2010年3月31日水曜日

郵政民営化の逆行について

 昨日の閣議にて、先週より各所を騒がせていた郵便貯金の保障限度枠を現行の1000万円から2000万円にまで引き上げられる事が決められました。この件について私の意見を言えば、率直に残念だといわざるを得ません。

 この限度枠の拡大に限らず郵政大臣の亀井静香は一度民営化した郵政をこのまま国営化に戻すつもりのようで、かねて私も頑張って書いた「郵政民営化の是非を問う」の記事にて問題性が高いと指摘した「財政投融資」についても、今朝のテレビ番組で限度枠の拡大で集めた資金をどうするかと聞かれ、「道路建設などに使う」と発言するあたり事実上復活させるつもりなのでしょう。「郵政民営化の是非を問う」の記事の繰り返しになりますが、無駄遣いのまさに根本とも言える財政投融資を折角潰したのに、またも復活するなんて聞いてて本当にバカらしくなります。

 ちょっと今回の民営化逆行には私自身が利害に関わる立場ではないものの納得行かない点が多いので亀井静香のネガティブキャンペーンを張るとすると、彼自身は俗に言う郵政票を多く持つという立場であるがゆえに郵政民営化に反対しているだけで、具体的にどのように民営化に反対しているのかという方向性には乏しいと言わざるを得ません。また彼に限らず一部の政治家は政治を行う事を本業とするのではなく選挙に受かる事が本業となっており、亀井静香についてはホリエモンこと堀江貴文氏も著書にてその点を厳しく批判しております。

 堀江氏はかつての郵政選挙の際に自らも自民党の推薦候補として亀井氏の選挙区にて立候補しましたが、新人候補でありながらその抜群の知名度ゆえに落選こそしたまでも相当数の票を獲得するに至りました。この選挙の際、亀井は堀江氏を格差論者だなどと口汚く批判していたのですが、堀江氏が例の事件で一時収監されて出獄後、なんと堀江氏に対して国民新党に入って選挙に出馬しないかと打診してきたそうです。

 堀江氏によると、恐らく亀井としては今後選挙で自分を脅かす前に自分のところで囲っておこうとして打診してきたのだろうと推測していましたが、私もこの堀江氏の意見に同感です。この一件について堀江氏は政治家というよりも選挙屋とも言うべきそのあくなき根性に呆れたと述べていましたが、そんな選挙屋が大臣やっているということに私もいろんな意味で疲れてきます。今度また一本記事を独立して書いてもいいのですが、私は基本的に政治家という職業はこうした選挙屋を生み出さないためにも副業でやるべき仕事と捉えるべきだと考えております。

2010年3月30日火曜日

明治天皇と戦争

 このところ書いていないけど恐らく一番の人気コンテンツであろう歴史物をまた一本投下しておこうと思います。

 現代の日本において最大のタブーと来ればそれは言うまでもなく天皇家で、そのためか明治以前ならともかく以後の天皇となると国内で歴史的評価や検証を行う事もやや難しく、今日取り上げる明治天皇のように日本国内以上に中国を初めとした外国の方が知名度や評価が高かったりすることも少なくありません。その明治天皇ですが、日本人であれば恐らく君主らしくひげを生やした軍服姿の天皇の写真を思い浮かべる事は可能でしょうが、具体的にどのような人物でどんな性格であったかとなるとあまり答えられない方が多いかと思います。私自身がそうだし。

 では明治天皇はどんな人物だったのか、そのわずかな人となりを知る上で私がよく参考にしているエピソードに、明治時代の日清、日露の戦争に対する明治天皇の反応があります。

 日清、日露ともに明治維新後の日本の運命を決める重要な戦争であった事に間違いはありません。この戦争に対して権威という神輿に担ぎ上げられた存在とはいえ憲法上の主権者であった明治天皇は開戦当初にどのような反応をしたのかというと、まず日清戦争については実は開戦に反対だったそうです。

 明治天皇がどのような意図を持っていたかまでは私も把握していないのですが、開戦時において周囲に対し、「この戦争は朕の戦争にあらず」と発言していた事は間違いないようで、同じく開戦に反対していた時の首相の伊藤博文らを呼んでは何度も愚痴を述べていたそうです。とはいえ明治天皇は公私というか自分の役割はきちんと認識できる方だったようで、開戦後は重臣の意見に従って大本営の置かれた広島に自ら赴きそこでしばらく執務を取ったそうです。

 一体何故明治天皇は日清戦争に反対していたのかというと、いくつかある意見の中でもやはり勝算を見込んでいなかったというのが一番有力です。当時は列強にやられっぱなしとはいえ「眠れる獅子」とまで呼ばれた清に対し、幾ら日本が明治維新で頑張ったとはいえ勝てると考えていた人間は少数だったそうです。
 それにもかかわらず、というより何で主権者である天皇が反対しているにもかかわらず開戦となったのかと思われる方もおられるでしょうが、まだ明治の時代は天皇の神格化がそれほど進んでおらず、また伊藤博文や山県有朋といった維新の元勲らも多数生きてて政治の実権は彼らが持っていたために現実的には明治天皇はそれほど決定権がなかったというのが実情です。

 ついでに書いておくと昭和の時代において軍部が暴走した際に彼らが錦の御旗として使った「統帥権の干犯」という概念ですが、これは主権者である天皇の意思を無視して軍事の決定を行ってはならないという考え方であるものの、天皇の意見なんて大日本帝国憲法制定当初から最後までほぼ一貫して無視されていたということになります。さらに付け加えると、この「統帥権の干犯」という表現はロンドン海軍軍縮条約を結んだ与党を攻撃するために当時野党議員の鳩山一郎が使ったのが最初です。恐らく横で聞いてた軍部は、「こんな便利なものがあったんだ!」と思ったに違いないでしょう。はっきり言いますが鳩山一郎という政治家は決してハト派ではなく、孫同様にその時々において平気で意見をひっくり返す癖のある政治家でその評価は肯定的な部分と否定的な部分の両面共に大きいといえます。

 話は明治天皇に戻りますが、当初は反対こそしていたもののなんとか日清戦争は勝利を得る事が出来ました。それにしても日清戦争の日本側死者の八割以上が病死というのは凄いものですが。
 その日清の後の日露戦争では開戦前、相手が強国ロシアということもあって日清戦争以上に重臣達も開戦には慎重でした。そこで明治天皇はどんな風に考えていたのかですが、ちょっと記憶が曖昧ですが確か昔出ていた「週間日本史」で書かかれていた記事では、明治天皇は開戦に反対だった伊藤博文を呼ぶとこう尋ねたそうです。

「この戦争、もし負けたら朕はどうなるのだろうか?」
「さすがに殺されるということはないでしょうが、フランスのナポレオン三世(敗戦によって退位し、亡命した)の例もあります。ただでは済まないでしょう」
「もしその時、おぬし達はどうする」
「もちろん陛下と運命をともにします」

 このやり取りを受けて、最終的に明治天皇は日露戦争に対して腹を括ったと聞いております。
 さっきの日清戦争のエピソードはあちこちで言われてはいますが、こっちの日露戦争については何度も言いますが記憶は曖昧です。ただ実際にも、こんな感じのやり取りがあったんじゃないかと私は思います。

 別に私に限るわけじゃないですが明治天皇の資質や性格はともかくとして、実際に切り盛りする維新の元勲らとその旗頭となった天皇の連携はこの時代において非常に上手く機能しており、それが明治維新の大成功につながったというのは間違いないでしょう。それだけに維新の元勲が去って東大、陸海大学校出身者が切り盛りするようになった昭和前期の日本が勝算のない戦争を始めて国土が灰燼に帰すまで戦争を続けてしまったというのは、明治時代に元勲と天皇の連携に過分に頼ってしまっていたということも一因であると私は思います。

2010年3月29日月曜日

鳩山政権、デノミ検討の真偽

 ちょっと当たり障りのないリンクが見つからないのでこのまま内容を書いてしまいますが、日経新聞が3/19日付の朝刊にて鳩山由紀夫首相がデノミ、つまり通貨兌換を去年から検討していたもののその先導役となる藤井前財務相が退任した事から立ち消えになったというニュースを報じました。なかなかに驚きなニュースなので早速私もネット上で、「鳩山 デノミ」と検索ワードをかけて調べてみた所、やはりというかこのニュースを取り上げては鳩山首相を批判するブログがいくつもヒットしたのですが、結論から言うと私はこのニュースの真偽は結構怪しいんじゃないかという気がします。

 デノミというと最近ではジンバブエや北朝鮮が経済改革の切り札として使ったところ見事に大失敗をしてしまい、更なる経済悪化を自ら招いてしまった例が記憶にも新しいかと思います。通貨兌換といってこれまでの1000円を十分の一にして100円にするにしてもその過程では様々な経済的な混乱、システム的な問題が発生されることが予想され、ましてや国際取引市場でも使われる円通貨を不用意に変動させようものなら国際的にもいろいろ問題であり、私としても現時点でデノミをするなんて以ての外だと考えております。

 そんなデノミを鳩山首相は実は画策していたと日経新聞は報じているのですが、ニュース発表から十日が経った現在、このニュースを報じている日経以外のメディアが未だ見当たらないのが私はやけに気になります。もし内容が本当であればそれこそ鳩山政権の運営姿勢を疑いかねない政策ゆえに私は普通ならば他のメディアが追加取材をやっているものだと思うのですが、このニュースを取り上げたブログをいちいち見ても最初に報じた日経以外のソースはないばかりか、民主党寄りの朝日新聞ならともかく普段から鳩山政権にこれでもかというくらいにいちゃもんをつけ続けている産経ですらこのデノミについては全く触れていません。更に言えば、一応毎日テレビニュースで首相会見を確認していますがこのデノミ検討があったのかについて質問する記者も見当たりません。

 また本来、皮肉な話ですがこういったニュースというのは日本だと外国メディアの報道から始まるのが常です。というのも日本には各紙が情報を抜かないための記者クラブ制度がよく整備されており、デノミのような証券市場にも影響を与えかねないニュースだと各社一斉に報じるか外国メディアが報じてからようやく報じるかのほぼ二択です。そういった事例と比べると、今回の日経だけが報じているという浮き方が妙に感じられます。

 で、そもそもの日経の報道記事も読んでみるとネタ元についてはいつも通りに、「周辺によると……」と書いてあるだけで、首相周辺なのか日経周辺なのかすら区別がつかない書き方をしております。
 日経は先日にもサントリーとキリンの合併交渉の終盤において他紙が恐らく破談になるだろうと報じていた中で、一番最初に合併交渉を始めたことをスクープした立場ゆえか破談が正式に発表されるまで強気に合意間近と報じ続けておりました。今回の件と関係ないといえば関係ないですが、ちょっとこのところの日経の報道について疑問を感じたので合わせて取り上げる事にしました。それにしても、日経さんは続報をくれないのかな。

2010年3月28日日曜日

時間の止まった風景について

 私が京都にいた頃、大部分の期間を昔から京都駅前でやっていた喫茶店にてアルバイトをしていました。最初は京都市から離れた場所に下宿を借りていたので電車通勤でしたが、市内に下宿を移してからは自転車でいけるようになり京都市北区から鴨川沿いを朝早くから自転車で駆け下って通っていた事を割と今でも懐かしく感じます。

 この店は京都駅前にあるとはいえ競合する店が数多く、また近年はスターバックスなどのファーストフード店も数多く増えたためにやってくる客と来れば決まって常連の客ばかりだったのですが、ある冬の日、見慣れない初老の男性客が午後に一人で入ってきた事がありました。なんか珍しい客だなと私が水とお絞りを持っていくと、その男性客は店内をしげしげと眺め回しながらこんな言葉を言いました。

「ここだけは、変わってないなぁ」

 話をしてみると、なんでもその男性客は十年位前にも私のバイト先の喫茶店を訪れた事のある方だったそうで、京都駅前が十年前と比べるといろんな建物が出来たりしてすっかり様変わりしているのに対してこの喫茶店だけは十年前と何も変わっていないことに驚いていたそうです。その方が感慨深げにコーヒーを一杯飲んで帰ると店主は自慢げに、「どや、うちは昔からずっと同じでやねん」と話した上で、あの客が言った様にその喫茶店の周囲である京都駅前は駐車場が出来たりでかいビルが建ったりするなど、その変容振りはずっとここに住んでいても驚くほどだと話しました。

 私は時間というものは基本的に、視覚的にも聴覚的にも、なにか変化を感じ取る事で初めて時間の経過を認知できると考えております。逆を言えば目に見える風景、耳に入る音がなんの変化もなければ時間というものは感じ辛く、何も聞こえない部屋にずっと閉じ込められたりしたらすぐに時間の感覚は狂うんじゃないかと考えております。
 そこで今回のバイト先の喫茶店の話です。店主も言うとおりにその喫茶店は昔からずっと同じ佇まいで同じ内容の商品を提供し続けており、周囲が大きく様変わりしていることに比べるとなにか一人だけ時間から置いていかれたような、十年ぶりにやってきたその客にとってすれば時間が止まった様な空間であったのかと思います。

 この時間が止まったような空間、言い換えるならば変化が見られない空間というものは、目立たないけど個人々々の時間感覚に大きく影響を与えるものなんじゃないかと私は考えております。

 誰にでもある経験でたとえると、かつて卒業した小学校の前などを久しぶりに通ると、「ああ、ここを卒業してもう○○年だなぁ」などと感じる事は皆さんにもあるかと思います。もっともその小学校が取り壊されていたり改築されていたらちょっとしおらしくなっちゃいますが。
 私は時間の止まった空間というのものは、その空間にかつて触れた事のある時間と現在までの時間の経過をその人に強く認識させる格好の材料なのではないかと思います。ただ漠然と五年前、十年前と抽象的に考えるより、先ほどの小学校との例を出せば卒業してから現在までの時間が○○年だなどというように、抽象的な時間の概念と具体的な時間の概念を結ぶ大きな材料になるような気がします。

