2009年6月20日土曜日

琵琶湖自転車一周苦行の旅

「オッス、オラ悟空。いっちょやってみっか!」

 冗談のように聞こえるかもしれませんが、本当にこんなノリで私は琵琶湖一周に挑戦するのを決心しました。
 今から二年前の七月中頃、当時に抱えていた厄介事が一段落してしばらく予定らしい予定も無かったことから、前々からやりたかった関西地域の自転車乗りにとってひときわ大きなステイタスとなっている琵琶湖一周にこの際挑戦してみようと思ったのです。以前に書いた「房総半島自転車一周地獄の旅」の記事が意外に好評で昨日に友人からもこの琵琶湖一周についても書いてみた方がいいと薦められたので、昨日休んだ分を取り返すつもりで今日はこの時の事を書こうと思います。

 さてこの琵琶湖一周ですが、自分で自転車乗りとか言っておきながら実際にはペーペーの素人の私なもんだからこの時の計画もかなりの無茶振りでした。もっともそれまでの一日の総走行距離の最高記録は京都から信楽までの片道30キロ、往復で60キロだったのに対し、この琵琶湖一周は簡単にネットで調べてみると諸説入り乱れながらも約180キロとの事で、これまでにない長距離だったこともあって一応やれる程度の準備は行っていました。

 まず使用自転車ですが、これは当時に京都市内を飛び回るのに使っていたシティサイクルをそのまま使うことにしました。この自転車は価格にして約24,000円でギアも上中下の三段ではっきり言って琵琶湖一周をやろうとするには明らかに貧弱な自転車でしたが、乗りなれていることもあってあまり気にせず決定しました。
 次にルートですが、当時私は京都市内に住んでいたこともあってなによりもまず滋賀県へ行くルートを考えねばなりませんでした。京都から滋賀へは基本的にルートは二つだけしかなく、まずポピュラーなルートとして京都駅から東へ行って山科を越えていくルートと、京都市北区から比叡山を乗り越えていく通称山中越えといいうルートの二つでした。当時私が北区に住んでいたこともあり、また自動車でなら山中越えを何度かしている事もあってほぼ迷わずに後者のルートを選ぶことにしました。

 そして実際の琵琶湖一周ルートですが、これはここで言うのもなんですが一切何も考えずに行きました。というのも琵琶湖に沿って走ればいいだけだし、それでも道がわからなければコンビニで地図を立ち読みすればいいだろうと甘く考え、後の悲劇を生むこととなったのです。

AM 6:00
 起床と共に朝食を取り、早速ナップザックを背中に出発する。この日は平日ではあったが早朝ということもあり人通りも少ない朝もやの京都を前途洋々に走り抜ける。

AM 7:00
 銀閣寺のやや北にある国道30号線ルート、通称山中越えに入る。道こそアスファルトで舗装されていながらも急な勾配に運送屋のトラックがビュンビュン前後を走り抜ける中、ただ一人自転車に乗って踏破を目指す。時間こそかかるものの、これを越えたら後は平野を走り抜けるだけだと言い聞かせて登る。

AM 8:00
 見事山中越えを達成し、大津市に突入する。突入するや近くの小学校に登校する小学生の列と鉢合わせ、狭い歩道だったために自転車にまたがったまま脇に寄って小学生らが横を通り抜けるのを待ったが、不思議なことに多くの小学生が全く避けようともせずに動きを止めている私の自転車向かってまるで体当たりするかのように次々とぶつかってきた。これは私の主観だが、あの時にぶつかってきた小学生が私を見る目は、「なんでよけないの?」というような感じで、もはや私にはよけるスペースが一切残っていないにもかかわらず自分に向かって相手がよけて当たり前かのような視線で、はっきり言って非常に不気味に思った。

AM 8:30
 近くを通ったことで、そのまま大津の三井寺に参拝する。前から行きたかったもののまだ一度も言ったことが無かったので、山中越えも終えて気も緩んでいたからゆっくりと参拝する。後で参拝する時間があったらその分しっかり走っとけばよかったのにと後悔する。

AM 9:30
 琵琶湖沿いの道路へと移動し、順調に走行を続ける。

AM10:30?
 草津市突入。位置的には琵琶湖の南端を通過した所にあるので、対岸に先ほど走ってきた大津市が見えてなかなか気持ちが良かった。

AM11:30
 野洲市突入。そろそろ昼時だがいい感じに走れているのでもう少しおなかすいたら食事しようとそのまま走る。

PM 0:30
 すこし記憶が曖昧だが、確か近江八幡市に入った辺りから何故か琵琶湖沿いだと自転車で走りづらい道になったので少し距離を置いた道路に入ったらやけに何もない道が続きだした。自転車に乗っている人ならわかると思いますが、さっきまで元気だったのに急におなかが減ることがよくあります。まさにこの時がそうで、何もない状況だというのに猛烈におなかがすきだしてやや血走った目で、「飯屋はどこだ」とつげ義春ばりに走行を続ける。

