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2008年10月26日日曜日

90年代におけるネットをテーマにした作品

 ちょっとこっちは不確かで私の所感でしかないのですが、90年代前半にはいわゆるサイバーパンクともいう近未来の宇宙を舞台にしたハードボイルドな漫画作品が非常に多かった気がします。このジャンルの代表的作品は寺沢武一氏の「コブラ」が最も有名ですが、90年前後にはガンダムでも「逆襲のシャア」や「F91」等の大型SF映画作品も作られ、ガンダム以外でも大友克洋氏の「AKIRA」が公開されるなど環境的に充実していたのが流行した理由なのだと思います。当時の同人誌等を見ていると明らかにこれらガンダム作品を模した巨大ロボットものの作品が多く、また「コブラ」同様にアメコミの画風を取り入れたものが非常に多くありました。

 そしてこうした90年代前半の流れを受けたのか、90年代後半に続く頃にはインターネット時代の幕開けとともに今度はネットをテーマにしたSF作品が次々と生まれていきました。 
 このジャンルの最高峰ともいえるのは言うまでもなく士郎正宗氏による「攻殻機動隊」で、この漫画の中で書かれた「意識と肉体の同一性」というテーマはこれに続いた他の同ジャンルの作品でも一貫して取り上げられています。

 ちょっと攻殻機動隊について簡単に説明すると、この漫画の中の世界では脳だけを取り出して体は全身サイボーグ化することが当たり前に行われており、漫画版では軽くギャグ調に書かれていますが、映画のアニメ版では一つのメインテーマとして、サイボーグ化した自分が本当に脳を持っているかを自らの目で確認することがもちろんできないので、今こうして考えている意識は本当に自分の脳が行っているのか、もしかしたら自分が自分と思っている意識は実はAIが行っており頭の中には脳ではなくコンピューターチップが入っているのでは、といったような疑問が提起されています。
 哲学の言葉で恐らく最も有名な、少なくとも今ここに物事を考える自分が存在しているのは確かであるという、「我思うゆえに、我あり」という価値概念すら、「その自分の意識はもしかしたらAIなのでは?」という疑問でひっくり返すという面白い概念が描かれています。

 ちなみに自分の意識は本当は脳ではなくAIが行っているのではというような話は何も攻殻機動隊が最初ではなく、それ以前にも自分が人間だと思っていたら実はサイボーグだったというような話はよくあり、木城ゆきと氏の「銃夢」(1990~1995)という作品に至ってはある未来都市の住人すべてが成人するとそれまでの記憶をデータ化してコンピューターチップにするとそれを脳のかわりに入れられ、自分が脳をなくした(肉体はそのまま)と知らないまま生き続けるという話が書かれています。

 このように、それまで魂と呼べるような意識と物理的に存在する肉体は基本的にその人個人に対してセットで存在しているのだという前提に対し、90年代前半頃からこれに強く疑問を提起する動きが見え始めてきました。そうした中、ついにインターネット時代に突入するのです。
 インターネットというのは基本的にデータだけの世界です。そのデータの中にはこの私のブログのように意思がこめられた文字データがあれば、チャットのように音声の発生と聞き取りという物理現象を解さずに(キーボードの打ち込みはありますけど)互いの意思を交換することもあり、いわば肉体を解さずに交流される、意識だけが存在する世界とも言えます。

 日本でインターネットが始まったのは1995年からですが、このインターネットの仕組みをヒントにしたのか「データ」、「意識」といった言葉をふんだんに使用して、「もはや肉体と意識は完全に別々に分けられているのだ」というような主張をテーマにした漫画やアニメ作品がこの頃から続々と出てきました。その主張は先ほどに説明したような具合に、インターネット世界というのは完全な意識だけの世界だということを前提にネットに出ることで物理世界から意識だけを開放する……といった具合です。

 攻殻機動隊の中でも意識をネットに接続することによって他者の記憶に干渉する、中には意識そのものを乗っ取るといった描写が展開されていますが、90年代後半に至っては現実世界と意識世界そのものを逆転したMMR的に、
「実はこの世界はネット世界と同様に、コンピューター上のデータの世界だったんだよ!」
「な、なんだってー!?」
 ってな感じで言い出すのも結構ありました。これだと一番代表的なのはアメリカの映画、「マトリックス」ですが、この監督自体が攻殻機動隊の大ファンだしなぁ。

 ちょっと話が二転三転していますが、当初は「肉体が変わっても、意識はそのままなのか」という議論から、「肉体と意識はもはや別々なのは確かだが、果たして我々が認識するこの世界は肉体の世界なのか、意識の世界なのか」といったように徐々にシフトしていったように思えます。私の言葉に直すと、それまでは肉体と魂がセットの一元論の疑問から、肉体と魂は別々という二元論に加え世界も二元なのかという疑問といった具合です。