 またそのように時間概念を結ぶだけでなく、これは私見ですが時間の止まった空間というものは見た者にぐっと往年の心象を呼び起こす材料にもなるかと思います。これまた誰にでもありそうな例でたとえると、学生時代によく行った飲食店に立ち寄る事ですっかりサラリーマン化してしまった思考が一時的に学生時代に戻り、あの頃は若かったなと振り返りつつもしばらくは学生っぽい考え方をするのが続いたりするなどと。
 もちろんこの様になるのは時間の止まった空間だけでなく昔に聞いた音楽や食べた料理、なんだったら懐かしい知人に会っても十分に起こり得るでしょう。ただ知人の場合、その人が以前とすっかり変わってしまっていたら逆の意味で時間の経過を実感する事になるかもしれませんが。

 友人の言によると私は昔から全くキャラクターが変わらない人間らしく、なんかこのところ会う度にいろんな人間から、「花園君は変わらないなぁ」と言われたりします。ただこれは全く意識していないわけでなく、見かけはともかく私は意図的に思考の根っこのところは自分を変えないように日々努力しております。何故そうしているのかという理由はひとまず置いといて、その自分を変えないための一つの手段として用いているのがまさに今回紹介した時間の止まった空間で、別に大した儀式めいた事をしているわけではないのですが自分の人生の節目節目において、その当時の自分を強く想起させるような風景や場所を心中で設定し、記憶に留めるようにしております。

 目下の所、今の自分にとって一番思い入れが深い「時間の止まった空間」に当たるのは京都市伏見区にある伏見稲荷神社で、京都に立ち寄った際には必ずここを一回は通るようにしております。何故伏見稲荷がそのような場所に設定されたのかといえば、まず第一には神社ゆえにこれ以後もめったな変化が起こらないことが予想されることと、割と自分が野心満々だったころに初めて訪れたということからです。

 人間、肉体が老いるということは今の技術ではどうにも抗えません。しかし精神については心がけ次第ではまだどうとでもなる余地があり、自分の精神性がピークに近づいたと感じたのであればゲームのセーブじゃありませんが、時間の止まった空間になにかしらその痕跡を残しておくというのは悪い事じゃないと思います。仮にそれ以後に自分の精神が更なる成長を遂げたとしても、過去のセーブ記録と比較する事で成長を実感したり、その時点で必要なものがわかってくるかもしれません。
 こういうところに妙にこだわるあたり、いつまでも子供っぽいと言われる所以なのでしょうが……。

2010年3月26日金曜日

京都の道の特殊事情について

 先日リンクを結んでいるアングラ王子さんのブログにてコメントしたところ、下記のようなコメントをアングラ王子さんからいただきました。

「京都の人たちに道を尋ねると、ここから北へ~とか西へ○○、っていう感じで方角で言われることが多かったのですが、たまたまだったのでしょうか?」

 この返答を受け取った時に私は不覚ながら思わず笑ってしまいました。恐らく京都に住んだ経験のある方なら私と、同じような印象を覚えるかと思います。

 この京都人の道案内のやり方ですが、本人達は至って悪気はない……とも言い切れないのですが、昔から京都に住んでいる方にとってすればごく自然な教え方なのです。というのも京都市はきれいに東西南北に沿って道路が走っており、しかもすべての通りに一つ一つ名前がついているので道案内をする際には通り名と東西南北の方角を使って説明をします。そのためちょっとした道案内でも、

「ここは二条通りで、向こうに大きな通りがあってそこが今出川通りなんですけど、今出川通りに沿って東に行き続けると京阪の出町柳駅がありますよ」

 という感じで、京都の地理がないとわからんやないけと言いたくなるような説明をみんな平気で言ってしまうところがあります。向こうにとってすると、京都の地理もわからんくせに旅行にようお越しはったなぁ、みたいに思っているのかもしれませんが。

 しかしそんな京都人からすると逆に東京の地理は曲がりくねった道が多く、通りの名前もてんでんばらばら、こんな場所でどうやって暮らせばいいのかと言いたくなるような地理だそうです。実際に東京は徳川幕府が外的の侵入を防ぐという目的や日本の雑多性を好む宗教性が色濃く反映された都市で、世界的にもこれ程複雑な都市構造をした首都は少ないでしょう。そのため東京では必然的になにかしら目的地を辿って歩くという方法にならざるを得ず、

「向こうのパチンコ屋の前まで行ったら左に曲がって、そこから歩き続けるとスーパーがあるのでそこを右に曲がると駅がありますよ」

 みたいな説明の仕方になってきます。京都でも全くないというわけではないのですが。

 ただ関東関西の両方に住んだ事のある私の意見を言うと、やはり地図を見ながら練り歩くという意味では京都の方が圧倒的にわかりやすかったです。東京は地図を見ても現在地がなかなか掴み辛く、また歩いているうちに地図上のどの位置にいるのかがわからなくなって来たりして、いわゆる歩きなれた経験がなければおちおち散歩できないのが辛いです。

 ちなみに京都人は外からやってくる旅行者に対してどのように思っているのかというと、一番参考になるのはここのサイトの情報だと思います。割と京都人というのは物事をビジネスライクに切って分けて考える事の出来る人が多く、旅行者に対して表面上はお客様として対応しますが内心では金づるのように思いっきり見下す方も少なくありません。私としてはそれがはっきりと表に出ないのであればもてなされる旅行者も気分が悪くなる事もないんだし、そういう意味で最も世渡りに長けている人達だと考えています。

 最後に私が京都に住んでいた際、毎回そこを通るたびに気になっていたお店を紹介します。

中国料理 ほあんほあん

 このお店の何が気になっていたかというと、トップページにも入っていますが、「京の名物、皿うどん」という文字とともにパンダが皿に顔を突っ込んで何か食べている絵の看板です。
 皿うどんって京都名物だっけ? それよりもなんで中国料理で皿うどん?
 などと突っ込みどころが多すぎてどこから突っ込んでいいかわからないほどで、嵯峨嵐山店のある確か北大路通りを広沢池に行く途中で見るたびにあれこれ頭を悩ませていました。一回くらい、食べに行っとけばよかったなぁ(・ω・`)

2010年3月25日木曜日

地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡

 以前に昭和から平成にかけての猟奇的事件や大量殺人事件を話題とした掲示板を覗いた際、地下鉄サリン事件についてこんな言及をしている方がおりました。

「地下鉄サリン事件での死者は13人って、大きく報道された割にはあまり多くないよなぁ」

 恐らく書き込んだ方は別に悪意があるわけではなく死者数を見ただけの印象を語ったのだとは思いますが、見ている私からすると知らないにしてもやはり憤りを覚えずにはいられない書き込みでした。

 あの1995年に起きたオウム真理教による地下鉄サリン事件は世界史上初のバイオテロ事件でその手口も複数の路線で猛毒のサリンをばら撒くという手段といい、事件の規模は疑いようもなく戦後史上最大の犯罪事件でありその被害に遭われた方も生半可な人数ではありませんでした。それにもかかわらず死者数が13人、それこそ上記の書き込みをした方のように一見すると規模が少ないようにも見えるこの数字の裏には事件発生現場にて治療や救出活動を行った方たちの最大限の努力があり、事件規模の小ささを表すものでは決してありません。はっきり言ってあれだけの大事件にもかかわらず被害をここまでに食い止めたのは奇跡といってもよい偉業で、僭越ながらここで私もあの現場の方たちの努力をここで紹介しようと思います。

 早朝の地下鉄内で突然発生したこの地下鉄サリン事件は、発生当初から関係各所に大きな混乱を引き起こしました。各路線の電車が停止しただけでなくサリンを吸って症状を引き起こす方が続々と倒れ、しかも地下鉄という立地条件ゆえにすでに倒れた方を救助しようと近寄るそばからその救助者も次々と倒れていく始末でわずかな時間の間に膨大な数の要救助者を生みました。実際にテレビのインタビューにて応えた被害者によると、他の要救助者を駅内から地上へ運んでいる途中、自分と一緒に要救助者を抱えている人が突然ひざを落とすのを見たところで記憶が途切れ、次に気がついたときは自分も病院に運ばれていたそうです。

 この突然現れた膨大な数の被害者の治療においてまず真っ先に持ち上がった問題は、収容先の病院をどこにするかでした。今も陣痛を引き起こした妊婦の搬送先がなかなか見つからないなどこの問題は現在進行形で続いておりますが、数千人単位の急患が突然東京のど真ん中に現れてもどこの病院に運べばよいのか、また運んだとしてもすでにその病院が満杯になっていればたらいまわしになり、被害者の運搬において混乱に拍車がかかることも大いに予想されました。

 そんな最中、聖路加国際病院の日野原重明院長(当時)は事件を知るやその日の外来受付をすべて中止させ、被害者を無制限に受け入れる事をいち早く宣言しました。現在も各方面で活躍なされているこの日野原氏は周囲から老人の心配性から来る無駄遣いだなどと批判されながらも、大量に負傷者が現れながらも受け入れすらできなかったという戦前の体験からかねてより病院内の至る所に治療に必要な設備を設置、導入をし続け、その建物規模に比して膨大な人数の急患を受け入れられるように聖路加国際病院の改装を行っておりました。その日野原氏の徹底振りには私も驚かされたのですが、なんと病院内のチャペル内ですら酸素吸入口を設置するなどしていたそうです。
 この日野原氏の決断により聖路加国際病院は拠点病院として機能し、事件当日には数百人の患者を一手に引き受けて治療を行いました。

 しかしこうして被害者の収容は行えたものの、肝心の治療においてはサリンという未曾有の凶器ゆえに当初、現場は大きく混乱しました。始めはそれこそ何が原因でこれほどの負傷者が現れたのかすら定かではなく爆発や列車事故が起こったなどと情報が錯綜し、負傷者の対応に当たった医師らも爆発というには負傷者に外傷はなく、それでいてどうして心肺停止や呼吸不全などという症状が現れるのかと大いに戸惑ったそうです。

 こうした混乱する医療現場に対し、これまたいち早く原因はサリンだと気がついたのは信州大医学部教授の柳沢信夫氏でした。柳沢氏はテレビでの報道を受けこの事件の前年に起きた、こちらも同じくオウム真理教が引き起こした松本サリン事件での被害者を担当した経験から報道される負傷者の症状が酷似している事に気がつき、聖路加国際病院を始めとして東京の各病院へサリンによる毒ガス負傷の可能性を伝えるとともにその治療法をFAXにて伝達しました。
 また時期をほぼ同じくして、かねてより戦争放棄を謳っている国にどうして必要なのかと社会党などから厳しく批判されていた自衛隊内の第101化学防護隊を始めとした化学兵器対策部隊の隊員らが負傷者の症状からこちらもサリンが原因だと特定し、各病院に対して自衛隊中央病院から医師らを派遣して治療法や対応の助言を行いました。

 バイオテロにおいて何が一番怖いかといえば、その凶器の特定がなかなかできずに治療ができないという事態です。その点でこの地下鉄サリン事件は前年に松本サリン事件がすでに起きていた事が大きく影響していますが、かなり早い段階で凶器の特定ができて適切な治療を行えたということが負傷者の拡大を食い止める事に大きく貢献したといえます。特に信州大の柳沢教授の判断とその行動は真に賞賛に値する行為で、如何に人間一人の行動が重要な価値を持つのかということを示す好例だと言えるでしょう。

 しかしこうして負傷原因がサリンだと特定できて治療法がわかったものの、肝心の治療に必要な薬品はその負傷者のあまりの多さからあっという間のストックを切らす事になりました。そのサリンを中和する薬剤は「PAM」という薬品なのですが、これは非常に特殊な条件にて用いられる薬品でそれほど在庫数がもたれない薬品でした。そもそもPAMは商業ベースでは完全な赤字商品で、住友製薬が販売している有機リン系農薬から中毒を起こす可能性があるため社会的責任から会社トップが決断して製造を続けていたという解毒剤でした。
 この緊急事態に対し、住友製薬や薬品卸会社は首都圏以外の営業所からそれこそ持てる限りのPAMを社員手ずから運ぶという措置を行い、新幹線から飛行機、タクシーといったありとあらゆる交通手段を使って東京へと運送を行ったようです。

 上記のように、あの地下鉄サリン事件の裏では様々な人間が負傷者の救助や治療に当たり、その結果が死者13人なのです。確かに13人もの方が亡くなったというのは痛ましい事この上ありませんが、私はあの事件は下手すれば、というよりも通常想定されるケースでは三桁の死亡者が出てもおかしくなかった事件だったと見ております。
 また死者数ばかりに目を囚われがちですが全体の負傷者数は約6300人にも上り、その中には重い後遺症に今も悩まされ続けている方も沢山おられます。またこちらもあまり日の目を浴びておりませんが、政府はこのサリン事件の被害者へはほとんどと言っていいほど治療費などの援助を行って来ず、高い治療費負担からその後の人生を狂わされた方もまた数多くおります。政府が事件の被害者へ援助を行うようになったのは、つい最近です。

 本当はもっとサリン事件を始めとしてこのオウム事件について二十代である自分だからこそまとめておきたいのですが、さすがに準備不足なのでまだやめておきます。ただこの地下鉄サリン事件での治療現場についてはプロジェクトXでもすでに取り上げられているものの、如何に各方面の従事者が努力して被害を奇跡的といっていいほどに小さくしたという偉業とともに、一人一人の人間の行動の価値がどれだけ崇高であるかを伝えたいために、フライング気味に書くことにしました。

2010年3月24日水曜日

派遣法の改正によって予想される雇用推移

 すっかり時事ネタがこのところ遅れてしまっているわけなのですが、先週に閣議にて派遣前面接の禁止など紆余曲折があったもののかねてより貧富の格差を生んだ最大原因として批判されてきた派遣法の改正案が閣議を通過しました。今後は国会での審議を経て法案が通過することでこの改正派遣法が公布、施行される事になるのですが、結論から申せばこの改正派遣法は現時点ではより貧富の格差を生む法律になりかねないと私は考えております。

