この三日間は心身ともに疲労する記事を書いたので、久々に肩の力の抜ける歴史のはなしを書こうと思います。ちなみに、「竹中平蔵の功罪」の記事は陰陽編二つ合わせて原稿用紙20枚分も書いてたよ……。
さて皆さん、突然ですがこの和歌をご存知でしょうか?
「わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣り船」
この和歌は百人一首にも選ばれている、小野篁(おののたかむら)の和歌です。小式部内侍、小野小町の和歌に次いで、百人一首の中で三番目に私が好きな和歌です。
実はこの和歌が読まれた時、篁はえらい所にいました。何を隠そう当時の罪人の流刑地である隠岐です。
事の起こりはこうです。篁は遣唐副使、ようするに中国留学団の副団長に指名されたのですが、嫌がって勝手にサボったら嵯峨上皇にめちゃくちゃ怒られて、流刑される羽目となったのです。
その際に、「こんな遠くに来ちゃったけど、寂しい僕の気持ちを心ある漁師さんは都のあの人(恋人とか家族かな)に伝えておくれよ」、っというのがこの和歌の解釈です。
ここで終わればただのサボり屋ですが、不思議なことにこの篁はその後許されて都に戻ると順調に出世し、最終的には摂関家以外の人間にとっては宮中の最高位である「参議」に叙位されています。これは一度流刑された人間としては異常な出世です。
さらに面白いことに、この篁というのは安倍晴明もはだしで逃げ出すくらい、不思議なエピソードの多い人間なのです。
一番有名なのは、宮中のある貴族が死んで地獄で閻魔様の裁判を受ける事となった時、なんと判事の席には篁が座っており、この貴族は篁が流刑に遭った際に弁護をしていたことを閻魔様に説明し、また甦らせてやってくれと擁護したといいます。閻魔様もそれを聞き入れ、そのままその貴族は蘇生し、事の次第を宮中で篁に尋ねてみると、
「他言無用」
とだけ言い返されたと言います。
また、洛中で嵯峨天皇を皮肉る高札が出た際、嵯峨天皇に「お前がやったんじゃね?」っていちゃもんを篁がつけられた際、篁が「やってませんよぉ」と言うと、「じゃ、これ読んでみ」って、「子」の文字をただ12個並べた紙を見せたところ篁は、
「猫の子子猫、獅子の子子獅子」
と、「子」の文字を「ね」と「こ」と「し」と三種類に読み分け見事な文章を作り、このいちゃもんを打ち負かしたと言うエピソードもあります。これなんかは高校の古典の教科書にもよく載せられている話だと思います。
ただこの篁ははっきり確証こそありませんが、日本の美人の代名詞でもある小野小町の父親だとも言われています。小野小町もその存在の実証性がはっきりせず、親子そろってミステリアスな一家です。そのミステリアスさを買って、昔に私が書いたSF小説でも一度ご登場を願いました。
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