 そこで90年代後半において最もこういったテーマを強く打ち出しているのが、かなり贔屓も入っていますが「Serial experiments lain」というアニメ作品だと思います。これなんかコアなファンが今でも多くいるのですが、この作品では「記憶=データ」という前提が存在しており、その上我々が知覚する現実世界というのは我々が遊ぶオンラインゲーム上のような世界で、人間の意識(とされるもの)には本質的に他者の意識と接続する能力が備わっているとして、そうした意識同士が接続されあって出来た世界というのがこの世界という具合に話が展開されます。ちなみに、その接続されてできる世界でも上位の接続が出来る人間においてはデータをいじくる権利があり、記憶等の我々が知覚する世界に干渉することが出来るようになってます。

 こういった作品が流行したことについては、やはりインターネットの拡大という影響があったことは間違いないでしょう。ネット上が意識だけの世界ということで、意識だけで世界は成立するのでは、肉体はその存在価値はまだあるのかなどといった様な疑問が次々と出て行ったのだと思います。なお、「バカの壁」の作者の養老猛氏も、現代の世界は意識だけが大きく幅をきかしており、木から落ちて怪我をするといったことがあまり取り上げられもしなければ起こることも減り、肉体の実感が非常に薄くなってしまったというようなことを言っていたと思います。

 本当は漫画のテーマの流行り廃りだけをこの記事で書こうと思ってたのですが、予想以上にわけのわからない内容になってしまいました。また別に質問等があれば細かい解説をしてこうと思いますが、この記事ではとりあえず妙な翻訳はせずに私の言葉で詰め込めるだけ詰め込むことにしました。なので適当にわかる内容で面白いと思ったものだけ拾って読んでください。

 最後にこういった「肉体と意識」をテーマにした作品の現状について私見を述べると、このところはめっきりこういったテーマを取り扱う作品が少なくなったと思います。売れなくなったのか、流行らなくなったのか、はたまたインターネットの拡大が非常に大きくなって一般化してしまったからかもしれません。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 肉体と意識は別物というのは今は一般化してしまったのでしょうね。今思ったんですけど、違うこと考えながらほかの事やってるっていう現象もこれにあてはまるのでしょうか?
 
 文章にすることしか今はできませんが、電気信号として相手に伝えられたら本当にコミュニケーションが楽になると思います。
 それこそ、電脳化なんですけど。

花園祐 さんのコメント...

 少なくとも条件反射を行う時に、人間は動作に対して意識を持っていないでしょう。そういう風に考えるなら、違うことを思いながら動作するというのは意識と肉体が別々に動いていると考えられるのではないでしょうか。

 コミュニケーションについては確かに電気信号でやり取りできれば楽ですね。ただちょっとコンピューター的に考えると、ベースとなる言語が一致していなければいろいろ問題が起こりそうです。それにしてもこの考えだとテレパシーはどうなるんだろう、無線LANなのかな?

匿名 さんのコメント...

結局データというものは0と1の塊でしかなく、前もって決まっている規則にしたがって読むことによって意味を成す暗号文のようなもの。電脳化の仕組みがわからないので突っ込んだことはわからないのだけれど、前もって標準化がなされている(最低限通信相手と同じ読み方を取り決めている)ならば今のコンピュータネットワークと同類に扱えるのではないだろうか。

テレパシーについてはwikiによると「特別な道具を使うことなく遠隔の者と言葉を交わさずに通信する能力」とある。電脳化された体に無線LANが標準で装備されているならば当たり前にテレパシーができると言えるだろう。その場合、それは電脳化された人間の一般的能力であり超能力ではなくなっているのだが。逆に無線LANカードを追加する必要があるならば「特別な道具」の使用に反してテレパシーに分類されないと考えられる。
まあ、どっちに転んでも通常の通信でしかないのだろう。

そんなわけでそういった未来でも、技術的な話を超越して電脳化に関係なく行われるよくわからない通信をテレパシーと呼ぶのではないかと思う。そのほうが楽しいし。

花園祐 さんのコメント...

 実際に電気信号によるコミュニケーションが行われるなら、有線以外なら実質テレパシーと変わんないでしょうね。逆を言うならテレパシーが出来る超能力者の人は無線LANが入っているのでしょうかね。

 ちなみに、「BLAME」という漫画ではそういった電脳世界にアクセスする条件に「ネット端末遺伝子」というものがあり、これがあるとアクセスできるとされています。義体化、電脳化が進むなら、最終的には遺伝子自体がそういったもののパーツになるのかもしれませんね。