 労働者派遣が一体何故貧富の格差を生んだのかはもはやいちいち説明してられないので省きますが、この派遣法を拡大したとして小泉政権、ひいては当時の経済産業相の竹中平蔵氏はよくこの問題で批判されるのですが、確かにこの派遣法は問題が多くあることは認めつつも世間一般で言われているほど竹中氏は批判されるべくではないと私は考えております。そもそも工場派遣を認めるまで派遣法を拡大したのは小渕政権で、また派遣以下と言われる待遇の偽装請負という手法はかねてから横行しており、むしろ小泉政権時の派遣法拡大によってそうした偽装請負の身分で働かされてきた方たちも派遣労働者扱いとすることで労災保険などが適用できるようにもなり、お墨付きといえばお墨付きですが時代背景もあって私はあの判断が一概にすべて間違っていたとは考えておりません。またこれはどこかで聞いた意見ですが、仮に派遣法がなく直接雇用が厳しく義務付けられていたらリーマンショック以降の倒産件数は現在とは比べ物にならないほど多くなっただろうという意見もあり、都合がいいといわれるかもしれませんが私はこの意見にも一理あると見ております。

 それで話は戻って今回の派遣法改正ですが、派遣業者のマージン率(ピンハネ率)の公開を義務付けるなど評価できる点も確かにあるのですが、工場への派遣禁止や一定期間の雇用後に直接雇用を義務付けるなどという案も盛り込まれており、私が思うにこの法案は通過したとしても現在派遣労働者を雇っている企業は派遣を打ち切ってそれ以前からいる正社員にその分の労働を担わせるか、また以前みたいに偽装請負に切り替える事にしかならないと考えております。
 なぜそうなるのかというと、内部留保を増やしてきた大企業は除いて、そもそも雇う側の企業が近年従業員を雇用するだけの体力がなくなってきており、新たに正社員を増やす余裕がないからです。だからといって現行の派遣法を擁護するわけではないのですが、討論番組などで一般のパネリストから、「派遣でもいいからなにか仕事を得て給料を得たい」、「家族を抱えているため時給600円でもいいから仕事が欲しい」などという意見を耳にする事があり、制限を加えて派遣労働者を減らす事が今現在で最もいい選択なのかと考させられてしまいます。

 すでに何度かこのブログで主張していますが、今各政党が主張している雇用対策はすでに正社員となっている方への政策であって、正社員ではない労働者たちには逆に負担を増やしかねない政策となっております。何故そうなるのかというと一言で言えば賃金というパイが限られていることに尽き、社会全体で最低限の生活水準や雇用を維持するためには私は正社員全体の給料を減らしてその分を現在派遣労働に就いている方や失業している方へと回して、仕事を分散させる以外ないと考えております。

 そもそも社民党は口では弱者である労働者の味方などとうそぶいていますが現実には彼らは正社員(それも労働組合のあるような大企業の)の味方でしかなく、主張や政策論などを見ている限りではむしろ派遣労働者の方たちとは利益面で対立する組織にしか見えません。今に始まったことじゃないけど。

 なら派遣法はどのように変えるべきかですが、まずはなんといっても派遣業者のマージン率の完全公開です。その上で派遣労働者たちも自分達で全国的な組合を作り、違法な労働を課す企業などに自らの手で攻撃していくことが何よりも必要になってくるかと思います。
 ただ根本的な解決を目指すというのであれば、私が以前に書いた「日本でのオランダモデルワークシェアリングの必要性」の記事で主張しているように、日本社会全体でワークシェアリングを推し進める以外ないと私は思っております。みんながみんな正社員で当たり前という時代は特別な時代だったバブル期以前の話でもはやあの時代を再現する事は出来ないと踏ん切りをつけ、その上でどう社会を適用させていくかをもっと日本は考えなければならないでしょう。

2010年3月22日月曜日

移民議論の道標~その十七、まとめ

 本当はすぐにまとめる予定でしたのですが、ちょっと日が伸びてとうとう今日にまでなってしまいました。一昨日はテレビを見ていたせいで、昨日は京都からの友人の相手を夜中までしていたせいで、まぁ毎日長い記事を書いているんだからたまにはこうやって日を空けることもありかとは思いますが。
 そんなわけで先月から書き綴ってきたこの移民に関する連載も今日で最後です。最後の今日はこれまでの記事を振り返って簡単な感想をまとめておこうかと思います。

 今回こうして移民について私の考えを紹介しつつ様々なデータを比較してきましたが、在日外国人登録者数の中で中国国籍者の割合が最も高いなど必ずしも世の中の認識とは一致しないデータが数多くあったことに私自身が驚かされてきました。その逆に連載を始める前から怪しいとは思っていた外国人犯罪のデータについては、やはり調べている過程でそれが正式な手続きを踏んで入国したものの犯罪とそうでない密入国者の犯罪とで区別されているかはわからず、今後移民議論をする上でデータ解剖の必要性を再認識させられたものも多くありました。

 私はてっきり、この外国人犯罪についてや外国人地方参政権付与の記事を書いたりすれば、以前にも一回変なコメントをもらったことがあったのでそこそこ批判コメントが来るだろうと覚悟をしていたのですが、今回の連載では閲覧者数も以前より確かに増えているはずなのにあまりそのようなコメントは来ませんでした。長すぎて読みきれなかったのだろうか。

 この連載を通して私が強く訴えたかった事は移民をする事が日本のためになるという肯定論ではなく、移民を議論する上でどのような材料があるかということでした。一応は全体を通して肯定論を強く書いてはおりますが反対論もなるべく併記して、読者にどのような意見や議論、問題点があるのかをこの連載を通して訴えていこうと考えて連載していきました。書き終えた現在の段階ではもうすこし反対論を多く書いたほうが良かったのではないかと思う一方、前回の地方参政権付与についての記事にて対馬市など外交防衛上での重要拠点においては外国人地方参政権を認めないとする案などオリジナルな提案も盛り込めたのである程度は補填できたのではと思っております。

 ちょっとブラウザの調子が悪いのでここまでにしておきますが、この移民議論というのは現在進行形の問題であって今後も議論が必要な課題であります。それゆえまた何か事態が動く事があれば記事にしていきたいと思っており、今後も書き綴っていく話題だと考えております。

2010年3月20日土曜日

地下鉄サリン事件から15年経って

 今日本店の方のアクセスを見てみるとやけに昨日にアクセスが集まっていたのでちょっと調べてみた所、以前に書いた「広瀬健一氏の手紙について」の記事にアクセスが集まっている事がわかりました。恐らくこの原因は本日、つい先ほどまで放送されていたフジテレビの地下鉄サリン事件から15年後ということで作られた特集番組が影響してだと思いますが、内心これでアクセスが伸びるかもと予想はしていましたが本当に伸びててやや面食らいました。

 すでにこの地下鉄サリン事件は発生から15年も経ち、事件を起こしたオウム真理教のことも今の中高校生の方々にとってすれば遠い存在に見えてくるかもしれません。そうした事が影響してかつい最近に、このところオウム真理教を知らない世代のオウムへの入信者が増えているとの報道がありましたが、そういう意味であの事件を今になっていろいろと振り返ってみる価値はあるかもしれません。

 あまり目処のついていないことをぺらぺらと喋るべきではないとはわかっているのですが、私はかねてよりこのオウム事件を自らの手でまとめなおした上で評論を行いたいと考えております。地下鉄サリン事件当時に私はまだ小学生でしたが、かえってそのような世代だからこそこの事件について書ける内容もあるのではないかと思っております。

2010年3月19日金曜日

移民議論の道標~その十六、地方参政権付与について②

 前回に引き続き、外国人地方参政権付与案に対して私が何故賛成なのかという理由について述べます。

 まず一つ目の理由として前回の記事で私は、そもそも参政権付与の対象となる永住権資格を持つ外国人の数が日本では絶対的に少ないという理由を挙げました。この地方参政権付与に対して反対をしている方は外国人に選挙権を与えることで日本は内から行政が乗っ取られるという発言をよくしていますが、この人数からしてさすがにそこまで考えるのは現実離れしすぎじゃないかというかと私は思います。仮にこの参政権付与を認めると調子に乗った外国人が大量にやってくるといいますが、少なくとも韓国は日本よりも人口が少ない上に、永住権を得られるまで最低十年はかかる事からそれもそんな簡単にはいかないでしょう。

 ただこの外国人人数の面からの意見は私が地方参政権付与に「反対をしない理由」であって、「賛成をする理由」ではありません。ならば賛成する理由は何かという話ですが、これはこの連載の六回目で書いた「外国人研修生」の問題ゆえです。
 詳しくはリンクに貼った該当記事を読んでもらいたいのですが、まさに現代の奴隷制度と言ってもよいこの外国人研修制度の元に少なくない外国人が日本で半ばだまされる形で働かされております。もちろん現代は外国人に限らず数多くの日本人も派遣労働などで厳しい労働を強いられておりますが、この外国人研修生の待遇改善についてはやはりその立場ゆえか派遣問題と違って日本ではなかなか大きな声になりません。

 私はこの外国人研修生の問題は長引けば長引くほど、将来の日本の国益に損なう問題になるとかねてから考えております。というのもかつて日本人も戦前戦後の混乱期に南米諸国を中心に移民として渡りましたが、着いた移民先の国では約束された待遇とは程遠い厳しい状況に置かれただけでなく、北朝鮮へ渡った日本人妻の問題などのように政治的な騒動に巻き込まれたケースもあります。このような事例に対して私は同じ日本人として、やはりそのように日本人移民者を間接的に騙してその人生を損なわせた日本政府と当該国によい感情を持つ事が出来ません。

 このような事が現在外国人研修生として働いている方々と彼らの母国ににも将来起こるのではないかと私は懸念しているのですが、だとすればどうすればこの外国人研修生問題を解決できるのかといえば、やはり彼らが何かしら声を持つ事、投票権を得る事が一つの方法ではないかと思えます。無論外国人研修生として来ている方は永住資格を持たない方ばかりでこの議論での投票権授権者には当たりませんが、外国人に投票権を与える事、もしくはそれを議論する事でこの問題も取り上げるきっかけになるのではという願いから、私は賛成の立場に回る事にしました。

 そしてもう一つ、これなんて私らしいなぁと思う理由なのですが、そもそも問題となっている今の日本の地方選挙自体にいろいろと疑問に感じる所が多いからです。
 宮崎県で東国原現知事が当選し、続いて大坂では橋本現知事が当選した事から首長(しつこいようですが「しゅちょう」です)を決める選挙はこのところ全国区のニュースでも大きく報じられるようになりましたが、その陰に隠れて地方議会の選挙や議員の問題は未だに注目を集めておりません。

 現在の日本の自治体はどこも財政が多かれ少なかれ債務超過に陥っており、すでに財政破綻宣言を行った夕張市のような状態にいつなってもおかしくない自治体も少なくありません。何故この様な状態になったのかといえば長引く不況が原因と言い切れば簡単ですが、それ以上に私は本来このような事態を避けるべく自治体行政を監視する地方議会が、その本来の役目を果たさなかった事の方が大きな原因だと見ております。しかもその地方議員自体が近年明らかになってきた政務調査費の問題のある使途への使い込みに始まり、その活動時間に対してあまりにも法外ともいえる報酬額など自らが財政悪化原因となっている現実もあります。
 この辺については下記サイトで詳しく比較されていますが、日本の地方議員は人数で言えば他の国と比べて極端に多いわけでないものの、報酬額については異常としか思えないほどの金額となっております。

日本の地方議員の給料は世界の非常識?(JB PRESS)

 そして極め付けがそもそもの地方選挙です。今に始まったわけではありませんが日本の地方選挙の投票率は地域差もありますが他国と比べてやはり低い傾向にあります。そして選挙の中身をよくよく調べてみると、さすがに都議会選挙とかなら違うとは思いますが、ざっと見た感じだとどこも当選率は50%を上回っており、全体的には八割くらいの確率で日本の地方議員は当選をしております。ひどいところなんて18人の地方議員を選ぶ選挙で候補者が18人だけだったから無投票なんていう所もあり、こんな選挙だから議員の質も低いんじゃないかと言いたくなるような選挙ばかりです。なんていうか、宝くじを当てるより簡単そうに見えてくる。

 それゆえに私は、絶対数的に議会を乗っ取る事は不可能なのがわかっているのだし、逆説的にこの際外国人に地方参政権を与える事で日本人に危機感を煽ってもっと地方選挙に目を向けさせるべきなんじゃないかと考えたわけです。かつて橋本知事も知事になる前にテレビで言っていましたが、財政破綻した夕張市は住民も全く責任が無いわけではなく無駄な支出を続ける議員を止めなかったと指摘していましたが、私もこれに同感です。そうした意識を換気させる意味で、この外国人参政権議論なんてうってつけだと思うのですがあまりここまで議論が及ぶ事は今のところありません。

 最後にこの外国人地方参政権について私は全く懸念を持っていないわけではなく、大都市ならともかくそれこそ人口の低い地域に選挙前になって突然住民票を移動してきたら議会で多数派を握られる可能性もあると認識しております。特にこの関係で最も重要になってくるのは人口約34,000人の長崎県対馬市で、現在韓国があの手この手と対馬は韓国領であるという主張を強めてきており、下手すりゃ本当に住民票の大量移動という強引な手段を使ってくるんじゃないかという懸念があります。

 そこで妥協案として私は、防衛や資源保護といった国益上で重要となってくる地域に限ってはこの外国人地方参政権の認定を除外するという処置が必要になるかと思います。平等に反するなどと言われるかもしれませんが、国益の前では昔も今も平等なんてあってないものだと私は割り切っているので、言わせたいだけ言わせておけばよいでしょう。もししつこいようなら、本国でも外国人に地方参政権を認めろと逆に言い返せばいいのだし。

 ざっとこんな具合が、私が外国人地方参政権議論に対して言いたい事のすべてです。この手の議論は感情論ばかりで具体的なデータや論証があまりなく互いに批判を繰り返す議論ばかり見受けるのですが、もっといろんな人間がまざって議論して、ここで挙げた問題が世間に認知されていければいいなと思います。
 そういうわけで次回はこの連載のまとめを行う、最後の記事になります。

