2008年9月28日日曜日

文化大革命とは~その十、毛沢東の死と文革の終わり~

 いよいよ文化大革命の通史の大詰めです。この後は文革についてその後の影響や思想について書くので連載はまだ続きますが、ひとまず今回で大まかな話は終わります。

 さて前回では周恩来が死んだ時期について解説しましたが、よく周恩来と毛沢東はセットで語られることが多いのですが、彼ら二人が建国以後文字通り二人三脚で中国を背負っていたということはもちろん、こうして同じ年に死んだこともそのように語られている原因だと思います。

 1976年、周恩来の死から八ヵ月後についに毛沢東も病気で死亡します。その臨終の様については諸説入り乱れており、中には「日本の三木首相の選挙のことを心配していた」とかいうとんでもない話まであり、どれが本当かはまだ研究する時間を待たねばなりません。しかし約半世紀にわたって中国を引っ張り続けた彼の死はそれはもう大きな影響を後に残しました。

 毛沢東は死の間際、数年前から中央指導部に引っ張り側近に取り立てた華国鋒を次の後継者として指名していました。何故この華国鋒が毛沢東によって突然の抜擢を受けたかというと、それも今のところよくわかっていません。ただ中央指導部に抜擢されたのは派閥人事のなかでバランスを取るためだといわれており、事実この人はどうにもキャラが薄く、これというはっきりした政策案とか色を持っていなかったようです。

 それがために死後に混乱を恐れた毛沢東が、どこにも派閥に属していないという理由だけで華国鋒を取り上げたのかもしれませんが、毛沢東の死後、残った華国鋒はたまったもんじゃなかったと思います。というのも権謀術数渦巻く中央政界において何の後ろ盾も持たない自分だけが形だけの最高権力者として放り込まれ、案の定毛沢東の側近として文革を推し進めた「四人組」がより大きな権力を求め(四人組の中の一人である毛沢東の妻の江青は国家主席の地位をねらってたと言われている)、華国鋒の追放を画策し始めてきました。

 そんな状況下で、華国鋒には恐らく二つ選択肢があったと思います。一つは四人組に従い、国家主席の地位を投げ出すか、四人組に唯一対抗できる「猛虎」を自分の下へ引っ張り込むかという選択肢です。結果から言うと、彼は後者の選択肢を選び、第一次天安門事件にて再び追放された鄧小平を招聘するに至るのです。

 ちょっとややこしいことを先に書いちゃいましたが、時系列的には華国鋒は先に四人組を軍隊の幹部である葉剣英と組んで毛沢東の死から一ヵ月後に電撃的に逮捕、死刑宣告を行って一掃し、その後に鄧小平を中央指導部へ招聘しています。恐らく彼は鄧小平の力を借りながら自らの地位を守っていこうと考えたのだと思いますが、虎はやはり虎で、案の定自ら招聘した鄧小平によって失脚させられます。

 事の次第はこうです。四人組の逮捕後、恐らく鄧小平への牽制として華国鋒は自分の新たなスローガン、その名も「二つのすべて」を発表します。これは単純に言って、「毛沢東の言ったこと、やったことは何一つ間違いがない」という内容で、要するに毛沢東の目指した路線を守っていこうという政治信条で、これを発表することによって毛沢東の支持層を取り込もうと考えたのだと思います。しかしこれに対して毛沢東がいなくなって怖いものがなくなった鄧小平は猛然と真っ向から否定し、こう言いました。

「毛沢東の言ったことにも、中には間違いもある」

 華国鋒はあくまで毛沢東路線を引き継ごうとしたのに対し、鄧小平ははっきりと毛沢東の後年に行った文化大革命などの一連の政策は間違いだったと主張したのです。しかしここが鄧小平のうまいところで、彼はそれに加えて、「毛首席は確かに間違ったことをした。しかしそれでも功績七割、失政三割で、やはり彼は偉大な指導者であった」と毛沢東を全否定せずに文革のみを否定し、毛沢東の支持層を含めて民衆を大きく取り込んだのです。

 この論争は民衆の感覚をどう捉えていたかの両者の違いがはっきり出ています。華国鋒も鄧小平も文革の混乱をどうにかせねばと考えていたのは間違いありませんが、民衆がどれだけ毛沢東に傾倒しているか、文化大革命にどれだけ憎悪を燃やしているかを華国鋒よりも鄧小平の方がしっかりと計算できていたようです。「ワイルドスワン」のユン・チアンもこの鄧小平の打ち出した路線を知った時に、地獄に仏のように思ったとつづり、だからこそ後年の第二次天安門事件で虐殺を行ったとは信じられなかったと述べています。

 その後、華国鋒は鄧小平の批判を受けて次第に権力がなくなり、最終的に指導部からかなり早くに追い出されることになりました。しかし文革期のように集団リンチを受けたり強制労働をされるわけでもなく、一定の地位と収入をもらって余生を過ごしていたようです。その一つの証拠として、この華国鋒は87歳で、つい先月の八月二十日に天寿を全うして亡くなっています。

 実はこの連載を始めるきっかけというのが、この華国鋒の死でした。これによって文化大革命中の中心人物はほぼすべて世を去ったことになり、当事者たちがいなくなったことによって、これから恐らくこの時代についての様々な史料が公開されることだろうと思いますが、その前に中国の今の若者にとってもそうですが、隣国でこれほどの大事件が起きていたことを知らない日本の若者が多いということを改めて痛感し、私自身もまだ未熟な理解ではありますが中国を理解するうえで決して外せないだけに、何かしら役に立てないかと思って連載を書くことにしました。

 長くはなるだろうとは思っていましたが、十回を越えてまだなお書く記事があるというのは我ながら予想だにしませんでした。もっと簡潔に書くべきだったかもとは思いますが、第二回に既に概要は書いてあるので、むしろここまで細かく書いておいたほうがよいのかもしれません。今までのどの回も呆れるくらいに長い記事となっていますが、きちんと読んでいる方がおられれば、この場を借りて深くお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。

5 件のコメント:

  1. 福原長堯を継ぐ者2008年9月29日 2:11

    文革の記事最高だね。ぜんぜん知らなかった。当然毎回読んでますよ。

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  2.  いつもながらありがとうございます。
     この文革については継ぐ者さんほど世界史に詳しい人間でも、私たちの世代で細かい内情を知っている人はほとんどいないと思います。逆に私たちの両親の世代などは紅衛兵や毛沢東についてよく知っていて、この知識の断絶に問題を感じています。さらにこれはこの後に書きますが、昨今の蟹工船ブームもこの知識の断絶が多少は影響しているように思います。

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  3.  ひとまず、お疲れ様です。毎回楽しみにして読んでました。僕もまったく知らなかったから、すごく勉強になりました。続きも期待してます!!

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  4. おつかれさまです。毎回詳しいエントリをありがとうございます。楽しみに読ませてもらってます。

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  5.  皆さんコメントありがとうございます。

     ネット上を見ていても、確かにこの文化大革命を紹介、解説するサイトは少なくはないのですが、いかんせんややこしすぎて触りづらい感があります。私のも長いから人のこと言えないけど。
     本当は学校教育とかでやるべき内容なのですが、アメリカの現代史ともども戦後から現在に至るまでの歴史はあまり扱われず、エアポケットみたいにすっぽり抜けたままになりがちです。むしろこういった現代史こそしっかり知っておかねばならないと思うのですが。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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