PM 1:30
 ようやく道路沿いの小さな食堂を見つけ、そこで何かの定食を食べる。ただそれでも全然おなかがすいていたので追加でクリームソーダも頼んで一服する。

PM 3:00
 ここまで順調に走ってこれて、確かこの時間位に彦根市に入った気がする。ちょうどこの頃はひこにゃんが大活躍していた頃だったので寄って行ってもよかったが既に何度か来ているので、軽くスルーしようかと思ったら親父からメールが来て、「今、彦根にいる」と返信して再び走行を再開する。

PM 5:00
 順調に走り続けていて確か高月町を走ってた頃だったと思う。突然後ろから「パンッ」という破裂音がし、はっとして自転車を停めて振り向くと案の定後輪がパンクをしていた。情けない話だが本来なら出来て当たり前なのに、自転車のパンク修理をすることが出来ない私はこの時ももちろん修理用具を持ってきていなかった。しかしこの時、普段なら絶望するような状況だったと思うが何故かこの時は腹が座っていて、「やった、今日はついてる」などと思ってしまった。
 というのもパンクをしたのがちょうど市街地を抜けたばかりのところで、何もない道路の真ん中ではなく自転車屋が探しやすい位置にいたということに自らの強運を感じたのが先ほどのセリフに結びついた。そういうわけで急いで自転車を降りて引きながら歩き、途中の交番で自転車屋を教えてもらってまた長々と30分くらい歩いてみつけた自転車屋に入ってそのままパンク修理を依頼した。夕方ということもあって店が閉まってはいないかが心配だったが六時前だったのに開いており、運良くそのまま修理をしてもらって再び走り出した。

PM 6:00
 既に日も暮れかかっていたが先ほどのパンクという最大のピンチを乗り越えたせいもあってテンションは下がらなかった。しかし好事魔多しとは言うが、まさにこの時に最大のミスを犯してしまう。
 そのミスというのも、単純にルート間違いであった。滋賀県の地図を見てもらえばわかると思うが高月町は位置的には琵琶湖の北端にある地域であとはここから西へ行って南に向かえば元の大津に着くだろうと思っていたら、何故か途中の道路上の案内板には大津に行くには東へ向かうようにと書かれていた。方角的には明らかに逆方向だがもしかしたら自分の知らないルートがあるのかと思ってその案内にしたがって東へ走るが、明らかにこれまで走ってきた道を戻っているルートにしかなっていなかった。
 心配になってコンビニで地図を見てみるが、やはり逆方向である。ここはどうするべきかと悩んだが、この際また戻った道を戻りなおして案内を無視して自分の信じる方角と道を突き進むことにした。結果的には私の考えるルートが正しかったのだが、案内板が何故逆方向を指示していたかというとその方角には大津にもつながっている高速道路のインターチェンジがあり、いわば自動車向けの案内板だったのだ。はっきり言って非常に紛らわしいので滋賀県にはこういう表示は避けてもらいたい。なおこの時に誤走した距離は10キロ以上はあった。

PM 7:00
 完全に日が暮れるが、まだ距離的には半分しか来ていないことにちょっと焦りだす。しかしその焦りもぶっ飛ぶ位に、眼前の道に途方にくれてしまう。というのも高月町を抜けた先にある西浅井町に入るや、道に勾配、言い換えるなら登りの山道に突然入ったからだった。それほどきつい傾斜ではないもののずっと琵琶湖沿いの平地を走っていけるだろうと高をくくっていたのと、そろそろ疲労が体に回りだした事もあってショックが大きかった。しかも山道に入るので琵琶湖が視界から消えるので、夜道で方角も正しく走っていけるかなどの不安もあったが腹をくくって突き進む。案の定、死にそうな位に疲れた。

PM 8:30
 山道の途中のコンビニでルート確認も込めて休憩する。現在位置と確認して高月町以来不安だったルートが正しかったことが確認できてほっとするも、残りの距離を見比べてため息も出る。それこそ体力十分の状態であれば山道を降りれば後は一気に南へと下っていけそうなのだが、既にひざが痛み出してて最後まで走りきれるか不安があった。あとこの分だと十時前のNHKのスポーツニュースは見られないだろうとそろそろ観念する。