2010年3月18日木曜日

移民議論の道標~その十五、地方参政権付与について①

 すでに一ヶ月もこの連載記事をちょこちょこ書いていますが、ようやく終わりが見えてきました。そんなオーラス直前の今日は何を取り上げるかと言うとこの連載を始める大きなきっかけとなった、民主党が今国会に法案を提出する予定であった外国人の地方参政権付与議論についてです。

 この外国人地方参政権付与というのは読んで字の如く、衆議院選挙などの国政選挙ならいざ知らず地方議会議員や首長(最近「くびちょう」という読み方が広まっていますが私は「しゅちょう」という読みで通します)を決める地方選挙であるならば、外国人であってもその地域に住んで税金をきちんと納めているのであれば与えても良いのではないかという考えのことです。この参政権付与を最初に主張したのは他でもなく権利を得る事になる在日韓国人の団体で、近年この団体を後押しして参政権付与に肯定的だった民主党が与党を取り、また非常に熱心だった鳩山由紀夫氏が首相となって法案準備を進めた事から、この参政権付与は俄然現実味を帯びて盛んに議論される材料となってきました。

 まず肯定派の主張をいくつかまとめると、

・他の日本人同様に地方税を納めているのに地方政治に参加できないのは不公平だ
・外国人が地方に愛着を持てなくなる
・優秀な外国人が日本にやってこなくなる


 といったところでしょうか。これに対して反対派の意見はというと、

・選挙権は国籍に基づくもので納税とは関係ない
・地方参政権を欲しがっているのは在日韓国人だけ
・外国人に参政権を渡すと日本が内から乗っ取られる


 かなり大雑把にまとめると以上のような感じになります。っというか、みんないろいろと理屈をこねてるけど突き詰めると上記の意見にほぼ集約されるような……。

 では民主党が準備していた外国人地方参政権付与法案というのはどういうものだったのかですが、ひとまずは日本に永住権を持つ外国人が対象としていましたが、その準備段階では住民票を登録した外国人すべてにも付与するという意見もあったそうです。この両者の違いを比べると、うろ覚えですが確か永住外国人数は約91万人でそのうちの約半数は在日韓国、朝鮮人という戦前戦後の経緯から永住権を持った特別永住外国人です。それに対して住民票をほぼ持っている外国人登録者数はというと約220万人で、実に二倍以上もの差があります。
 何故民主党がこの外国人参政権付与に熱心なのかと言うと、いろいろ陰謀説とかありますがあくまで私の推量で予想すると、単純に自分達の票田につながると考えているからだと思います。もっとも鳩山首相は本気で友愛だからと信じきっているのかもしれませんが。

 それでこの地方参政権付与について私がどう思っているのかと言うと、これまたいろいろ火を噴きそうですが実は賛成派です。その理由は何故なのかと言うと、以下に一つ一つ説明していきます。

 まず第一に、与えたとしてもそれほど大きな影響力を持たないだろうという目算があるからです。現在の日本の人口は約1億2000万人で、仮に外国人永住者全員に地方参政権を付与したとしても得られる人数は日本国籍者の1%にも満ちません。そうは言っても地方ごとに人口割合は異なるだろうという意見もあるでしょうが、この連載の二回目で取り上げたデータでは外国人比率が高い地域で多数派になるのはどこもブラジル人で、またその割合も取り上げられている中では最高で16%強です。さらにこの議論で槍玉に挙がっている韓国人は近年日本国内での人口がこのところ減少傾向にあり、参政権を得たとしてもよくて地方議会に代表を一人送れる程度で国を乗っ取るなんていうのはあまり現実的な数字ではありません。

 しかしこれなんか私も直接友人に言われたのですが、確かに今は問題が無くても一度参政権を与えてしまったら後々取り返しのつかない事になってしまうという意見もあちこちで見受けられます。私はこの辺が今の日本人の非常に悪い所だと思うのですが、なんでもかんでも一回実施したらもう撤回したり修正する事ができないと言ってはどの政策も否定的に取る傾向が見受けられます。確かに予想しうる事態を憂うことは大事ですが、一回決めたことは改正する事が出来ないわけではなく、まずくなったらまずくなったで事情が変わったと言ってどんどん改正していく事も私は大事だと思います。今の独立行政法人の問題なんて、そういう環境だから問題性が認識されつつも残っているようなものだし。
 この地方参政権付与についても同様で、日本という国の不利益を起こす事態となればその時点ですぐに廃止してしまえばいいと私は思います。人権がどうとかこうとかいう人がいても、国政選挙は日本人が切り盛りするのですから押しつぶせばいいだけです。政治で何が一番悪いかといえば、あーだこーだ言い続けて何もしない事です。

 案の定長くなったので、続きは次回に回します。もう少し切りのいい所で終えとけばよかったなぁ。

2010年3月17日水曜日

朝鮮学校授業料無償化除外について

朝鮮学校の無償化除外に懸念…国連(読売新聞)

 昨日衆議院にて今国会の目玉となっていた子供手当てと高校の授業料無償化法案が通過しましたが、後者の高校授業料無償化法案についてかねてより問題性があるのではと指摘されていた、北朝鮮とつながりの深い朝鮮総連系団体によって運営される朝鮮学校に対しても無償化対象とするかどうかはひとまず判断は先送りになりました。恐らくいろいろと批判があるかも知れませんが、一考に進まぬ拉致事件の対応といい度重なる危険なミサイル実験を行う北朝鮮に対して私は日本は断固とした態度を取るべきだと考えており、この高校無償化に対して朝鮮学校を対象から外すべきだと考えております。

 何故私が朝鮮学校を対象から外すべきだと考えるのかと言うといくつか理由があり、まず北朝鮮政府よりこの無償化法案が出た当初より各朝鮮総連支部に対し、必ず対象となるよう働きかけろと言う支持がいつもの将軍様からの命令として出ていたからです。これは言うなれば無償化がそのまま北朝鮮という国全体の利益につながるという事をはっきりと言明しており、無償化が諸問題で対立している北朝鮮を利する行為だということを北朝鮮自ら証明しているようなものです。

 そして第二に、いくつかの報道されている範囲で見る限り、現在も朝鮮学校では偏向的な教育がなされていると感じるからです。各教室には今でも金日成、金正日親子の顔写真が掲げられているそうで、さすがに授業内容まではわかりませんがあれ程自分の国の国民を殺している独裁者を崇拝の対象としておいている事一点をとっても偏向的な印象はぬぐえません。
 中には朝鮮学校に通う子供達には何の責任も無いのだから、このような教育に対しては平等にするべきだという主張をされる方も見受けられますが、普通の国ならともかく北朝鮮という国に対してはそうは額面通りには受け取れず、恐らく国から支給されるお金も生徒の教育にはほとんど使われずそのまま北朝鮮へ送金される可能性が高いでしょう。それを言ったら子供手当ても、そのようなきらいがあるのですが。

 私は今の北朝鮮という国に対して何をするのが一番いいのかといったら、金王朝を叩き潰す事こそが最も北朝鮮国民の幸福に適うと考えております。かつて北朝鮮を訪問してその独裁手法を自国に持ち込んだチャウシェスクがいたルーマニアもチャウシェスク時代は非常に貧しく現在も決して国事情が良いわけではありませんが、それでも今の北朝鮮よりはずっとマシな環境にあります。北朝鮮をルーマニアのように持っていくために何が必要かというと、やはり独裁者であったチャウシェスクを革命時に処刑したように金親子を断頭台に送ることが何よりも一番でしょう。
 なおちょっと本題から外れてしまいますが、現在北朝鮮がミサイルを発射してまでアメリカに最も要求したい内容は何かと言うと、終戦直前の日本同様、金王朝の存続であると私は見ております。

 ただ今回の無償化対象から朝鮮学校を外す事に対して、一番最初に貼ったニュース記事のように国連が人種差別に当たるのではないかと懸念する旨を表明しました。国連主義の強い民主党小沢幹事長がどのようにこれを受け取るかやや見物ですが、私はこの国連の反応を奇貨として使い、広く国際社会に北朝鮮の事情と拉致問題を強く訴えるチャンスに日本は使うべきだと考えております。ちょうど日本人がイラン問題に対してあまり気にしないように、欧米先進国は全くと言っていいほど北朝鮮の問題について知識を持ち合わせておりません。そのため横田さん親子らが訪米してブッシュ元大統領に会ったりするなど様々な活動をなされているわけですが、今回の一件も災い転じて福となすくらいに最大限に活用して北朝鮮を追い詰めていく事が出来ればと願っております。

移民議論の道標~その十四、移民の受け入れ方式

 これまでのこの連載で私は長期的視野に立つのであれば日本は期間を定めて移民の受け入れを行うべきだと主張してきましたが、今日はその移民を受け入れるとしてどのように受け入れればどのような制度がいいのかについて私の考えを紹介します。

 まず結論から述べると、移民を受け入れるとしてその受け入れ方式は大きく分けて二種類になる、二元方式が一番望ましいかと思います。一つ目の受け入れ方法はこれまで私が主張してきたような、労働者が不足している医療や農業といった比較的単純労働分野における移民で、これらの分野の移民については募集期間や人数をあらかじめ定めて受け入れるべきだと思います。また募集をする際、あらかじめ人数や職種を限定するために募集をかける地域などを限定すればもっと良いかもしれません。

 このような通常の移民の受け入れ方式に対し、もう一つ目の受け入れ方式は恒久的な、地域を限定せず広く優秀な人材を集める方式です。現在でも日本の各大学では留学生や研修生として外国人技術者や学者を受け入れる事はありますが、今後はこの受け入れ枠を拡大するとともに将来の日本永住も含めた待遇を用意した上で幅広く人材を求めていく事が必要だと私は考えております。なんだったら日本側から世界各地にスカウトを派遣した上でそういった優秀な人材、目の出そうな人材を片っ端から日本に呼び込むというのもありかもしれません。もちろんお金はかかってきますし、現在のポストドクターの問題に始まるように研究職の枠が限られているという現実もありますが、ただ手をこまねいていても日本はアメリカの大学や研究所に優秀な人材が取られていくだけで、もっと積極的に移民受け入れとともに日本は人材を集める事が必要になるでしょう。

 実はかつて私は大学の授業にてこの移民についてグループで調べた事があったのですが、確か2000年頃の経済産業省の白書を見ると、IT分野に明るいインド人技術者に就労ビザを発行してたくさん集めようと書いてあったのですが、当時はおろか十年立った今でも日本ではIT技術者よりカレー職人のインド人のが多いような状況です。私としてはそれはそれで構わないんだけど。
 政府としてはいちおうは技術者や学者といった優秀な人材の移民募集を行っているぞと掛け声こそ出しているものの実態的には何にも行動に起こさないばかりか、日本から出て行く人材に対してすらもなんの引き留める努力をしておりません。

 いくつか日本から人材が流出した代表的な例を紹介すると、まず一番大きかったのは90年代後期に韓国企業へ半導体技術者が引き抜かれた例が最も好例でしょう。この時流出した日本人技術者によって韓国企業が開発したメモリによって日本は一挙に半導体業界におけるイニシアチブを失いました。
 よくこの半導体のケースと一緒に日亜化学と中村修二氏の裁判が引き合いに出されますが、こちらについては逆に日亜化学のが分があるんじゃないかと私は思います。

 よく移民と言うと非常にマクロなレベルでの移民ばかりが議論されますが、ここで取り上げたミクロなレベルの議論も同様に必要なのではないかと言う事を常々感じており、やや内容にまとまりがありませんがこうして取り上げた次第です。
 さて次回は最後の難関、外国人地方参政権付与についてです。

2010年3月16日火曜日

鳩山邦夫氏の自民党離党について

 すでにあちこちで報じられていますが、かつて総務大臣時代にいろいろと煙を吹く発言を繰り返した自民党の鳩山邦夫氏が昨日自民党を離党しました。離党の理由について邦夫氏は、「坂本龍馬になるんだ!」と、いつもどおりやや意味のわからない発言をしているものの、結論から書けば自民党に見切りをつけたのが本音でしょう。本人は今後与謝野氏や桝添氏を引き込んで政界再編の起爆剤になると主張していますが、党の与謝野氏や桝添氏どちらも新党結成や離党をかねてから匂わせ、与謝野氏なんて文芸春秋の今月号でかなり激しく現執行部を批判してもう出て行くぞなんて言っていたほどなのに、両者とも今回の邦夫氏の行動に対しては淡白な態度をとっております。

 ただ今回の邦夫氏の離党によって久々に自民党が民主党を押さえてニュースの中心に躍り出た事を思うと、今後の政界の動きに一石を投じる行動にはなるかと思います。しかし民主、自民に対する第三勢力としては前回衆議院選にて社民党を上回る比例表を獲得した渡辺喜美氏率いる「みんなの党」が依然と最有力候補で、仮に邦夫氏が新党を結成したとしても集まる議員は限られてくるでしょう。
 その一方で自民党としてはすでに何人か離党者を出していて、今回のように大きく邦夫氏の離党が報じられることによってますます執行部への批判は強まり、ジリ貧の様相をなしてくる可能性が高いです。恐らく今のところ与謝野氏は本気で離党する意思はまだ少なく、現執行部の退陣、そして桝添氏らを中心とした新たな執行部の成立が本当の狙いかと思いますが、今回の邦夫氏の行動で邦夫氏の下ではなく民主党へ移籍する議員がまた出始めたらそうした与謝野氏の狙いも変わってくるかもしれません。

 あと今回の騒動で少し気になるのが、現自民党総裁の谷垣氏と総裁選で争った河野太郎氏のコメントがまだ見受けられません。この人なんてかねてより矢面に立って現執行部を批判していた一人で、今回の離党騒動なんかおころうものならそれ見た事かといわんばかりの経歴なのですが、何故かまだ反応が見えてきません。確率的には河野氏が一番「みんなの党」に合流する可能性が高いと見ているだけに、今後注視していこうかと思います。

