前回までで文化大革命の通史の解説は終わりです。今回からは文革の影響や周辺事項など抽象的な話を中心にまだしばらくやってこうと思います。まずやるのはほかならぬ当該者である中国の、現在の文革への評価です。
結論から言って、現中国共産党および中国人はこの文化大革命を明らかな失敗、悲劇の時代だったと認めています。餃子に毒が入っていようが遊園地にドラえもんがいようが決して自分たちが悪いとは言わず、下手したらガチャピンの中に人は絶対入っていないとまで言い出しそうな頭の固い中国共産党にとって、こうはっきりと失敗を認めるというのはとてつもなく異例です。
前回の記事でも最後の方に書きましたが、毛沢東の死後に華国鋒などはまだ失敗だったと認めようとはしませんでしたが、鄧小平ははっきりとこれを失敗と認めました。これは政治的な駆け引きでもあるのですが、鄧小平としては最低限の市場経済的要素を必ず中国にも導入せねばならないと考えており、そのためには国内、ひいては共産党のこれまでの価値観を変える必要がありました。
そこで、最も共産党らしく平等主義が謳われた中で行われたこの文化大革命をはっきりと失敗、悪い政治の見本として置く事によって、この文化大革命と真逆の政策である、彼の言によると、「共産主義にも、市場経済があってもいいじゃないか。ないなら我々で新しく社会主義市場経済を作ろうじゃないか」と訴えることによって、自らの正当性を中国全土にアピールしました。
この鄧小平の目論見は見事に当たり、恐らく文革の混乱に国民が疲れきっていたというのもあるでしょうが、中国全土で鄧小平への支持が集まるようになりました。
とはいっても、鄧小平個人で見るなら学者たちの見方としてはやはり彼は生粋の共産主義者であったという声が非常に強いです。というのも鄧小平は急激な市場経済への傾倒は中国で大混乱を引き起こし、ひいては国を滅ぼすと考えており、市場経済を完璧に認める「経済特区」を当初は中央から遠く離れた、香港と接するシンセンから行い、あくまで限定的に徐々に徐々に市場経済へと移行してきました。そしてこの際一挙に市場経済の波に乗って政治も民主化すべきだと立ち上がった学生たちに対しては、第二次天安門事件で容赦なく叩き伏せ、鎮圧しています。これもいつか解説しないといけませんが、この事件の際に鄧小平は天安門に戦車を繰り出し、学生たちを情けなく踏み潰しています。これに対して「ワイルドスワン」の作者のユン・チアンは、あの地獄の時代を終わらせてくれた鄧小平がこんな残酷なことをするなんてとても信じられなかったと述べています。
話は戻りますが中国のように広い国ではスローガンというか大きな政策目標くらいしか全国へ回らないために、こうした言葉が非常に政権維持にとって重要になってきます。第二回でも確か少し触れていますが、鄧小平は日本の小泉元首相のように文革=悪、市場経済=善と二項対立を国民に謳って、彼の政策を推し進めていきました。まぁ結果論から言えば、文革は明らかに悪でそれ以外だったらなんだって善になりそうなんだけどね。
今の胡錦濤政権も基本的にこの路線を引き継いでおり、「市場主義は守っていくべき。でも共産党が政治を見ることも中国にとって大事」という風にやっています。私が最初に文化大革命を否定することで現在の共産党政権の存在意義が成り立っていると言ったのは、こういうことです。
ついでに書くと中国研究家の高島俊夫氏などは著書にて、中世に長い間政権を保った明は建国者の朱元璋(農民出身で毛沢東は大好きだった)の後に帝位継承争いが起こり、見事勝利して即位した次の永楽帝は首都を南京から北京に移したり、政策も根本からすべて改めたことを例に取り、現在の中国も毛沢東が国を興して次の鄧小平がすべてひっくり返したから意外と長期政権となるのではと言っていますが、なかなか含蓄のある意見です。
次にこの政府の見方に対し、中国国民は文革をどう見ているのかですが、基本的には政府と同じで悲劇の時代だったと総括しているようです。ただ少し気になる点として、私が以前に知り合った中国人の方が毛沢東についてこんな風に言っていました。
「彼は最後の方は腹心に騙されて変なこと(文化大革命)をしてしまったけど、やっぱり偉大な人物であることに間違いないわ。私の両親も今でも大好きよ」
もしこれが対話だったら今の会話文のどこに気になる点があるか相手に答えさせて、それで相手の洞察力や知力を測るのですが、まぁここでやってもねぇ。友人からはもうこういう風に相手を値踏みするなと毎回怒られているのですが……。
それで今の会話ですが、重要な部分というのは「最後の方は腹心に騙されて」のところです。これははっきりと断言はできないのですが、恐らく中国共産党としてはこの文革の責任を毛沢東に負わせずに、彼の周りの腹心、彼の妻である江青を含む「四人組」と呼ばれた人間が彼をそそのかして起こしたのだと国民に教えているのだと思います。つまり毛沢東自身は率先して文革を行わず、毛沢東の威を借りた狐である四人組が起こしたのだとして、毛沢東の権威を現在も保持、利用し続けているのではないかと私は思います。
実際に地方などでは今でも毛沢東の支持者は非常に多く、彼らを取り込むために毛沢東の権威を守る必要があったのは想像に難くありません。前回でも言ったように鄧小平も「七割が功績、三割が失政」と言って、徹底的に毛沢東を否定することはありませんでした。
しかし歴史的に見るのなら文化大革命はやはり毛沢東が明確な意図を持って推し進めた混乱で、その責任も毛沢東が最も大きいと私は断言できます。しかし現共産党幹部の苦労も知っているので、彼らがこのような姿勢をとるということにはしょうがないと強く理解できます。
幸いというか、現在ではかつてほど毛沢東の強い神格化や崇拝の強制は行われなくなり、現代の中国の若者は文化大革命について知らない人間が増える一方、上の世代ほど毛沢東へ強い意識を持たなくなったと言われています。恐らく中国共産党としては、第二次天安門事件同様に早く全部忘れてもらいたいというのが本音だと思います。
1 件のコメント:
Nothing must be done hastily but killing of fleas
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