・友人Aの証言
「花園君ってさ、本当に昔から変わらないよね」
・友人Bの証言
「あのさ、それだけ政治とか経済にコミットしているのに、会社内とかでそういう話題の話し相手がいないのに我慢できるの?」
最近、友人らから上記のようなことを度々言われます。
この友人らの意見を補足するとこれは大概の日本人がそうでしょうが、就職して組織人になることで学生時代のように自由に振舞うことが出来ず、思想や言動も無意識のうちにかつてのものと比べて幅が狭くなっていきます。私の友人らも彼らが言うにはご多分に漏れず、自分の思想や言動がいつの間にか組織の型にはまってきて以前ほどの幅や自由さを感じられなくなってきているそうです。
そんな友人らが言うには、この陽月秘話の内容を初めとして今でも私は若い頃と全く変わらずに以前と同じ内容を以前と同じ具合で話し続けているそうです。一体どうしてそれほどまで以前の自分を保ってられるのかとよく驚かれるのですが、かくいう私自身も決してこの点を意識せずに果たしているわけではないので今日はその辺について話をしようと思います。
まずそもそも私が周囲に全く影響されずに以前と変わらずになりふりかまわない言動を続けられるのは、言ってしまえば幼少の頃の体験によってそういった周囲からの影響への耐性というか、自分の保ち方というものを身に着けていたからだと思います。
自分でこういうのもなんですが、私は小さい頃から周囲とは妙に異なった振舞い方、考え方を常にしておりました。それでも小学校くらいまでは特に取りざたされることはないのですが、中学高校ともなるとクラス単位の集団の付き合いというものが強くなるため、周囲からいろいろと訳の分からないことを言われることが増えていきました。まぁ中学時代に、弁当のおかずを全部食べてからご飯を食べ始める癖は周りから注意されてよかったと自分でも思いますが。
とにかくそれこそやることなすことから言うことまでよく周囲から、「それはおかしい」と言われ続け、私としても最初のうちは自分が何でそんなことをするのかをしっかりと周囲に説明すれば分かってもらえると思っていましたが、途中からは多分自分と周囲の人間で型が違うのだろうと割り切ってしまうようになりました。しかし割り切るにしても、自分がその振る舞いや言動を変えない限りは周囲からの変な目をくらったり、矯正するべきというプレッシャーを掛けられたりするのは変わりません。となると多少の苦痛は感じますが、そういった振る舞いや言動を自ら封印して出来る限り目立たないように行動することが一番割がいいだろうと判断したわけです。
そもそもの話、私がそれほど周囲から奇異の目で見られるような振る舞いを止めて周囲に合わせればよかったのではないかと言われる方もいるでしょう。確かに言われればその通りで私も可能であればそちらの手段を取ったでしょうが、当時の私はどうしても周囲の振る舞いや考え方が正しいものとはとても思えませんでした。
いくつか例を挙げると、私が高校生くらいの頃から携帯電話が流行りだして学校内はそれこそ携帯も持たないでどうするのという空気になり、持っていない生徒らも競って親にねだっていました。しかし当時の私はなにか緊急に連絡する状況になることはほとんど無く、むしろ通話代を親に負担させることになるので断固として持とうとしませんでした。
またこの携帯電話に限らずシャンシャン総会みたいに無気力全開の図書委員会でも、こんな状態はよくないと一人で図書の推薦文を書いて全校に配ったり本の整理などもよくやりましたが、やっぱり他の委員からは変な人のように見られてたようです。
更に言うと、周りがカードゲームやアーティストの話題を好んでする中で、私は一人で北朝鮮のテポドン事件についてあれこれ調べたり考えてたりしました。しかしこんな話題をしても周囲は相手にしないのも分かっていたので、無難に周りの話題に合わせて孤独に政経関係を勉強しておりました。
こんな具合で、いわば周囲から無理やり型にはめられるようとする中で可能な限り目立たず、かつ自分が正しいと思う振る舞いや言動、思想を下手にさらさずに自分ひとりで育ててきた期間が長かったため、一応組織人となった今でも学生の頃と全く変わらないままでいられるのだと思います。ただそうした身の隠し方がこのところは過ぎているのか、どうも初対面の人からは自分が大人しいタイプの人間だと勘違いされることが増えてきています。自分ほど感情の上下が激しい人間はそれほどいないとは思うのですが、逆を言えばそこまで自分を隠すことが出来るようになったのだと最近は前向きに受け取っています。
最後に自分が変わることについて、それがいい結果を生むか悪い結果を生むかはケースバイケースだと断言しておきます。変わるべき要素もあれば変わらざるべき要素もあり、自分のどこを変えてどこを変えないかをしっかり自分で考えて選ぶことが非常に重要です。一番よくないのはわざわざ私が言うまでもないですが、周りに翻弄されるがままに変わっていくことです。
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