2011年6月29日水曜日

豊臣秀吉の能力

 先日ネット上で、「日本史で最も英雄度の高い人物は?」というテーマの掲示板を見受けました。中には冗談で「野茂英雄」と挙げる人もいましたが、現代日本人への影響で言えば私はやはり徳川家康を挙げます。ただその一方で、最も図抜けた能力者という意味では今日の題となっている、豊臣秀吉を必ず挙げるでしょう。

 このところ古代史ばかりなのでたまには違う時代とばかりに秀吉を挙げてきましたが、彼の経歴については言わずもがなで一農民から完全な叩き上げで天下人となった「日本最強の成り上がり」と呼ばれる人物です。基本私は成り上がりが嫌いで、世界の富豪ランキングにも名を連ねる中国のパクリカーメーカーことBYD自動車会長も会った事もないのに嫌っていますが、この秀吉については別格で非常に人物としても気に入っております。具体的にどうして秀吉を気に入っているのかというと、晩年こそ判断ミスが多いものの全盛期の勘の鋭さについては歴史を眺めるだけでぞっとするほどのプレッシャーを感じるからです。

 秀吉の能力としての全盛期は信長の死後、いわゆる中国大返しをやった時期です。この中国大返しについては四年位前から「実は秀吉も信長暗殺に噛んでた。だからあらかじめわかってたので中国大返しも出来た」という異説が出てきましたが、これについては友人と夜中一時くらいまで議論しましたが最終的には疑わしいという結論に至りました。理由はいくつかありますが一言で言うと、毛利と和睦できる絶対的保証がなかったということに尽きます。

 それで話は戻りますが、中国大返しはその決断から行動に至るまで神懸り的な機敏さで、六月二日の本能寺の変から六月十三日の山崎の合戦に至るまでの九日間で以下のような行動を達成しております。

・交戦中の毛利軍との和議締結
・京都周辺の織田家武将との連絡、糾合
・部隊の撤退準備
・数万の部隊での200キロ程度の移動
・合戦準備

 これは言うは易いですが、実際にやるとなるととんでもない作業です。まだ最初の毛利家との講和は元から話が進んでいたのもあるので多少の譲歩をすることで達成することは可能ですが、数万の部隊での撤退準備ともなると武器やら兵糧やらをすべてまとめなおさなくてはならず、一週間以上かかってもおかしくない作業です。そのうえ200キロの強行軍、聞く限りだとある日の行程では一日70キロを走破させたとも言われ、世界史上でもこの速度はトップクラスと言ってもいいでしょう。
 その上で最後の合戦準備です。これも山崎周辺の武士から鉄砲などを調達する傍ら、合流した他の織田家武将たちとも打ち合わせを行っており、一体どうしてそこまでパワフルに動けるのかと信じられない気持ちでいっぱいになります。はっきり言ってこれらはすべて常識はずれの行軍で、これだけの行軍をされては敗戦した明智光秀も無能だったとは評価できないでしょう。

 ただ秀吉の絶頂期はこの中国大返しではなく、私は次の賤ヶ岳の合戦の頃だと考えています。これは以前の陽月秘話でもまとめましたが秀吉軍は雪解けのタイミングを見計らって軍を動かし、柴田勝家の軍をおびき出したところで急速に軍隊を引き返させ撃滅するという神業を達成しています。もっとも、前田利家が裏切らなければ柴田軍もああは負けはしなかったでしょうが。詳細は以前の陽月秘話のページを検索してください。

 これ以後も秀吉は外交から戦争に至るまで縦横無尽に処理し、あっという間に天下を平定してしまいます。もちろんそれは秀吉一人の力ではなく弟の羽柴秀長や軍師の黒田官兵衛など優秀な部下達があってのことでしょうが、そのような優秀な部下を活躍させるにも才能は必要です。九州平定のあたりも、改めて読んでみるとかなり凄い速さで始末してますし。
 晩年の秀吉は私が言うまでもなく判断ミスを繰り返しては豊臣政権の崩壊を自ら招いておりますが、それでも絶頂期の秀吉以上に才走る人物は日本史中にはいないと私は考えております。強いてあげるとしたら伊藤博文でしょうが、もう少しこの時期の秀吉について研究とか進んだら個人的に面白いような気がします。

 ちなみに秀吉が毛利家との対陣中に本能寺の変を知った際、黒田官兵衛は、
「やったじゃん、秀吉ぃ(´∀`*)」
 って言って、秀吉を大いに慌てさせたそうです。中国大返しも賤ヶ岳の合戦も実質取り仕切ったのは黒田官兵衛だと思われますが、こんなこと言ってればそりゃ警戒されるわな。

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