 最後に今回の騒動についてコメントした方々の中で、一番面白かった前原誠司国交相のコメントを紹介しておきます。

「私は坂本龍馬が好きな人間なので、(邦夫氏が龍馬になると言っている事を)不快に感じます」

2010年3月14日日曜日

日中韓東アジア三国志

 昨日に引き続き、このところというかめっきり書かなくなっている私の専門である国際政治についてまた一本記事を投下しておこうと思います。今回投下するネタは私に限らず様々な方がやっている、「日中韓東アジア三国志」についてです。

 物事を何かの構図に当てはめると他人に対して非常に説明がしやすくなるのですが、その一方で取ってつけた構図のバイアスがかかって細部の理解が及ばなかったり、場合によっては余計な誤解を与えたりするので私は極力この様な説明法は避けております。しかし日中韓の政治状況についてはその当事者同士がほとんど理解できていないという事もあるので、今回についてはちょこっとおふざけも兼ねて現代のこの三国を三国志の構図に当てはめながら簡単に解説を行います。

 それではまず日中韓が三国志の魏呉蜀のどれにそれぞれ当てはまるかですが、私の見立てでは以下の通りです。

魏=中国
呉=日本
蜀=韓国


 日本人である私としてもやはり蜀=日本と来てもらいたいものですが、総合的な立ち位置やデータを比べるならこれがやはり適当かと思います。
 それではこの構図からどういった比較ができるか一つ一つポイントを上げて説明してきますが、まず国力の面では人口比がちょうど三国時代とみごとに被ります。如何に比較すると、

中国:約13億4000万人
日本:約1億2000万人
韓国:約4800万人


 見ての通り、日本と韓国を合わせても中国の半分にも届きません。もちろん現代は人口=国力ではありませんが、GDPも去年にはとうとう日本が中国に世界第2位の座を譲り渡し3位に転落し(韓国は15位)、一人当たりGDPで見るならばまだ日中には大きな差がありますが国という単位のデータで見る分には三国志の図式はそのまま当てはまるかと思います。

 では人材面についてはどうか。三国志において蜀の諸葛亮は人材豊富な魏に対して何度も蜀の人材不足を嘆いていましたが、実態的には当時は呉の方が人材不足が深刻だったといわれております。これなんかゲームの三国志をやれば歴然としますが、後半のシナリオにおいて呉は陸遜を除くとまともな人材なんて皆無に近くてゲームを進めるだけでも大変になってきます。史実においてもそのような傾向はあり、呉は孫権の死後だとその後継者争いからただでさえ少ない人材がさらに削り落とされ、晋の侵攻時にはまともな戦いにすらならなかったほどです。なおこれは豆知識ですが、その際の侵攻速度があまりに速かったことから「破竹の勢い」という言葉が生まれています。

 これを現在の日中韓に当てはめると、多少自虐的な見方もありますが今の日本は政界、官界、財界、文化界のどこを見回してもこれだといえる人材がおりません。まだ世界的にも評価の高い人物を挙げるとしたらこの前もフランスからコマンドールをもらった北野武監督にIPS細胞発見の京大の山中伸弥教授くらいなもので、政界に至ってはどうしてこの程度の人間らが選挙に受かるのか疑問に思う政治家ばかりで、財界においても前までちょっと評価していたけど伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長についても未だに公共事業を行えと提言しているる人物が大物として祭り上げられていて、経団連のキャノン御手洗会長なんて言語道断なのまでいる辺り人材不足を感じてしまいます。なんていうか、目先の対策ばかりでグランドデザインが全然この人らからは見えてこないし……。

 では他の二国はどうかということですが、韓国についてはちょっと私も詳しくないのでわかりませんが中国については景気がいいというのもありますが、やはりその人材の底堅さは見ていてうらやましくなるくらいです。特に注目すべきは中国の政治家や官僚たちで、現在の著しく不安定な中国を共産党の強権があるとしてしもその切り盛り振りにはつくづく感心させられます。まだなんどか日本のメディアにて取り上げられた中国官僚のレポートを読みましたが、その分析といい表現といい的確この上ないもので、こんな連中をどうやって相手すりゃいいのかと思わせられたほどの完成度でした。
 ついでにいうと中国は世界各地にチャイナコミュニティを持っており、日本なんかよりも米国などの世論に影響を与える人物も数多くいます。「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」のアイリス・チャンなんて、日本からすれば煙たかったことこの上ないのでしたが。

 ただあんまり中国を誉めるのもなんなのですこしケチをつけておくと、史実の魏国同様に今の中国は反乱によって国がひっくり返される可能性が他の二国と比べてずば抜けて高い国です。先ほども不安定な国事情と書きましたが普通に農民の反乱がこのところ頻発しており、また共産党に不満を持つ軍人も確実に増えてきております。今は景気がいいからみんな従っているものの、なにかで躓いたらえらい事になるのではというのが俗に言う「チャイナリスク」です。

 こうした各国の事情の比較をする上で三国志の構図は割と役に立つのですが、それ以上に日本人に説明する上で一番いいのは、日中韓それぞれの対外関係です。
 史実では魏と蜀が延々といがみ合い、呉はそれに対して日和見的な態度をとっていることが多いのですが、現代の日本人からすると呉であると定義した日本が他の二国と仲が悪く、中には中国と韓国は宗主国関係で仲がいいという意見を述べる方を見受ける事すらあります(主に2ちゃんねるで)。

 しかし実態的には、過去に私も「中国と韓国の仲が悪い件について」の記事で書いたように、明らかに中韓の関係の方が日中、日韓の関係以上に険悪です。私が話を聞く中国人はみんなそろって韓国のことを悪くいい、また韓国の方も政府発表で主に領土問題について中国を批判する事が珍しくありません。この温度差はやはり国境が近いかどうかが影響していると思われ、日本も竹島、東シナ海ガス田問題などそれぞれに領土問題を抱えていますが、それでも中国と韓国ほど険悪なものではないと断言できます。

 ここから少し話を発展させると、日本は中国と韓国、どちらかに肩入れができるという選択権を持っている状態だといえます。韓国と組んで脅威となる中国に対抗するか、中国と組んでひとまずの権益(竹島や対馬ななど)を確保するか、はたまた中韓の関係をよりこじらせるように仕向けるかなど考えれば考えるほど夢が広がります。
 ただ現在においては北朝鮮という、日中韓(+アメリカ)が共同して当たって取り組まねばならない大きな緩衝材があるため、日本は急いで外交方針を決める必要はないでしょう。問題は北朝鮮が崩壊して犬猿の仲の中韓が直に国境が接触し、対立がエスカレートしてからです。その際には周辺勢力のアメリカやロシアの動きを見つつ対応を取らねばならないのですが、日清戦争前みたいな関係になるのかな。

 差し当たって上記の分析から私が今の日本に求める事は、なによりもまず人材問題の解決です。呉はまさに最後の希望ともいえる陸遜の息子の陸抗を司令官職から解任した事が亡国につながりましたが、今の日本でもまだ探せば幾らでも有意の人材がいるにもかかわらず世に出てきません。問題は何かといえば有意な人材が世に出辛いという社会環境で、この社会環境を少しでも改善し、日本に見切りをつけて出て行ってしまうような人材流出を防ぐ事が肝要なのではないかと思います。

 今の日本には中国を遥かに凌ぐ経済環境にインフラ、技術力がありますが、いかんせんそれを生かし切る人材においては不足するって言うレベルじゃねーぞといいたい状況です。何気に今日調べものの作業をしていて知ったのですが、明治維新期に活躍した高杉晋作は27歳で死去しており、伊藤博文は44歳で初代総理大臣に就任しております。
 ちょっと本題と趣旨がずれますが、このところの日本社会を見るにつけ高齢層は幼稚化し、逆に若年層は老成化しすぎなんじゃないかと思います。もっとこの辺のバランスをただす事が、呉=日本の大逆転のシナリオじゃないかと考えるわけです。

2010年3月13日土曜日

核兵器持込み密約問題について

 このところ連載記事やどうでもいい記事にかまけて時事系解説が遅れているので、発表当日は各紙一面を飾った日米の核兵器密約問題について私の見方を今日は解説します。

 まずこの問題は何に始まったのかというと、今を遡る事50年前の日米安保条約時にまで戻ります。日米はこの条約の締結によって有事の際はお互いに共同して問題の解決に当たると確約し、また平時においても米軍艦隊の日本への寄港や日本国内の米軍基地の活用なども日本側は許可しました。
 しかしこの条約の締結時、日本側は米軍に対して広島や長崎の経験から核兵器を日本国内に持ち込まないように条件をつけたと当時には発表されましたが、実際には核ミサイルを搭載した艦が寄港し、通過する事を日本側はとがめないと相互に確認されていたというのが、今回明らかになった密約の中身です。

 さらに38年前の沖縄返還時においても、それまで沖縄に配置されていた核兵器は日本への返還時にすべて撤去される事となっていましたが、この際ももし朝鮮半島などで有事が起こった際には米軍は再配備を行うという事を時の首相の佐藤栄作は暗黙のうちに認めていたとされています。これは佐藤氏が当時に提唱した非核三原則こと「核兵器を造らず持たず持ち込ませず」に明確に反する内容であり、佐藤栄作自身も下記のニュースによるとはっきりと認識をしていたそうです。

日米密約:佐藤栄作元首相「非核三原則は誤り」(毎日新聞)

 まずこれら日米の密約自体について私の評価を述べると、当時米ソで核競争が行われていたという時代状況を考慮に入れるならば、時の政治家が判断したというのであればやむをえないかと考えております。現在でこそ核兵器が米露で削減が進んでいますが当時はそれこそ一触即発ともいえる時代で、何が判断として正しかったのかとなると結果論ではどうとでもいえますが、私はこうした決断を佐藤栄作が行ったというのもやむをえなかったところもあると考えております。

 しかし、だからといってこの密約問題はもう過ぎた事だとして忘れていいものではなく、けじめをつけておかねばならない人物や組織がいくつか存在します。
 では何がこの密約問題で一番問題なのかというと、条約の締結を行ったアメリカ側は外交文書を公開してこの様な密約、ひいては西山事件で明らかになった日本側の費用の肩代わりを認めているにもかかわらず、時の政権であった自民党が一切この件を認めないどころか、調査も全く行わなかった事です。

 考えてみればこれほどおかしなことはなく、約束をした片側が事実を認めて外交文書という何者にも勝る証拠まで出しているにもかかわらず、もう片側の日本は延々とそんな事実はないといいながら当時の文書について、「紛失してしまった」と言い逃れをし続けてきました。実際にはこの時の日本側外交文書は外務省が隠蔽目的で意図的に破棄した可能性が高く、佐藤栄作の親族が保管していた文書があったからこそよかったものの、おちおち天安門事件を隠蔽しようとする中国を笑えない事態が日本でも起こっていました。

 今回の件は民主党が政権を取り調査したことによって判明したから良かったものの、民主主義に明らかにそむく愚行を自民党は重ねていた事になります。幸いにして現在はソ連が崩壊して核戦争の危険性が薄れて核兵器の削減が進み、核兵器を搭載した艦船が日本に寄港する可能性はほぼゼロに近いです。そのため当時のこの密約が明らかになったとしても日米の関係に大きな影響を与える要素は少なく、当事者の一人である米側が認めているのだから日本としてももはや隠す必要などほとんどありませんでした。それならばむしろ、密約を行ったとはいえ時代、歴史の評価や洗礼を受けるべきであるのに、自民党はこの事実をひた隠しにし続けてきました。

 特に今回の件で一番呆れたのは自民党の総理経験者である安倍氏、麻生氏の発言です。

【密約】麻生前首相、「自分は承知していない」とコメント(産経新聞)

 今回の報道を受けて両氏はこの様な事実を知らなかったとした上で、今更昔の事を掘り返してあれこれ批判したりするべきではないといった旨の発言をしております。後半の言い分なら全く理解できないわけでもないのですが、前半部の発言については私はやはり如何なものかとその神経を疑いました。というのもそもそもの発端となった米側の文書公開は彼らが政権に就いていた頃に行われており、何故その当時にすぐ調査を行わなかったばかりか、みすみす外務省が文書を破棄するのを黙って見過ごしていたのかという気がするからです。理由は単純に、彼らがむしろ事実が明らかになってほしくない側の立場だったからという事に尽きるでしょう。

 何度も言いますが、私は佐藤栄作の決断はまだ理解できます。しかし事実がほぼ発覚しているにも関わらず隠蔽を行おうとした自民党の歴代政権はやはり批判は免れ得ないかと思います。そういう意味で今回の核密約問題はその事実よりも、自民党と外務省の隠蔽体質の問題性を浮かび上がらせた事件だったと私の中でまとめております。

2010年3月11日木曜日

移民議論の道標~その十三、どこから移民を迎えるか

 大分この連載も終盤に差し掛かってきましたが、そろそろ具体的な議論に入ってくるのでコメント等があれば是非寄せてください。

 これまで散々に移民についてあれこれ言いたい事を書き綴ってきましたが、私はやらずにすむというのであれば移民は行わないに越した事はないと考えてはいますが、これからの日本を考える上、世界的な潮流を考えていく上ではある程度の受け入れはやはり必要となって来るかと思います。ただこの場合、受け入れるといってもいきなり無制限にどこの国からも一気に受け入れるというわけでなく、やはり各条件等を細かく精査した上で、また一体どれだけの人数をどれだけの期間に受け入れるかをきちんと定めた上で実施するべきだと考えています。

 具体的な人数については私も専門家でないことからはっきりと出す事は適いませんが、期間について私は試験的に始めて受け入れの施設や体制を整えつつ年々増やし、大体2015年から2020年、もしくは2025年までとはじめから終了期間まで定めて行うのが良いと考えています。
 そして移民を募集する国の限定についてですが、これについては受け入れ体制とも関わるのである程度限定した方が良いと思います。というのも受け入れる国が複数多岐に渡れば渡るほど対応しなければならない言語や文化が増えてしまい、費用も余計にかかっていきます。それならば一体どこの国から移民を迎えればいいのかですが、移民募集のやり方や制度設計によって変わってはますが、今現在で見るならば意外と狙い目なのは中国なのではないかと私は見ています。

