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2008年12月4日木曜日

犯罪被害者への報道被害について

 昨日の記事では犯罪者の家族への報道被害について所見を述べましたが、今日は犯罪被害者への報道被害について思うところを述べます。

 実は私の住んでいる近所に、今年全国を大いに騒がせたある大事件の被害者が住んでいる家がありました。その事件は他の事件同様発生から一、二週間の間、テレビや週刊誌が大いに取り上げたということからその被害者の遺族への取材のため、その家へも発生当時は数多くのマスコミが寄り集まりました。実はその家の近くへ私のお袋がある理由でよく伺っていたので当時の状況を詳しく見ていたそうですが、それはもうたくさんの人間が発生当時は押し寄せたらしく、一週間後には玄関先に「マスコミの方は取材を遠慮願います」という張り紙が貼られたそうで、ご遺族の方も見る見るうちにやせていき、事件発生から数ヶ月を経過した後、マスコミの取材こそなくなりましたが、ご遺族の方はとうとうその家から引っ越して行ったそうです。
 このような犯罪被害者へのマスコミの取材攻勢による二次被害ついては一部で問題視する人間がいますが、いかんせん私が見る限り現在のところそれほど大きな動きにはなっていないように思えます。

 何故こうしたマスコミへの取材批判について大きな動きにならないかというと、それは言うまでもなく世論の声を大きくするのはマスメディアで、そのマスメディアがわざわざ自分らの不利になるようなことを報道しないということに尽きます。もっとも、インターネットが発達する以前はこうした取材攻勢が今以上に激しく、ある芸能人などは旅行から帰国後、しつこくカメラを向けるマスコミのカメラが子供の頭に当たって子供が泣き出したので、「何をするんだ」と注意したらその怒った所をカメラで取られ、翌日には「○○、記者に暴行」という見出しで子供が泣き出したことを無視されて記事が書かれたと言っていました。最近ではさすがにこういったパパラッチ的な行為は大分なくなったかと思っていたら、この前の卓球の福原愛氏の帰国の際にものすごい数のマスコミが集まってたので、もしかしたらまだ続いているかもしれません。

 このような問題のあるマスコミの過剰な取材行為ですがもちろん芸能人だけでなく、前回に解説したように犯罪者の近親者はもとより、今回の内容の犯罪被害者、またはその家族へも以前から行われてきています。私が記憶する代表的な例を挙げると、最近のものだと香川県での姉妹、叔母が殺された事件では姉妹の父親が犯人だと各所で疑われ、ある売れないアイドルなどはブログで公然とあいつが犯人だと名指しして干され、テレビ司会者のみのもんた氏も犯人ではないのかと意図的ににおわせる報道を行い、真犯人が出たあとにこの父親へ謝罪しています。

 そしてやや以前の例、最も問題のある報道被害の例はなんといっても松本サリン事件における河野義行氏の例です。この松本サリン事件の第一通報者でもある河野義行氏は当時に製薬会社に務めていたこともあり、サリンが使われたという報道を受けて薬品の専門家であると見られたこの河野氏が製造したのではないかと、実際にはサリンの製造に必要な設備などが全くなかったにもかかわらずありもしないでっち上げの推理が警察やマスコミを通して行われました。今でこそこの事件はオウム真理教が起こした事件だと断定されているものの、当時はこの河野氏が犯人だと決め付けられメディア上で激しく批判されたばかりか、警察にも実際に何度も拘留されています。なお、現在に至るまでマスコミ各社は公式に河野氏へ謝罪を発表していないそうです。

 河野氏の妻も松本サリン事件で健康被害を受けており、先の香川の事件でも親類が被害を被ったにもかかわらず犯人扱いされ、どれだけ辛い思いだったのか想像することも出来ません。こうした犯人だと間違われる冤罪的な報道はもとより、ただでさえ家族が殺されてつらい思いをしている遺族に対して異様な取材攻勢を行うという、最初の例のような問題のある取材や報道は枚挙に暇がありません。
 そしてなんというか、どんな大事件もほとぼりが冷めてしまえば皆忘れてしまうものです。現に元厚生次官の殺人事件も、ちょっと前まで延々と報道されていたのが今週に入って報道時間が大幅に減少しています。しかし取材攻勢を受けた被害者やその遺族はその一瞬の間に過熱する報道のために、最初の例のようにその後の人生を大きく狂わされてしまうのです。そう思うと、こんな行為は畜生にも劣る行為に思えてなりません。

