2008年10月4日土曜日

文化大革命とは~その十三、毛沢東思想の伝播~

 これから書くことは内容が内容だけに、すこし手が震えます。書くことの重大さもさることながら、そのあまりの内容からだと思います。

 さてこの連載の中の「その五、毛沢東思想」の中で、通称マオイズムと呼ばれる毛沢東の思想について、非常にお粗末ながら解説させていただきました。この毛沢東思想ですが、よく勘違いされがちですが伝播した範囲というのは中国国内に限定されておらず、なんだかんだいって欧米でも研究者が出るなど世界的に大きく広がりを見せ、現在でも大まかな範囲で否定されつつも、共産主義と農民主義を合体させたことなど限定的な面で評価されています。
 ここで更に注意してもらいたいのは、この毛沢東思想は決して過去の遺物ではなく、現在もなお影響を持ち続けている思想であるということです。その影響が未だに続いている場所というのは他でもなく、東南アジアに位置するカンボジアです。

 注意してみている人だけかもしれませんが、よく海外政治ニュースなどでカンボジアの情勢が伝えられる際、「毛派」という言葉が出てきます。この毛派というのは文字通り、毛沢東主義を第一に掲げている政治集団のことを指しており、その勢力が大きく衰えたとはいえ現在もなお活動している団体です。もちろん、その活動は非合法なテロなどが多いのですが。

 話は毛沢東が生きていた時代、そしてベトナム戦争が行われていた時代です。当時のカンボジアはシアヌーク国王による王政国家だったのですが、国王が外国に出ている隙に親米派のロン・ノルがクーデターを起こして政権をとりました。当時はベトナム戦争真っ只中ということもあり、ロン・ノルは国内にいるベトナム人や共産主義勢力に弾圧を加えた(カンボジアとベトナムは国境を接している)のですが、それに対して反動が大きくなり、最終的にはポル・ポト率いる共産主義勢力であるクメール・ルージュがゲリラ戦を展開して内戦を起こし、逆にロン・ノルを国外へ追い出すことに成功しました。

 まぁなんていうか、ここで話が終わればそれなりによかったのですが、皮肉なことにこの結果が後にカンボジア、ひいては20世紀の一つの悲劇を生むことになります。
 この時政権を奪取したクメール・ルージュですが、これはフランス語で「カンボジアの真紅」という意味で、カンボジア共産党ともいう意味です。この時の指導者はフランスへの留学帰りが多く、それから名づけられた名前です。
 ついでに余談ですが、中国で私と相部屋であったルーマニア人はフランスのことを、「あそこは共産主義国だから」と評していました。まぁそれとなくそんな感じはするけど。

 それでこのクメール・ルージュですが、内戦時に主に支援を受けていたのは中国からでした。中国としては共産圏を広がることでこの地域への発言力を強めようという意図があったのだと思いますが、この時に中国に影響を受けたことからクメール・ルージュの掲げる思想というのは毛沢東思想に準拠したものになりました。そしてそんな集団がカンボジア首都、プノンペンを占領すると、早速その思想を実行に移します。

 出来れば先にリンクにあげた過去の記事を読み返してもらいたいのですが、毛沢東思想の最も代表的な特徴というのは、「知識人は搾取階級であり悪である」ということです。そのため、この思想を掲げるクメール・ルージュが真っ先に行ったのは知識人の一方的な殺戮でした。聞くところによると、英語をほんのすこし話すだけでも、仏教を修行していただけでも知識人とみなされ一方的に殺戮されたそうです。またそうでなくとも、途方もなく極端な政策が無理やり実行されて強制労働が各所で行われ、文字通り死ぬまで人を酷使した上で逃げ出そうものなら容赦なく射殺していったようです。

