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2009年9月20日日曜日

国ごとに変わる時間の感覚

 私が中国に留学する前、私の中国語の恩師にある日こんなことを尋ねてみました。

「先生、中国と日本で決定的に違うと思うものは何ですか?」
「そうだね。これは私だけかもしれませんが、向こうはなんか、時間がゆったりと流れるような気がします」
「時間ですか?」
「そう。なんていうか、中国の一日というのは日本での一日より長く感じるのですよ」

 この先生の言葉は、後に私も中国に留学することで直に実感しました。
 私の体験で申し上げると、感覚的には中国における一時間という時間は日本における二時間分に相当するように感じます。日本では昼食を取ってから夕方になるまであっという間という感じですが、中国ではなかなか夕方にならず、やることがあればまだ気にならないのですが暇な時などはまだ夜にならないのかと、まるで小学生の頃に学校を休んだ日みたいな感覚を覚えました。
 またこれは私と先生に限らないようで中国留学生らが書き込む掲示板などを覗くと、どうも他の多くの方も同じように中国では時間がゆったりと流れるように感じるという意見を何度か見受けたことがあります。

 それにしても考えてみると不思議なものです。言うまでもなく絶対時間は世界共通で差があるはずはないのですが、日本と中国では私にははっきりと自覚できるほど一時間辺りの感覚時間が異なっていました。一体何故感覚時間がそれほど変わってしまうのか、私なりに出した仮説は以下の通りです。

・仮説一、未経験な海外生活
 例えば同じアルバイトなどの仕事においても、毎日やっている仕事とその日が初めての仕事では何事にましても勝手が違います。そして感覚的には未経験の仕事の方が体験済みの仕事に比べ覚えることや気苦労が多く、私の中では両者を比べると未経験の仕事をやっている時の方が時間が長く感じます。
 これと同じように、何年も生活してきた日本での生活に対して初めての中国での留学生活はいわば未体験なことの多い生活でした。そのように留学中ではいろいろと慣れない事が多い生活のため、日々の感覚時間が日本での生活より長く感じたのではないかという仮説です。

・仮説二、国民の時間感覚の違い
 日本のバスと違い、都市間高速バスを除いて中国の市内交通バスには基本的に時刻表はありません。こういうと中にはどんな風にしてバスを利用するのかと思う方がおられるかもしれませんが、使い方は実にシンプルで、乗りたい路線のバスがやって来るバス停でひたすら待ち、やってきたら乗るだけです。
 これはずっと以前から言われていることですが、日本人というのは世界的にも時間の遵守に対して非常に厳しい面のある国民です。バスにしろ電車にしろ、五分でも遅刻しようものなら、「五分程度か( ´ー`)」とは言わずに、「五分も遅れやがって!( ゚Д゚)」とラッシュ時なら平気でみんなで言い合います。しかし海外の方からすると、ほとんど一分以内の誤差で運行する日本の交通機関に皆驚くそうで、母国では五分や十分の遅刻は当然だとよく聞きます。

 中国人も個人で見ればせっかちな人は少なくありませんが、社会的にはまだ日本人より時間にルーズです。十分や二十分くらい平気で遅刻してくれば、待つ方も仕方ないやとほとんど怒りません。
 このような社会全体の時間に対する厳しさとでも言うべきでしょうか、これが中国は日本より緩いために中国で生活する私も日本ほど時間を守らねば、焦らねばという感覚が薄まり、長く感じられたのではないかという仮説です。

・仮説三、単純に私が暇だった……
 この辺は連載中の「北京留学記」でも書いていますが、午前の授業を終えると私はほぼ毎日やることがなく、ずっと暇をもてあそんでいました。あんまり街中に出てお金を使うのも嫌だったし、自習したりすることがなければほぼ毎日昼寝をして何度も読み終わっている本をまた読み返したりして過ごしていました。
 これは別に中国に限らず、日本でも暇な時間というのは感覚的には長く感じます。中国での留学中はそのような暇な時間が多くあったため、ただ私が個人的に「長かった……(;´Д`)」と感じているだけというのがこの仮説です。

 以上の三つが主な仮説です。
 実はこの日本と中国での感覚時間が何故異なるのかという疑問が、私が時間の概念に対して興味を持った最初のきっかけでした。上記の仮説の中に部分々々におわせていますが、なにも国ごとといわずとも同じ日本国内でも場面ごとに感じる時間の長さが異なっていたりします。その差異を生むものは何か、この中国の体験談を話した友人と議論したのがある意味運の尽きで、その後数ヶ月に渡って会うたびに夜中中この議論を繰り返すこととなったわけです。

 そういうわけで次回は、「都会と田舎の時間」について解説いたします。

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