二種類しか二人称代名詞がありません。説明するまでもないでしょうが日本語があれだけ多種類に分かれているのは話者同士の地位を言語によって厳しく区別しようとしているからで、そのせいで相手の地位に対し間違った代名詞を使うと怒らせてしまうし、逆に言われると不快に感じてしまうわけです。
そんな日本語に対して中国語も英語もフラットな使い方をしています。もちろん中華圏でも英語圏でも地位の違いはありますが日本語ほどそれが強調されることはなく、だからこそ向こうでは比較的関係がフラットで大抜擢や下剋上も有り得るのかなと思えてきます。
そもそもなんでこんな記事を書こうと思ったのかというと、なんか「ロードオブザリング」のサムについて書きたいなぁ……なんて思って、「Oh my load」から発展させて記事内容を作りました。ぶっちゃけ、サムの名前さえ出せればいいやって感じで書いてたし。
4 件のコメント:
先日はメールの返信ありがとうございました。
Vスライダーという言葉を久しぶりに聞いた気がします。パワプロの影響で広まったような気がしますが僕が高校生くらいになってからはなぜかほとんど聞かなくなり、僕や周りの野球部の人間は落ちるスライダー、縦のスライダーなどと言っていました。Hスライダーなんかも同じように今ではあまり聞かなくなったような気がします。なぜなんでしょうかね。こんなこと書いてたらパワプロやりたくなってきました(笑)
変化球の名称についてはパワプロの影響力は凄まじいですよね。
なんでこんなこと書いたのかというと手持ちのゲームをほぼやり尽くしたため買ったもののほとんど遊ばなかったパワプロ2012を掘り返し、今ちょっとはまってるからです。
Vスライダーは最近だと、スプリットという言葉に統一されてきているような気がします。なおこの記事ではVスライダーを書きましたが実はそんなに好きな変化球ではなく、何気に普通のカーブが一番好きだったりします。あと2012だとサークルチェンジがびっくりする位変化量が小さくなってて、「マジかよ」とぼやきながらサクセスで遊んでました。
縦スラとスプリットは投げ方が根本的に異なります。おおざっぱに言えば縦スラはジャイロ系統、スプリットはフォーク系統といったところです。両方とも落ちる球ではありますが、基本的には指を広げて投げるものでないとスプリットという名称は使いません。こういった変化球の違いは手塚一志氏・姫野龍太郎氏共著「魔球の正体」に詳しいです。
まぁそこで記事の内容とリンクさせていただきますと、日本は変化球の名称の分類がアメリカに比べるとかなり細かいという話はよく聞きます。私はアメリカの野球事情には詳しくないのですが、向こうの実況は球種の説明がかなりおおらかで、なかには「ファストボール」と「ブレーキングボール」しか使わないなんてのもいるそうです。もちろん投手側からすれば様々な球種の速度や軌道をずらす為に自分なりの工夫をこらしていたりするのですが、単純に観戦して楽しむ立場からすればそんなもんでいいのかもしれません。そもそも球場観戦だとそれなりに良い席を取らないと球種の判別はかなり困難ですし。
では何故にそんなに実況で球種の分類がなされるのか、これは日本人が分類が好きだからか?とか考えましたがアメリカの方が野球のデータに関しての記録や指標は細かかったりするので、別段そういうワケではないと思います。推察するに「日本語は日本人にさえわかればいい内輪言語として発達したから」という側面が大きいような気がします。
もちろん日本国内であっても方言が存在するのですが、それこそ中国や欧州といった大陸サイズの距離はないのでこういった場所に比べたら地域ごとの言語障壁も大きくなかったであろうと思います。そんなワケなので細かい表現の違いが発生してもおおよそ通じたり、場合によってはそれを説明することすらもできたでしょう。そうしていく内にどんどん通用する言葉のバリエーションが増加していったのではないでしょうか。
一方で地続きだったり、あるいは海があっても頻繁に異文化人種が往来してるような場所になると「母語が異なってもコミュニケーションが容易」な方が色々と捗るハズです。結果として不要な言葉のバリエーションは「齟齬を発生させる原因」となるから淘汰されていったのではないでしょうか。
そんなワケで「日本語があれだけ多種類に分かれているのは話者同士の地位を言語によって厳しく区別しようとしているから」というのは古典の授業なんかでも聞かされていましたが、案外に発生過程が逆で「多種類の単語で区別するのが可能だったから地位への感覚が鋭敏になった」と考えた方が合っている気がしてきました。
ちなみに個人的にはこういった多様な表現が存在するのはまことに結構なことだと思います。
大は小を兼ねるといいますか、日本語の習得をしたいのであればオーソドックスな表現さえ抑えておけば大丈夫ですし単語が多いほうが詩や散文といった芸術表現の幅も増えます。
加えて会話の仕方一つとっても両者の関係性が窺い知れること。他者同士の会話に混ざった場合にも自分のとるべき言動が決めやすく、自分と他者の場合は相手からの親密度を測る目安になります。
包丁に似てますね。別にそりゃあ万能包丁ひとつあればなんとかなるもんですけど、刺身包丁や果物ナイフもあった方が便利ですよ。
むしろ言語は普段から触れて学習する機会が多いからまだよくて、私からすれば暗黙の了解や不文律とかの方がぶっちゃけ面倒に感じます。
まさか変化球の話題が本題にリンクするとは、記事書いた本人ですら思いもしませんでした。
おっしゃる内容には基本的に同感で、日本人は「島国」、「単一民族」の影響を受けてか「大きな違いより小さな違いにこだわる」傾向が強いと思います。この辺を文化人類学の視点で語るとそこそこの話が出来ますがそれはよしておいて、自分はこの点で日本人らしくないというか細かい違いは気にせず大きな違を見る視点でものを考えるので、日本だと摩擦が多かったような気がします。この指示代名詞の多様性に関しても、効率を考えて二、三種類に統一するべきとも考えるほどで、割とプラグマティックなアメリカ人っぽい思想だと思います。
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