2009年6月5日金曜日

天安門事件について

 私が北京に留学中、クラスメートのアメリカ人がある日こんなことを聞いてきました。
「今日は何の日か、知っているか?」
「もちろん。天安門事件の日だ」
「(*^ー゚)bニヤリ」
 さすが人権にはうるさいアメリカだけあると、この時に強く感じました。


 一日ずれてしまいましたが、フランスの日々のSophieさんも記事を書いておられるので自分も天安門事件について書いておこうと思います。
 まず基本的な知識として、日本人にとって天安門事件とくれば89年のものしかありませんが、現地中国においては天安門事件という名称は二つの事件を指しており、日本人が連想する89年の事件のほかにも76年に起きた事件もこの名前で呼ばれています。何で同じ名前なのかといったらそれはやはり現中華人民共和国の国家的象徴地である天安門で起きたことと、二つの事件とも周恩来、胡耀邦という政治の実権者の死がきっかけに起きたことが共通しているからだと私は思います。

 それで今日話題にするのはもちろん89年の天安門事件の方です。この事件についての詳細はウィキペディアなどの他の記事に任せますが、私が日本に来た中国人留学生に直接聞いたところによると、やっぱり中国国内にいる間はこんな事件が起きていたなんて全然知っていなかったようです。
 その留学生の言によると、中国国内でこの事件は当初民主化を叫んでいた学生が次第に暴徒化し、半ばクーデターのような行動を計画、実行したために軍隊が無理やり鎮圧せざるを得なかったと聞いていたようです。そのため日本に来てからこの事件の詳細を知った際は、これほどまで伝え聞いていた事実と違っていたとはと素直に驚いたとも言っていました。

 もっとも、一部の日本人中国研究家の中にはこの時の中国共産党の決断をやむを得なかったものだと肯定的に評価する人も少なくありません。何故この時の共産党を評価するのかというと、もしこの時に学生側に下手な妥協をして一挙に民主化の路線をとっていればかつての旧ソ連よろしく中国という巨大な国家が分裂し、再起不能といってもいいくらいの事態に陥っていたと予想されるからです。
 案外日本にずっと住んでいると、代表を国民一人一票の選挙によって選ぶ民主主義こそ完璧な政治、社会制度だと一見思いがちですが、その首魁とも言うべきアメリカ人ですらこの制度には欠陥が多がまだマシな制度だから使っているということをよく自覚しています。具体的にどんな欠陥があるのかというと、民主主義というのは基本的には誰もが好きな意見を自由に主張できることを前提にしているので、勢力が似通っていて明らかに意見が大きく異なっている集団が同じ社会にいると猛烈な対立を招いてしまう所があります。

 かつての旧ソ連を例に取ると、その崩壊末期にゴルバチョフ氏が一気に民主化路線をとったことから、それまでソ連という枠内で多数派であるロシア人に主導権を握られていた衛星国家らが急激に自己主張を行うようになり、バルト三国を皮切りに次々と独立していって最終的には連邦が崩壊しました。
 意外と気づきづらいのですが、民主主義というのは土台となる共通認識を持った多数派が存在していなければ成り立ちづらく、その多数派が少数派に無理やり自己の流儀を押し付ける構図なしには存在し得ないところがあります。アメリカにおけるネイティブアメリカンとか、日本における沖縄人などいったところでしょうか。

 これが中国の場合だと、あの国は同じ漢民族でも華南と華北で全然文化が異なり、少数民族まで考慮すると何をどうやってまとめればいいのかと頭を抱えてしまいます。中には開き直って、中国は今の状態から四つに分裂するぐらいが国家的に運営しやすいサイズだと言う人もいますが、あれだけの人口と国土があるからこそ今の中国が保てていることを考えると、そうもうまくいくかなと私は疑問視しています。

 こういった背景から、あの時に武力鎮圧したことが今の中国の成功に繋がった、少なくとも最悪の失敗を避けることはできたと考えるチャイナウォッチャーも少なくなく、私も彼らの意見が全くわからないわけではありません。とはいえ、あの事件がきっかけで中国のエリート層は国内の改革や出世をあきらめ海外に亡命する者が続出し、亡命とまで行かずとも国内の研究機関を離れたものも少なくありません。そういったことを考えると武力鎮圧以外にもっと方法はなかったのか、なんとかならなかったのかと思わずにはいられません。
 もっとも、大きな政治の前に個人というのは非常に小さな存在です。そんな都合よく何でも物事が運べるかと、私の考えがおめでたいと言われるとしても今の私には反論することが出来ません。


  おまけ
 私が一時期に中国語を教わっていたある恩師はちょうどこの天安門事件の際に北京に留学しており、当時の北京は戒厳令が敷かれていて迂闊に外出することが出来なかったので、
「じゃあ旅行に行こうか」
 と、日本人の留学仲間らと共に北京を出て中国国内を旅行しまわっていたそうです。そうしていたら軍隊による武力鎮圧が起き、旅先で現地の中国人に「なんか北京で大変なことが起きたらしいよ」と言われて、慌てて恩師の居た日本の大学へと連絡をしたそうです。すると日本では恩師らと連絡が取れなくなっていたためにてんやわんやだったらしく、「○○大学の学生三人、北京にて行方不明」とまで地元の新聞に書かれていたほどで、電話口でこっぴどく起こられた挙句に、
「とりあえず、金がある限り旅を続けろ。今の北京は危険だ」
 という指示を受け、旅行をしばらく続けたそうです。結果論からですが、非常に的確な指示だったと私は思います。

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