 単純にこういった問題をどう防ぐかと言ったら、私はやはり過激な取材や報道に対して問題性があるかどうか判断する、民間人や専門家などで組織する中立的な組織をしっかりと機能させることが有効だと思います。テレビ番組などには「BPO」という放送倫理機構があり、現在まである程度問題のある報道を指摘するなど貢献していますが、私の目からするとやはり不十分な気がしますし、最も問題性の高い週刊誌等へはこうした組織の存在を私は聞いたことがありません。
 そしてそのような問題のある行為をマスコミが行った場合、やはり報道の二次被害を受けた被害者に対して賠償金などをしっかりと支払うような罰則に関する仕組みを整備することも必要です。なんでしたらたとえ国家の情報統制だといわれても、私は法制化をしてもいいのではないかと思います。そう思うほどこの問題は根深いと私は考えており、また昨日に書いたようにマスコミの側で自主規制するような動きが見られないのも理由に挙がります。

 最後に、私自身が直接BPOに携わっていた放送関係者の方から聞いた話を載せておきます。

「その番組や取材に問題性があるかどうか、それを判断するのは難しいとよく言われますが、実はこれはとても簡単なことなのです。その番組政策や取材を行う人に対して直接、あなたは自分の行っている行為を自分の子供に見せられますか、と聞くだけでいいんです」

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 マスコミの過激な報道は確かにその目的がわからないほどですよね。ただ、対象を苦しめるだけです。それこそ、視聴者が望んでいるから何でもやっていいという理屈でしょうが。そういう低レベルな組織は、確かに第三者によって束縛をかけられる必要があると思います。世の中では、不条理が横行していますがその不条理を少しでも少なくすることが世の中をよくすることなのだと僕は認識しています。

花園祐 さんのコメント...

 問題はその第三者委員会をどうするかで、やはりその性格上、報道会にいた人間を入れなくてはいけませんが、私の考えている構想では、その第三者委員会で活動する際に今後二度と報道会に戻れないという誓約を行わせるべきではないかと考えています。

 よくマスコミを行政、立法、司法の三権に並ぶ「第四の監視権力」といいますが、私が理想とする社会構造案はこれに加え、民間から以上四権を監視する「第五の監視機関」を創設することです。成り手は誰かというのなら、今のところNPO団体で組織するしかないと考えています。

匿名 さんのコメント...

 メディアへの評価という点では、まったく花園君と同意見。

 ただ、確かにメディアの報道による被害は問題だけど、この問題の本質は別のところにあると思っている。つまり、血族主義を捨てられない人間の愚かさがこの問題の根源だと思う。家族という単位で社会が構成され、その社会に適応することが義務付けられている環境では、ある個体とその両親や兄弟といった存在は同一視されうる。
 まあ、悪い面ばかりじゃない。家族に対する愛着や家庭への帰属意識が社会の安定に大いに寄与していることはいうまでもないよね。 
 一方で、その副作用として現れている現象の一つが犯罪被害者に対する理不尽な社会的制裁だと思う。つまり、この社会が抱えるシステム的な欠陥(バグ)だね。
 このバグに対する対処法は花園君が記事に書いてくれたとおりだと思う。もう一つの対処法は、社会の有り様を根底から変えることだね。人間の意識レベルで。
 つまり、人類の革新ですな。

花園祐 さんのコメント...

 人類の革新となると、やっぱりコロニーでも落とさないといけないかな。

匿名 さんのコメント...

自分が死ぬ間際にぜひブリティッシュ作戦を成功させて、アマゾンにでっかい穴をあけたいね。