 もちろん私自身が過去に中国に留学したことがあるという経歴ゆえに贔屓目に見てしまうという指摘は免れませんが、それを推しても私は今の中国からなるべく多くの優秀な人材を日本へ招聘していく価値があると見ております。
 それで何故中国からなのかですが、まず中国は移民募集を行う上で最低条件である余剰人口が多い国であるからです。たとえばお隣の韓国では失業者が多いものの日本と同じく労働者人口は少なく、さらに全体人口も日本より下です。このような環境では移民募集を行おうにも政府間で対立するのは目に見えていますし、また余剰人口が少ないために前回の記事で書いたように日本で一山当てようというような犯罪者予備軍しか募集に応じてこない可能性があります。

 次に文化面ですが、日中で文化の違いは確かに大きいものの、インドネシアやフィリピン、そしてインドといった国と決定的に違うある条件が中国人にはあります。その条件というのも、特定の宗教を強く持っていないということです。
 これも例えばインドネシアであればイスラム教徒人口が多く、昨今の情勢から宗教ネットワークを介して、日本では可能性が低いものの、移民者がイスラム系テロリストとつながってくる可能性があります。またそれだけに止まらず宗教間の文化の違いは生活面でも様々な影響を与える可能性があり、受け入れしてから予想だにしない問題が起きてしまうこともあるでしょう。
 それに対して中国は日本人より儒教思想は強いものの韓国人ほど長幼の礼は厳しくなく、あと結構意外ですが恐らく日本人以上に中国人男性は女性に対してレディーファーストを心がけています。この辺も面白いから今度記事にして紹介します。

 しかしそうは言っても中国人は日本で犯罪を犯す者も多く、また反日思想が強いから無理のではないかと一般の日本人からしたら思われるでしょう。犯罪については確かに犯罪率は日本人より高いものの、これまでの連載の記事で書いたようにもう少し精査して見る必要があり、現実に思われているほど高くはないのかと私は考えています。そして反日思想についてですが、確かに中国人大学生の中には突拍子もなく日本の過去の歴史を批判する人間もおりますが、実際に会って話した中国人に聞いてみると日本に来て見たら拍子抜けしたという方が多いです。

 その中国人の話によると、今でも懸案となっている靖国神社などは軍事色丸出しのおどろおどろしい場所だと想像していたようなのですが、実際に見てみるとただの神社で何をあんなに怒っていたのだろうかとさえ思えたそうです。また実際に中国現地で会った中国人に私が反日暴動を日本人は気にしていると話をしたところ、あんなのは政府がやらせている暴動だからきにするな、と言っていましたし、私もいろいろ情報を見比べているとどうもそのような気がします。

 そもそもの話、今の中国を見る上で決して見落としてならないのは、日本以上に中国共産党を憎悪している中国人(漢民族を含む)が大量にいるということです。この傾向はトップにはなりきれない準エリート層に実は多く、私が以前に書いた、「中国の不公平な大学入試制度について」の記事でも紹介しているように、出身地や戸籍によって優秀な成績にもかかわらず希望する大学に入学できなかった人を始め、各地方政府の腐敗によって不遇をかこっている人などまさに目白押しです。そういった中国人準エリートらに対し、日本からアプローチをかけて移民として受け入れるという事は対中戦略上でも効果的な手段になりうるのではないかと思います。

 2000年以降よく中国脅威論が語られるものの、具体的にどのように中国を押さえていくかという案となるとアメリカに頼るという意見ばかりでそれ以外となると軍事費の増大などを主張者は批判しているばかりです。私としたらただ中国人は汚いなどと揶揄するだけでなく、敵の中にいる敵を如何にして日本に引き込むかということをもっと考え、実行に移していくべきではないかと考える次第です。
 ただこれは逆に言えば、おそらくあまりないでしょうが中国側から日本へもこのようなアプローチが行われる可能性があるということです。少なくとも日韓の間では冷遇されていた技術者を韓国企業が引き抜いた事から半導体業界の主導権を握られた過去があり、今に始まった事ではありませんが引き抜くだけでなくこれからの日本は如何に人材の流出を防ぐかも考えていかねばなりません。

 じゃあ人材の流出を防ぐにはどうすればいいかですが、やっぱりまず呆れた労働環境の改善に尽きるんじゃないかと思います。どうでもいいですけど、過去にこの様なネタで爆笑した掲示板があるので紹介しておきます。

ランボー怒りの休日出勤(ワラノート)

2010年3月10日水曜日

移民議論の道標~その十二、犯罪者は増えるのか

 ちょっと間をおいての連載再開。「ハンターハンター」ほどじゃないけど。
 さて前回の記事では移民を行うにあたり真っ先に行わなければならないのは入管こと入国管理局の強化であると私は主張しましたが、今日もその辺に関わる内容として犯罪の問題についてまた少し語ろうと思います。

 この移民議論において移民に反対している方々の反対理由を尋ねるのであれば、まず間違いなく外国人犯罪者が増加するという理由が第一位に挙がる事でしょう。日本と通貨格差がある中国や東南アジア諸国の人間からすれば日本はまさに一攫千金が狙える場所で多少のリスクを張ったとしても犯罪に手を染めて大金を稼ごうという人間も少なくなく、移民の受け入れを行おうものならば労働者のふりしてやってくる犯罪者を自ら招き入れてしまう、という意見はかなり以前から現在に至るまで存在しています。

 結論から言えば、私も移民の受け入れを行えば外国人犯罪者は増加すると確信しています。しかしその増加率ともなれば入国者数が二倍になれば流入する犯罪者の数も二倍にと単純比例で増えていくのではなく、実際には二倍に対してそれを下回る倍率で増加していくのではないかと思います。
 一体何故私がそのように考えるのかというと、移民についての議論で以前からこのような意見があるからです。

「日本で大金が得られると知って犯罪目当てにやってくる外国人らは入国規制が厳しいか緩いかといった事を始めから考えず、なんとしてでも入国しようとするものばかりである。そのため正式ではあるものの煩雑な手続きを敢えて行って入国する者もいれば、入国審査が通らないとわかれば密入国をしてでも入国しようとする者もいる。如何に入国に当たって規制や審査をかけようとしても彼ら外国人犯罪者を防ぐ有効な手段とはなりえず、そのような規制や煩雑な審査はむしろ真っ当な外国人の来日を倦厭させるだけにしかなりえない」

 恐らくそんなものなどないでしょうが、私がかねてより気になっているのは日本で犯罪を犯した外国人の入国手段は一体どんなものか、正式な手続きを経て入国してきた外国人と密入国者との犯罪率を比較するような統計はないものかと前から探していますが未だに見つかりません。よく中国人などは犯罪をするためだけに日本にやってくるなどという極端な意見を言う方もおりますが、現行でとっ捕まっている外国人犯罪者のうち密入国者の割合はいったいどんなものかというのがなかなか見えてきません。

 仮に外国人犯罪者の来歴のうち密入国者の割合が高いのであれば、正式な手続きや審査を経て日本に入国してくる外国人については現在ほど懸念されるような犯罪者である確率は低いのではないかと思います。もちろんそれを見越しても移民のように大量の外国人を受け入れる事となれば審査漏れなどが発生して犯罪者が混じってくる可能性は高まるでしょうが、その辺の問題というのは移民をやるかどうかというより、前回で話した入管の問題なのではないかと私は思います。

 そしてさっきの意見で書いたように、犯罪者というのは儲け話があればどんな苦労も気にせずやってくるのに対し、日本に興味があったり留学を考えてやってこようとする真っ当な外国人からすれば煩雑な手続きや審査は気だるいものにしか過ぎず、緩めろとまでは言いませんがあまりにも厳しすぎれば返って人材の交流を妨げて犯罪者だけしかやってこないような体制にしかねません。

 何度も繰り返しになりますが、外国人犯罪について本来議論すべき場所は入管や警察、海上保安庁だと私は思います。如何に相手国と犯罪者情報を交換し合って共有するか、密入国ルートをどれだけ潰すか、入国前の審査でどれだけ阻めるかであって、移民の議論でも無関係ではありませんがもっと議論のポイントを広げて語るべきでしょう。そして移民を議論するのであれば、外国人犯罪者が増えるからという理由で即座に否定するのではなく、どうやって外国人犯罪者を招かずに受け入れていくかを考えていくことも移民議論に限らず必要です。

 そんなわけで次回は、多分この連載で一番私の加工が入った情報の詰まっている、中国からの移民の価値について解説します。

2010年3月9日火曜日

秋葉原連続通り魔事件裁判の証言

 今日はそろそろ腹を括って移民の連載記事の続きを書こうかと思っていたのですが、さすがに捨て置けないニュースが入ってきたのでこちらを取り上げます。

【秋葉原17人殺傷 第4回(1)】(産経新聞)

 本日午後、一昨年に起きた秋葉原連続通り魔事件の裁判が東京地裁にて行われました。上記ニュースは今日の裁判において行われた証人による証言をまとめた記事ですが、前もって言っておくと心臓の弱い方や残虐な描写に耐えられないという方は証言に生々しい描写があるために絶対に見ないようにしてください。逆にある程度の不快感に耐えられる自信があるのであれば、やや長いですがこの一連の証言記事は是非読んでもらいたいと思います。

 この裁判は今日で四回目ですが、前回では主に事件現場に居合わせた目撃者による証言がなされたのに対し、この四回目では実際に被害に遭われた方が証言台に立ちました。本日証言台にたったのは二人で、一人目の方は加藤被告の運転する車によって自身もはねられ、また一緒に秋葉原を訪れていた友人を亡くされた方で、二人目の方は加藤被告に直接ナイフで刺された方です。

 今日の証言内容を私の方で簡単にまとめると、まず一人目の方は大学での友人と四人でその日に秋葉原に訪れたことから事件に巻き込まれた方です。事件当時、証言者らは前に二人、後ろに二人でそれぞれ連れ立って横断歩道を渡っていた所へ加藤被告が運転する車が迫り、証言者と、彼と並んで前を歩いていた友人は咄嗟に前へと飛んだことから車体が直撃するのを避けられ腰の打撲で済みましたが、後ろの友人二人は避けきれず、そのまま車にはねられて亡くなってしまいました。この時の状況について証言者は、「死線をぎりぎりすり抜けたと思いました」と証言し、また一歩間違えば確実に死んでいたと述べています。

 証言者ははねられた直後は腰の痛みからしばらく立ち上がれなかったものの、すぐにほかの友人らはどうなったのかと見回したところ、亡くなられた友人二人が血を流して倒れていたそうです。証言者は友人に駆け寄って何度も声をかけたもののどちらからも返事は返って来ず、その無念さや悲しさは証言を聞いているだけでも胸が詰まる思いがします。

 そして二人目の証言者は、事件当日は後方でなにやら騒ぎが起きていると感じた直後から一時記憶がなく、気が付いたら路上に血を流しながら倒れていたそうです。この時証言者は加藤被告によってナイフで背中を刺されていたのですが自分に何が起きたのかわからず、その場に居合わせた周囲の方から止血や励ましを受けながら救急車が来るまで途方もなく長く感じたと述べております。
 しかし証言者は病院へ搬送後、一命こそ取り留めたものの医師からは一生車椅子生活になると告げられ、その際には絶望感よりも「勝手に決めつけるなよ」という気持ちを覚えたそうです。現在も証言者は懸命にリハビリを続け一部の機能回復こそ果たしたものの左足は未だに全く動かず、事件以前より不自由な生活を余儀なくされております。

 どちらの証言も、読んでいる私ですら犯人に対しとてつもない悔しさを感じるとともに、もしこれが自分の身であればと思うとあまりにも運命は残酷すぎると言いたくなる内容です。二人目の証言者など事件前には仕事もあってそこそこ不自由のない生活であったのが一瞬で壊されてしまい、その不遇を思うにつけ目頭が熱くなります。

 蛇足になるかもしれませんが、実はこの事件が起きたすぐ後、生前私がお世話になった人へ線香を手向けようと近所の仏具屋に行った所、お店のおばさんから、「もしかして、秋葉原の事件で亡くなられた子のご友人ですか?」と尋ねられたことがありました。なんでもこの事件に巻き込まれて亡くなられた方は生前に近所に住んでいたらしく、その仏具屋にも何人か線香を買い求めにその方の友人が訪れていたそうなのです。
 そのお店のおばさんは比較的年齢の若い私を見て大学生だと思ったことからそのように尋ねたそうなのですが、今日のこの記事を見て、一人目の証言者の亡くなられた友人は大学生だったという事からもしかしたらあのおばさんの言っていた方というのはこの人のことではないかとすぐに浮かんできました。

 もちろん本当にそうなのかどうか確かめようがありませんし、仮にそうであったとしても何かが変わるというわけでもありません。しかしもしかしたら近所に住んでいて、仏具屋でのあの会話を考えながら証言者の語る事件当時の状況を読むにつけ、他人の分際でこんなことを言うのはおこがましいかもしれませんが、他の殺人事件などとは異なりまるで身近で起きた事件であるかのような感覚を覚えます。

 昔大学での倫理の授業にて講師が、戦争は鳥瞰的に見るのではなく匍匐的に見よ、戦闘で何人が死んだとかを見るのではなく一体どんな人がどのように殺されていくかを見なくてはならない。そうでなければ戦争の現実などなにも理解できないのだと語っていましたが、全く理解していないつもりはなかったのですが今回のこの裁判の証言を読むにつけ、やっぱり自分はあの講師の言葉をきちんと理解していなかったのだと痛感させられました。

 やはり内容が内容だけに、文字量に比べて今日は書き上げるのに時間がかかりました。あまりにも堅い内容なので最後に一息つける内容を入れておくと、上記の倫理の講師の授業はとても面白かったのですが、ある日の授業では始まるやいなや、お前ら京都にいるんだったらもっと奈良に行け、奈良はたくさんいいところがあると延々と授業時間の大半が奈良の宣伝に使われた事もありました。これはこれで面白かったけど。

