本当は昨日に書きたかったんですが今年の流行語大賞が昨日に発表され、今年は「アラフォー」と「グー」が見事大賞に輝きました。結論から言えば、少なくともこの「アラフォー」だけは大賞とは行かないまでも流行語に入ってもらいたいと願っていたので、なかなかうれしい結果でした。
このアラフォー、元は今年前半に天海優希主演で放映された「アラウンドフォーティ」というドラマから派生した言葉で、意味もこのドラマで取り上げられた「40歳を過ぎた独身女性」というものです。
何故私がこの言葉を流行語として待望していたかというと、やはり現在の日本の男女像や結婚といった社会事情を強く反映している言葉で、後年に2000年代を振り返り分析する際に必ず役に立つと信じているからです。
日本の結婚観は大体バブル期前後から、社会的通過儀礼としての重要度を下げていきました。今こういう風に書くとびっくりする人もいるかもしれませんが、当時の文物を読んだりすると、若手官僚が登場するシーンによく同期の官僚の結婚式のシーンがあり、そこで主人公なり脇役なりが、
「あーあ、○○は部長の娘を嫁にもらいやがって。俺たちの出世レースで一つ先に出たなぁ」
と、必ず言っていました。
さすがに今はもうないと思うのですが、当時は出世は非常にコネなり何なりが幅を利かせていたのか、本当かどうかはともかくとして「上司の娘を嫁にする」というのが官僚界において出世の糸口となると世間は見ていたようです。もう一つ例を挙げると、この前ようやく社長になった島耕作が課長になったばかりの頃に嫁に三行半を突きつけられた際、
「待てよ、今離婚したら出世に響くじゃないか。仲人となった上司にも面目が立たない」
などと言うシーンがあります。なんていうか、今見ると鼻で笑えます。
このようにバブル期以前は、社会学的に言うなら結婚という儀式が社会的地位の形成に対して大きな影響力があったといえます。しかしバブル期、というより85年の制定から90年前後により実施が強化されていった「男女雇用機会均等法」が一つの契機となり、この動きに歯止めをかけたと見ていいでしょう。
この「男女雇用機会均等法」の実施によって言うまでもなく女性の社会進出が増え、男と結婚して頼らなくとも女性は自活できるようになり、この時代辺りから「独身貴族」という言葉が生まれるなど自分だけに消費するために独身を続ける者が男女共に増加していきました。
ついでに言うと、独身貴族という言葉が生まれる一方で高校や短大を卒業後、実家にいながら結婚を待つ身を表す「家事手伝い」という女性限定の職業は完全に消え失せました。今の若い子は信じないかもしれないけど、昔は「家事手伝い」って、役所の書類とかの職業欄に書けたんだよ。「自宅警備員」は今ならかけるのかな?
そしてここが今日の肝心な部分ですが、独身貴族がでてくるなど結婚に対する社会的価値が低くなっていく動きはそのまま変わらず、現代に至って私は「三十路」という言葉はもはや死語だと考えています。
統計上でもここに挙げた厚生省の統計でも初婚時年齢は右肩上がりに伸びる一方で2005年度で女性は27.8歳にまで来ています。なお、このデータは私から見るとちょっと頼りないデータで、結婚をした人限定の平均年齢の統計で、現在もなお独身の人の年齢は加味されていないので、実際にはあまり使えないデータですが、他にいい資料がないので引用しました。
なお大都市部では既に平均結婚年齢が十年位前から30歳をとうに過ぎており、未だに独身のままの人も数多くいるので、現代はみんな三十路で当たり前ともいえる状況です。
つまり、それまで「そろそろ結婚しなければ嫁ぎ遅れる」と女性が意識し始めるボーダーラインだった30という年齢が現代はあまり効果を出さなくなり、現代では三十歳からワンランクアップして「マジでもうヤバい」と思うようになるボーダーラインが40歳ということが徐々に定着してきたといえる状況で、そういった意味で「アラウンドフォーティ」というのは非常に現代独身女性をうまく言い表した言葉だと思うがため、私は高く評価しているのです。
何気に私のいとこ(♀)も今年晴れてアラフォー入りして、本人は結婚したいとよく言っておきながらもわがままな性格が災いして全然進展がありません。
最後にちょっと適当なことを言うと、最近私は「愛おしさ」という感情は対象の相手に「弱さ」を見つけなければ成立しえない感情ではないかと思えてきました。言ってしまえばアマゾネスのようなごつい女性に対しては「愛おしさ」より「頼もしさ」というものを感じるでしょうし、猫とか子供とか相手していてかわいいと思うのはやっぱり相手が弱くて守ってあげなくてはと思うのが背景にあるからだと思います。
然るに現代は男女共に独立した個を持てと日本の教育現場では不完全ながら教えられますし、女性の社会進出に対してもどんどんとプッシュがなされています。果たしてそんな環境で、結婚に結びつくような「愛おしさ=弱さ」を相手の女性に感じる男性はどれほどいるのか疑問ですし(逆はありそうだけど)、そうしたことが婚姻減、離婚増、少子化のトリプルパンチにつながっているのだと考えます。
じゃあ日本の少子化をどうすればいいかといったら、どんな手段を選んでもいいというのならやはり女性の社会進出を徹底的に阻むことが一番効果をあげるでしょう。まぁ現代ではそんなことできるはずもないし、私としても才能ある女性を社会で使わないのはそれもまたもったいないことだと感じるのでやりたくはありませんが、他に方法があるとしたら結婚観を徹底的に変える事しかないと思います。
やはり現代では結婚は双方の「愛おしさ」を基底にしなければ成立しないという観念が非常に強いのですが、これでは「愛おしさ」が発生する「弱さ」がどちらかになければ私の考えでは起こり得ません。それだったらこの際、「結婚とは、生き残ることが難しいこの世の中にてサバイバルパートナーを得るということだ!」と、北斗の拳ばりに世の中の不毛さを謳い、戦場で後ろを任せられるような相手を結婚相手に選ぶべきだという観念を持たせれば、女性が社会進出しても問題はないんじゃないかと思います。実際、私なんかは出来ることならそういう人、もとい余計な支出が少ない名古屋の女性みたいな人を相手にしたいです。けちな性格なもんで……。
2 件のコメント:
確かに現代の女性に可愛らしさを求めるのは、得策ではないように感じます。社会で生き抜くことを求められすぎていて可愛らしさという意識が希薄になっているのでしょう。だから、戦場で背中を任せられるとまではいかなくても、お互いを支えあうパートナー的な存在の人を見つけるようにしなければいけないと思います。人はみな弱いです。その弱みを補ってくれる人を見つけるようにしなければいけないと思います。あのハマーンでさえ、シャアを求めていたのですから。
敢えて深読みをすると、去年に流行った「ツンデレ」という概念も、普段は強気でいるのに時折か弱さを見せるという、現代の女性に対して「たまには弱さを見せてくれ」というような男の願望が入ってたのかもしれません。
ちなみに、もうロシア軍に暗殺されちゃったけどチェチェンの武装グループの有名なリーダーが、「部隊を維持するのにはちょっときつめのいい女が一人いるといい」と言っており、理屈が良くわからないのに何故だかよく納得したことがあります。ハマーンの影響か。
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