 そうして知識人を社会からはじくかわりに持ち上げられたのが、まだ年端もいかない子供たちでした。毛沢東思想の反復になりますが、まだ何の教育にも染まっていない子供たちこそ新たな時代が切り開けるという考えの下でクメール・ルージュは子供に銃を持たせ、政策への不満を漏らしていないかスパイ活動を行わせ、挙句に大人たちの処刑を行わせたのです。このあたりは中国の文化大革命時の紅衛兵を想像してもらえばいいでしょう。まぁさすがに毛沢東も紅衛兵に銃は持たせませんでしたが。

 その結果、このクメール・ルージュ政権時に虐殺された人数は200万人から300万人とも言われ、当時のカンボジア全体の人口の実に四分の一もの人間が殺害されたと言われています。これは一つの政権による虐殺としては過去最大で、あのナチスドイツのユダヤ人虐殺の人数をも越えます。
 にもかかわらず、こちらは日本でユダヤ人虐殺ほどあまり取り上げられません。その理由は恐らく、ユダヤ人には政治家や金持ちが多くいるために世界的に発言力が大きく、それに対してカンボジア人はそれほど発言力がないからと、同じ共産主義国といってもソ連の支援を受けていたベトナムに対する防波堤としてこのクメール・ルージュを中国同様に間接的にアメリカが支援したということが影響していると思います。

 最終的にこのクメール・ルージュは対立していたベトナムと戦争状態になり、実力に優れるベトナム軍にコテンパンにやられ国外から追放され、この虐殺の責任を追及されないことを条件にベトナムに従うという政府関係者によって新たに政権が作られることにより虐殺が終わりました。このことが後々に問題となってくるのですが、こちらはちょっと範囲外なので取り扱いません。

 このカンボジアの虐殺については「不思議館~ポル・ポトの大虐殺~」に非常に詳しく書かれているので、勝手ながらリンクを貼らせていただきます。このページでも冒頭に書かれていますが、この虐殺について詳しく知りたいのなら最もよいのは「キリング・フィールド」という、実話を基に作られた映画を見ることをお勧めします。これはアメリカ人記者とそのカンボジア人通訳の人の話で、作中後者の通訳の方が英語を使える事を悟られまいと必死で隠す姿と、その彼に対して12~3歳くらいの少年が無機質な顔で銃を向ける映像が印象に深く残っています。

 結論を言うと、文化大革命は中国だけでなくカンボジアでも行われたということです。そして両国ともおびただしい犠牲者を生み出し、毛沢東思想というのは事実的にも悲劇の歴史を複数も生んでしまったということです。思想という言葉について最近あまり私が本を買わなくなった佐藤優氏によると、「普段何気なく、当たり前だとみんなが思っていること」と言い、日本人が意識しなくとも仏壇で手を合わせるような事が思想だと説明していますが、この毛沢東思想の例を考えるにつけ、集団を方向付ける非常に大きな要素なのだと思うようになりました。よく教育議論などで思想思想とあれこれ議論になりますが、そんな簡単に扱っていいものか、そんなあいまいな議論でいいものかなどと、軽々しくそれを口にするものに対して強く不快に私は思います。

2 件のコメント:

  1. 紹介していただいた「不思議館~ポル・ポトの大虐殺~」の記事読ませてもらいました。まさに地獄の様相だったのですね。これほどの悲劇が実際に起きているなんて読み終わった今でも信じられないです。今のような人間らしい生活ができるのは日本にいるからなんですね。首相がころころ変わるとか悪いところもあるけど、今の時代の日本に生まれてきて幸せだと思いました。
     一方で、隣国の北朝鮮が似たような状態であることを思いだし、他人事ではないのだなという気持ちもわきました。やっぱり共産主義化は、非人道的になるのですね。

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  2.  共産主義自体の考え方や理論は確かにいろいろと面白いのですが、決定的なまでに人間の価値観というものが抜かれており、実践するべき理論ではありません。

     このカンボジアの大虐殺は私も知るのが遅く、二十歳の頃に知りました。本当に、こんな地獄のような世界がほんの三十数年前に存在していたのかと私も目を疑いました。こうした悲劇があるにもかかわらず考えかたを曲げない日本共産党と社民党にはつくづく呆れます。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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