このブログでも既に何度か取り上げていますが、またオウム真理教の事件についてです。
以前にも一度、「広瀬健一氏の手紙について」の記事の中でこのオウム事件を取り上げたことがありますが、既にあの事件から十年以上経っているとはいえ、私は今だからこそ再検証するべき課題がこの事件にはまだたくさん残されていると思います。特に私がもっと真剣に検証しなおすべき必要のあると信じてやまないと考える、何故エリートたちはオウム真理教にのめりこんだのかという点について今日は愚説ながら私見を述べようと思います。
まずこの前の記事でも取り上げた広瀬氏ですが、彼は学生時代には将来を嘱望されるほどの優秀な学生で、恩師にそのまま学会に残っていれば偉大な研究を世に残したとまで言われたほどの秀才でした。なにもこの広瀬氏に限らず、オウム真理教には世の中からすれば相当なエリートに当たる人材が数多く集まっており、オウム事件が取り沙汰された頃には何故彼らのような賢い人間たちほどオウムというカルトにハマってしまったのかという検証が毎日取り沙汰されていました。
しかし結論から言わせてもらうと、当時は結局ワイドショー的な議論を脱することはなく、この問いについて私が納得するような答えを得ることは出来ませんでした。その頃私はまだ小学生でしたが、自分が大きくなったあとにこんな風な変な宗教に引っかかったりはしないものかなどといらぬ心配をしてましたが、こういう事件を二度と引き起こさないため、ある程度事実に整理がついた今だからこそ検証をする必要があるのではないかと、オウムに集まったエリートたちに関する海外の宗教論文を読んだ三、四年前から常々一人で悩んでいました。
そんな中、自分にとってそんな問いへの大きなヒントになる本を見つけました。その本というのも前にも一回取り上げたことがあるかもしれない、島田裕巳氏の「平成宗教20年史」です。
本の内容を説明する前にまず作者である島田氏の経歴について説明しますが、島田氏は第一線の宗教学者として活躍されていたのですが、松本サリン事件が起きるより以前から自身の研究の一貫としてオウム真理教内部の修行やセミナーに参与観察をしていたことから、地下鉄サリン事件以降のオウムバッシングの際に「オウムの擁護者」などと根も葉もないレッテルをつけられて一時学会を追放された事がある学者です。現在は学会に復帰していくつか著作も出しているのですが、この本と並んで「日本の10大宗教」は取って入りやすい内容で私からもお勧めの本です。
さてそんな必ずしも自分と無関係でない島田氏がオウム事件に対してどのような見解を持っているかですが、特筆すべき意見としてオウム真理教をバブル期以前と以後に分けている点です。これはオウム真理教に限らず昭和に躍進した創価学会や統一教会にも一致する特徴なのですが、これら新宗教はバブル崩壊以前までは信者数が一貫して増加をし続けたものの、バブル崩壊以後はどこも新規入信者数に一定の歯止めがかかり、伸び悩みの傾向を見せているのです。
唯一といっていいほどの例外は真如苑ですが、オウム真理教もバブル崩壊までは信者数が右肩上がりに増えており、その頃の教団は後にあれほどの凶悪犯罪を起こす気配はあまり持っていなかったそうです。
一概にこれがすべての原因だとは言い切れないとしつつも島田氏は、オウムが凶悪化した原因の一つとしてバブル崩壊によってこれまでの規定路線による信者の拡大が思うように図れなくなったのも遠因しているのではないかと主張しています。もちろん、バブル崩壊によって前みたいに無尽蔵にお布施を集められなくなったのも原因として挙げていますが。
では何故バブル崩壊後、オウム真理教のみならず他の宗教でも同じように信者数の増加に歯止めがかかったのかですが、島田氏の意見を私の解釈で説明すると、
「いつの時代も世の中の動きについて来れない人間はおり、特にバブル期のように享楽的に消費生活を送ることが自明視された時代に反発を覚える人間は少なくなく、そんな人間に対してカルトとされる宗教はお金は邪なものだから捨てなさいといって彼らのお金をお布施として巻き上げるが、お金だけが価値じゃない世界を変わりに彼らに与えることで信者を獲得していた」
といったところでしょうか。
つまりバブルや高度経済成長の波に乗ることが出来なかった層をカルトは取り込んでいたのですが、肝心のバブル自体がなくなったことでそういった世の流れにあぶれる層自体がいなくなり、新規入信者が先細っていったという解釈です。案外、こんな感じじゃないかと私も思います。
