ページ

2020年1月21日火曜日

1Q九球

 今日おなかすいて仕方なかったからラーメン屋で味噌ラーメンとチャーハンをそれぞれ1人前ずつ頼んだら、両方食べてやたらおなか一杯になり、昔と比べ胃が小さくなっている気がしました。もっともそれを言ったら学生時代と今を比べたら三分の一、いや四分の一くらいは確実に小さくなっていることになりますが。あの頃は茶碗じゃ小さすぎるからと言ってどんぶりでいつもご飯食べてて、1食で2合食うのが普通でした。

 話は本題ですが書評でも書こうと考えていたところ、あれ書くとなるとかなり長めになり、昨日ほどじゃないけど今日も寒くて指が動かないのでどうでもいいこと書くことにします。

 さて平成時代は既に去りましたが、平成時代で記憶に残る年を挙げるとしたら自分の中では間違いなく1995年が来ます。この年は阪神大震災、オウム事件があり、また刻一刻と失われた十年が本格化し始めて来た時期に当たり、なんというか時代の空気も一種独特な感がありました。
 その次に挙げる場合、変な話ですが1999年が私の中でなんか大きいです。何故この年なのかというと自分でも理由がややはっきりしないのですが、一つはちょうどこのころに中学時代で精神面で受けるところが大きかったことと、次に世紀末とあって時代の分かれ目めいた雰囲気があったように感じるからです。

 世紀末といってもノストラダムスの予言はかえってこの年はあまり盛り上がらず、ひっそりとMMRが終了したにすぎませんでしたが、2000年代に移る狭間故というべきかいろいろと技術面では変革が多かった気がします。
 代表的なものとしては2000年問題で、現場状況は中学生だったので全く分かりませんでしたが、各システムの現場では表に見えないところで実際にはいろいろ動いたいたとのことです。そんな2000年問題以前として、ちょうどこのころからパソコンが一家に一台で普及するようになり、またノートPCも段々と増えていき、それらに伴ってインターネットサービスが本格的に普及してきました。

 モバイルの発達も著しく、90年代半ばに一旦は普及し始めたPHSが2Gの発達により徐々に携帯電話にとってかわられ、モバイルサービスもこのころから本格的になっていきました。調べてみたらまさにこの1999年にiモードサービスが開始されており、今に続く通話以外のモバイルサービスの端緒となりました。
 2Gのサービスは2001年の3Gサービス開始によってこの後から徐々に消えていくこととなりますが、技術というのは新技術との切替え直前にこそ成熟期を迎えるものであり、そう考えると2G末期の1999年にiモードが出たというのもなかなか因果があるように思えます。

 その成熟期を迎えた技術で言うと、私の中ではゲーム機の初代プレイステーションが挙がってきます。ハード性能としては既に立ち遅れが目立つ水準となりつつあったものの、ソフトウェアメーカーの開発はまさに円熟期を迎えており、ちょうどこの時期にハード性能をやや無視したようなオーパーツ的なソフトがいくつか発売されています。覚えているのだと「ヴァルキリープロファイル」、「ファイナルファンタジー8」などがあり、この時期のプレステのゲームはほんと楽しかった気がします。
 まぁ翌2000年には「GジェネF」、「エターニア」などもっと楽しいゲームが激しく出ていますが。

 このほかだと上記のパソコン関連の話につながりますが、秋葉原が一番楽しい頃でした。まだオウムの店もあったし、ジャンクパーツ屋も多かったし、今と比べるとかなりディープなパソコン街で駅前にバスケットコートと穴開き包丁の実演販売もありました。
 そういう風に考えると、やはりPC&インターネットの普及期にあったというのが印象的に大きいのかもしれません。

 このほかプライベートな話をすると、ちょうどこの年に周りの友人を巻き込んで文芸同人誌を作りましたが、あまりに他の連中が役に立たない上に足しか引っ張らないので、「やる気のない奴はかえっていない方がいいんだな。あと何か期待するのは悪いことなんだな」ということが分かり、自分の独立心を凄い高めてくれました。
 この時の経験はよく漫画家になりたいとか作家になりたい、けど技術を教えてくれる人とか、一緒に競い合う仲間が周りにいなくてなかなか踏み出せないという若い子相手に話してました。具体的には、「自分一人で習練積むこともできない時点でもう向いていない。俺は一人で黙々と毎日原稿用紙に向かってたし、表現技法もほとんど一人で開発した」と大物ぶって話したりします。

2 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

1999年といえば、この前レバノンに高跳びしたカルロス・ゴーンが日産の社長になった年です。
日本のバブル景気は1991年に終わりましたが、その頃は誰もがバブル景気後の不況は一時的な
物だと思っていました。1990年代の後半は大手銀行・証券会社が倒産し、 今の日本の不況は
一時的なものではない、大きな転換点に来ていると 誰もが思い始めました。
カルロス・ゴーンの登場は、日本を代表する企業でさえも外国資本の傘下に入らなければ
生きていけない時代になったことを象徴する出来事でした。

花園祐 さんのコメント...

 ゴーンもまさにこの年でしたが、考えてみればちょうどこの時期に日本式経営の否定も激しかった気がします。まぁ日本式経営って言葉自体、今や死語となりつつありますが。