2010年3月8日月曜日

森鴎外の苛烈さについて

 明治の文豪でその実力、名声ともに最高の評価を受けている人物となればまず間違いなく夏目漱石の名が挙がってくるかと思いますが、私はというと漱石を評価しないわけではないですが森鴎外の小説の方が面白いように感じました。もっともこの両者は甲乙のつけがたいところがあり、トップ2であるのは間違いないのですがどちらが上かとなれば評者の好み、または評価するポイントによって変わってきたりします。
 ただ大正の文豪で私が一番高く評価している芥川龍之介はその小説のテーマを事実上の師である漱石から受け継いだものの、小説のスタイルは今昔物語などの歴史物を題材にして表現するなど鴎外の影響も強く受けており、それゆえに芥川は両文豪のハイブリッド的作家とも言われており、明治大正を包括する最後の小説家としての評価はゆるぎないものと見られています。

 私としてはあまり漱石の小説にはなじまない所があるので芥川と鴎外を日ごろから贔屓にしているのですが、小説家としては芥川の方が上だと感じつつも、人間的には鴎外の方に親近感を覚えてしまいます。鴎外というとやはり「舞姫」で有名なドイツ人女性との関係ばかりが注目されがちですが、彼のドイツ留学中のエピソードではこれに負けるとも劣らない、ナウマンとの論争があります。

 ナウマンというのはナウマン像を発見してその名の由来となった、明治初期にお雇い外国人として日本に来ていたドイツ人学者、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンのことですが、彼はドイツに帰国後、日本について自らが見聞してきたことをある会合にて講演を催したのですが、その場には留学中の鴎外も来ていました。
 鴎外の目の前でナウマンは、日本は明治維新を経て列強に必死で追いつこうと改革を続けているが所詮は真似をしているに過ぎず、列強と肩を並べる事など到底不可能だと主張しました。

 するとそこで聞いていた鴎外はやおら立ち上がると流暢なドイツ語にてナウマンに対し、日本人として今の発言は黙って聞き流す事は出来ない。もし発言を撤回しないのであれば日時と場所を指定するので決闘を申し込むと言い放ってきたのです。もちろん周りはドイツ人ばかりで、唯一鴎外にくっついてきた同じく留学中の乃木稀典はドイツ語が理解できなかったまでも周囲の剣呑な雰囲気を読み取り、「も、森君、どうしちゃったの?(゚Д゚;)」と慌ててたそうです。
 この思わぬ鴎外の反論に対してナウマンは侮蔑するつもりではなかったと弁解するも鴎外は一向に譲らず、最終的にはナウマンが引いて発言を撤回したことで場が収まった、とされています。

 この論争は鴎外の研究者らによって伝わった逸話ですが詳細についてははっきりしないところがあり、上記の私の記述も敢えて一番ドラマ仕立てな物を紹介しております。ただナウマンに対して鴎外が何らかの形で反論を行ったというのは事実で、写真で見る温和そうな顔の裏では非常に闘争心の強い性格をしていたのではないかと窺わせるエピソードです。

 別に鴎外に重ねるわけじゃないですが、私もどうも周りから、特に初対面だと大人しそうな人間に見られる事が多いのですが、こんなブログをやっているあたり自分より過激な性格をした人間なんてそんなにいないような気がするのですが、どうも危険人物のようにはなかなか受け取られないようです。それはそれでいいんだけど。

2010年3月7日日曜日

日本でのオランダモデルワークシェアリングの必要性

 なんか昨日今日とブログを書く気力が湧かず、昨日に引き続きまた今日も二日続けてサボろうとしていました。急に寒くなったのが原因かな、まぁひとまず今日は頑張って書くけど。

 そんな絶不調下で書く今日の話題はというと、先日に移民の連載記事の方にいただいたコメントにてオランダでの移民の状況について言及されるものがあったのですが、それを見てふと思い出したオランダ型ワークシェアリングについてです。

ワークシェアリング(ウィキペディア)

 ワークシェアリングという英単語をそのまま直訳すると「仕事を分ける」という意味で、この意味通りにそれまで一人の人間が行ってきた仕事をを数人に分けて行っていく制度や考え方の事を指しております。ただ一概にワークシェアリングといっても各国によって持たれている考え方、またすでに実施されている制度の意味合いは異なってはいるのですが、最も進んだ形として実施されているのはオランダの制度であるというのは衆目の一致する所であります。

 ではオランダでのワークシェアリング、通常オランダモデルと呼ばれている制度というのは具体的にどのようなものかというと、オランダでは1980年代に襲った大不況時において景気打開策として、「フルタイマーもパートタイマーも、時間当たり賃金を同一のものにする」という法律を作りました。この法律の概要を一言で言い表すのなら同一賃金同一労働の徹底化ということで、例えば同じオフィスで事務作業をするにしても現在の日本では正社員と派遣社員とアルバイターとでそれぞれ給与に差があり、問題があるとはいいつつも是正の動きは全くありません。

 これに対してオランダでは正社員だろうと派遣社員だろうとアルバイターだろうと同じ仕事をしているのなら時間当たり賃金、要するに時給換算した賃金に差をつけてはならないという制限をかけたわけです。そんなこと言ったってうまいこと賃金格差が埋まるはずないと思われがちで、実際に当時の周辺国からはまたオランダが変な事をやっているよと言われていたそうなのですが、この制度を導入してからオランダではフルタイマーとパートタイマーの賃金格差はぐんぐんと縮まり、どっかでみた資料の比較では日本のパートタイマーの時給換算賃金はフルタイマーの0.4倍であるのに対し、オランダではなんと0.9倍にまで詰めているそうです。

オランダのワークシェアリング(Youtube)

 上記リンク先のテレビ番組の動画ではそのようなオランダの現状について取材、報道されており、特に冒頭のインタビューに答える男性の答えはかねてよりこのオランダモデルを知っていた私にとっても非常に意外なものでした。そのインタビューはどのような仕事をしているかという質問なのですが、その質問に対し男性はこう応えています。

「弁護士の助手と飛行機の客室乗務員の2つの仕事をしています」

 弁護士の助手と客室乗務員なんて一見すると全く縁もつながりのない仕事に見えるのですが、オランダではそれでも両方掛け持ちする事が出来るそうです。

 このオランダモデルのワークシェアリングの最大の強みは何かといえば、個人がそれぞれの都合に合わせて仕事を行い、また休日もそれぞれの都合によって決められるという点です。したがって周三日働いて残りの四日を休むこともできますし、周三日ずつ二つの仕事を掛け持ちして一日休日を取る事も出来ます。それにしても、警察官の三分の二までがパートタイマーというのだから本当に末恐ろしい国だ……。

 現在の日本はこの様なオランダの現状とは程遠く、フルタイマーとパートタイマーの賃金格差が大きいだけでなく月曜から金曜の五日間は必ず出勤しなければ安定した雇用を得辛い状況にあります。私はかつてこのオランダモデルが学校の授業で取り上げられた際は確かにこの様な働き方が出来る制度は理想的だけど、日本だと文化的な違いや制度的な面、また人口規模(オランダの人口は16,592,00人)の違いから実現は難しいだろうと発言し、周りの授業参加者もみんな似たような意見でした。

 しかし私は近年の日本の状況を見るにつけ、このオランダモデルの日本への導入はやれる、やれないの話をしている場合ではなく、もはややらなければいけない状況にまで来ているのではないかと考えを改めるようになりました。

 まず第一の理由としてニート、フリーター、ひいては若年失業者の増加問題の対策としてです。未だに正社員でなければ真っ当な人間にあらずという極端な概念の強い日本では就職氷河期に就職できなかった若者は延々と就職する機会が得られず、賃金格差の激しいパートタイマーの仕事で食いつないでいる方が数多くおります。このような若者の追い込まれた状況を支援するために同一労働同一賃金の必要性はかねてから主張されているものの、一向に改善の兆しは見えてきません。

 次に労働力配分の問題です。現在の日本は失業者が大量に増加している一方で介護や医療、農業といった分野では労働力が不足している状況にあります。もちろんそれらの事業を運営している団体や個人が人を雇う余裕がないというのも大きな理由ですが、ワークシェアリングの導入によって雇用の流動化を進め、安定した賃金が得られる仕事を行う一方でこれらの分野の仕事を週一で手伝ったり、ボランティアとして活動したりする事で補完が得られる可能性があります。

 そして最後にして最大の理由として、二番目の理由とも多少重なりますがこれから予想される介護問題への対策としてです。目下の少子高齢化は言わずもがな、しかるに現状の日本の介護体制は人員も揃っていないばかりか今後ますます要介護者は増えていく一方です。つい先日にも介護疲れから心中が行われた事件が報じられましたが、介護態勢が整っていないゆえに今後の日本は各地でこのような殺人が頻発していくとみてほぼ間違いないと言っていいでしょう。

 今の介護の問題で何が大きな問題かといえば、要介護者を施設やヘルパーに介護を委託しようにもお金がかかり、かといって自分で介護をしようとしたら四六時中付き添わなくてはならないので仕事を辞めざるを得なくて自らも生活に困窮していくという、いわゆる介護倒れという負のスパイラルが起こるという現状です。特に日本の場合だと先ほども言ったとおりに月から金まで毎日出勤する正社員でなければ真っ当な給与は得辛く、二日に一回の割合でヘルパーに来てもらい残りの日は自分で介護することで費用を軽減しようとしても、二日に一回の出勤など認められるわけなく必然的に仕事は辞めざるを得ません。

 仮にオランダモデルがうまく導入できるとしたらこの仕事をしつつ自分で介護を一部行うという選択肢が選べるようになり、介護に必要な労働力を要介護者の家族らに一部担ってもらう事が可能になります。現状においても家族による介護補助がなければ介護は成り立たないといわれており、介護倒れを防ぐためにも私はオランダモデルこそが最善の選択肢なのではないかと思うに至ったわけです。

 このほかにもまだ書くべきことはあるのですが、あまり長くなるのもなんなのでここまでにしておきます。やる気が低い割にはそこそこ書けたなぁ。
(´Д`) =3 ハゥー

2010年3月5日金曜日

いじめや虐待をどう捉えるか

 先日私の母校の歳行っていた独身の先生が結婚したという仰天するニュースを友人に話した所、乱世なんだからそういうことが起こっても仕方がないと切り返されてしまいました。確かに現在は百年に一度とも言われる大不況とも言われる時代、佐野眞一氏も不況不況と嘆いているだけじゃなくてかえってこのような時代の節目に立ち会えることができたと前向きに考えるべきだとも言っていましたし、そんな時代にあっては何が起きてもおかしくないのかもしれません。
 そういうわけでこれからは何が起きても驚かないように心して生きていこうと思った矢先、こんなことが本当に起こるものなのかとまた驚かされるニュースが今日報道されました。

愛子さまが「乱暴」で学校お休みに(産経新聞)

 記事の内容はリンク先に書かれている通り、現皇太子の息女である愛子様が通っている学習院初等科にて同学年の男子生徒の行為が原因でここ最近学校を休みがちだそうです。情報自体は宮内庁の発表のため事実である事に間違いなく、一体その問題の男子生徒の「乱暴」という行動が何かという詳細までは報じられていませんが、ついには皇族にまでイジメ問題が広がったのかと一部で騒がれ、私自身も第一印象はそのように感じました。
 戦前に比べれば大いに開かれるようになった皇室こと菊のカーテンですが、それでも現代日本において明確な禁忌性とともに畏怖され続けている存在に変わりなく、子供とはいえそんな皇族の愛子様にこのような報道がなされる時代が来るなぞいくら乱世ったってなんでもあり過ぎなんじゃないかと、改めてすごい時代になったもんだと感じさせられたニュースでした。

 ただ今日はこの愛子様のニュースに隠れてもう一つ、子供に関するある痛ましい事件も報じられていました。

<4歳児衰弱死>市が対応協議中に死亡 埼玉・蕨(毎日新聞)

 こちらも詳細はリンク先にある通りで、2008年にわずか四歳の男児が実の両親から食事を与えてもらえず餓死した事件で、男児の両親が保護責任者遺棄の容疑で本日逮捕された事が報道されています。私はわずか一ヶ月強前に「児童虐待は何故防げないのか」という記事で当時に起こった児童虐待死事件を取り上げましたが、それからそれほど日も経たぬうちにまたもこの様な事件が報じられるなど、深い悲しみを感じるとともにどうして日本社会はこんなことを繰り返しているのかとやるせない気持ちになってしまいます。

 特に今回の事件で何よりも許せないのは、先に取り上げた虐待事件同様に周辺住民や警察が虐待ではと所轄の児童相談所に情報を寄せていたにもかかわらず、相談所職員は男児宅に訪問するだけで有効な対策手段を打たないまま最悪の結末を招いてしまっている事です。報じられている記事では相談所は男児の対応を協議している最中に事件が起こったと説明していますが、正直に言って私はこの弁解は聞いてて疑わしく感じ、実際にはサボタージュをかましていた言い訳ではないのかと、言葉は悪いですが見えてしまいます。

 今日取り上げたこの二つのニュース、いじめと虐待ですがこれらは言葉こそ違えど、「強者が弱者を必要以上、過剰にいたぶる」という意味では同じ行為を指しております。
 この頃私はよく思うのですが、

・いじめは学校内の問題
・虐待は親子間の問題
・しごきは部活内の問題
・パワハラは社内の問題
・アカハラは学内の問題・
・下請けいじめは業界の問題

 などと個別別々に語られますが、全部ひっくるめるとこの様な「イジメ」の問題というのは日本社会全体に当てはまる問題じゃないかという気がしてきました。だからこそとでも言うべきか、部分々々を取り上げて学校内のいじめや虐待はやめようとか防ごうといくら叫ばれようとも、それらを覆っている日本社会全体にゆるぎなくイジメの構造が行き渡っているためにいつまで経ってもいじめや虐待が減らならないのかもしれません。

