今日は例の上海人からリクエストがあったので、中国語でお送りします。
很多人常常问我,你为什么学习汉语……
だめだな、なんだか文字化けする。まぁそういうわけなのでいつもどおりに日本語で書きます。
まぁ書き出しの文の通り、周りからなぜ中国語を勉強しようと思ったのかよく聞かれます。ただその際の私の返答はいつも決まっていて、「三国志が好きだったから」の一言だけです。大抵の人は、「は?」ってな顔をして、人によっては、もっとこれから需要が増えるとか、将来を見越してとかじゃないのと余計なお世話と言い返したいようなことを言ってきます。
時系列に沿って言うと、私は小学生の頃から「信長の野望 覇王伝」をやりこむくらいの日本史マニアでした。きっかけは当時に友達が少なく、教室にあった学級文庫の歴史漫画を学校にいる間中ずっと読んでいたからです。なんせ、友達がいないもんだからあの頃は昼休みはずっと席に座って、歴史漫画を読んでいました。なんか絵に描いたような話だな。
そんなある日、ゴミ捨て場に捨てられていた横山光輝氏作の漫画版「三国志」の一巻と出会いました。堅そうな話だけど、歴史の話だからいっかと持ち帰って読んだのが、私の三国志との出会いでした。当初はそれほどはまらなかったのですが、当時に高校生だった姉が学校の図書館から残りの続きを毎日借りて持ってきてくれたので、全六十巻を読破することができました。もう最期の方の五丈原に至る頃にはすごいはまってて、確かその年のお年玉で「三国志Ⅲ」を買ってました。
それ以降も中国に対して異様な親近感とともにその歴史に尊敬にも似た気持ちを持つようになっていきました。さらに言うと、今もやっている「世界丸見えテレビ」という番組では当時、レンガを食べて暮らすとかひじで釘を刺すとか、体中に針を刺すとかいうトンデモ超人ときたら、ほぼ間違いなく中国人かインド人が出てきていました。昔から今でもそうですけど、そういうわけのわからないものがとにもかくにも好きなので、子供心に見たあの番組から今でもこの二国が非常に大好きなんだと思います。
その後、中国語を実際に学び始めましたが、別にこの分野だけに限るわけじゃないですが、私の場合やり始めの頃は非常に成長が遅い傾向があります。中国語でもそうで、最初の二年は全然上達してなかったし、留学奨学生の試験も即効で落ちてました。この辺もいつか解説したいですが、私は敢えてこのような傾向を自らに起こして、大器晩成型に能力を伸ばしています。それが見事に功を奏したのか、今では街で見かける中国人には片っ端から話しかけて、特に発音には非常に力を入れた分、発音に対して褒められることが非常に多いです。
なので、私は中国語を学んだ理由を必ず三国志からだと答えています。別に何か物をやり始めるのに、大層な理由は必要ないと思いますし、むしろこういった単純な理由の方が人間って動くと思います。こうして文章を書くようになったのだって、昔にあった「サウンドノベルツクール」というゲームでセーブに失敗し、せっかく書こうと思ってた長い話が全部おじゃんになって、それなら紙に書こうと小説を書いたのがきっかけなんですし。
4 件のコメント:
中国語は難しいですよ。頑張ってくださいね。応援しております。
応援、ありがとうございます。普通話なら問題なく話せるのですが、やはり方言を話されたりすると、途端に戸惑ってしまうのが目下の悩みです。後は、電話でも中国語で話せたらいいなぁ。
花園さんにそういう過去があったのですね。しかし、歴史が好きというのは知的でいい趣味してるとおもいますよ。しかも、小学校からなんてよく理解できるなと正直思います。実は、僕が日本史に本格的にはまったのはほんの2年前です。きっかけは、友達がコピーしてくれた信長の野望革新にまさに時間を忘れるほどはまりつづけて、今日に至ります。いまなら、難しいの太田家でも全国制覇できるぐらいの立派な武士に成長しました。
太田家で全国統一!?Σ (゚Д゚;)すごいなそりゃ。
サカタさん同様、甲斐宗運を挙げた例の友人も「革新」にはまってて、なんか縛りプレイと称して真田家で、専守防衛をやり続けて1616年までもったと言っていました。最後には30万で攻められて、兵糧がなくなり負けたと言ってましたが、兵糧不足で士気が下がるのを真田昌幸の鼓舞で無理やり挙げて、ネクロマンサーの如く戦い続けたそうです。
コメントを投稿