このようにバブル崩壊という環境の激変が組織内部が先鋭化していったのがオウムの暴走の原因となったという説ですが、私はそれ以上に、バブル期の世の中について来れない人間がオウムに行き着いたという話の方が印象に残りました。
もし仮にバブル期でも、あまり消費欲もなく静かに暮らして生きたい人間たちも悠然と構えて暮らしていける世の中だったら、オウム内部であれだけの兵器を作ったエリートは集まらなかったのではないかと思わずにはいられません。私は社会の安定のために何が一番大切かといったら、多様な存在を同一社会において認められる多様性と慣用性をまず挙げるようにしております。
言ってしまえばオウムに集まったエリートたちはそうした社会の慣用性が低かったためにオウムに走ったのではないか、そう最近になって思うようになりました。これはカルトに限らずテロリストの話にもつながっていきますが、知らず知らずのうちに社会の中で囲い込みをすることが潜在的な危険を増やすとされ、こうした事態を防ぐために常日頃から社会の慣用性を強く持つよう構成員は自覚するべきというのが私の持論です。少なくとも、飲み会に出るか出ないかというくらいで付合いが悪い、悪くないといった評価をするのを日本人は止めるべきなんじゃないかと、酒が飲めない自分が代表して言っておきます。
3 件のコメント:
ごぶさたしてます。SOFRANです。オウム真理教ですか、最近、とみに色んなニュースがありすぎて、オウム真理教の事を思い出したりすることもめったにありませんね。それでも、今年に入ってからだと思いますが、NEWSZEROでオウム真理教の信者が集っている所に、記者が信者を装って、隠しカメラかで内部を撮影した潜入ルポがありました。その中では、上祐派を離れた一派が、麻原を信奉する動きがあり危険だとまとめられていたように記憶しています。なんであんな人間を尊敬できるのか私なんかも不思議に思いますね。 最近は、幸福の科学が幸福実現党などを作るという動きもあり、幸福の科学は信者数を公表していないらしいですが、一定多数の信者の方もいると思うので、次期選挙に少なからず影響を与えるのは予想されます。直後に、新聞に機関紙の広告があり見出しだけ拝見しましたが、その主張は憲法9条改憲とか、日本の社会主義化を食い止めるなど、どちらかといえば右寄りの意見を持っているのだなと見受けられました。 うーん、でも宗教関係について発言するのは、神経がいりますね。
駄文でした。もう一つ書きたいことがありまして、私は未だに件の西松疑惑に関する検察の動きに関して強い疑問を感じています。ときたま、日刊ゲンダイをコンビニで購入するんですが、この新聞は偏りすぎていて週刊誌の域を出ないとの批判を持たれるかもしれませんが、他の大新聞が載せないような内容の記事がいちはやく載っていたりするので、花園さんも一度、読んでみて下さい。前には、西松疑惑に関して、自民党の議員には波及しないという【高官】の発言があったとの報道がありましたが、この日刊ゲンダイはいちはやくその高官が漆間副官房長官であるとの情報を伝えていました。今日の三面にも色々と目新しい情報があって、5月28日付のニューヨークタイムズで[小沢スキャンダルでメディアはいいなり]と題した批判記事を掲載したとか、東京新聞は小沢氏と同様に献金を受け取った自民党議員の調査記事を載せたところ、東京地検から3週間の出入り禁止を受けたとか、えらく露骨だなあと憤慨する情報もありました。あと、最近の郵便割引の不正利用の事件も民主党と結びつけようとする動きもあるらしいです。 最後に、検察の体質について理解するのに忘れてはならないのが、花園さんもご存知だと思いますが、三井環氏の事件です。彼は、大阪高検の元公安部長だったのですが、検察の裏金を内部告発の動きを見せていて、ちょうど、テレビ朝日の番組内で告発するという収録がある日に検察に逮捕されてしまったのです。明らかに、口封じ。 長々と書いてしまって、自分でも辟易するぐらいの量ですが、よかったら三井氏の事件について掘り下げてくれたら幸いです。
SOFRANさん、コメントありがとうございます。
言及されたオウムの残党についても今回話題に上げた島田氏が見事な評論を書いているので、後日また解説します。
三井環氏の事はもちろん知っていますよ。ただ私がこの事件を知ったのは、一時期に関西に住んでいたからだと思います。関西のローカル局はよく彼を取り上げていましたが、関東のキー局で取り上げられたことはついぞ一回として見た事がありません。その辺と絡めて、こちらは明日にでも記事にしてみようと思います。
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