ページ

2020年2月18日火曜日

野村監督と赤星

 自分の記事が読まれないのはコロナのせいだと最近散々文句ばかり言っていますが、日本にいた先週、一回だけテレビのワイドショー、ニュース番組でコロナウイルスがトップニュースでなかった日がありました。それはどんな日かというと、プロ野球の野村(元)監督が逝去した日でした。
 この日に限っては多くのメディアでコロナそっちのけで野村監督の逝去を報じ、その現役、監督時代の映像や発言だけでなく、かつての教え子たちのインタビュー映像が繰り返し報じられていました。生前からも高く評価されていた人物ですがその死に触れて改めて、日本プロ野球界における戦術、分析、育成方面において史上最も大きな功績を残した人物であったと私も感じ入っていました。

 特に育成方面において野村監督は、選手だけではなく多くの指導者すらも育成している点が他の名監督らとは一線を画しています。現在、いわゆる野村チルドレンと呼ばれる野村監督の指導を受けた元選手らは各球団で監督やコーチとなるなど指導者として活躍しており、経験者を含めると相当な人数に上ります。大半がヤクルト時代の教え子たちですが、阪神の矢野監督を含め、実に多くの球団に大きな影響を残しています。
 もっとも、野村監督が特に目をかけていた元ヤクルトの古田氏、宮本氏は現在指導者をやってないというのがなんか皮肉な状況です。古田氏に関してはどっかの球団がもっとチャンス与えてもいいと思うのですが、反ナベツネ試合ボイコット事件があったから控えられているような気がします。

 やや前置きが長くなりましたが、野村監督の逝去時に私が一番コメントを聞きたいと思ったのは、実は元阪神の赤星氏でした。

ノムさんが赤星憲広さんに謝罪したワケ 生涯一野村番記者が明かします【竹下陽二コラム】(中日スポーツ)
赤星憲広氏、ノムさんから入団1年目に贈られた忘れられない言葉(スポーツ報知)
赤星憲広氏 野村克也さんとの思い出「野球以外で唯一怒られたこと」(スポニチ)
虎の元F1セブン赤星氏、ノムさんに「感謝しか…」(日刊スポーツ)

 知っている人には有名ですが、赤星氏はプロ野球選手となるには体格が小さく、また単純にパワーもなかったことから、アマチュア時代は足は速いけどプロとしてはやっていけないというのが各球団のスカウトたちで一致した見方でした。当然阪神でもそのような評価をされていたのですが、最終回の代走だけでも使えるからと言って、当時阪神の監督をしていた野村監督が強く推してドラフト獲得に至ったと言われています。
 実際、プロ入りしてキャンプインした後も赤星氏の打球は内野線すら越えることがなく、同期の藤本氏からも「失礼だが、赤星さんはプロでやってけるとは思わなかった」とまで言われていますが、普通の目からしたらこの言い方も決しておかしな発言ではないでしょう。しかしいざシーズンが開幕すると、赤星氏はその圧倒的な走力からルーキーイヤーにして盗塁王と新人王を獲得し、2000年代における阪神のスター選手として攻守にわたり活躍し続けました。

 現在においても赤星氏の現役時代について、「塁に出したら手が付けられなかった」と当時の相手チーム監督や捕手らからコメントされており、1番打者として稀有なほどの存在感があったと言及されています。また毎年盗塁成功数の数だけ車いすを寄付するなどチャリティー活動にも熱心で、異論はあるでしょうが、私個人としては2000年代における「ミスタータイガース」と呼ぶに相応しい人物だと考えています。

 それほど大きな足跡を残した赤星氏ですが、前述の通り、仮に野村監督がいなければまずプロ選手となることはなかったことでしょう。上記のインタビュー記事で赤星氏もまさに同じことを述べていますが……瓢箪から駒をまさに体現するようなプロ野球人生であったように思います。
 赤星氏に限らず、野村監督が見い出して獲得し、その後スター選手となった人物は他にも数多くいますが、その運命の劇的さで言えば赤星氏が野村チルドレン達の中でも特に図抜けているように以前から思っていました。野村監督自身も赤星氏に対しては他の選手と違うような感慨を持っていたように見え、その師弟関係の深さで言えば他の野村チルドレンと毛色が異なっているように思えたことから、そのコメントは是非とも聞いておきたいと私は思ったわけです。

0 件のコメント: