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2008年10月30日木曜日

現代の若者論の間違いについて

 大分以前の記事で、現代の若者を評価する論説のほとんどが年長者からの上から目線で語られていることが多く、その世代の人間を基準に「お金を使わなくなった」とか「車に乗らなくなった」などと、やや偏った意見が多いと私は指摘しました。
 これとは別で私が最近巷で語られる現代若者論の中で致命的だと思う欠点は、
「今の若者は先の見えない世の中に人生に意欲をなくしている」
 といった言質だと思います。

 確かに現代の若者は将来に対して強い不安感を持ち、そのために以前と比べるのなら行動意欲などの点で大きく低下しているのは事実だと思います。以前から大分減ってはいましたが最近だとデモ行進もなければ座り込みや、ハンスト活動……ちょっと極端なものばかり挙げていますが、身近な例だと地域自治体活動などに参加する若者は私の実感でも減っている気がします。

 しかしこういった事例に対して先ほどの主張は根本から間違えていると思います。もったいぶらずに言うと、「先が見えない」からやる気をなくしているのではなく、「先が見えてしまう」からやるきをなくしてしまうというのが本当の理由でしょう。
 以前は学歴社会といわれながらも、しっかりと勉強していい大学に入れば社会的地位も向上すると考えられていましたが、それに対して現在はいい大学を出たからといって必ずしもいい所に就職できるとは限らなくなり、また学歴社会と言われた以前より高卒の人間に対する就職状況が、ここ二、三年は好転しているものの、非常に狭められており、例を挙げると大企業メーカーの工場作業員も正社員はほとんどおらずに派遣社員などにされるなど以前より環境は悪化しております。

 そして何より、終身雇用のレールから外れると一生まともな生活をすることが出来なくなると学歴社会の頃から言われていましたが、現在は当時以上にこの言葉が重みを持ってきただけでなく、不安定な雇用環境からさきほどの「レール」から外れやすくなっているのも、不安感を増大させている原因となっているでしょう。
 そのため一旦失職、下手すりゃ最初にまともなところに就職できなければその後一生は暗いままで終わる、といった具合に若者も達観しているために、一旦レールから外れるとやる気をなくしてしまうのだと思います。将来に不安を持つといっても、わからないというより一生駄目なままというのがわかりきっているというのが根本的な問題でしょう。

 ついでに書くと以前は定期昇給といって毎年勤め続けるごとに月々の給料は増えていきましたが、現在はどの企業も職能給という制度にほとんど移っていてこの定期昇給を維持しているところなんて極わずかでしょう。
 何だかんだいって戦後に日本社会が非常に大きな活力を持てたのは、「先が見えなかった」からだと思います。今じゃ信じられないような人、ヤクザくさいハマコーとか野中広務が国会議員になれたり、街工場の一小企業がいつの間にか世界のソニーと呼ばれるようになってたりなど、ありていに言えば下克上はいくらでも起こせるという空気が日本人を真に強くさせたのだと思います。

 私としても何事もわかりきっている世の中よりやはり何が起こるかわからない世界の方が生きてて楽しそうだと思います。信長の野望でも天下統一が確定的になって近づいてくるとかえってつまらなくなるし、逆に生き残るかどうかの瀬戸際で遊ぶ方が楽しいしなぁ(・∀・)

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

先が見えてしますから~という意見はとてもおもしろいですね。私は以前(今現在においても?)学生運動というものに対して大変な憧れを持っていました。少し前までは左翼的な、革命的な、そういうヒロイズムに憧れていたのだと考えていました。しかし最近になって私は当時の若者は分からない未来に対して悩み、傍若無人になっていたということに対して憧れていたのだと理解するようになりました。当時の学生は見えない未来に対して希望・不安・絶望と様々な感情を抱いていたように思います。もちろん、当時の学生の感情などというのは私の勝手な妄想にすぎません。しかし、20年ちょっと生きた人生を振り返って、皆将来に対して諦めであったり、もうわかりきってる、やっても無駄といった非常にネガティブに考える人が多かったなぁと思いました。私自身もそのように感じて生きてきたので、団塊世代の学生についての書物や映像(美化されているもの、されていないもの問わず)にふれて、彼らは未来をわかりきったものと考えず、ぼんやりと眺めていたように感じずにはいられないし、そのような青春時代に憧れを抱いてしまいました。

匿名 さんのコメント...

お酒を飲みながら文を書いてたので、めたくそに呂律の回ってないものになってしまいました。まぁでも最近の学生は希望を持たずに、将来をわかりきったものととらえているように感じますね。
まぁ物心つかない時点で、団塊世代があれだけ熱中した、先進的であったとされた社会主義国家が滅亡した、失われた十年という日本経済の発展が頭打ちになっていたということがひとつの要因ではないでしょうかね?

しかし、団塊世代のようにゲバ棒もって、赤ヘルかぶって、バリケード封鎖し、仲間と他愛も無い、稚拙な理想論を語り合うことに憧れますね。そういう話できる友人は非常に少ないですから

匿名 さんのコメント...

何回も投稿してすいません。
http://jp.youtube.com/watch?v=N4RaoKh7K2w&feature=related
森田童子さんという方の歌です。かつての革命ごっこ(?)を「あの時代は何だったのですか あのときめきは何だったのですか みんな夢でありました みんな夢でありました」と歌っている曲であります。今の若者が十年後、学生時代を振り返ったとしても、このように当時抱いてた「夢」を思いだすことは無いでしょうね。「夢」を持っていないでしょうから

花園祐 さんのコメント...

 よく酒飲みながらコメント書いてくれるね。
 指摘されて私も思い出しましたが、ロックマンさんの言うとおりに以前の若者にはまだ「目指すべき社会のモデル」というのがあったというのが、若者の意欲について非常に重要だと思っています。何が問題で何を解決するのか、どんな社会にしたいのかという明確な目標があるのとないのとでは意欲についても大きな違いが出てくるでしょう。

 ちょっと長くなるので、記事の方でこの続きを書きます。