明治の文豪でその実力、名声ともに最高の評価を受けている人物となればまず間違いなく夏目漱石の名が挙がってくるかと思いますが、私はというと漱石を評価しないわけではないですが森鴎外の小説の方が面白いように感じました。もっともこの両者は甲乙のつけがたいところがあり、トップ2であるのは間違いないのですがどちらが上かとなれば評者の好み、または評価するポイントによって変わってきたりします。
ただ大正の文豪で私が一番高く評価している芥川龍之介はその小説のテーマを事実上の師である漱石から受け継いだものの、小説のスタイルは今昔物語などの歴史物を題材にして表現するなど鴎外の影響も強く受けており、それゆえに芥川は両文豪のハイブリッド的作家とも言われており、明治大正を包括する最後の小説家としての評価はゆるぎないものと見られています。
私としてはあまり漱石の小説にはなじまない所があるので芥川と鴎外を日ごろから贔屓にしているのですが、小説家としては芥川の方が上だと感じつつも、人間的には鴎外の方に親近感を覚えてしまいます。鴎外というとやはり「舞姫」で有名なドイツ人女性との関係ばかりが注目されがちですが、彼のドイツ留学中のエピソードではこれに負けるとも劣らない、ナウマンとの論争があります。
ナウマンというのはナウマン像を発見してその名の由来となった、明治初期にお雇い外国人として日本に来ていたドイツ人学者、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンのことですが、彼はドイツに帰国後、日本について自らが見聞してきたことをある会合にて講演を催したのですが、その場には留学中の鴎外も来ていました。
鴎外の目の前でナウマンは、日本は明治維新を経て列強に必死で追いつこうと改革を続けているが所詮は真似をしているに過ぎず、列強と肩を並べる事など到底不可能だと主張しました。
するとそこで聞いていた鴎外はやおら立ち上がると流暢なドイツ語にてナウマンに対し、日本人として今の発言は黙って聞き流す事は出来ない。もし発言を撤回しないのであれば日時と場所を指定するので決闘を申し込むと言い放ってきたのです。もちろん周りはドイツ人ばかりで、唯一鴎外にくっついてきた同じく留学中の乃木稀典はドイツ語が理解できなかったまでも周囲の剣呑な雰囲気を読み取り、「も、森君、どうしちゃったの?(゚Д゚;)」と慌ててたそうです。
この思わぬ鴎外の反論に対してナウマンは侮蔑するつもりではなかったと弁解するも鴎外は一向に譲らず、最終的にはナウマンが引いて発言を撤回したことで場が収まった、とされています。
この論争は鴎外の研究者らによって伝わった逸話ですが詳細についてははっきりしないところがあり、上記の私の記述も敢えて一番ドラマ仕立てな物を紹介しております。ただナウマンに対して鴎外が何らかの形で反論を行ったというのは事実で、写真で見る温和そうな顔の裏では非常に闘争心の強い性格をしていたのではないかと窺わせるエピソードです。
別に鴎外に重ねるわけじゃないですが、私もどうも周りから、特に初対面だと大人しそうな人間に見られる事が多いのですが、こんなブログをやっているあたり自分より過激な性格をした人間なんてそんなにいないような気がするのですが、どうも危険人物のようにはなかなか受け取られないようです。それはそれでいいんだけど。
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