 言うなればいじめや虐待はごく限られた範囲で起きている問題ではなく、日本社会全体で起きている社会問題なのではないかというのが私の意見です。私の目から見ても学校内のいじめをやめようといっている大人たちがそもそもイジメを是認している節があり、少なくとも日本では多少の理不尽な事であれば言われても我慢しろといい、年上には許されるどうでも良さそうな発言や行動も年下が年上に対して行う事は許されません。
 いじめや虐待をどの範囲の問題と捉えるのか、社会学をやるからにはこの様なややピントのずれた問題視点が重要になるのですがいい好例なので力を入れて書いてみました。

2010年3月4日木曜日

採用のミスマッチについて

 以前に友人が、こんな面白い皮肉を言っていました。

「日本の企業は採用時にコミュニケーション力を一番重視しているのですが、日本人の退職理由の大半は人間関係が原因なんですよね」

 さっきちょこちょこ調べた所、どうもリクナビ系のアンケートではその友人の言うとおりに退職、転職理由の一位は人間関係なのですが、その他の転職掲載とのアンケートでは必ずしもそうではなくそれぞれの転職希望者を扱う専門分野(事務系や技術系といった)によって理由は変わってくるのかもしれません。しかし私も傍目から見ていて、実際に中途採用の面接をやっていた人の話を聞いているとやはり人間関係に起因する退職者というのは多いようで、先ほどの友人の言葉も大きく事実から外れていないように思えます。

 仮に友人の言葉通りだとすると、今の日本の企業はコミュニケーション力が高いとされる人材を選んで採用しているつもりでも彼らの期待通りの人材を得られていないということになります。特にここ数年は不況にもかかわらず新卒者のうち約半数が三年以内に転職、もしくは退職するとも言われており、このミスマッチとも言うべき現象は深刻化していると言っていいでしょう。

 あまり長く引っ張るのもなんなので短くまとめると、そもそもこのコミュニケーション力という言葉の定義がはっきりしないということがこのミスマッチを生む最大の原因かと思います。コミュニケーションと一口で言っても何かを説明するのに上手に手早く行える表現力の事なのか、幅広い人間間と話を合わせられる話題の豊富さなのか、無茶な事や理不尽な事をされても我慢できる我慢強さなのかいまいちはっきりしません。恐らく大半の日本企業は最後の我慢強さを求めていると思うのですが、露骨に就職説明会などで、「無理難題言われても、殴られてもじっと我慢ができる人大歓迎です!(^o^)/」なんて言ったら誰も応募に来るわけないんで、体よくコミュニケーション力って言いつくろってんじゃないかという気がしてなりません。

 就職希望者としてはこうした企業側が求める人材像がよくわからず、恐らく前に「日本辺境論」の書評で書いたようになんとなくといった空気で企業側の求める人材像になりきろうとして、企業側も我慢強さを求めているのになんとなくなりきろうとしている姿に流されて採用し……こんな具合のミスマッチが日本のあちこちで起こっている気がします。

 そもそも文字書いてなんぼ、少ない文字数で一体どれだけの意味を読者に自分の意図を伝えられるかを常に問い、自らの文章表現力を磨き続けてきた(つもりの)私に言わせると、人材募集に際してコミュニケーション力などという定義の曖昧な言葉を使用する人間自体に疑問を感じます。採用したもののすぐに辞められては困るのであれば、優秀な人材を囲いたいものならもっとはっきりと、直接的な言葉を使って人を集めた方が手間も随分と少ないんじゃないかという気がします。そういう意味で日本の各企業の人事採用者に対し、すくなくとも表現力という意味ではコミュニケーション力は低いのではないかとやや批判的に私は思っているわけです。

2010年3月3日水曜日

移民議論の道標~その十一、入管について

 仮に移民を受け入れるとして何が必要になってくるかといったら、移民を受け入れる施設や職、果てには生活のアドバイスを行うネットワークはもとより何より必要になってくるのは入管こと、入国管理局の整備と強化だと私は考えております。

 どこの国でもそうですが入管というのはその国にやってくる外国人に問題がないか、ビザやパスポートなどを確認したり麻薬や拳銃といった持ち込み禁止品の摘発などを一括して行っている部局です。もちろんこんな重大な仕事を民間に任すわけないので基本的に公務員職なのですが、どうも話で聞いている限りだと同じ公務員は公務員でも、役所などにいる公務員等と比べて入管の職員は非常な激務だそうで、前にテレビで報じられた成田空港の入国審査官などは文字通り昼食も取れないほどの忙しさだそうです。

 あくまでそうやって私が見ている範囲ですが、仮に移民を受け入れるとなると今以上に大量の外国人が出入国を行うということから、私は早急に入管職員の増員と強化が必要になるかと考えております。もちろんこれだけなら誰だって言えることなのですが、こういった量的な強化はもとより、これは現在においても言えることですが質的な強化も早急に必要だと日々感じております。その質的な強化というのはどういうことかというと、やや入管の範囲を超えてしまいますが犯罪者、テロリストの入国に対する規制強化のことです。

 現在でも爆弾発言連発ですでにおなじみの鳩山邦夫議員がかつて、「私の友達の友達にアルカイダがおり、そいつは過去に何度も日本に入国している」という発言をして大顰蹙を買った事がありましたが、後に彼自身が説明する所によると、なにもすごい友人がいるということを自慢したかったわけでなく、アルカイダのような国際テロ組織のメンバーを日本は捕まえるどころか国内で自由に闊歩させている現状の問題性を訴えたかったそうです。発言の問題性はともかくとして、鳩山議員の言が本当だとしたら彼のいわんとしている懸念も理解でき、こうした外国よりやってくる犯罪者の取締りなどに現状の日本は問題があるという事になります

 これ以前からも日本はスパイを取り締まる法律がないために各国の工作員に好き放題にさせられているといわれてきましたが、移民を受け入れるのならなおさら、受け入れないにしてもこの様な状況はグローバル化が進む現在において望ましいはずがありません。さすがにこの様な範囲ともなれば入管を超えて警察や海上保安庁など管理範囲になってきますが、犯罪者らの入国の最前線に立ちふさがる入管の強化は何よりも先に必要になってくるかと思います。

 では具体的にどのようなことをすれば入管の強化が図れるのでしょうか。はっきりいってこの方面だと私は全くの素人であまり余計な発言はするべきではないのかとも思うのですが、それを認識した上で敢えて一つ提言をさせてらえば、各国の犯罪者情報を事前に共有化することだけでも全然状況が変わるのではないかと考えております。
 この犯罪者情報の共有化というのはそれぞれの国で指名手配となっていたり、海外逃亡の可能性のある人物の情報を中国や韓国、ブラジルなど現在日本への入国者数の多い国とで交換し合うことを指しております。恐らく現在だと韓国やアメリカとは犯罪人引渡し条約もある事からこれら情報交換は行われているかと思いますが、他の二カ国についてははっきり言ってあまりなされていないのではないかと思います。

 私がこの様に犯罪者情報の交換の必要性を強く訴える理由というのも、かつて起きた広島女児殺害事件の例があるからです。
 この事件は日系ブラジル人と偽って(実際は違う)日本に出稼ぎに来たペルー人が猥褻目的で女児を誘拐、殺害したという痛ましい事件なのですが、元々この事件の犯人であるペルー人は本国ペルーでも複数の猥褻事件を起こしており、しかも出国時も指名手配中だったようです。

 もちろんこんな人間、普通にしたって日本に入国できないために本名を偽って就労ビザを得たようなのですが、過大な期待をしているのかもしれませんがビザを発行する前、日本に入国する前にその前科を確認して入国を防ぐ事は出来なかったのかと考えてなりません。この連載の日系人移民を取り扱った記事にて私は現行の制度には問題があると指摘しましたが、その問題性のある箇所とはまさにここで、現行の日系人の受け入れは日系人であるかどうかも詳しく確認せず、しかも日系人と認めてしまえば緩い審査で入国を認めているのではないかという不信が私にはあります。

 この連載は移民という政策を実行するかしないかはおいといて、今のうちに移民関係で議論すべき議題や問題を挙げることを主眼にしております。今回取り上げた入管の強化、日系人移民についても全く同じで、移民に対して賛成派も反対派も、変に批判しあったりせずこういった共通に考えることが出来るについて問題について歩み寄って議論するべきではないでしょうか。

2010年3月2日火曜日

ラングリッサーシリーズについて

 なんか今日は不具合が起こっていろいろ大変だったそうですが、このところ私はPS3のダウンロード販売にいろいろとはまっております。このダウンロード販売の何がいいのかって言うと昔遊んだゲームを非常に安い値段で、しかもお気軽にクレジットカード払いで購入する事が出来、しかも購入後はハードディスクにダウンロードして遊べるという点です。最初はおっかなびっくりなまま試してみたい気持ちだけで「ファイナルファンタジータクティクス」を購入してみたのですが、あまりにもあっさりと出来てその手軽さには本当に驚かされました。

 そんなもんだからこの「ファイナルファンタジータクティクス」をクリアもしないうちに他にも買っておきたい商品はないのかといろいろと探してみた所、「ラングリッサー」というソフトがまず真っ先に私の目に入ってきました。
 恐らくこのゲームの名を聞いても私の関東在住の友人一人、関西在住の友人一人くらいしか知らないと思いますが、今ではゲーム製作から撤退してしまったメサイヤがかつて作って販売していたシミュレーションRPGのシリーズがこの「ラングリッサー」です。

 具体的にこのゲームがどんな内容かというと、中世ヨーロッパ(百年戦争頃)を意識したファンタジーの世界を舞台にした、他社の「ファイアーエンブレム」や「タクティクスオウガ」などといったゲームと同様のターン制シミュレーションRPGです。自ターンに味方キャラを選択して相手キャラに攻撃などの指示を出すという点ではオーソドックスなゲームシステムなのですが、この「ラングリッサー」において特筆すべきなのはこの手のシミュレーションRPGが出始めたごく初期の段階で各部隊に属性を与え、戦略性を高めている点です。

 具体的にどのような属性かというとこれは説明は簡単で、

・歩兵は騎兵に弱いが槍兵に強い
・騎兵は槍兵に弱いが歩兵に強い
・槍兵は歩兵に弱いが騎兵に強い

 という、みたまんまの三すくみになっているため、どのキャラにどの部隊を率いさせてどのように敵にぶつけていくかがこのゲームの醍醐味になっております。また部隊を率いるキャラクターはそれぞれが独立した能力を持っていて、回復魔法を使うのも入ればやけに動きが早いのもいたりなどと、またそうしたキャラクター達も魔法使いにするか戦士にするかなどとその成長もプレイヤーはかなり自由に選ぶ事が出来ます。

 そしてこのラングリッサーを語る上で外せないのが、キャラクター原画を担当しているうるし原さとし氏です。この人も知っている人なら知っていますが、書いているマンガは女性キャラは服を着ているシーンのが少ないんじゃないかと思うくらい脱がせっぱなしで、しかもかなり光沢をつけたような陰影で肉感的に描くという特徴的な絵を書く人で、そのせいでこの「ラングリッサー」に登場するキャラクター達も多分一回見たらなかなか忘れられないような造形をみんなしてます。

 女性キャラに至ってはこれでもかという巨乳ぞろいで、しかも戦闘に出て斬り合いまでするというのにやけに露出の高い鎧やコスチューム、もしくはピチピチのスーツを着ており、「おどりゃ、死にさらす気かっΣ(゚Д゚;)」って、突然広島弁で突っ込みたくなる格好をみんなしています。それに対して男性キャラはやけにごつい格好した連中ばかりで、特におっさん系キャラはいぶし銀とはこういうものだと感じさせる名キャラぞろいです。

 私はこのゲームを中学生の頃に今でも友達だと勝手に信じている友人に紹介されてから遊ぶようになったのですが、その頃に遊んだのはセガサターン版で、このシリーズは1から5までありますが4が一番難しい上にFFのアクティブタイムバトルのようなシステムがまだ不完全で(5で完成に至る)、えらく難儀しながらも非常に楽しく遊んだのを今でも憶えています。なお今回ダウンロードした「ラングリッサー4&5」では4のシステムが5のシステムに改められているので、戦いが非常にさくさく進みます。

 現在このシリーズを作っていたスタッフ(キャリアソフト)はメサイヤからアトラスに移籍し、現在では「グローランサーシリーズ」を製作しております。こちらもまた名作ぞろいのシリーズ(2を除けば)で、声優陣も非常に豪華なので興味のある方は中古でもいいから是非手にとって見てもらいたい代物です。

 なお私が一番お気に入りなのは、「ラングリッサー5」で声優の満仲由紀子氏が演じたエミリエルです。あのありえない強さと肌の露出ぶりが未だに鮮烈に残っております。ついでに書いておくとグローランサーでは3のモニカでした。

2010年3月1日月曜日

松下とトヨタの違い

 このところビジネス系雑誌や新聞のあちこちで一連のトヨタのリコール問題に触れてはかつての松下(ゲンパナソニック)のファンヒーター回収問題と比較する論評をよく見ますが、かなりうがった意見を言わせてもらえば両者の違いは特殊部隊の差じゃないだろうかと考えてしまいます。

 あくまで伝聞の情報ですので本当かどうかまでは私もここでは保障しかねますが、松下には商品事故が起きた際に真っ先にそれをもみ消す専門の部隊がかねてからいたそうで、あのファンヒーターの問題も大分以前から把握していたもののあの手この手でそれが表に出ないようにし続け、とうとう最後にこのままでは隠しきれないということから平謝りに出たのだという話を聞いたことがあります。実際にファンヒーターの事故は回収騒動の時期に集中して起きていたわけでなく長期間に渡って起きていたのが突如回収を行う発表がテレビCMなどで公開されるなど、時期的にちょっと怪しい部分も少なからずありました。

 今回のトヨタのプリウス騒動も日本国内ではかねてよりブレーキの電子制御が弱いという声があったもののあまり大きな声にはならず、アメリカでの騒動の広まりによって初めて一般にも認知されてきた感じがします。恐らくトヨタにもクレームや事故(主なのは労災だろうけど)をもみ消す部隊みたいなのはあるかと思いますが、なまじっか市場が広すぎて松下みたいにいかなかったんじゃないかと、今日電車に乗りながら思いました。