PM9:30
 高島市突入。西浅井町の山道を越えて残りは正真正銘の平地一直線ということもあって希望が出てくるが、既に体の疲労が半端じゃないところまで来ているのと中途半端に外灯が少ないのが不安だったが、不思議と心細さはあまり感じなかった。普段の自分なら結構うたれ弱いところもあってこういうときにへこたれがちだが、この時は自分でも驚く位の精神的なタフさを維持できた。
 もっとも、十五時間以上も自転車で走り続けて真っ暗な道に一人でいればうたれ弱くなくとも大抵の人はへこたれると思うけど。

PM11:00
 ついに大津市に突入する。ちなみにこの時は早く帰りたくてしょうがなかったので夕食はとらず、ちょこちょことコンビニで菓子パンを食べるに留まっていたせいか疲労が文字通りピークに達していた。
 この大津市に着いたところで一つの問題が持ち上がる。その問題というのも、京都への帰りのルートをどうするかということだった。既に何度も書いているようにこの時点で疲労がピークで足はガクガクだし、両手の握力も怪しいところまで来ていたので、行きの時と同じように山中越えを出来るかどうかが不安だった。しかしここで山科ルートを通るにしても一度も通ったことの無い道を通ることになり、なおかつ山中越えと比べて京都市内についてから自宅までの距離が離れることもあって、進むも退くも地獄ならばとばかりに山中越えルートを決心する。それにしても、この時にファミレスかどっかで休憩をとりゃいいのにと思わずにはいられない。

PM12:00
 眼前に広がる急な山道。そう、ここが始まりの地であり終わりの地でもあるんだと、「この先比叡山」という看板の前で一人で思う。
 そんなわけでついにまた山中越えの入り口こと、国道30号線にたどり着いた。この時点で琵琶湖一周は完全に達成されたが何故だかこの時に小学校の校長が言っていた、「遠足は、帰るまでが遠足です」という言葉を思い出しつつ最後の大仕事だと自分に言い聞かせて、既に登り道で自転車のペダルをこぐ力が残っていなかったので自転車を降りて押しながら一歩、また一歩と、足を冗談じゃなく本当に引きずりながら登り始めた。
 なおこの時、夏場と言うこともあって夜とはいえ水分が不足し始め、なんか自動販売機を見つけるごとにスポーツドリンクか水を悉く買ってぐいぐい飲んでいたのだが、そのうちの一つの自販機の前にはヤンキーのカップルが真夜中にもかかわらず座り込んでいたが喉が渇いてしょうがないので買おうと近づくと、「なんだこいつ?」と、わざと私に聞こえるような嫌味を男の方が言ってきた。「てめぇらみたいなチャラチャラした奴らに、俺のこれまでの苦労がわかってたまるか」と心の中で念じつつ、無視して飲み物を買ってまたフラフラとゾンビの如く登頂を続ける。

AM 0:30
 足が本当に限界に来ており、それこそ震えながら前に一歩ずつ外灯など一切無い真っ暗な比叡山への山道を登り続けていました。もうこの時の気分は「母を訪ねて三千里」のマルコで、ここを越えたら母さんならぬ家に帰れるんだと何度も言い聞かせながら登っていたその時でした。突然自分の見上げる視界から地平線のように道路が途切れたのです。ここまで言えばわかると思いますが、このルートの最頂点こと登り道をついに終えたのです。おっかなびっくりその道路の上で自転車に乗ると、「こいつ、動くぞ」とばかりに自転車がひとりでに前に走り出します。そう、下り道に入ったのです。
 もうそっからは非常に爽快でした。外灯が一切無くて真っ暗で幽霊でも出てきそうなのは変わらなかったものの、ペダルをひとこぎもせずにハンドルとブレーキ操作だけで自転車が前へと進んで行き、一挙に京都市内へと入ることができました。そっからはまた平地でしたが勝手知った京都の道ゆえ、気分も上々のまま走り続けてついに夜中の一時過ぎ、下宿へと無事帰還を果たせました。


 とまぁこんな感じで琵琶湖一周を達成したわけです。ここには書いていませんが他にも細かくルートを間違えたところもあって、総走行距離は恐らく200キロは確実に越えています。相変わらず自分の無計画さには呆れるのですがこの時の自分のタフさには本人でありながら驚くものがあり、今までうたれ弱い方だと思っていたのを意外と精神的にはタフな方なんじゃないかと思い直すきっかけになりました。今考えても、あんな夜中の山中越えを敢行するのは尋常ならざる精神力な気がします。
 翌日は疲れは多少あったもののそれほど長引かず、翌々日にはまた元気に動き回っていました。この後に行った今年の一月に敢行した房総半島一周と比べるとやっぱりまだ琵琶湖一周の方が楽だった気がします。まぁ向こうはもっと計画が杜撰だったし自転車も壊しているからなぁ。

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